ニギハヤヒの正体

謎の人物の背後には、邪馬台国が隠されている

甘樫の丘から見る大和盆地

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謎の人物ニギハヤヒ

 日本の古代史のなかで、饒速日(ニギハヤヒ)という人物は、いつも謎の存在でしたね。天の磐船で天から降り、河内や大和のあたりを支配していたらしい。九州から東征してきた神武が、大和平定の最後に戦ったのがこのニギハヤヒでした。
 そのために、ニギハヤヒはどうやら大和朝廷の成立以前に、日本を支配していた王ではないかというような考え方も、これまでによく出ていました。
 しかし、いろいろと考えてみると、どうもこの人物には謎が多い。何か存在感が曖昧で、正体がはっきりしないのです。
 大和平定の神武の最後の戦いを振り返ってみましょう。
 これは神武とニギハヤヒの戦いですが、実際は、ニギハヤヒの家来のナガスネヒコが直接の相手になります。戦いは長引いて、なかなか決着がつかなかったようです。しかし、終盤になり、戦いの最中に急に空が暗くなって雹(ひょう)が降り始め、金色のトビがあらわれます。
神武天皇陵  このトビが神武の弓の先に止まると、その光のためにナガスネヒコの軍は幻惑されます。ナガスネヒコはここで神武に使者を送ってきます。
「私は、天から降られたニギハヤヒの命に仕えていますが、いったい天神の子はふたりおられるのですか。どうして天神の子と名のって、人の土地を奪おうとするのですか」
 それにたいして、神武は答えます。
「天神の子は多くいる。もし、お前が仕えている人が天神の子なら、必ず天のしるしのものがあるから、それを示しなさい」
 そこで、ナガスネヒコが、ニギハヤヒの天の羽羽矢(ははや)などを見せると、神武はそれが偽りでないのを認め、自分も同じものを示します。神武とニギハヤヒは同じ天孫族の一員だというわけです。

 
大和をすでに支配していた者


 ところが、ナガスネヒコとの戦いはここで急に腰砕けのようになるのです。今度はいきなりニギハヤヒその人があらわれ、「性質のねじれたところのある」ナガスネヒコをみずから斬り殺し、あっさりと神武に帰順し、支配権を譲るのです。
 この場面はいかにも象徴的なくだりというほかありません。まるで「出来レース」のようなのです。
 ニギハヤヒの存在は、すでにある正当な勢力が大和に存在していたことを物語っています。しかも、神武はその勢力を認めざるを得ず、打ち負かすことはできない。そこで、出雲の国譲りと同じように、神武はニギハヤヒから大和の支配権を譲られるわけです。
 しかし、何かわざとらしい感じが否めません。
 記紀では、ニギハヤヒは大和の最初の支配者のように描かれていますが、どうも朝廷側の意向に沿って、作為的に創られた人物のように見えます。前にもみたように、記紀の編者たちは、邪馬台国や卑弥呼の名前を徹底的に隠そうとしています。この神武東征の物語でも、ニギハヤヒという存在は、邪馬台国を隠すために登場しているように見えるのです。

 
ニギハヤヒとは誰か


 現在の考古学の知識をもとに、日本の古代の年表を可能なかぎり作成してみますと、3世紀の終わりごろから始まる三輪王朝の直前には、女王卑弥呼や台与の邪馬台国が大和盆地に存在していたとするのが最も有力な考え方です。
 神武の東征物語は、三輪王朝が誕生してくる様子をあらわしていると考えられますが、東征物語では、神武はニギハヤヒから王権を譲り受けている。神武の前に大和を支配し、王権を築いていたのはニギハヤヒです。では、ニギハヤヒは邪馬台国の王だったのでしょうか。
亀石  古代の年表からいえば、三輪王朝の前は邪馬台国が存在していたはずです。卑弥呼や台与の女王国があったはずです。しかし、邪馬台国や卑弥呼の名前は東征物語には出てきません。これは記紀の編者たちの一貫した姿勢です。
 むしろ、ニギハヤヒが大和を支配してように書いてある。
 邪馬台国ではなく、ニギハヤヒの王国があったのか、それとも、ニギハヤヒは邪馬台国の王だったのか、ということになります。

 よく考えてみると、どうもニギハヤヒという存在が何か奇妙なのです。
 記紀によれば、ニギハヤヒは物部氏の祖先とされていますが、物部氏の氏族伝承を伝えるといわれる『先代旧記本紀』(平安初期成立)によると、ニギハヤヒは物部一族を連れて天の磐船で空を駆け巡り、河内国のイカルガノ峰に天降ったということです。
 河内国のイカルガノ峰というのは、東大阪市の生駒山付近とされています。神武の軍勢がいったん大和川沿いに大和に侵入しようとしたとき、ニギハヤヒの家来のナガスネヒコに撃退されたのが、東大阪市日下(くさか)町付近でした。
 この日下町には石切剣箭(いしきりつるぎや)神社という古社があり、現在も、ニギハヤヒを祖神として、直系の神主が百代以上に渡って仕えているといわれます。ニギハヤヒの本拠地は本来このあたりのようです。
 一方、ニギハヤヒについてはもう一つの伝承が残されています。前の「卑弥呼の名のある系図」のところで紹介した天橋立の籠神社に伝わる「海部氏系図」という国宝の系図によりますと、ニギハヤヒは河内の国に天降ったあと、大和国の鳥見(とみ)の白辻山(生駒山付近)に移ったということです。そこでナガスネヒコの妹と結婚した。

 
ニギハヤヒは大和の中心勢力ではない


 ニギハヤヒはこのように、生駒山の河内側から大和側の鳥見(登美)に移ったようです。これは大和川を見下ろす地点を大阪側から奈良側に移っただけです。つまり、大和と河内を結ぶ大和川沿いを押さえていたことを意味しています。当時としては交通の一番の要衝を押さえていたといっていいでしょう。
山の辺の道と三輪山  逆にいえば、大和の中心であり、信仰の中心でもある三輪山周辺とはあまり関係がないようなのです。どうやらニギハヤヒは、大和の中心勢力ではなかったように見える。
 同じように、神武の軍勢が大和に侵入し、大和内を平定していく過程でも、どうも三輪山付近の戦いが、はっきりそれとわかるような形では記されていません。磯城や葛城、天理市付近を押さえたことは述べられていますが、ほかはよくわからない。ナガスネヒコとの戦いも、『古事記』には「トミのナガスネビコ」とか「トミビコ」とあるように、鳥見(登美)の勢力との戦いです。つまり大和盆地西部がその舞台だったようです。
 ニギハヤヒは大和の支配者のように扱われていますが、じつは大和の中心的な地域を押さえていない。このあたりがどうしても引っ掛かります。
 しかも、神武天皇はじつは東征に出発する前からニギハヤヒの存在を知っています。
「東の方によい土地があり、青い山が取り巻いている。その土地は、大業をひろめ天下を治めるによいであろう。きっとこの国の中心地だろう。その場所に天の磐船に乗って降りてきたのは、ニギハヤヒだろう」と語っています。
 ところが、ニギハヤヒとの大和で実際の戦いは、あっけないほど簡単に終わってしまいます。さんざんに抵抗したナガスネヒコを、ニギハヤヒ自身が殺してしまうのです。
 このような神武とニギハヤヒの戦いは、前にも述べたように最初から勝敗が決められた「出来レース」のような感じがしてなりません。ニギハヤヒはどうも、初めから朝廷側の意向に沿った形で記紀に登場しているのです。

 
物部氏の活動は5世紀から


   ニギハヤヒの子孫である物部氏は、もともと河内国の渋川郡あたりを本拠地としています。やはり大和川沿いの河川・陸上交通の要衝を押さえたことで、大和にも勢力基盤を拡大したといわれています(『日本古代史事典』)。つまり、河内に天降り、大和に移ったニギハヤヒと同じです。
 物部氏は朝鮮半島の百済とも関係が深い氏族といわれていますが、その活動が活発になってくるのは、じつは5世紀ごろからです。これは河内王権の拡大とはっきり歩調を合わせていて、河内から大和に進出し、河内王権を支える武力勢力として基盤を確保していきます。
 物部氏はやがて、石上神宮の管理を受け持つようになり、武力的な性格のほかに、祭祀的な性格が備わり始めます。その後、6世紀末には勢力が一挙に衰えますが、7世紀後半ごろから復活し、7世紀末(天武13年)には朝臣姓を与えられます。このころに氏族名を物部から石上と改めたようです。それからは石上朝臣として律令制下で大きな勢力となっていくのです。
酒船石  このように、7世紀末から8世紀初めという大和朝廷によって中央集権化が進む段階、ちょうど『古事記』や『日本書紀』が出来あがってくるときに、物部氏は朝廷内で大きな発言力をもっていたということです。その氏族の祖先の名が、「ニギハヤヒ」として記紀に残されている。
 となれば、ニギハヤヒは、物部氏のために創られた架空の人物と考えられる要素が非常に強いといえます。
 神武天皇やニギハヤヒは、もちろん神話的な人物ではありません。いわば、神代と人代をつなぐ役割をもって創られたもので、具体的なモデルとなる人物がいたのではないでしょう。
 ニギハヤヒは、邪馬台国や卑弥呼を隠すという記紀のポリシーに沿ったかたちで登場しています。
 日本の古代史のなかで、ニギハヤヒはいつも謎の存在とされてきました。それは、大和朝廷が成立する前に大和に存在していた王権、つまり邪馬台国を隠す目的で創られた人物だったからこそ、謎めいて見えたのではないでしょうか。

   島根県大田市に石見国一ノ宮の物部神社があります。ニギハヤヒの息子の宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)を主祭神とする神社です。6世紀の継体天皇の勅命によって創建されたと伝えられています。三輪王朝や河内王朝の時代ではなく、継体王朝と関係があるらしく、それほど古いとは思えません。宗教的に重要な出雲の地に、物部氏のために大和朝廷によって建てられた神社のようです。ニギハヤヒという人物と重なってきます。
        (拙著『古代出雲と大和朝廷の謎』より 2005年2月)




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