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日本の鉱山・炭鉱を追って 1970-2003

                                        橋本 康夫
はじめに 

 
私が第6回国際鉱山ヒストリー会議・赤平大会にて発表する鉱山、炭鉱跡地は「足尾銅山」「三菱端島炭礦」「三井三池炭鉱」を中心にしたものである(図-1参照)。
 足尾銅山(以下・足尾)は栃木県最西部に位置し、1973年2月28日に閉山した銅山である。古河鉱業株式会社(現・古河機械金属株式会社)が経営した。
 端島炭礦(以下・端島)は長崎県長崎港約18キロ沖合いに位置する、現在は無人の島である。1974年1月15日に閉山した炭鉱である。三菱石炭鉱業株式会社(現・三菱マテリアル株式会社)が経営した。
 三井三池炭鉱(以下・三池)は福岡県大牟田市と熊本県荒尾市にまたがる1997年3月30日に閉山した炭鉱である。三井石炭鉱業株式会社が経営した。
 それらの跡地は全国各地の鉱山・炭鉱跡地の中でも私には特にインパクトが強く、興味尽きないテーマが山積されている場所である。それらの跡地を閉山直前から現在まで、簡単に振り返り、現地で撮影した写真、ビデオ等で「私の鉱山に対する思い」を検証し「これからの鉱山」を考えたい。

1.足尾銅山・端島炭礦・三池炭鉱の閉山直前から現在まで
 
 足尾と端島が閉山した頃は各地の鉱山・炭鉱の閉山が相次いで起こり始めた頃だ。とは言え、まだいくつかの金属鉱山や北海道、九州の炭鉱などは操業中の所もあり、経済状況も現在と比べるとこれほどまでに悪化していなかった。再就職問題も決してスムーズだったとは言えないが、再び坑内の技術が生かせる労働ができる人たちが何人かいた状況だった。その点、三池は坑内の労働はおろか、現在も再就職率は低いままで、多くの元炭鉱労働者は失業の苦難を強いられている。だが、団結心・信頼感の強い鉱山労働者がヤマを去り全国に散らばることになったのは各時代、各鉱山共通している。
 鉱山、炭鉱施設を見てみると足尾では閉山直後すぐ会社側は社宅を壊し始めた。更地にして自社施設の誘致や観光地化への土地の再利用のためだった。現在はそれらも一部再利用されたが、鉱山施設の多くは自然崩壊、荒れ放題のまま放置している。
 端島は閉山した年の3ヶ月後の4月20日に住民全員が離島し、航路も閉鎖になり、以後無人化となり、建物や施設は現在まで手を加えず放置したままである。2001年11月に島を所有していた三菱マテリアルは端島を高島町に無償譲渡している。
 三池は初の都市型閉山といわれ、会社側は大きな労働運動があり、炭塵爆発、一酸化炭素中毒患者問題など様々な事件、事故を起こした要因もあり、負の遺産として見られることを恐れた。従って、炭住をはじめ、各立坑などの施設は積極的に壊し、今や炭鉱の面影を探し出すのには案内人が必要な状況である。整地された炭住跡は売地したが、現在、一部大牟田駅近辺を除き思惑が外れ、雑草が延び放題で荒れ地のまま放置されている状況だ。

 足尾町は閉山後「観光地化」をメインテーマにかかげ、温泉発掘や道路整備を進めた。1980年4月にやっと「坑内観光」をオープンさせて尾去沢・荒川・栃原・生野・別子など各地の鉱山跡の坑内観光開発に影響を与えた。その後、一時拡充の案も出たが途中で挫折した。地元自治体は「エコ・ミュージアム構想」として町全体の博物館構想を打ち出しているが、一部資料室程度のものを新設したに過ぎない。
今や「市町村の合併問題」の渦の中で、構想も宙に浮いた状態だ。一部の研究者の間では、銅山、町、田中正造や鉱毒事件の研究活動は地道に長く続けられている。現在足尾ではハゲ山を緑地化する市民運動が活発で、環境を考える意味で注目されている。
 端島・三池は炭鉱でガスの危険性もあり、坑内観光を中心にした観光地化は具体的にはない。しかし、端島は約30年放置され続け、台風などの自然災害に依る崩壊にも一部堤防などの補修以外は手をつけておらず、その結果、島全体が独特の風景をつくり出し、その風貌から「廃墟の聖域」として若者などから位置付けられている。町もその注目度に太陽光発電に依るライトアップなどの観光地化を考えているようだ。資料館は隣の島、高島に石炭資料館がある。
 三池は宮ノ原坑・万田坑が1998年重要文化財、2000年に史跡に指定され、辛くも施設は現在も壊されず残ったが、その保存、活用方法、財政問題で地元自治体は苦悩している。その他資料館などの新設なども行われた。最近になり、元炭鉱で働いた経験のある人たちを語り部として募集したり、市民の保存、活
用運動も動き始めている。だが、一方で三池炭鉱の心臓部であった「三川坑」がある鉱業所近辺は整地作業が進行中である。現状はますます壊され整地化が進行中で炭鉱遺産は消え去って行く一方だ。
 
2.今後の課題
 
 簡単に各鉱山・炭鉱の閉山後から現在までの動きを追ったがこれからの問題を考えてみる。
 私はこの3箇所の鉱山・炭鉱跡地には強いインパクトがあると記した。ではどのような点に魅かれるのか。共通していることは「人間がつくり出した風景」だからだ。

 具体的には各鉱山施設に魅かれることは共通しているが、足尾はハゲ山。端島は人間たちの生活がそのまま停止して残っている姿。三池は明治からの多くの功罪の歴史を内包し、それを具体的に物語る風景等々。それぞれ違うが、共通するのは、それらをつくり出したのは「人間」という事実だ。それらの風景を見て佇んでいると「人間」を「自分」を、そして「日本」を「世界」を考えてしまうのだ。それがごく自然に考えられる。私にとって「鉱山・炭鉱」とはそのような存在なのである。
 では今後はどうするのか。
 この3箇所の鉱山・炭鉱跡地に限らず、他の鉱山や炭鉱町でも共通して言える事は、確立した歴史や施設を残し保存して行く積極性に欠けていると言わざるを得ない。予算、資金不足の問題もあるが、独特の風景・歴史・地域性に関する「文化」への認識が日本は低く、重んじられていないのではないか。
 

 最後に私のイギリスでの炭鉱跡地を見学した時の印象を記したい。イギリスのヨークシャー炭鉱博物館の坑内観光、博物館の見学をしたが、坑内観光をするのに時計は外され、カメラは預けられ身体検査を受ける。すでに閉山した炭鉱にも関わらずである。その理由は炭鉱に入る為の規則、約束事を観光客に身を持って味わって欲しいからである。そしてヘルメットとキャップランプを装着して「ケージ」に乗ると「矢弦」がカラカラと廻り「立坑やぐら」の機能全体が動き出し、真っ暗な坑内へと入って行く。まさに生きている炭鉱が観光客は味わえるのである。そして暗い坑内をキャップランプの明かりで案内人に案内してもらう。案内人は元この炭鉱で働いていた人である。したがって案内も分かりやすく説得力もある。そして博物館の各施設はシャワー室・ロッカー室をはじめそのまま保持されているので、まるで今まで労働者がシャワーを浴びていたのではないかという強烈な実感が伝わってくる。
 さらにお土産として「カンテラ」を買ったが、使用済と未使用のものが並べられていた。日本では当然未使用の方が高いと思いがちだが、何と使用済の方がはるかに高価だったのだ。それもそのはずだ。良く見ると使用済のものはぶつけた跡や鈍い光沢を放って、いかにもその使われた年期、労働者の意気込みが伝わってくる。未使用のものはただの新品で、まったく魅力がない。他の博物館も日本ならばただ置いておくだけの蒸気機関などが展示されているが、日本と全く違うのはその蒸気機関が「動く」ところだ。ショーとして動く時間は決まっているものの、人々は思い思いの所で船に積載されたとてつもなく大きい蒸気機関が動くその迫力を味わっている。これには驚いた。こうして「文化」が後世の人々に伝わって行くのだと実感した出来事だった。イギリスの伝統が重んじられる「文化」を強烈に感じた展示だった。根本にただ置く、並べるだけで無く、先人たちへの技術、歴史の尊重、それらを大切に伝えて行く伝統があるからだ。
 足尾、端島、三池などに限らず、管理する会社、自治体は他のマネをせず、その土地の個性を生かした地道な保存、維持活動が肝要と言える。

図-1. 足尾銅山跡・端島炭礦跡・三井三池炭鉱跡 及びその他の鉱山・炭鉱・位置図

  

  

  足尾銅山跡 日付けは撮影日

本山坑 1997.7.5.  選鉱所跡 1992.1.19.
端島炭礦跡
  端島全景  2002.3.30.    第2立坑跡 2002.3.30.
 三井三池炭鉱跡
 万田坑跡・第2立坑やぐら 2003.3.15.   万田坑跡・巻上げ機 2003.3.15.
  

 

  その他の鉱山・炭鉱写真

 小坂鉱山・露天掘り跡にて 1990.10.27.  別子銅山跡・歓喜坑 1995.9.23.
 松尾鉱山跡・社宅屋上より 1993.6.6.
    神岡鉱山・社宅内・風呂場 1989.9.16.

  赤平炭鉱跡・立坑内 2001.10.27.    志免炭鉱跡・斜坑・扇風機 2000.10.15.

写真・橋本 康夫  1989-2003

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