ホーム 古代文明への旅 ピラミッドと惑星 邪馬台国と大和朝廷 日記『つれづれ草』 アトランティス幻想



BACK1011



第10話 古代UFO奇譚と竜宮伝説

(1)

 アトランティスにまつわる話をしながら、宇宙人だの、UFOだのという方向に、結局、話が来てしまった。読んで頂いている方のなかには、当惑される向きや、呆れられる向きもあろうかとは思うけれども、これはアトランティスについて何百回となく考えてきたうえでの私なりの指針でもあるわけです。
 最初に述べたように、アトランティスと宇宙人は、必ずしも全然別の話ではなく、深い水脈でつながっているように見える――はっきりいってしまうと、アトランティスという伝説の文明には、宇宙人とかUFOが何か関係しているに違いないと思えるのだ。
 で、今回もそれに類する話である。


 トゥリ・パピルス(Tulli Papyrus)と呼ばれる謎のパピルスがある。このパピルスには、古代エジプトのトトメス3世治世下で起きた不可解な出来事が記録されている。なぜ「謎の」といわれるかというと、描かれているのがまるでUFO目撃を思わせる記録であること、そして、このパピルスおよびその写しが、今では行方不明だからである。
 トゥリ・パピルスは、UFO研究家の間では早くから知られており、最古のUFO目撃記録として紹介されてきた。もちろんエジプト学者によっても検討されてきたし、今ではテキストがネットで公開されてもいる。
 このパピルスに書かれているのは、新王国第18王朝のトトメス3世の時代(紀元前15世紀前半)に起きた次のような事件である。

  「(治世)22の年、冬の第3の月、6番目の時刻、生命の家の書記たちは、空から炎の輪が飛んで来るのに気づいた。・・・・その口からは、邪悪な気配を放っていた。それには頭がなかった。その体は長さ1ロッド、幅1ロッド。音はなかった。書記たちは困惑し、地面に腹ばいになった・・・・彼らはそれからファラオのところに赴き、事件を報告した。・・・・陛下は調査を命じられた・・・・それから、起きたことについて黙想されていた。このことは生命の家の巻物に記録された。
 さて数日後、空にはこれらの物がおびただしい数となった。その輝きは太陽にまさり、天の四隅の隅々にまで及んでいた。・・・・空の高く広い場所から炎の輪が出入りしていた。ファラオの軍隊はファラオを真中にして傍観していた。夕食後のことであった。それから、この炎の輪の群れは空高く上昇し、南に向かって飛んでいった。空から魚や鳥が落ちてきた。建国以来かつてない不思議であった。・・・・ファラオは国土に平和がもたらされるように香をたき・・・・今後、永く記憶に留められるように、起きた出来事を生命の家の年代記に記録しておくよう命じられた」

註1:1ロッド=100キュービット(約50メートル)
註2:・・・・の部分は、損傷または欠落



 古代エジプト人が見たこの炎の輪は、最初は空にひとつだけ現れたらしい。数十メートルの大きさで、異様な気配を放ち、見ている者たちは大地に身を伏せた。数日後、その数は空全体を覆うほどおびただしいものとなった。この不思議な空飛ぶ炎の輪は太陽のように輝いており、空の高いところの出入り口から出没を繰り返していたようだ。ファラオの軍隊が見守っていると、それらは空高く上昇し、南の空に飛び去っていった。そのとき、魚や鳥が空から落ちてきたというのは、いったいどういうことなのだろうか。
 今さらいうまでもないことだが、たしかにUFO目撃を思わせる記録である。ファラオや兵士たちはおそらく、幻覚や奇怪な自然現象を見たのではなく、何か実体があって空を自由に飛び回るものを見たのである。それが非常に不思議なことだったので、記録に書きとめられた。

 トゥリ・パピルスの「トゥリ」とは、バチカン博物館の前エジプト局長、アルベルト・トゥリ教授(故人)の名から来ている。その由来については、多少不確かなところがある。トゥリ教授とこのパピルスにまつわる話は、おおむね次のようなものである。
 ・・・・トゥリ教授は1934年、カイロの古物商でこのパピルスを偶然見つけたが、高価だったために購入することはできなかった。しかし、古物商がコピーを取ることを許してくれたので、教授は、カイロ博物館の館長アボット・ドリオトンの協力を得て、手描きのコピーを取った。ただし、パピルスに書かれていたのはヒエラティック(草書体)だったが、コピーの際にヒエログリフ(聖刻文字)に描き直された。
 トゥリ教授はこれをエジプト学者のボリス・デ・ラチウィルツに依頼し翻訳してもらった。その結果、この文書はトトメス3世の年代記の一部であることが判明した。
 トゥリ教授がバチカン博物館に保管していたこの文書はその後、教授の死とともに行方不明になってしまった。教授はすべての所有物を司祭をしていた弟のアウグスト・トゥリに残した。この文書も司祭の手に渡ったが、不幸にも、司祭の弟もその後亡くなり、トゥリ教授の遺物はすべて弟の相続人達に分散されてしまった。このさいに相続人たちは文書の価値を知らなかったので、散逸してしまった。現在も行方不明のままである・・・・

 さて、焦点となるのは、パピルスそのものが本当に実在したのかどうか、そして、ラチウィルツなる人物の翻訳はどこまで信用できるかどうか、である。
 この文書の内容は、エジプト学者の興奮と懐疑を呼び、長年にわたり仔細に検討されてきた。その結果、今ではラチウィルツの翻訳自体は正しいと認められているようだ。この文書で使われている古代エジプト語の単語や文法のスタイルは、トトメス3世の時代のものと等しいとされるのである。
 一方、ラチウィルツ自身についても、彼は古代エジプト語の翻訳だけでなく、古代ギリシアやアフリカ美術の権威として知られた存在であった。ラチウィルツの著作には、現在も読まれているものがあるということである。
 そうなると、文書の内容や翻訳そのものには、さほど疑念を挟む余地はないことになる。もし文書が本物ではなく、偽造されたものなら、古代エジプト語に相当程度に熟達した者の手になったというほかない、というのが現在の評価である。 (2006年5月25日)


★  ★

 トゥリ・パピルスは、古代エジプトの文献的な基礎資料である『エジプト古記録』(ANCIENT RECORDS OF EGYPTT−W、J・H・ブレステッド著)には載っていない。
 もとのパピルスそのものが発見されていないだけでなく、そのコピーすら行方不明となれば、それも仕方ないのだろう。書かれている内容が内容だけに、疑いの目でも見られてきたし、当然、慎重な扱いになるわけである。
 もし、この文書が偽物だとすると、古物商のところにあったパピルス自体が偽造されたものだった、と考えるのが一番自然だろう。
 トゥリ教授自身は古代エジプト語の専門家ではなく、パピルスのコピーにさいしても、あるいは、その翻訳にさいしても、他の専門家を頼んでいる。しかも、コピーにも翻訳にも問題がないとすれば、古物商を疑うほかないわけである。

 だが、古物商なり誰かが、わざわざ好き好んで物議をかもすようなものを偽造するかどうかが、まず疑問だ。偽造した人物がエジプト学者並みに古代エジプト語に熟達していたのも、かなり不自然である。古代エジプト語といっても、ヒエログリフではなく、ヒエラティックで文章を書ける能力というのは並大抵ではないのである。
 現在でも、ヒエラティックを自由に読みこなしたり、ましてやトトメス3世時代のスタイルに合わせて作文できるような専門家は、世界でもそれほど多くはいないはずだ。それほどの能力があるなら、パピルスを偽造するよりも、エジプト学者として評価される方が早道だろう。

 トトメス3世は、「古代エジプトのナポレオン」といわれる有名な征服王として知られている。義母ハトシェプスト女王のあとを継いで王位につくと、ヌビア、パレスチナ、シリア、メソポタミアなど、全部で17回のアジア遠征を行い、エジプト史上最大の版図を広げた。
 ルクソールのカルナックのアモン・ラー大神殿の壁面には、トトメス3世の年代記が記されている。この年代記は、ちょうどトゥリ・パピルスの記述と同じ年から始まっており、治世22年から42年まで毎年のように行われた17回の遠征を記録している。
 そのカルナックの年代記の記述は、「22年の第2の季節の第4の月」から始まっている。一方、トゥリ・パピルスの出来事は、「22年、冬の第3の月」である。

 古代エジプトでは、ナイル川の氾濫期を最初の季節として、穀物の成長期(冬)、収穫期(夏)と、季節は3つに分けられていた。氾濫期、成長期(冬)、収穫期(夏)の順である。
 トゥリ・パピルスは、「冬の第3の月」の出来事であり、カルナックの年代記は、「第2の季節の第4の月」つまり「冬の第4の月」から始まっている。そうなると、ふたつの記録はちょうど一月違いで連続しているわけである。しかも、両方の記録は単語や文法など、スタイルがよく似ているという。

 これらのことから総合的に考えてみると、トゥリ・パピルスはおそらく本物である可能性の方が高い、といってもよいのではないだろうか。両方の記録のもとになるようなパピルスの原本が、おそらく実在したのではないか、という気にはなる。
 しかし、この手の話には結論は出ないのがふつうで、現在、トゥリ・パピルスの真贋論争も、いわばペンディングの状態になっているようだ。パピルスの現物や写しもない以上、仕方がないといえばそうなのかもしれない。
 とはいえ、この記録が本物である可能性だって、依然としてあるわけである。非常に興味深く、不可解な記録が、現にコピーされているのは事実だ。この手の資料には慎重でなければならないだろうが、かといって、やみくもに否定すればいいというものではない。   トゥリ・パピルスについては、残念ながら、現在これ以上のことはいえないのである。 (2006年5月29日)


(2)

 古代のUFO目撃談を思わせる話といえば、聖書やインドの古文献がよく知られている。
 旧約聖書にある預言者エゼキエルが見た奇怪な幻影は、宇宙船のようだとか、ソドムとゴモラが滅亡する場面に登場する御使いは、まるで宇宙人のようだと早くから指摘されてきた。
 また、インドでは『ラーマー・ヤナ』をはじめ幾つかの古文献に、まさにUFOを思わせる「ヴィマーナ」という乗り物が登場する。それだけではなく、太古に核戦争があったことまで連想させる記述があることもよく知られている。
 だが、これらについてはすでにデニケンやシッチンの本をはじめ日本でも南山宏さんの本(『宇宙が残した最後の謎』)などに詳しいので、今さらここで述べる必要はないだろう。こうした話は古代においても決して少なくないのである。
 むしろ、ここで取りあげてみたいのは、わが国に古くから伝わる昔話のひとつ、あの浦島太郎の伝説だ。

  むかし むかし 浦島は 助けた亀に連れられて
   竜宮城に来てみれば 絵にもかけない美しさ

 童謡や絵本でおなじみの浦島太郎の話は誰でも知っている。
 このおとぎ話は、室町時代から江戸前期の御伽草子の話がもとになったとされているが、古くは万葉集や日本書紀の「雄略紀」などにも述べられている。文献学的に一番古いとされるのは、『丹後国風土記』逸文にある「筒川の島子」(水の江の浦の島子)の話で、8世紀の初め頃の成立である。
 その『丹後国風土記』逸文では、次のようなストーリーが述べられている。

 ・・・・浦島(筒川の島子)はいつものように一人で小船に乗って海で釣りをしていた。ところが、3日3晩一匹の魚も連れず、ただ五色に輝く亀だけを一匹釣りあげた。不思議に思ったものの、亀を船に置いたまま、うとうとと眠ったところ、亀は比べもののない美しい乙女に姿を変えた。
 乙女はじつは天界の仙人で、容姿にすぐれ優雅な浦島と親しくしたいと、やって来たという。乙女が蓬莱山へと彼を誘うと、浦島は喜んで応じる。浦島が舟をこぎ始めると、乙女は彼を眠らせ、たちまち海上にある大きな島に到着した。ここは宝石を敷き詰めたような常世の島で、光り輝く御殿が立ち並んでいた。
 乙女はある立派な家に入っていき、浦島はその前で待っていた。すると、スバル星の7人の童子があらわれ、次に、アメフリ星の8人の童子がやってきた。これらの童子たちの話から、乙女の名前が亀姫ということを浦島は知った。
 やがて、乙女の両親や親族が来て、祝宴が始まった。仙界の宴は人の世とは格段の違いである。これで二人は夫婦となった。
 浦島はもとの世界を忘れ、3年の間楽しく時を過ごしたが、やがて故郷が懐かしくなってきた。父母に会うためにしばらく故郷に帰りたいと乙姫に申し出ると、乙姫はとても悲しむ。だが、玉手箱を彼にさずけ、また戻って来たければ、この箱を開けてはならない、と約束して彼を送り出した。
 浦島が故郷に戻ってみると、村はすっかり変わり果てていた。村人に尋ねると、300年前に海から戻らなかった浦島という男がいたことを聞いているという。放心した浦島は、乙姫との約束を忘れ玉手箱を開けた。すると、かぐわしい香りが天に昇っていった。浦島は涙にむせびながら、悲しみの心を歌に詠んだ・・・・

 浦島太郎の話には、文献によって幾つかのバージョンがある。
 とくに結末については、玉手箱を開けると浦島は白髪のおじいさんになった、というのが一般的だ。ほかには、玉手箱の煙とともに浦島は鶴になって飛び去った、というのもある。
 亀と乙姫が現れるシーンにも多少異同があって、浜で子供たちにいじめられていた亀を助けたところ、乙姫が御礼に来たというのが、最もよく知られた話である。浦島が訪れたのは、ここでは常世の島の蓬莱山となっているが、竜宮城の方がより一般的だ。また、竜宮城で過ごした期間についても、300年ではなく、700年だったという話もある。 (2006年6月3日)


★  ★

 こうしたなかで、おそらく、オリジナルに一番近いと思われている『丹後国風土記』逸文では、物語の舞台は現在の京都北部、丹後半島北東部の与謝郡伊根町筒川付近とされている。ここには宇良神社という浦島を祀る神社が現に存在し、嘘か真か、あの玉手箱なるものも伝わっているそうだ。
 浦島太郎の失踪と帰還の事件は、ふつう雄略天皇の治世(5世紀ごろ)に起きたとされているが、これは歴史的な年代というより、「大昔」というような意味合いのようだ(新編日本古典文学全集5風土記・小学館)。遠い遠い昔の話というわけである。
 丹後半島周辺は、日本三景のひとつ、天橋立がある場所でもあって、この地方には天女の羽衣伝説やイザナギ伝説(イザナギ命が地上で昼寝をしている間に、天に戻る梯子が倒れて天橋立になったという)なども伝わっている。天上界や竜宮といった異世界と交流する内容が特徴的だ。この地にはまた、古代史ファンにはおなじみの籠神社があり、やはり竜宮伝説が伝わっている。


 さて、『丹後国風土記』逸文の浦島のストーリーで、何といっても興味深いのは、浦島が連れて行かれた島と、乙姫の素性である。
 まず、乙姫はこの物語では天界の仙人とされており、浦島を蓬莱山へと誘っている。
 蓬莱山というのは、中国の神仙思想でいう海の彼方にある常世の島である。現実とはかけ離れた異世界であって、そこへ行く前に乙姫は浦島をいったん眠らせている。眠ると、一瞬で常世の国に着くのである。帰ってくるときも同じだ。これは日常の感覚とは連続しない場所であることを、物語っているのだろう。
 常世の国に着くと、なぜか星の童子たちが現れる。スバル星の7人の童子と、アメフリ星の8人の童子で、スバル星とはプレアデス星団のこと。アメフリ星とはヒアデス星団のことである。どちらも今日の星座でいうと、おうし座の頭部付近にある。
 スバル星とアメフリ星は、それぞれ昴宿(ぼうしゅく)、畢宿(ひつしゅく)と呼ばれ、中国黄道28宿に属する星宿である。一方、ギリシア神話では、プレアデス星団、ヒアデス星団ともに、巨人のアトラスがニンフに生ませた姉妹が星にあげられた姿とされている。

 乙姫の住む常世の国ではまた、時間の感覚がまるで違うらしい。この世の現実世界の数百年が、あちらでは数年に当たるというから、時間がほとんどないに等しいのである。
 このあたりでおそらく誰もが気づくことは、この話にはどこか宇宙的な要素があるということなのだ。

 そもそも、浦島と乙姫の出会いに重要な役割を果たしている亀そのものが、例のアレを思い出させるところがある。つまり、UFOのことだが・・・・。竜宮城で過ごした3年間が、地上では300年になっていたという話自体が、異次元の世界を見てきたようで、UFOに乗ってどこかに行ってきた話にも通じる感じだ。
 ついでに、気にせずにいってしまうと、話のなかに出てくるスバルの童子たち、つまりプレアデス星団は、第9話で紹介した『宇宙人UFO大事典』では、宇宙人たちの故郷のひとつに挙げられていたのも、気になるところだ。
 この話は文字通りおとぎ話の空想なのか、それとも、何がしかの実体験的な真実を含んでいるのか――、ここがまさに浦島伝説の面白さ、というか、興味の焦点である。


 浦島太郎の話は、竜宮伝説の典型といってよいだろう。乙姫の国は海の彼方にある異世界であり常世の島だが、万葉集ではこれが海神の宮となっており、竜宮城につながって行く。
 竜宮とは海底にある楽園であり、仙境でもあり、理想郷でもあって、さらには「あの世」(死者の国)にも通じている。人間の生命を超えた世界なのである。しかも、竜神は天に昇るように、竜宮はまた天につながる場所でもある。
 日本や中国をはじめ東洋の海神や竜宮は、このように海や海底だけではなく、天上、つまり宇宙を結んでいる。
 これはおそらく世界共通ではないだろうか。海の彼方や、海中にある楽園の伝説は世界中にあって、それらはすべて常世の島や異世界のようである。
 しかも、思いがけないことだが、古代ギリシアのプラトンが伝えるあのアトランティス、海神ポセイドンを奉じるアトランティス王国も、これに通じるのではないか、ということなのである。
(2006年6月6日)

(3)

 じつは、浦島太郎とよく似た話が、古代ギリシアからも伝わっている。『オデュッセイア』には、カリュプソという仙女が住む不思議な島が登場する。これが浦島の話と似ているのである。

 『オデュッセイア』は、『イリアッド』とともにホメロス(紀元前8世紀の詩人)の作品といわれ、古代ギリシアを代表する2大叙事詩である。そのうちの『オデュッセイア』は、トロイア戦争に参加した智謀の勇者オデュッセウスを主人公とする流浪譚だ。
 トロイア戦争からの帰途、長く海上を漂流し続けるオデゥッセウスとその部下は、一つ目巨人のキュクロプスの島や巨人族の島に行ったり、また魔女キルケの島、さらには冥界に下るなど、さまざまな苦難に遭遇する。その後、すべての部下を失ったオデゥッセウスは、たったひとりで美しい女神カリュプソの住むオギュギエの島に流れ着くのである。
 そのいきさつをオデュッセウス自身が、次のように語っている。

「海上遥かオギュギエなる島があり、ここにはアトラスの娘で、好智に長けたカリュプソという、髪美わしい、しかし怖るべき女神が住んでおります。神にせよ人間にせよ、この女神と往き来している者は一人だにありません。ところがなんたる不運か、きっといずれかの神霊の仕業でありましたろう、なんとわたしはその女神の許へ身を寄せることになったのです――しかもたった一人で。それというのも、葡萄酒色の大海の真只中で、ゼウスがわたしの船を灼熱の雷火で撃ち、粉々になされたためで、このときわたしの優れた部下たちは悉く命を落しましたが、わたしは船の竜骨を抱えて、九日の間漂流いたしました。十日目の暗夜、神々はわたしを、髪美わしき、しかし怖るべき女神カリュプソの住む、オギュギ工の島に打ち上げられたのですが、女神はわたしを救ってくれ、懇(ねんご)ろに面倒を見、食事を与えてくれたばかりか、わたしを永遠(とわ)に老いぬ不死の身にしてやろうとまでいってくれました。しかし、どうしてもわたしの心を動かすに至らぬまま時が過ぎ、結局わたしは七年の間ずっとここに逗留しておりましたが、その間カリュプソから貰った不壊の衣裳を、涙で濡らさぬ日とてありませんでした」(第7歌)
(『オデュッセイア』ワイド版岩波文庫 松平千秋訳)

 オデュッセウスは、こうして浦島と同じように遥か海上の島で、仙女カリュプソと夫婦同然の生活をするのである。
 彼はつねに帰国の望みを抱いていたとはいうのだが、ここでの暮らしはそれなりに居心地も良かったようで、カリュプソからは至れり尽くせりの愛情を受け、おまけに不死の身にしてやろうとまでいわれる。
 この島での7年間が、浦島のように地上世界の700年ということにはならないが、カリュプソは不死の存在で、オデュッセウスを不死の身にすることもできるという。やはり人間の生命を超えた神仙の島なのである。

 しかし、時がたつうちに、オデュッセウスはカリュプソとの生活にも飽きたらしく、帰国を夢みて悶々とする日々を送るようになる。
「もはや仙女にも飽きたらぬ今となっては、故国恋しさの嘆きのうちに、生きる喜びも涸れていく。夜は洞の中で自らは望まぬながら、せがむ仙女にやむなく添寝していたが、昼は浜辺の岩に坐り、泣き呻き悩んでは心をさいなみ、涙をこぼしながら不毛の海を眺める毎日であった」(第5歌)

 美貌の仙女からもてなされ、うらやましいような、申し分のない暮らしに見えるが、そのじつはカリュプソに囚われているという面もあったようだ。アテネ女神は、そのあたりのオデュッセウスの有様を次のように語っている。
「アトラスの娘が、悲運に泣く憐れな男を引きとどめ、故国イタケを忘れさせようと、日夜やさしく甘い言葉でその心を惑わそうとしているのです。しかし、オデュッセウスは、せめてのことに故国の土から立ち昇る、煙なりとも見んことを願いつつ、むしろ死を望んでいるのです」(第1歌)
 十分にもてなされ楽しんだあと、オデュッセウスもやはり望郷の念にとらわれる。細かな状況や設定に違いはあっても、海の彼方の島で天界の仙女と暮らし、人間世界に戻っていくというストーリーの骨格が、浦島太郎とよく似ているのである。
 ただし、こちらのストーリーでは、人間の男と別れる仙女の気持ちは、もっと生々しく描かれている。

 八年目の年が巡ってきたとき、ゼウスのはからいで、オデュッセウスの望みは叶うことになる。神々の会議でオデュッセウスの帰国が決定され、ヘルメスが使者になって仙女の島にやってくる。仙女カリュプソはそのとき、神々の命令に身を震わせて嘆くのだ。
「あなた方神々は、なんと残酷な方々なのでしょう。あなた方ほど嫉(ねた)みぶかい者は、他にはおりますまい」
 カリュプソがいうには、神々はいつも邪魔をするというのである。いろいろな女神が人間の男を愛するたびに、いつも引き離される例をあげ、神々はそういう恋愛を許さないのか、と不服を申し立てるのである。オデュッセウスへの未練はたっぷりだ。しかし、ゼウスの決定には従わないわけにはいかず、彼女も結局、オデュッセウスの出発を認めることになる。

 オデュッセウスは5日間かけて筏(いかだ)を組み立て、いよいよ出発するのだが、その折の仙女の親切さも際立っている。
「仙女は彼に風呂を使わせてから、香を焚き籠めた衣裳を着せ、黒々とした酒の革袋、それにもう一つ、水を入れた大袋、さらに食糧を詰めた袋も筏に積み込み、味の良い副食物もたっぷり添えた。仙女は温かく穏かに吹く順風を送り、オデュッセウスは順風に心楽しく帆を拡げた」
 まるで我が子を見送る母親のようにというのか、悪女の深情けというのか、まさに、至れり尽くせりである。おまけに、いざ別れが決まった夜には、ふたりは「心ゆくまで飲食を楽しみ」、「互いに寄り添い、愛の喜びに浸った」というから、やっぱり最後まで、いい思いはしているわけである。
 ここでは玉手箱は登場しないが、オデュッセウスはカリュプソから不壊の衣裳なるものを授かっている。のちに人間世界に近づくと、これを脱ぎ捨てているので、この衣装が結界のような役目をしているようだ。 (2006年6月11日)

(4)

 カリュプソの住むこの島は「オギュギエ」と呼ばれている。注釈によれば、古代ギリシアでは「太古の島」を意味したようだ。この島は海の彼方の西のはずれにあり、人間の住む町は近くにないとされている。
 はるばる海を越えてこの島にやってきたヘルメスでさえ、その遠さには次のように呆れている。
「このような果てもなく続く海原を、誰が好きこのんで渡ってきますか、まったく途方もない長旅だ。神々に供物やみごとな百頭牛のいけにえを供えてくれる人間どもの住む町も、近くにはないのですからな」

 仙女のカリュプソは、この島で巨大な洞窟に住んでいる。洞窟のまわりには、香り高い木々が青々と繁り、翼の長いさまざまな種類の鳥が生息している。洞窟のすぐ入口には葡萄の実が熟れており、四つの泉があって清例な水が流れている。まわりにはすみれやパセリが咲き誇る柔らかな草原が拡がり、その光景の美しさには神々でさえ目を見張るほどである。ゼウスの命令を伝えにきたたヘルメスも、その光景にしばらく見惚れていたほどだ。島全体に芳香が漂っているということである。この島は、いわば楽園だ。

 『オデュッセイア』には、さまざまな古伝や民話のモチーフが組み込まれているといわれている。ホメロスが生きた紀元前8世紀よりも、さらに古い時代の古伝が多く含まれており、そのなかには、カリュプソのような仙女の島の伝説も存在したのだろう。
 この島は「太古の島」とされているので、竜宮城のいわば最古の形態といってもよいかもしれない。人間の時間を超えた異次元の世界の島が、遥か西方の海の彼方にあるという伝説が、おそらく相当に古い時代から存在したのである。

 興味深いことに、『オデュッセウス』にはまた、アトランティスのモデルとも思えるような島の描写がある。
 それはパイエケス人という人々が住む島である。オデュッセウスが仙女カリュプソの島を出発して最初に着く島で、カリュプソの島からは一番近いようだ。
 筏に乗ったオデュッセウスは、カリュプソに教えられたとおりプレアデスやオリオンという星々の位置を確かめながら、アルクトス(大熊座)を常に左手に見て、つまり、西から東へと海を渡ってくる。
 こうやって海の上を18日間航海したところにパイエケス人の国がある。この国はスケリアと呼ばれている。
 オデュッセイウスはこの地に着くと、王の娘ナウシカアという少女に助けられる。彼女がパイエケス人のことを、次のように説明している。

「わたしらは波騒ぐ大海のはずれに、遠く離れて住んでいるので、わたしらと往き来する人は誰もいないのです」
「パイエケス人には弓も矢筒も用はなく、用のあるのは帆柱と擢と均斉のとれた船だけ、その船を操って意気揚々と灰色の海を渡るのです」
 と、彼らパイエケス人が海洋民族であることを語るのだが、この船というのが、どうもふつうの船ではないのである。ナウシカアの父で、この国の王であるアルキノオスという人物が、船についてさらに説明している。
「パイエケス人には舵取りもおらぬし、ほかの国の船にはある舵もない。船は自分で人間の思うこと志すことを悟るし、また、この世の人間すべての住む町々や、豊沃な耕地の所在も心得て、霧と雲とに姿を隠しながら、凄まじい速さで大海を渡るのだ。われらの船には遭難や難破の恐れは全くない」

 海を渡る船とはなっているが、かなり特殊な乗り物であるようだ。空想的なおとぎ話といってしまえば、それまでだが、私などはこの船から例のアレを連想するほどだ。

 このスケリアという国には、ポセイドンの立派な神殿がある。それだけではなく、スケリアの初代の王は、海神ポセイドンの息子であったという。ポセイドンが巨人族の王の娘に生ませた子だという。現在の王はその息子で、2代目である。つまり、この国の王統は、プラトンのアトランティスと同じポセイドンの血を引いているわけである。
 この国にはアルキノオスという王がいるが、そのほかに12人の領主がおり、全部で13人で国土を治めているという。プラトンのアトランティスでは、10人の王統が支配したとされているが、このあたりもやはりどこか似ている。
 また、プラトンのアトランティスを一番彷彿させるのは、王の領地のなかにあるとされる次のような果樹園の描写である。

「前庭の外には門に迫って、四ギュエース(耕すのに四日を要する広さの土地)にも及ぶ広大な果樹園があり、両側に垣がめぐらされている。ここにはさまざまな果樹が丈高く勢いよく繁茂している。見事な実をつける梨、石榴(ざくろ)、林檎、廿い無花果(いちじく)に繁り栄えるオリーヴなど。これらの樹々の果実は、一年を通じて実り、夏冬を問わず傷(いた)みもせず尽(き)れることもない。吹寄せる西風が、あるいは生長を促し、あるいは成熟を助けるので、梨も林檎も葡萄も無花果も、それぞれ次々に熟して絶えることがない。(略)ここにはまた、葡萄園の端の列とならんで、さまざまな野菜が整然と栽培されており、一年を通じて青々と茂っている。果樹園には二つの泉が湧いており、その一つの水は園全体に引かれてこれを潤しているが、それに向き合うもう一つの泉の水は、前庭の門の下をくぐって宏壮な屋敷に達し、町の住民たちはこの流れから水を汲む。アルキノオスの屋敷の中の、天与の賜の数々は、このようなものであった」

 プラトンのアトランティスでは、「植物や果物、穀物などのあらゆる作物が、さんさんと照り輝く太陽のもとで、一年を通してかぎりなく豊かに実り」、「温水と冷水のふたつの泉があった」と述べられているが、まさにそれを思わせる記述である。
 ここにはどうも、接点があるようだ。(2006年6月19日)

(5)

 プラトンのアトランティスは、本来、エジプトを起源にしている。
 プラトンより3世代ほど前のソロンが、エジプトのデルタ地方にあるサイスの神官から伝え聞いた話がもとになっているという。つまり、アトランティス伝説そのものは、エジプトに由来するというのだが、奇妙なことに、当のエジプトにはそのような話はまったく見当たらないのだ。
 エジプトの神話や民話には、アトランティスを思わせる国や島の話は全然出てこない。マネトのエジプト史にも、アトランティスは述べられていない。エジプトをくまなく現地取材したヘロドトスの話にも、アトランティスは登場しない。
 そればかりではなく、最古のメソポタミア文明を見ても、アトランティスを思わせる伝説はまったく見当たらなかった。何かおかしいのである。

 アトランティスという名前は、これまでのところプラトン以前には知られていない。また、『オデュッセイア』との関連についても、あまり述べられたことはなかったように思う。だが、『オデュッセイア』はプラトンに材料を提供しているのではないだろうか。どうも、アトランティスのネタ本のひとつになっているのではないか、と思えてくるのだ。
 プラトンが生きたのは紀元前5世紀ごろ。ホメロスが『オデュッセイア』を書いたのは紀元前8世紀ごろとされている。プラトンの時代には、『オデュッセイア』はすでによく知られていたので、プラトンが『オデュッセイア』を読んでいたのは間違いない。しかも、『オデュッセイア』には、アトランティスを連想させるような島の記述がある。
 となると、プラトンが『オデュッセイア』からアイデアを得たか、『オデュッセイア』を参考にした可能性は十分あるわけである。

 『オデュッセイア』そのものは、前に述べたようにさまざまな古伝や民話をモチーフにしている。とくに「アルゴー船伝説」に負うところが少なくないといわれているが、ほかにも幾つか空想的な場所のことが述べられている。なかでも仙女カリュプソの島や、パイエケス人の島は、アトランティス伝説によく通じる。
 今までほとんど語られることはなかったが、プラトンのアトランティスはどこから来たかというルーツの問題に、ひとつの筋道を与えていると考えてよいだろう。
 プラトンがアトランティスを書くにあたっては、『オデュッセイア』に出てくるような西方海上の島が、モデルとして念頭にあったに違いない。しかも、その背後に見えてくるのは、もっと遥かに古い時代から西方の島の伝説は存在していたに違いないということである。
 常世の島や、楽園の島、つまり太古からの竜宮伝説のようなものが、アトランティスにつながっている。どうもそう見えてくるのだ。

 ただし、アトランティスのルーツそのものは、やはり謎である。
 『オデュッセイア』がネタ本のひとつだったとしても、それだけではプラトンのアトランティス物語はとても完成しない。もっと別の特別な情報源――エジプトの神官が秘中の秘として語り伝えてきたような――もあったと思われるし、さらには、プラトン自身の創作があった可能性さえあると思えるのだ。そうでなければ、あれほど大量の情報の出処は見当がつかない。そして、その根本のところには、西方の楽園の島の伝説がある。真実はおそらく、そのあたりにあるのではないだろうか。

★  ★

 ホメロスと同じ紀元前8世紀の詩人、ヘシオドスの『仕事と日』という作品にも、楽園のような島のことが述べられている。ヘシオドスによると、この島は「至福者の島」と呼ばれている。
 ヘシオドスは、人間の歴史を5つの時代にわけ、最初の黄金の時代から彼自身が生きていた鉄の時代まで、それぞれに違った5つの種族がいたというのだが、4番目の種族のなかには、今では海洋の果ての遥かな島に住んでいる者たちがいると、次のように述べるのである。

「クロノスの御子、父なるゼウスが、人の世からは離れた大地の涯(はて)に、命の糧(かて)と住居とを与えて住まわせられた。かくてこれらのものたちは、心になんの憂いもなく、深く渦巻くオーケアノスのほとり、「至福者の島(マカローン・ネーソイ)に住んでおるのだ」(岩波文庫 松平千秋訳

 アイルランド(ケルト)の神話にも、非常によく似た話がある。雲に乗ってやってきた第4番目の種族が、5番目の種族との戦いに敗れ、海の彼方や地下に逃れ、常世の国を造り、目に見えない種族となったというのである。
 西海の果てにある不思議な島の伝説は、間違いなく太古から存在したとみてよいだろう。このような島の伝説は、現代のヨーロッパの大西洋岸にも残っている。フランスには、イル・ヴェルトゥという「緑の島」についての伝説がある。ボルトガルにはやはり、イリャ・ヴェルデという「緑の島」についての伝説がある。英国ウェールズには、死者の国アヴァロンの伝説がある。
 このような伝説は、すべてあのアトランティスを連想させると同時に、竜宮伝説にもつながっている。

 竜宮城や仙女の島、西方にある楽園の島、さらには常世の島や死者の島、このような伝説は人類に共通の大昔からの記憶のようだ。しかも、竜宮伝説は海に関係している。山や平原や砂漠ではないし、どこかの地底世界とか洞窟でもない。やはり海が竜宮のストーリーの重要なテーマになっている。それはまた、宇宙的な要素を持っている。非常に不可解なことだが、竜宮伝説はかつて地上に存在した未知なる古代文明よりも、むしろ天上の世界、宇宙につながっているように見える。もっとはっきりいってしまうと、海中のどこかには宇宙人やUFOと結びつく場所があるのではないか、と思わせるのだ。 (2006年6月23日)



BACK1011      
copyright (c) HIDEO KURAHASHI

ピラミッドと惑星へ/ 邪馬台国と大和朝廷へ/ あぐら鍋へ

ホームへ アトランティス幻想へ