足尾研究会の鉱山・炭鉱情報・1

       足尾など全国の鉱山・鉱山町に関する情報やその報告です。
        
投稿も歓迎します。メールでお願いします。
但し必ず掲載されるとは限りません。
                

【足尾】

  

『大道芸人』・じょんがら一代  ギリヤーク尼ケ崎 足尾青空公演  

        於・銅山観光駐車場 2001年9月15日 写真・橋本 真吾  2001.

 ギリヤーク尼ヶ崎さんは、2001年9月11日のテロ以前にニューヨークで公演を行っているが(古希を記念してテロの前年に公演)、1周忌の2002年の9月11日にも当地で犠牲者を悼み公演を行っている。
 その1周忌の公演の姿を収めた新作ビデオ「鎮魂の舞」が完成し販売中です。中には古希記念の公演の模様も入っており、世界貿易センタービルの有無がテロ以前と以降のニューヨークを象徴しているシーンもあるそうだ。1本 3,000円・カラー35分・問い合わせ先:TEL 03-3411-1044へ。
                    
ー北海道新聞2003.6.26.付夕刊紙面より要約ー

【端島(軍艦島)】

 

端島炭鉱跡・2002.3.30.写真・橋本 康夫 2002.
※写真 オリジナル・プリント半切(A3)・サイン入り・パネル付き・3万円(税込み・送料別)にて販売中。

 長崎県高島町・端島(軍艦島)の旧・三菱端島炭礦は閉山してから来年1月で30周年を迎える。それを記念して2003年5月11日、長崎市内のホテルで「端島会」が行われ、217名が参加した。
 
閉山時の平均年齢が43才だった組合員も高齢化が進んだため、来年1月の30周年を前倒しして気候のいい5月に開催した。また、今までのように5年ごとに集まるのが難しくなり、今回の「端島会」が最後という。
  
ー西日本新聞・長崎新聞2003年5月12日付け紙面より要約ー

 「最後〜」とはいかにも残念だ。今や日本から「炭鉱」もほぼ消え失せ、石炭を見たこともない、触ったこともない世代も多い。それぞれの炭鉱で身体を張って一生懸命働き、日本のエネルギー政策を根本から支えて生き抜いてきた人たちだ。だからこそ「今・現在の私たちの生活がある」のだ。
 「最後とは寂しい〜」と一言では片付けられない複雑な気持ちだ。でも、ある端島出身の若い人曰く「5年前も同じようなことを言っていた(笑)。それに各地区ごとの花見などの集いは毎年必ず開いて集まっているから〜」とのこと。その一言に少しばかり心がホッと休まった。

【三井三池炭鉱】

三井三池炭鉱跡・万田坑・桜町トンネル 2003.3.16. 写真・橋本 康夫 2003.

 国の重要文化財・史跡でもある旧・三井三池炭鉱「万田坑」が熊本県・荒尾市の「市民祭り」として
2003年3月の毎土・日に公開された。
 当日は「万田坑ファン倶楽部・荒尾市教育委員会・社会教育課」などによる施設説明や、炭鉱に関する
講演会など多彩なイベントもあり、
通算で1,400人を超える来場者が訪れた。
これを機に荒尾市としては、万田立坑櫓などの補修工事に入りたいようだ。中でも
「シンボル的存在」の
櫓は10年近く補修されておらず、腐食が進行。専門家から「大型の台風が直撃すれば倒壊
の恐れもある」
との指摘が出ている。
                  
ー熊本日々新聞2003年4月15日付け紙面より要約ー

 私も3月15日・16日と「市民祭り」に参加したが、櫓の補修は素人目にもやはり早急に必要と感じた。
また、施設内の草は刈り取られ、木々も伐採されて、きれいサッパリと「整備」されたように見えた。
 
だが、むしろ私には「丸裸にされてしまった万田坑施設」を見せつけられたようで…。それらの施設
が場違いで恥ずかしそうに佇んでいたように感じられた。思わず、以前の草ボウボウの姿も似合っていた
なーと思い返してしまった。そんなことを感じたのは私一人だけだったのだろうか…。

北海道・赤平2003.9.26.~29.まで・第6回 国際鉱山ヒストリー会議(IMHC)開催 

赤平炭鉱跡・2001.10.28. 写真・橋本 康夫 2001.

 2003年9月26日ー29日まで赤平市で「第6回 国際鉱山ヒストリー会議(IMHC)」が行われる。
 おおよそ30カ国から約400名の研究者が集まり(予定)、鉱山の歴史や遺産としての活用などについて報告・議論する日程が組まれている。同・27日には、私がエントリーしているポスター・セッションも始まる予定。
 
私は「日本の鉱山・炭鉱を追って、1970-2003」と題して発表予定。1970年ー2003年まで、そして現在も通いつづけている栃木県・足尾の写真を中心に、日本各地の鉱山・炭鉱跡地を撮影した写真の中から十数点を抜粋して展示する予定。その他、集めた資料・写真集・撮影した各鉱山のアルバム・ビデオ等を見て頂きながら私の鉱山・炭鉱に対する「思い」を日本だけでなく、海外の人たちにも伝えたいと只今奮闘中です。

「国際会議」については国際会議のサイトwww.imhc2003.comを御覧下さい。
このサイトにも関連項目のページがあります。HPトップの目次を御覧下さい。   

国際鉱山ヒストリー会議(IMHC)は閉会致しました。
 貴重な情報なので、しばらくこのままの表示が続きますがお許し下さい。

 

【足尾銅山と写真師小野崎一徳】展 2003.7.20~11.3.まで栃木県立博物館にて 

「本山製煉所内煙道脱硫塔及煙突・脱硫塔築造中ノ四」・
明治卅年八月廿五日寫・小野崎一徳「足尾銅山写真帖」・発行年月日不明より

 この足尾研究会のHP表紙の写真にも使わせて頂いている「写真師・小野崎一徳」の膨大な足尾銅山に関する写真と鉱物の展示会がいよいよ7月20日から11月3日まで栃木県立博物館で「足尾銅山と写真師小野崎一徳」と題して開催される。
 一徳は、足尾銅山専属の御用写真師として明治中期から昭和のはじめまで、足尾銅山にまつわる各施設はもちろんの事、風景、出来事、坑夫の姿などの貴重な映像を残している。中でも公害の原点と言われる足尾鉱毒事件のさなかの「鉱毒予防工事命令」の工事中の写真は貴重で圧巻だ。その質的評価はきわめて高い。また最近では「田中正造の足尾訪問」の写真が公開され、その評価を一段と高めたのは記憶に新しいところだ。
 このページでも改めて一徳撮影の「脱硫塔工事」の写真を載せた。撮影した明治30年8月と言えば、足尾鉱毒事件では前年の第1回に引き続き、3回目の「鉱毒予防工事命令」が5月27日に古河鉱業(現・古河機械金属)に対して出され、11月に完成した年だ。その年の8月の撮影。まさに「突貫工事」さなかの記録写真である。
 写真をより大きくしたかったのだが(表示するのに時間がかかりすぎ、これが限界)、よく見ると多くの人夫たちが懸命に働く姿が写っているのが分かる。
 この写真ように、一徳の記録は単なる銅山のみの記録に留まらない。「人間の記録」でもあるのだ。そこに一徳の写真の広がりがある。そのような貴重で価値ある写真を、初めて一堂に介して見られる時がやっと来たのだ。きっと見た方たちはその広がりに驚嘆することだろう。
 ここ数年の末代の方たちの地道な収集・努力に感謝したい。
今後の足尾や写真界にも新たな展開が広がって行く事だろう。楽しみだ。

 8月23日(土)には13時から15時まで「県立博物館・金属鉱山研究会」共催で下記の講演もある。
○「足尾銅山御用写真師 小野崎一徳」小野崎 敏(一徳の孫で金属鉱山研究会会員)
○「足尾の鉱物-アマチュアコレクターの見地からー」興野 喜宣(金属鉱山研究会会員)
8月23日の講演会は終了しましたが、同展は11月3日まで開催されていますのでぜひお出かけ下さい。

会期・2003年7月20日(日)から11月3日(月)まで。 会場・博物館テーマ展示室(展示室2)
開館時間・9時30分から17時00分まで(入場は16時30分まで)
休館日・月曜日(7月21日・9月15日・10月13日・11月3日は開館)。7月22日・9月16日・24日・10月14日は休館日
観覧料・一般 250円(団体は20人以上・200円) 大学・高校生 120円(100円) 中学生・小学生 無料
問い合わせ先・栃木県立博物館 028-634-1311へ

※ 「足尾銅山と写真師小野崎一徳」展は11月3日、無事終了しました。
  貴重な情報なので、しばらくこのままの表示が続きますがお許し下さい。

【三井三池炭鉱】

 2002年11月に東京で開催された「三池写真展」で知り合った、大牟田出身・映像プロデューサー
の港健二郎さんが、三池闘争を題材にした新たな映画「ひだるか」を製作をしようと署名と製作費
捻出の運動をしています。
「ひだるか」とは大牟田の言葉で「ひもじくてだるい」という意味。
詳しいことや、興味ある方は下記のホームページを御覧下さい。
 http://www.hidaruka.com

【足尾・第14回 小滝会の開催】2003年10月4日(土) ~ 5日(日) 足尾・小滝地区にて

 

毎回、音楽好きの「鈴木会長」の指揮で「小滝応援歌」を
全員で歌い上げ再会を誓い合い
解散する。
       写真・第9回小滝会にて 1993.5.23.
         撮影・橋本 康夫 1993

 昭和29年(1954年)、足尾三山(小滝・通洞・本山)の内、小滝坑が閉鎖となり、数千人いた住民のほとんどがやむなく小滝を去り、里に降りた。
 小滝は、明治18年の開坑以来、足尾の中でも厳しい自然の高地にありながらも、人々はお互いに助け合い、信頼感が強く、暖かい人情味豊かな人間社会を育んだ。また、商店、郵便局、生協、小学校から病院まで揃っており、最盛期は1万人を越える人たちが生活していたという。自然が豊かな足尾の中でも特に豊かな里で、夏は涼しく、冬に訪ねると木々の間から生活の痕跡である石垣が現在でも垣間見られる。時々、猿の親子連れとも出くわし、こちらがビックリしてしまうこともある。
  私も小滝の里・その歴史を知り、元住民を知り、そしてこの小滝会を知り、部外者だがぜひとも参加させて頂きたいとお願いしたのが第5回の小滝会だった。以来間が開いた時期もあるが第9回からは毎回出席させて頂いている。そのおかげか、まるで小滝に住んでいたように周りの人達が接してくれる。顔なじみもたくさんでき、小滝の生活はもちろんのこと、銅山の生活、戦争中の強制連行事件のことまで多くの貴重なお話が伺えた。
 銅山が閉山になり、それぞれ三山の地区で小滝会のような親ぼく会が生まれた。しかし、他の地区は閉山後に1回のみ開催されただけで自然消滅したようだ。それも仕方が無いが、この小滝会だけはもう「閉鎖されて50年」になるのに会員数1,200名を越えるのだからその絆の深さは十分に証明されている。
 私も足尾を訪ねた折には必ず小滝に立ち寄り、この地で強い絆がどうして生まれたのかと、人々の暮らし振りに思いを巡らすことを現在も続けている。特に厳寒の冬に訪ねると実感が味わえると分かったのはつい最近のことだ。
 高齢化の波は小滝会にも押し寄せ、年々その寂しさは増している。しかし、その事実・現実はどうしようもない。一部、2世3世の世代に受け継がれている面もあるので、この小滝の歴史が消滅する訳ではない。今後も私なりにできるだけ「小滝」の歴史と人々の存在を後世に伝え、残すことに努めたいと思っている。
 それが多くの小滝の人々と出会え、鉱山の生活の素晴らしさを教えて頂いたせめてもの恩返しと思う。
 またみなさんとお会いするのが嬉しいし、楽しみだ。

 

第14回小滝会の記念写真が届きましたので、載せておきます。
小滝会、そして
事務局のみなさんありがとうございました。
またお疲れさまでした。
 2年後の開催時にみなさんと再会できるのを楽しみにしております。

※ 第14回「小滝会」は111名の出席で盛会の内に無事終了しました。 
 貴重な情報なので、しばらくこのままの表示が続きますがお許し下さい。
 

 【三井三池炭鉱・万田坑】

        上・2004年1月8日・西日本新聞・朝刊3面の記事から

 読みにくくて恐縮だが、まず上の記事を読んで頂きたい。三池の知人から頂いたものだ。

 三井三池炭鉱・万田立坑の櫓が倒壊の危機に直面しているという記事は以前にも読んだことがある。万田には1日に数回通ったこともある。赤レンガの魅力あふれる立坑施設はいつも、どのような天気でも、ロマン満ちあふれている雰囲気を醸し出してくれる。それが立坑櫓の一番の魅力だ思う。その立坑櫓が台風の直撃にでも遭えば倒壊のおそれがあると言う。建築には素人ながらその心配が現在もつづいている。
 その後の情報も東京では少なく、気になっていたが、2004年初めに左記の関連記事が掲載された。荒尾市にある万田坑は当然荒尾市の予算と絡んで来る。
また、次の日の熊本日々新聞には「来年度、本格的な補修費用を捻出するのは困難。しかし櫓を倒壊させないための手立ては必要。近くまとまる専門委の報告書を踏まえ応急措置を含めた補修の方向性について協議する」と西日本新聞の記事よりは前向きに報じているが、荒尾市の歯切れは悪い。
 この記事が出てから一ヶ月余。私は地元も含めて何か動きはないかと注目していた。

 まず、地元が動かねばどうにもならない。現在万田坑ファン倶楽部もある。彼等のボランティアで施設の説明も行っている。その人たちの思いとは別なものかも知れないが、例えば入場料と同質のカンパ箱を新たに設けたりして補修に向けた運動をぜひ始めて欲しい。それが市民の心を動かし、市を動かし、国を動かすと信じたい。

 国の重要文化財で史跡だ、それが荒尾市の地元にある。その誇りが伝わって来ないのはどうしてなのだろう。どうして補修への市民運動が起こらないのだろうか。

 私がこの目で最近の万田立坑を見てから間もなく1年が経過する。先日、2004年1月末に行った知人から万田立坑の写真を頂いた。その印象は「錆がますます増えた」だった。

 その写真を見て、私はサイトにこの記事をアップしなければいけないと痛感した。 

 ぜひ地元の人たちに「補修に向けて何かを始めて」とエールを送り、今後注目したい。

 「3年も待てない」と櫓が静かに、しかし強く訴えているではないか。

  私にはそう見える。倒壊してから後に後悔してももう遅いのだ。

【足尾・エコミュージアム構想】2004年4月25日付け下野新聞より

 1980年4月「足尾銅山観光」がオープンしたが、その企画が持ち上がった時から、オープン後も私たちは足尾町役場の担当者に長い間提案しつづけて来たことがある。銅山観光の中で「かつて古河で働いていた人たちにお願いして、ボランティアで鉱山施設や坑内の案内・説明をしたらどうか」である。実現すれば観光客は銅山や坑内に関して働いた人から直接ナマの声で説明が聞ける。銅山や坑内はやはり一般的には「別世界」で、その実体がなかなか理解しにくい。このようないい機会はまたとないと訴えつづけた。
 現在では既に各地でシルバー・ガイド等として見なれた光景であるが、当時はどこも展示物を見せるだけが主流であったから「見る観光から参加する観光」への絶好の転機であり、より歴史や技術など理解でき「意味ある観光」となると私たちは考えた。
 一方でこの案が実現すれば数ある坑内観光の中でも足尾は「独自・独特の財産」を持つ事になる。さらに当時時間を持て余し気味な(このような言い方は失礼な事だが現実として事実の点があった)、元・古河で働いていた人たちにも「自分の仕事を伝えられる」という一種の生き甲斐が生まれ、朗報となると思った。偶然ではあったが、それらに近い光景は現場で何度も見かけた。私たちの提案が決して間違いや無駄ではないことを痛感させられた光景だった。
 しかし、現在までそれは実現できないまま。現在も決まりきった案内のエンドレス・テープだけが空しく流れるだけ…。既にオープンから20数年経ち、元・古河で働いていた世代の人たちも時間と共に自然減少してしまい、その「次の世代」もすでに数多く足尾に住んでいるとはいえない状況だ。当然ながら、銅山を正確に説明できる人はさらに少なくなり、現在ではとても貴重な存在だ。このような現状であってもまだ町当局や町の人々は具体的に大きく動き始めない。否、一部で動き始めてもすぐ停滞したり、人材がいなかったりでいつの間にか消滅してしまう。皮肉を込めて「それが足尾の体質だ」と言い切る人もいるくらいだ。
 私は決して町当局や町民だけを一方的に批判するつもりはないが、この町はその繰り返しを閉山後何度もやって来たのは事実である。その一方で時間の経過と共に貴重な財産だけがどんどん崩れ去って行く。足尾がこの体質からいつ、どのようにして抜け出すか。私たちの注目度、興味は尽きない。
 その中から出て来たのがこのエコミュージアム(全町地域博物館化)構想だった。私たちはやっと動き出すか!と再び見守り続けた。しかし今度は「市町村の合併問題」で揺れて宙に浮いたままの状態がここ数年間続いていた。そしてこの記事だ。
 果たして足尾はどこへ行こうとするのか。複雑な思いを抱きながらこの記事を読んだのは町外の私たちばかりではないと思うのだが。

【中西 繁展・LAND・SCAPE 景観】 (端島の100号を超える絵が展示予定です)
2004年6月14日(月)から6月21日(月)まで・横浜赤レンガ倉庫1号館2F・AM11:00ーPM7:00

 端島(軍艦島)を描いている画家がいることは長崎新聞の展示会の記事や関連のサイトでも知っていた。しかし、関東近辺で展示会が行われるという情報は私にはなかなか入って来ず、歯がゆい思いをしながら、ひたすらその機会を待ちつづける他なかった。それがやっと横浜・赤レンガ倉庫ギャラリーで開催される情報を得て(端島関連が5点展示されるという)喜びいさんで横浜に向かった。2002年7月のことであった。
 展示会のテーマは「棄てられた街・廃墟からの再生」。目的の端島の絵は100号を超える5点がその一画に展示されていた。それらの絵を見ていると「フューフュー、或いはゴォッーゴォッーと強く吹き抜ける風の音。と同時に、高い白波が厚い岸壁にドォーッ、ドッボーンと次から次へと打ち寄せる波(海)の音」などが交互に、そして入り混じって聞こえてくるようで、とても臨場感があり、思わず「人間の存在」・「自らの存在」を問いかけられているようですっかりこれらの絵に魅了されてしまった。
 また、会場で中西さんが建築家出身の画家であることも知った。なるほど、他の展示されていた絵のどれもが建築家の視点を強く感じさせられる力強い「街」の絵であった。中西さんのサインを頂いたそれらの画集は端島関連の出版物や資料と共に現在も大切にしているのはもちろんである。
 今回の個展のお知らせも昨日頂いた。早速みなさんにもお知らせして見て頂きたいと思い、中西さんの了解を得て急いでアップした。この個展後、中西さんはしばらくアトリエをパリに移し、新たな創作活動をするそうだが、今後も注目しつづけたい画家の一人でもある。
  肝心のパンフが見にくくて申しわけないが、ぜひ期間中に横浜までお出かけ下さい。

※ 「中西 繁展・LAND・SCAPE 景観」は6月21日、無事終了しました。
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【大口市「ひよっこり お城出現!】2004年5月29日付け朝日新聞・鹿児島版より

       朝日新聞・鹿児島版 2004年5月29日付けより

  このサイトの鉱山・炭鉱写真室11・鹿児島の鉱山を訪ねて(2)の最後に載せている
「曽木発電所跡」の姿が今年も顔を出したようだ。
 この姿の写真は初めて見たが、なかなか風情・ロマンがあり惹き付けられ早速情報としてアップした。
  鹿児島・大口市に行かれたらぜひ立ち寄ってみて下さい。既に遊歩道も完成しているだろうから歩きやすい道になっていると思います。

【三井三池炭鉱・万田坑「職場」・屋根崩れ倒壊寸前】

熊本日日新聞・2004年6月3日付け朝刊より

     

3月15日現在の「職場」全景    右・2003年3月15日現在の「職場」の内部
既に右上の屋根にポッカリと穴が開いている  
撮影・橋本 康夫 2003

 荒尾市が予算不足で苦しい事は報道でも理解しているが、お金をかけなくても出来た具体的な対策なり、知恵はなかったのか…、残念でならない。遠く離れた東京でこの記事を読むと地元にどれだけの「危機感」があったのかとついつい首を傾げてしまうのはなぜか。この崩壊も十分に予想できた事態だけにとても心が痛む。
 万田で緊急を要する補修はここだけではない。炭鉱の歴史を正しく理解する貴重な現存物としてこの万田の施設全体がある。私たちにはそれを後世に伝え、残して行く義務が課せられているのだ。改めて、一生懸命保存に向けてより知恵を集め、進めて行って欲しいと願わずにはいられない。

【足尾・本山小 本年度で廃校】2004年6月30日付け下野新聞より

             下野新聞 2004年6月30日より

 あれ?見出しの「101年の歴史?」…。???。
いつしか本山小学校が創立100周年を盛大に祝い、その記念のテレフォンカードを足尾の知人から頂いた覚えがある。今直ちに正確の年は言えないが、昨年や一昨年ではないことだけは確かだ。記事を読むとその歴史に大きな間違いはない。従って見出しの「101年の歴史に幕」は明らかに計算を間違えている。正しくは「111年の歴史」だ。珍しい計算違いである。
 本山小学校の「廃校」は残念ながら足尾の現状から時間の問題だった。もちろんその期間が示すように歴史ある学校で、私自身もここには想い出が数多くある。その中で1つだけ書かせて頂くと、昭和45年(1970年)末のある日、学生時代の卒論で初めて梅根悟学長に「紹介状」を書いてもらい、この本山小の校長先生に会いに行ったことだ。その先生の名は「藤田敏雄先生」、現在もご健在で足尾に暮らしておられる。
 その時は突然伺ったので出張の先生と行き違いでとうとう会えなかった。帰京して改めて手紙を書き、お会いする日と時間を約束した。約束の時間は朝8時15分、場所は校長室だった。まだ学生で車も免許もない私は町内の東武バスで時間通りに校長室に入り、先生がお見えになるのを待った。その後、隣の部屋で職員会議を終えた先生とお会いしていろいろと足尾のことについて質問した。約30分くらいの時間だったが、先生は熱心に足尾の歴史を私に説明し、参考の本を下さった。その時のやさしい眼差しや、校内の印象も先生や児童が沢山いて活気がみなぎっていた(当時は閉山前)。
 
その後、先生とは長くお会いすることもなかったが、私たちが足尾の歴史を追っている過程で、先生が出版した「足尾ところどころ」を探していた時に再会する機会が突然訪れた。先生のお宅に伺うと「足尾線の存続運動で今、通洞駅に向かったところ」という。急いで駅に行くと多くの町民がホームに溢れんばかりだった。その中を「藤田先生いらっしゃいますか~?」と何度も大声でホームを行き来して探した。しばらくして先生から「私が藤田だが…」と声を掛けてくれた。約10年振りの再会で私の事はすっかり忘れていると勝手に思い込んでいた。取急ぎ、目的の本の事だけを尋ねると「この集会から帰ったら探しておくよ。…君とは会った事あるね。その顎ヒゲ覚えているよ」と先生の顎を擦りながら笑顔で応えてくれた。10年くらい過ぎているのにとても感激し、嬉しかったのは言うまでもない。もちろん私の本棚にはその本がある。その後も先生には足尾の歴史のことを尋ねたり、現在もお宅の前で出会ったりして私からも声を掛けて近況などを話している。
 その先生との出会いが本山小学校であり、それが足尾や銅山の歴史を勉強する機会にもなった。
 私にも忘れられない小学校なのだ。廃校とは本当に寂しく残念だ。

  【足尾町・郷土史家「太田貞祐さん」の訃報】

  足尾町・赤倉「龍蔵寺」のご住職で、郷土史家でもあった太田貞祐さんが9月22日15時09分足尾双愛病院で亡くなられたとの訃報が入りました。「肺炎」で入院中とは伺っていたのですが、驚きました
太田さんは1924年生まれなので、今年で80歳になります。
葬儀は9月25日11時より、足尾町龍蔵寺の予定です。

 最近は身体も弱っていたと聞いていましたが、一方で新たな本の出版も大詰めの段階でのことでした。非常に残念な思いです。太田さんとの思い出は私にも多々あります。中でも忘れられない思い出をここに記して太田さんの御冥福を心からお祈りしたいと思います。

 太田さんと初めてお会いしたのは太田さんが足尾中学校・校長時代だったと記憶しています。それまで「足尾郷土誌」などの文献でそのお名前だけは私も知っていました。
 私の
足尾の写真集「藍の時代」を自費出版した直後、ある人から「足尾中学校の太田さんにもぜひ見せてあげて下さい。彼ならばすぐ買って下さる」と紹介され、私はすぐに中学校に向かいました。
突然訪ねたのにも関わらず、校長室で写真集を見て頂き、足尾とのかかわりなどの質問を受けた後に写真集を買って頂いた。とても威厳があり、物静かな先生だと言う印象だった。
 その後、手紙などの交流が続き、写真集出版後に出した100円の小冊子「閉山後の足尾」では太田さんから1册注文が来たので送ったところ、「好きなようにお使い下さい」とだけのメッセージと5,000円のカンパを頂いた。私たちへの暖かい応援と理解し、感激したのはいうまでもない。さらに、役場の幹部にもこの小冊子をご紹介下さり、役場から50册の注文を頂きました(その窓口の人も積極的に町のことを考えていた人でしたが、40代後半に残念ながら癌で亡くなりました)。
 その後太田さんとは何度もお会いしましたが、あまり直接会話を交わした記憶はありません。しかし、何も言わないが、じっと影ながら応援して下さっていたことはその暖かい眼差しの中に私は強く感じていました。もしかすると、逆に「オレはちゃんとお前たちの言動を見ているぞ!」だったかも知れません。
 太田さんの数ある本の中で、現在でも私たちが追っている研究テーマ「小滝」があります。この本を出版する時でした。私たちが太田さんより前から小滝を追っていることを太田さんは知っていたので、出版担当の人を通して「橋本さんたちより先に出版していいだろうか」と相当に気を使って頂きました。「私たちは私たちで今後もまだ追い続けますので、太田さんの小滝をぜひ出して下さい」とその担当者に伝え、本が出版されました。足尾で行われたその出版記念祝賀会にも招待され、帰り際に太田さんから直接「橋本さん、ぜひ書評を書いて下さい」とお願いされました。「もちろん喜んで書かせて頂きます」と答えたのは言うまでもありません(金属鉱山研究会のニューズレター19号の書評欄に書きました)。そのような関係でしたが、いつも影ながら暖かく私たち研究会を見守って下さった方でした。

 25日の告別式はとても大きな葬儀になると思います。町の公的な組織の代表者・理事長の要職をなさっていた人ですし、お寺も長い歴史があり、本当の意味での足尾最後の「名士」でしたから。

 25日は残念ながらどうしても抜けだせない会合があり、失礼ながら手紙を添えてご霊前と弔電を送りました。11月に足尾に行く予定ですのでその時に改めてお線香をと思っています。

 太田さん、いろいろとお世話になり有り難うございました。太田さんの暖かい眼差しと応援は今後も私の心の中で大きな存在のまま在りつづけることでしょう。それを糧にして今後も足尾を追って行きます。

1994年9月11日 足尾・かじか荘にて 前列左から3人目が太田貞祐さんです。よりいい写真があったのですが、お許し下さい。

太田貞祐さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。 2004年9月25日 橋本 康夫

写真集「藍の時代-足尾と私の13年-」・小冊子「閉山後の足尾・人口動態を中心にして」についてはこちらを御覧下さい。

足尾を描く・画家「鈴木喜美子さん」
ニューヨークの国連本部で個展開催!】
2005411日~422

                    

画集・「足尾」風土円環・雪の足尾 162.0×130.3cm 油彩 1981年より

 「足尾」ー 風土円環 ・は鈴木さんの足尾の絵画を通した一貫したテーマであり、そのテーマで 何度もの個展はもちろん、何冊かの画集も出版して来た。その中心の絵は主に製錬所だが、その迫力ある絵はいつも私の存在全体を刺激し、挑発してくる。また、その一方でついつい見逃してしまいそうな日常的な眼差しの風景もていねいにコンテで描き発表もしている。
 私が鈴木さんの存在を知ったのは1984年頃だったと思う。残念ながらすでに亡くなってしまったが、足尾で長い間親しくさせて頂いていた靴屋さんから「橋本君、雨が降っても槍が降っても足尾に来て絵を描いているすごい女性がいる」と聞いた時だった。まだまだ足尾そのものに魅かれて通う人が少ない時であったし、私たちと同じく「何」かを感じて通っているのだろうと思った。
 その後この女性が製錬所を中心に絵を描いていることを知った。そのころの私は足尾のハゲ山を写真で表現することにある種の限界を感じていた頃でもあった。私は当然ながらハゲ山や製錬所をどのように絵で表現するのかとても興味を抱いた。その後も靴屋さんとの間で鈴木さんが話題に出る度にいつしか製錬所の絵を見たいなーと思いつづけていた。
 その鈴木さんが1995年に銀座で「足尾」ー 風土円環と題して個展を開催した。やっと鈴木さんの絵と出会えると私は心を弾ませながら会場に向かった。そこで製錬所を中心とするその絵の持つ力強さに大いに刺激を受け、感動したのはいうまでもない。とても刺激的な「新鮮」な風が私の中を通り過ぎた時であった。その感動は現在も忘れえはしない。
 その後鈴木さんは何度か個展を開催してくれたので、その都度新作も含めて絵と出合うことが出来た。絵全体の質感といい、色彩といい、また何よりも伝えたいことと絵の表現とマッチした大きさは私が写真で表現しようとしていた限界を遥かに超えた世界で「私は写真でこのような表現がしたかったのだ」と思い知らされた。
 その鈴木さんの絵が今年4月にニューヨークの国連本部で個展として展示されるという。
 鈴木さんによると、一昨年12月ニューヨークを訪れた時国連本部を案内された。そのおりに 個展の話が出て、昨年の8月に決定したそうだ。鈴木さんも「足尾のテーマと国連憲章の環境問題とが合致して、ぜひやって欲しいと言われた。今まで国連本部での個展を開いた日本人は少ないということなので、この機会に是非、私の作品を世界の人々に見てもらいたいと思う。国連には世界中の人が集まるので場所としても適切であると思う」と自らも一文を寄せている。
  私も鈴木さんの足尾の絵から多くの刺激や感動を頂いた一人だ。国連本部での個展開催は最適で魅力的な場所だ。また、同じモノを作り上げる作家と してもうらやましい限りである。
 鈴木さんの足尾の絵は単に環境問題に留まらない重要な問題を孕んでいる。 反響の大きさは容易に想像できる。私はそう確信している。

【三井三池炭鉱の労働争議をモチーフにした長編劇映画・ ひだるか】
東京地区上映会の御案内

 三井三池炭鉱の労働争議をモチーフにして、構想25年。
2004年夏にクランクインした自主制作の劇映画「ひだるか」。
2005年春に完成し、大牟田・荒尾等福岡県方面ならびに九州各地を中心にして上映会を開催しています。
 待望の東京地区での上映会も決まり、6月21日、日比谷で試写会が行われ、私も観に行って来ました。
 まだ感想もまとまっていませんが、モチーフからイメージしていた「争議・組合」等堅苦しい映画ではなく、現代社会で生きて行く人間に共通する問題・テーマを理解しやすく、また受け入れやすい映画にしていると感じた。この映画を観た人、誰にでも同様に共通に「自分の存在・生き方」を改めて考えることを提起している映画といえる。もちろん、三池争議の貴重な映像も出てくるが、争議そのものより「人間」の存在のあり方というテーマに対する港監督の情熱・熱意を全編に感じる。そのテーマをできるだけ観念ではなく、ストレートに単純にどのように映画で表現するか、監督が一番苦悩したところだろう。
主演の岡本美沙が担当している音楽も人間の心の動きを強く感じる曲として伝わって来た。観る側にごく自然に入ってくるいい音楽だった。
この映画の最後にスタッフや協力者などの字幕が出てくるが、その長さ、多さに驚いた。監督のその方たち1人1人に対する誠意、感謝の気持ちの現れとして感動させられた。

 東京地区での上映会は日・時・場所も限定されているが、これから全国各地で上映されると思います。詳しくは下記の「ひだるか」サイトで御確認下さい。ぜひ観て頂きたい映画です。
 なお「ひだるか」サイトにアクセスすれば当日券1,500円が1,300円になる観賞券の割り引きもあります(東京公演のみ・要・プリントアウト)。

 ちなみに、私のモノクロ写真も数枚ですが、三池・筑豊・志免・端島(軍艦島)・夕張などの各炭鉱の回想・紹介シーンとしてこの映画に使われています。

東京地区上映日 2006年10月21日(土)から27日(金)まで
上映時間 毎日
 20時30分 から
(映画は1時間53分)
※引き続き 10月28日(土)から11月3日(金)まで
上映時間 毎日
13時30分 から
共に前売り1,300円・当日1,500円

場所 下北沢 シネマアートン  TEL 03-5452-1400
http://www.cinekita.co.jp/(リンクしていません)

 「ひだるか」のサイトは http://www.hidaruka.com

【第2回 日本の鉱山展・鉱山資料・写真・鉱石展示】
 
主催・遠田 義則  協賛・ 金属鉱山研究会

2006年7月26日(水)から7月31日(月) 10時00分から20時00分まで
品川区民ギャラリーにて 但し、初日は12時から、最終日は16時まで

写真は昭和45年頃の足尾銅山通洞選鉱場 

 このたび品川区民ギャラリーにおいて第2回日本の鉱山展を開催する事になりました。第1回の鉱山展を開催してから早5年を経過しました。今回は近現代の地質鉱床図、坑道図などの資料紹介と鉱山施設写真を中心にイメージを刷新しました。新しい視点から「伝える足尾鉱山・秩父鉱山」をテーマに写真を展示します。足尾鉱山では衰退時期の昭和後期と現況写真の紹介。また稼動中の秩父鉱山の写真を伝えます鉱石については諸鉱山から採掘された金・銀・銅・鉛・亜鉛・鉄・マンガン等の魅力ある鉱石鉱物と化石燃料の石炭標本を展示します。今日鉱山活動はすっかり低迷し鉱山の記憶も薄れる状況下ですが、採掘・選鉱・製錬という過程を経て社会の要求をつなげてきた日本の鉱山の歴史と現在を伝えたい。この機会にぜひお立ち寄りください。
 尚小学生の皆様に新しい発見をお届けします。鉱石プレゼントを予定します。

開催期間 平成18年7月26日(水)から7月31日(月)
開催時間 10時00分から20時00分(入館19時30分まで)
会場 品川区民ギャラリー  JR 大井町駅・東急大井町駅前
イト−ヨーカドー大井町店・8階 TEL・FAX 03-3774-5151
入館料・無料
 とかく鉱石に興味があったり、その鉱石展というといわゆる「オタク」的要素を強く感じてしまい、そのような人たちを想像してしまう。鉱山の存在や歴史はおろか、自分の世界や石の世界に入ってしまい、そこから抜け出せなくなり、結果として自己満足しているイメージの人たちが多いだろうと思う。これは私の偏見もあるだろうが、今までの経験上の多くもそうであった。もちろんその善し悪しを言うつもりはない。また中には例外ももちろんいる。その例外の1人が遠田さんだと言えるだろう。
 彼は自らの興味だけの世界に収まらず、自分の足で各地の鉱山を歩き訪ね、鉱石を集め、資料を集め、写真を撮って鉱山の姿を追って来た。それは「なぜだろう」。前回は単に鉱山や鉱石に興味があると展示から感じただけだったが、今回のこの展示に賭ける意気込みは明らかに違質だ。
 「オタク」は決して自らの資金で一般への公開などしないのだ。自らのお金を資金を、自ら興味ある鉱石や資料を公開することに使うとはたいへんなことなのである。
 改めて彼の研究過程を見直してみるまでもなく、その情熱・エネルギーを会場で感じ取って欲しいと強く願う。そしてその情熱から日本の鉱山を今一度各自で検証して欲しい。
                                      
(橋本康夫)

【釧路博物館の石炭関連の催し物】2009年度 

 釧路立博物館では石炭産業を多面的に捉える「"現場で学ぶ"石炭基礎講座〜掘るだけでは終わらない〜」を開講します。
2007年度より開始した「石炭基礎講座」を、2008,2009年度も下記のとおり開催いたします。

 釧路市には、日本唯一の坑内掘り炭鉱があります。
 日本の近代化を支え、そしてこれからも重要なエネルギー源である石炭。石炭は掘っただけでは「黒い石」。選炭し、消費地へ輸送することで「石炭」という製品となります。また、石炭産業は多くの人々のさまざまな仕事によって支えられ、はじめて成り立ちます。
 釧路コールマイン(株)釧路炭鉱は、国内唯一の坑内掘り稼行炭鉱として、石炭生産のほか、国の「産炭国石炭産業高度化事業」(平成14〜18年度:炭鉱技術海外移転事業)を受託し、ベトナム・中国などの炭鉱技術者を受け入れ、また両国へ釧路からも炭鉱技術者を派遣し、長年にわたって培ってきた石炭生産・保安技術を、釧路や両国の「現場」で伝えています。

現場で学ぶ「石炭基礎講座〜掘るだけでは終わらない〜『守る』」 2009年6月20日(土) 9:30〜12:00 「守る」は終了しました。
参加費50円
世界最先端!豊富な経験によって築き上げられた釧路炭鉱の保安について学びます。
*経産省=釧路産業保安監督署  高谷署長  (旧 鉱山保安監督署)
*炭 鉱=釧路コールマイン(株) 村上炭鉱長
官民の現場トップによる炭鉱の安全、釧路の炭鉱についてのお話は、ききどころ
満載です。あわせ現場見学も行います。どうぞふるってご応募下さい。
また、当講座のコンセプト「現場で学ぶ」も、もちろん忘れていません。
定員 20名(応募多数の場合は抽選)
申込 住所・氏名・年齢を記入の上、ハガキもしくはファクス(0154-42-6000)で
(電話不可)
1通につき2名まで。
締切 6月8日(月)消印有効・ファクス必着
集合=釧路コールマイン

現在、下記を受付中です。
現場で学ぶ「石炭基礎講座〜掘るだけでは終わらない〜『澄ます』」
2009年10月25日(土) 9:00〜16:30 参加費300円(保険料・資料代等として)
「現場で学ぶ」シリーズ
 1970(昭和)45年、雄別、尺別、上茶路の雄別炭鉱(株)は閉山しました。
今回は「尺別炭礦」跡(釧路市音別町)を元炭鉱マン・炭鉱遺産研究者と巡り、往時の
にぎわいに耳を澄ませます。坑口や選炭工場跡など、いくつもの遺構を見ることができます。
参加にはお申し込みが必要です。

受け付け・ FAXか葉書で博物館へ。<10/1-8> 開催月の1=8日葉書消印有効
定員30名小学生以上(保護者同伴) 定員を超えた場合は抽選となります。
集合場所は参加者にお知らせします。

林 業: 9月 6日(日)全日=尺別にて森の仕事、林業と国土保全のこれからを考える 受け付け<8/1-8>
釧路港: 10月1日(木)午前/午後=【開港110周年記念】船上から釧路港の過去/現在/未来を考える 受け付け<9/1-8>
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▲いずれも< >内に記された期間に、氏名・年齢・住所・電話/fax番号を記入の上、ファクスかハガキで博物館までお申し込み下さい。
6月講座のみ定員20名、その他30名(定員を超過して申込があったときは抽選となります)
085-0822 釧路市春湖台1-7 釧路市立博物館  FAX 0154-42-6000


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「化石教室」 6月28日(日) 行き先=白糠右股 6月2日(火)9:30より電話受付
TEL 0154-41-5809 足寄動物化石博物館と合同 300円 定員20名/先着
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石炭講座・2009年度9,10回を含めたポスター

【石炭基礎講座の姉妹講座・林業基礎講座】

 石炭基礎講座の姉妹講座・林業基礎講座を2008年8月24日(日)に開催します。
博物館集合、往復バス、行き先は釧路市音別町尺別の林業家。
草払い、枝打ち、除伐、間伐、製品化などなど、林業の全て?を
体験、もしくは見学していただけます。
費用は300円。おみやげ有り。
ぜひご参加下さい。

★釧路市立博物館=田川石炭・歴史博物館交流企画
  企画展 北と南を結ぶ「ヤマ~石炭産業の過去・現在」共同展
  2009年8月1日(土)〜9月13日(日)田川展開催!(月、祝は休館) 
8月23日(日)には、田川市中央公民館で講演会。
釧路市立博物館の石川孝織学芸員(35)が「炭鉱のあるマチ、釧路」の題で話す。
  2010年2月20日(土)~3月28日(日)釧路展開催!(月、祝は休館)                     企画展は入場無料です 釧路市立博物館

 釧路市立博物館と福岡県の田川市石炭・歴史博物館は共同企画展「北と南を結ぶ
ヤマ〜石炭産業の過去・現在」を開く。まず1日から田川(9月13日まで)で始
まり、釧路では来年2月20日から3月28日まで開かれる。かつて炭鉱で栄えた
釧路と筑豊のつながりや違いを通じて、石炭産業の歴史と現在を紹介する。
 同展は、昨年11〜12月に両館で開いた筑豊の炭坑記録絵師山本作兵衛の記録
画展に続く、交流企画の第2弾。
 展示は、筑豊最大手だった三井田川鉱業所(1964年閉山)を紹介する「筑豊
炭田の記憶」、太平洋炭鉱や雄別炭砿を紹介する「釧路炭田の歴史」、筑豊と釧路
の技術者の交流を伝える「北と南を結ぶヤマ」、現在の石炭産業に触れる「世界の
石炭事情と釧路コールマイン」の4部構成。になっている。
 釧路市立博物館所蔵の採炭機械(模型)や作業服なども展示される。
 7月12〜13日には田川市石炭・歴史博物館の福本寛学芸員らが釧路を訪れ、
釧路市立博物館と、炭鉱関連施設の視察や太平洋炭礦OBからの聞き取りなど共同
調査を行った。
 釧路市立博物館の石川孝織学芸員は「二つの炭坑の違いを比べながら、自分たち
の地域について見直すきっかけにしたい」と話している。(北海道新聞09.8.1.朝刊より)

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特別展 「ヤマ(炭鉱)のくらし・マチの記憶」
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平成21年11月7日(土)〜12月13日(日) 毎週月曜日と祝日は休館
釧路市立博物館 1階マンモスホール(無料)
主催:釧路市立博物館・太平洋炭砿管理職釧路倶楽部・釧路市地域史料室

◆バス見学会「炭鉱(ヤマ)のくらしをたずねて」
11月8日(日) 午後1時〜4時30分
集合:釧路市立博物館
参加費 100円
太平洋炭砿にゆかりのある地を、炭鉱OBのご案内でめぐります。
参加方法:事前に申込が必要です(定員30名)。氏名・年齢・連絡先を明記の上、
ハガキもしくはファクスで博物館までお申し込みください。締切は10月15日(木)。
定員を超えた場合は抽選いたします。


◆フォーラム「炭鉱(ヤマ)のくらしが教えてくれるもの」
11月15日(日) 午前1時30分〜4時
釧路市立博物館 1階講堂(無料)
炭鉱と、それが形づくった「炭鉱文化」。炭鉱の記憶を持つ空知と筑豊から、その地
域の炭鉱文化についてお話しいただき、また記憶継承の取り組みについて、みなさん
で語り合います。
<講演>(仮題)
 「九州・筑豊の炭鉱文化」田川市石炭・歴史博物館 学芸員 福本 寛
 「ヤマの記憶とマチづくり」
       歌志内市郷土館支援組織「ゆめつむぎ通信員」会長 三戸 満雄
<フォーラム>
 上記講演者+太平洋炭砿管理職釧路倶楽部+釧路市地域史料室+釧路市立博物館

*太平洋退職者・離職者協議会からご提供いただいた組合史などの資料を差し上げます
(部数限定)

◆炭鉱映画祭inくしろ
12月6日(日) 午後1時30分〜4時
釧路市立博物館
1階講堂 無料
釧路のほか、空知や筑豊炭田で撮影された、炭鉱に関わる記録映画などを上映。


●図録(写真集)を、ご来場の皆様に差し上げます(先着700名様)
(バス見学会・フォーラム・映画祭にご参加の方にはもれなく)

●石炭もお子さんを中心に差し上げます
(提供:釧路産炭地域総合発展機構)

★ 写真・資料を募集しています
炭鉱の、特に暮らしに関わる写真や資料のご提供ください。
募集対象:釧路炭田の炭鉱での、炭鉱の暮らしに関する写真や映像、資料のほか、とっ
ておきの炭鉱の思い出もお寄せください。
受付・お問い合わせ:釧路市立博物館
募集期間:9月30日(水)まで、以降も引き続き募集しています
・デジタルデータに複製いたしますので、原版はお返しいたします
・提供者のご承諾の範囲内で活用いたします
http://www.city.kushiro.hokkaido.jp/icity/browser?ActionCode=content&Content
ID=1249117872464&SiteID=0000000000000&FP=whatsnew

「ヤマ(炭鉱)のくらし・マチの記憶」地域内・地域間連携事業
(文化庁「美術館・博物館活動基盤整備支援事業」採択事業)

=釧路市立博物館=
釧路市春湖台1−7 TEL 0154-41-5809 FAX 0154-42-6000
博物館ホームページもご覧ください。「釧路市立博物館」で検索。
常設展入館料 大人400円、高校生210円、小・中学生100円

★釧路市立博物館=田川石炭・歴史博物館交流企画
  企画展「炭坑(ヤマ)の語り部 山本作兵衛の世界」
  2008年11月15日(土)〜12月21日(日)開催!(月、祝は休館) 
        企画展は入場無料です 釧路市立博物館

 この企画の関連行事として3本の映像が特別に上映される。
まず1本目はNHKアーカイブスを見る会「筑豊・炭坑・作兵衛さん」と題して11月16日(日)13時30分から15時30分に博物館講堂である人生「ぼた山よ」(1966年放送)・2本目として「坑道-片隅の100年」(1967年放送)とパネルディスカッションを同時開催するものだ。
 3本目は映画「炭鉱(ヤマ)に生きる」(2004年萩原吉弘監督作品)を上映し、同時に作兵衛と炭鉱に関する講演会を11月30日(日)13時30分から15時30分に同じく博物館講堂で同時開催するものだ。ともに入場無料はこの企画に関する博物館の意欲がうかがえて好感が持てる。
 3本とも我が研究会の上映会で上映した作品であるが、特にある人生「ぼた山よ」では作兵衛さんが絵を描いているシーンはもちろんのこと、炭鉱で唄われていたゴットン節を唄う作兵衛さんの唄声とその姿の映像がありとても貴重な映像である。またその傍らで奥さんが何かを思い出し笑いをしているような珍しいシーンもある。それらのシーンを見て観客は当時の炭鉱の真の姿をイメージすることができるであろう。「坑道-片隅の100年」は理解しにくい坑内の様子などが分かりやすく描かれている。
 また映画「炭鉱(ヤマ)に生きる」は小沢昭一の独特の語りと理解しやすい映像で炭鉱の仕事、暮らし等など全体を分かりやすく綴っている。
 釧路や北海道の方たちはなかなか九州の筑豊の炭鉱を知る機会も少ないと思われる。このいい機会にぜひ貴重な画像であるこれらの映像を見逃さない様にして頂きたい必見の企画だ。
 詳しくはhttp://www.city.kushiro.hokkaido.jp/icity/browser?ActionCode=content&Content
ID=1225356496033&SiteID=0
を見て下さい。

  映画「炭鉱(ヤマ)に生きる」については
http://www.mo eiga ntage.co.jp/yama/intro.html を見て下さい。

釧路博物館・軍艦島展】平成20年6月7日(土)〜7月6日(日)
消えた炭鉱集落〜近代化産業遺産としての魅力〜

 近年注目が集まっている「近代化産業遺産」について、釧路地域でもその発掘・評価が進められている。そこで全国的な知名度があり、活用先進地域かつ世界遺産登録をも目指している「軍艦島」(長崎市端島/三菱鉱業高島炭礦端島礦/昭和49年閉山)について、その取り組みおよび稼行当時〜無人島となった現在の状況を写真・パネル・関連文献で紹介し、あわせ釧路地域における「近代化産業遺産」の展示紹介を行うことにより、その今後の利活用に資する展示を行いたい。

長崎県・端島。面積わずか0.06平方キロ。
その独特な姿から「軍艦島」と呼ばれるようになりました。
三菱鉱業高島鉱業所端島礦。
日本初の鉄筋コンクリート集合住宅、海底水道、屋上緑化・菜園…
「近未来都市」軍艦島。
石炭とともに、最盛期には5000人もの暮らしが存在しました。
昭和49(1974)年閉山、そして無人島に。
そこには、当時の生活が、あたかも時が止まったかのように残され、
「軍艦島」は、日本有数の近代化産業遺産として関心が集まっています。
稼行当時の生活や炭鉱労働について、また現在の姿について、
貴重な写真、映像、資料、模型から、その魅力に迫り、
進められているその活用について、紹介します。

そして、釧路地域にも存在する近代化産業遺産。
…それらからのメッセージを掘り起こし、
郷土の歴史を振り返ります。

期間:
6月7日(土)〜7月6日(日) 9時30分から17時まで(月曜日は休館)
会場:釧路市立博物館 1階マンモスホール(企画展は入場無料です)

主催:釧路市立博物館
共催:長崎市・NPO法人軍艦島を世界遺産にする会
協力:北海道釧路支庁・九州伝承遺産ネットワーク・足尾研究会・オープロジェクト

詳しくは
http://www.city.kushiro.hokkaido.jp/icity/browser?ActionCode=content&Content
ID=1212025227081&SiteID=0

※リンクしていませんのでコピーして下さい。

 足尾研究会もこの軍艦島展に微力ながら協力しています。釧路のみなさん、そして北海道のみなさん、この機会にぜひ軍艦島展を見て頂き、そして自らの土地の歴史をもう一度振り返って見て下さい。きっと何かを得るはずです。

柿田清英さんの軍艦島の写真展】
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世界の写真家展in東京-(6ヵ国の写真家19人の作品を展示する写真展)のご案内-
富士フィルムフォトサロン・東京都港区赤坂9-7-3 フジフィルム スクエア2F
会期・平成20年11月21日(金) - 27日(木)・11:00-20:00(最終日は14時まで)

 待望していた軍艦島の写真集「崩れゆく記憶」、また軍艦島デジタル写真やそのサイトで多くの軍艦島の写真を発表している柿田清英さんの写真展が下記の会期に東京で開催されることになった。柿田さんはこの写真展に軍艦島作品7点を出品する予定だそうです。
 柿田さんについては今さらあえてここで書かなくともご存知の方やファンは多い。またこれらの写真の評価も高いことは言うまでもない。彼はまた高島、池島炭鉱で働いていた体験があり、炭鉱の坑内の様子などとても詳しい。
 その柿田さんはこの写真展に関して「島が潮に飲み込まれる姿を撮ったものがありますが、その様な凄まじい状況を決死の覚悟で島の中から撮影した映像も展示します。何れも想像を絶する映像で、ホームページの中での紹介予定はありません」と述べている。また会期中はデジタル写真集、展示写真の販売もするそうです。
 会期は7日間しかありませんのでぜひ迫力あるナマの柿田さんの写真を見にいらして下さるようご案内致します。
 詳しい事は柿田さんのサイトのhttp:// www.kakita-photo.com/g/g00/fuji.html をご覧下さい。
また、軍艦島の近況映像をご覧になりたい方はhttp://www.kakita-photo.com/g/video/video.htmlをご覧下さい。

 

れらの写真、文章の無断転載、コピーは禁止です。
These photographs and sentences are prohibition by the reproduction,
copy without notice and so on.
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※ 以下は準備中です。
The following is being prepared.