赤ちゃんの股関節脱臼を防ぐために
 
 

「あすなろの花火大会」 清水裕子さん

 病院の入院生活といいますと、一般にはどんなイメージが浮かぶのでしょうか。まず「手術への恐怖」そして「痛みとの戦い」、「漠然とした入院生活の不安」「留守家族の心配と遠慮」それに「入院費用」といったマイナス思考が次々に出てくるのが普通です。
 実は私、これまでに「両股関節」の手術を4回も経験しております。何回経験しましても、いざ入院となりますと、やはり精神的に不安定となり、その日が近づくにつれて溜息や眠れない日が多くなります。これは私一人に限ったことではないようです。事実、多くの同病の患者さんからもそうした悩みを伺ってきました。
 私は悩みは不安は誰にでもあることで、私一人悩んでいるのではない、と前向きに考えるようになっていました。
 私は現在67歳ですが、40代の後半に、運動中、腰の部分に激痛が走り異常に気がつきました。しかし、そのうちに自然に治るだろうと深く考えないようにしておりました。
 その後、夫の転勤で大阪に住むようになったある日、耐えられない激しい痛みに襲われました。すぐに大阪大学付属病院に行き診察を受けましたところ「両股関節脱臼」と診断されました。そして、手術が必要で年齢的に我慢できるところまで、もっていくようにとのアドバイスがありました。
 実際、激痛は増えても少なくなることはありませんでした。再び夫の転勤で東京に移転。
今度は順天堂大学付属病院で診察を受け、痛みの限界もありまして、50歳の折に第一回の手術(左側股関節)、第二回51歳(右側)、第三回58歳(右側)と、いずれも「三層カップ形成術」と「人工再置換術」を順天堂の整形外科で受けました。
 やがて札幌に定住するようになった60歳代前半になって左側の股関節に痛みを感ずるようになり、痛み止めを服用する日が多くなって歩行もいよいよ困難になってきました。
 私は必死になって情報を集めはじめました。「のぞみ会」の会報はもちろんのこと、お友達やインターネット情報など、可能な限り集めました。もちろん、札幌の病院を中心にして、第四回の手術をしようと心に決めていました。
 結局大事なことは「最後は自分で決断する以外に道はない」という当たり前の結論でした。そうと決めたら、気持ちもすっきりしたある日、私は夫と共に「あすなろ整形外科病院」を訪ねました。私は第一印象を大切にするのですが、病院の雰囲気、長谷川院長先生の信頼できるお人柄、すべて意にかなったものでした。
 長谷川先生は「X線写真」、「骨量の密度」、「可動域」、「歩行の状態」などの測定をもとに、私の病状の現状について説明された後、手術の方法、入院日数、術後の状態など明快にそのスケジュールを話されました。
私も前もって、私の病歴や先生にお聞きしたかった要点をまとめて「メモ」にし、持参していましたので、先生とのお話し合いも要領よく進んだように思っています。
 先生はスポーツマンタイプで日焼けした快活な第一印象。テキパキと経験豊かな外科医らしい明快さでしかも自信に満ち溢れたお話に私は信頼感いっぱいとなりました。
 後日、再び先生にお目にかかり、手術日が決定しました。入院されている方々からも、大学病院と違って執刀される先生が長谷川先生であり、すべてに目が行き届き、また毎朝、毎日のように必ず「どうですか」と、回診があると伺って、より安心感を深くいたしました。「プラス思考」は私に勇気と前向きのスピリットを与えてくれました。
 大切なことは、やはり自分自身の心の持ち方ひとつだと思います。
 「大丈夫だろうか」・・・「大丈夫」
 「成功するだろうか」・・・「必ず成功する」
さて、私の手術も無事に成功しました。過去3回に比べても気分的に私は幸せでした。
 わずかな日数の車椅子から降りて、歩行のためのリハビリが始まった夏のある日、廊下に張られた一枚の「お知らせ」に目が止まりました。
 それには、「明日の夜、病院前の広場で花火大会を開きます。ぜひ参加して下さい。」
 入院患者は大喜びでした。前もって飲み物の注文も受けました。私はビールをお願いしました。リハビリの訓練で予想以上に回復が早かった私は特別だったのでしょうか、幸いにもお許しが出ました。ラッキーなことにその日は朝から快晴でした。たそがれ始めた「あすなろ病院」の庭にテーブル、椅子がセットされ、焼き鳥、ビール、ジュース、スイカとかいろいろなご馳走が給食室の人たちでスタンバイされました。
 私たちも車椅子や松葉杖をついてニコニコ顔で集まりました。長谷川先生も浴衣姿に首からカメラをぶらさげてパチリパチリとスナップを撮って下さいました。
 婦長さんも看護婦さんも、浴衣姿で可愛いお嬢さんに変身されていました。花火はリハビリの先生、レントゲンの先生達の手で打ち上げられて、みんな子供のように大喜びでした。もちろん大きな花火大会とは違って、本当に家庭的な「花火の夕」でしたが、その楽しさうれしさは「大きな花火大会」に負けないほど、心ゆたかなビッグイベントでした。
 退院してすでに久しい私ですが、先生の撮って下さったその折の「写真」を時折、眺めて微笑んでいます。私はいま、おかげさまで歩行も楽になり、お世辞で、正常な人と区別がつかないなどと言われて、ついその気になるほど順調です。有難いと思っています。これからも自分自身で日常の「リハビリ」を忘れずに実行しなければと思っています。
 待合室に張られた「あすなろ精神」と、心に花開かせていただいたあの「花火大会」の暖かいお気持ちに報いることになると私は考えているからです。

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「無題」 T・Mさん

おかしいなと思いはじめたのは、足が前にスムーズに出ていかなかったり、走ることができなくなってきた時でした。運動不足かなと思いながら、あまり気にせず、そのうち、治るだろうと、軽く考えていました。
 でも、なかなか良くならず、病院へ行って診てもらうとびっくり、このままだと、だんだん歩けなくなる、手術をしなければ治らないといわれ、ショックでした。
 でも、確実に歩けるようになるという先生の言葉と、自分の足で歩きたいという気持ちが、手術することを決心させました。
おかげさまで、バスの乗り降りも心配なく、どこへでも出かけていくことができるようになりました。自分の足で歩けるということは、とても幸せなことだと、改めて実感しました。手術をしてくださった先生や、お世話をしてくださった看護婦さん、励ましてくださったリハビリの先生にも、本当に感謝しています。
 今は、手術をして良かったと思っています。

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「股関節の手術をして」 M・Tさん

私は平成10年に他の病院で、両足の股関節の棚形成術をしました。片方の足だけ痛みが続き、歩くのも辛くていたところ知人の勧めで平成12年11月27日あすなろ整形に行き診察を受けました。レントゲンの結果は、やはり大分悪くなっていて、「手術をして人工にするしかないですね」と言われました。いつまでも家族や親に心配もかけられないし、痛くて辛いのも自分なので、「お願いします」と言って12月21日に手術日も決めて帰って来ました。それからは入院の日までは、あっという間に過ぎて行った気がします。
12月15日が入院する日で病室の空きがなく数日間、回復室にいる事になりました。その日に股関節の人工の手術の人がいて、他人事ではなく心配でしたが、翌日には少し話をしたり顔を見る事もできて安心しました。病室に替わって部屋の人たちも明るく、1人は人工で、2人は自骨で手術をした人たちで、「大丈夫、手術をしたら良くなるから」と言ってくれました。12月21日に無事手術を終えて回復室に戻り、次に膝を手術する人が終えて、その夜は私は嘔吐と痛みが、もう1人は痛みと熱でナースコールばかりでした。しまいにはお互いに「大丈夫?」と言いあったほどで、看護婦さんも大変だったのを覚えています。ありがとうございました。
術後、3〜4週間を過ぎると血や尿の管が取れて1日ごとに楽になりました。人工の場合は術後1週間目からリハビリが始まり、先生方も熱心に指導してくれたので頑張ってやっていました。12月25日はクリスマスの日でサンタさんがみんなにプレゼントを持ってきて、ビックリしました。写真も撮ってもらって、いい思い出になりました。翌日、抜糸をしてシャワー室に入ることが出来ました。日がたつにつれ動きも楽になり、他の部屋の人たちとも仲良くなりロビーで話し込むことも多くなりました。
 暮れも押しせまり、外泊して自宅で年越しを迎える人が多くて、この年は私を入れて3人と看護婦さんの4人で静かな年越しになりました。年が明けてリハビリも重りをつけたり、ゴムを使ったりとハードになり、松葉杖で何人かで病院の回りを歩いたりしました。
 さらに杖のみになると正座や立ち方や座り方、お風呂の出入りなどを習うので、安心して外出や外泊も出来、家に帰ったり何人かでお店に行ってショッピングをしたりと楽しかった思い出の1つです。退院してからも入院中にお友達になった人たちと電話やメール、たまには時間を作って会って近況などを聞いて、お互いに元気に頑張っている事がわかると励みになります。
 入院中は色々お世話になり本当にありがとうございました。

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「人工股関節の手術を受けて」 久野美恵子さん

私は、先天性股関節脱臼で、平成十三年に手術を受け、人工股関節にしました。
 幼児期、小樽の病院で治療しましたが、成人後再発すると聞いていました。30代から疲れると痛みが出るようになってきました。地元の病院では、大事にすれば将来的にも手術をしなくて済む可能性もあるといわれたのと、治療には何ヶ月もかかると聞いていたので、会社勤めをしていたこともあって我慢していました。手術をする2,3年前から常時針を刺すような痛みとだるさがあり、人目にもわかるほど、足を引きずるようになっていました。
 痛みのない生活がしたい、歩行困難になりたくないと思いましたので、退職を機に治療する決心をしました。院長先生から、症状と年齢的に見て薬で痛みを止める方法がある事、悪化すれば手術が必要であること、人工関節には寿命があること、手術をする場合の準備、回復後の生活、障害者手帳の申請など、詳しく説明していただきました。私は薬よりも、人工関節を支える自分の骨が元気なうちに手術を受ける事にしました。
 手術をして大変だったのは2,3日、抜糸までの1週間は不自由でしたが、その後は痛みもとれ、トイレ、入浴も一人ででき、思っていたよりもずっと気持ちよく入院生活を送ることができました。リハビリも入院中は唯一の仕事で、退院後少しでも楽なようにと、スポーツ感覚で頑張りました。
 車椅子から松葉杖にかわる時は、足を着くのが怖くて、薄いガラスの上を歩くような気持ちでした。でも、それも日一日慣れてくるものです。重心のかけ方も難しく、ずいぶん苦労しましたが、同室の仲間と廊下を歩きながら練習しました。病院は明るく清潔、先生はじめ、スタッフの方々がとてもやさしく、信頼して治療を受けることができました。患者一人一人に担当の看護婦さんがいたので、大きな安心感がありました。とても良いことだと思います。
 2年経過した今、行動の不自由さは少しあるけれど、痛みはほとんどなく、楽しく暮らしています。同室の方々より症状が軽かった分、回復も早く、「治療は早め」と実感しています。先生をはじめ、スタッフの方々、本当にありがとうございました。

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「手術を終えて」 望月美智子さん

 私は、平成13年に右足の手術を受けました。毎日、動かなくても痛んで、夜もよく眠れないのですが、手術となると何かと理由をつけては決心がつきませんでした。以前の私は、仰向けになると右足が伸びず、いつも膝を立てていました。また、お尻の筋肉が落ちているため、クッションをあてなければならず、横向きでも膝にはさむクッションが足の一部として私を助けてくれました。しかし、寝相が悪く、夜中にずれてしまい、痛みで目がさめるという毎日でした。そのため、起き上がることもできず、這ってトイレに行っていました。もちろん、和式のトイレは使用できず、外出先では洋式のトイレを探さなければ用も足せませんでした。足のつめを切ることも、ストッキングを履くこともできず、いつもくるぶしまでの靴下で過ごしていました。歩くとき、右足はつま先で歩くことが強いられ、親指の爪は肉に食い込んでいました。
 このように自分でもわかるほどに不恰好な歩き方では、青信号で横断歩道を渡りきることすらできず、なにより恥ずかしくて自然と私の足は車となっていました。
 ある日、友人に無理やり誘われて受診したところ「即、手術。」と言われ、仕方なく手術を受けることとなりました。ところが、手術の次の日から私の驚きが始まりました。
 まず、49年間絶えることのなかった足の痛みがまったく無くなったのです。そして、リハビリが進むにつれて、今まで出来なかったことが出来るようになり、私にとっては夢のような生活へと変わっていきました。周りはもちろんのこと、自分でも信じられないほど、自然な姿勢で歩くことが出来るようになり、歩く事に楽しさを感じられるようになりました。夜もぐっすり眠ることができ、1階にあった寝室を2階に移しても苦になりません。私は、いつも夢でしか見ることのなかった生活を手術をする事によって手に入れることができました。
 辛い痛みの中でも決心できず苦しんでいた私でしたが、手術を終えて夢が現実となった今、私の体から痛みも苦しみも取り除いてくださった先生、そして、病院を紹介してくれた友人に感謝の気持ちでいっぱいです。

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「あすなろを選んだ私」 I・Hさん

 「あすなろ」――――なんと希望に満ちた響きのあるやさしい言葉でしょう。
 自分の病気について無知な私でしたが、「のぞみ会」という変形性股関節症友の会に加入して、少しずつ変股症の知識が増えてきました。子育てが終わる五十代に入る頃から、毎日の生活が痛みで辛くなってきましたので手術を考えるようになりました。
 のぞみ会の北海道支部をつくってほしい一心で会の運営のお手伝いを二年ほど続けてゆくうちに、手術は今年しかないと決心し、五月の始め、夫と共にあすなろ整形外科を受診し、手術を受ける事になりました。この病院を選んだのは、股関節手術の専門病院としての実績をのぞみ会で知ったのが第一の理由で、夫にも強く勧められたからです。
 入院日は平成十四年の六月二十八日、左側の手術日は、同年七月四日、その日は主人の五十五歳の誕生日でもあったので一生忘れることはありません。右足は約六週後の八月十三日のお盆前に決まりました。長谷川先生から、手術を左右続けてするのはリハビリが少々辛いとの説明を受けましたが、夫はあっさりと先生に「一気にやってしまってください」とお願いしたのです。私も周囲の色々な事情などを考えると両足続けて手術した方が良いかもと一大決心をしました。入院の二週間前に自己血を400cc採血する日程を伺い、帰宅しました。帰ってから少し不安になりましたが、くよくよ考えても仕方がないと手術の成功を祈りつつ入院の準備をしてその日が来るのを待ちました。六月二十八日いよいよ入院の日、長女に主人の食事の世話と家事のことなどを依頼した後、三ヶ月にわたる長い入院生活を控えて少し興奮気味でした。病院につくと、担当の看護婦さんから院内を見せていただき、温かく迎えられ、四人部屋に入院し、その一週間後、左側の手術を受けました。幸いに無事手術は成功し、回復室で目覚めたとき、夫と実母を見るや涙があふれました。あともう一回右足の手術に絶えなくては、とそのとき冷静に思いました。回復室から病室に移り、一週間点滴をし、八日目に抜糸をし、シャワーを浴びることが出来ました。次の日からリハビリは少しずつ始まりました。自分で初めて乗る車椅子を押すのにかなりの力がいり、腕と肩が痛くて夜中に目がさめるほど辛く感じましたが、右側の手術を迎える頃には、左足の痛みも消えてるのではと期待に胸を膨らませながら、八月十三日に二度目、右側の手術を受けました。お盆間近でしたので、院内は一時帰宅の患者さんもおり、少し寂しいくらいでしたが、あすなろ病院の院長先生をはじめ病院のスタッフの方々が病院前の駐車場で「夏祭り」夜に催してくださり、心が和みました。そのとき移していただいた写真を眺めながら、ベッドの上で一日も早く歩けるようになる日を願いながらリハビリに励みました。毎朝院長先生の明るいあいさつで始まる回診に励まされながら、車椅子から松葉杖へと一週ずつ元気に回復していき、四週目を過ぎた日のレントゲンを撮る頃には松葉杖もはずし、杖も必要ないくらいにまで回復していきました。二度目のときは日がたつのがとても早く感じられました。院内を、痛みなくスタスタと歩き、病院の周りも外出できるようになり、日常生活を送る上での注意点の指導を受け、家への外泊も体験し、予定より三日早く退院する許可が出ました。外はすっかり秋に入りかけた九月二十五日のことです。
 あすなろ整形外科の長谷川先生はじめ、すべてのスタッフの方々の手厚い看護には心から深く感謝しております。約三ヶ月の入院生活は少し長かったのですが、私にとっては人生観が変わるほどのよい体験をさせていただけたと痛感しております。婦長さんをはじめ看護婦さんの方々、リハビリの先生方にも本当に親切にご指導いただきました。一生このご恩は忘れません。しばらくは定期検診に通いますので、私の元気に歩く姿をみていただきたいと思います。
 夫がいつも言っている言葉ですが、「医者選びも寿命のうち、医者の技術、ウデはその医者の研修歴、実績によって大きな差がある。」というのは本当だと思います。その点であすなろの院長先生は絶対に信頼のおけるお医者であると確信しております。
 最後に入院中にお会いした患者さんたちと親しく過ごせたのは私の心に大きな財産となりました。また、のぞみ会の友人や私の友達がお見舞いに来てくださったことや、何よりも私の大事な家族に心から感謝したいと思います。東京の大学に通う次女も二度見舞ってくれました。

 二度の手術の時に、夫が短歌を詠んでくれました。
 「手術済み 妻を迎えし吾娘と義母 目を潤ませて声かけ寄りぬ」
 「胸騒ぐ 妻の手術を無事終えて 鬼手仏心の医者後光射す」

私も愚作ながら詠みました。
 「念願の 足の手術を夏に終え 手厚き看護勇気みなぎる」
 「盆の入り 帰宅の友を見送りて 我は手術に手を合わすなり」

 今回、私の手術をしてくださった長谷川先生とすべてのスタッフの皆様に心から深く感謝しつつ、これからの更なるご活躍を心よりお祈り申し上げ、今後、健康を大事に考えて一日一日を大切に生きてゆきたいと考えています。

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「5年を経過して」 K・Tさん

 私は手術後ちょうど満5年を迎えました。今日比頃の生活を考えますと、手術前のあの生活は嘘のように思われます。日々、足の痛みに耐え、夜は足のだるさや痛みでぐっすりと眠ることもできず、したい事の半分も行えずに数年を過ごしました。幸い、人づてにあすなろ整形外科を知る機会に恵まれ、この痛みから解放されるならと医師に勧められるまま股関節の人工関節置換術を受けました。清潔な環境と親切な看護で、術後の経過も良く、半年後には一人で旅行もできるまでになり、本当に心からうれしく、ありがたく思いました。私は、本来両足とも亜脱性変股症で病状の悪い片方だけを手術いたしました。もう一方の足も早めに手術するようにと医師からは勧められておりましたので、一抹の不安はありましたが、片方に力がついてきますと、本来悪い足の痛みがあまり増すこともなく、現在に至っております。年に何度か杖が必要になるほどの痛みが3,4日続くことがあり、そんな時には、かつて私は何度もこの痛みに悩まされ暗い気持ちで生活していたのか、また、よくこの辛さに耐えていたものだと、驚くと共に感慨深いものがあります。この病いについての知識もなく、手術についてもすべてお医者さんにおまかせして即断いたしましたが、本当に良い選択であったと思っております。民間療法的なものもいくつか試してみましたが、どれも一時しのぎに終わりました。人工関節が何年もつものか不安はありますが、痛みに悩まされず、ほぼ普通に暮らせるこの喜びは、何物にも変え難い幸せです。
 以前にはステップが上がられず乗れなかったバスに乗って、プールで股関節のためのアクアティックに週1回通ってリハビリの一助としております。これからは人工関節の足と病状が進行中の片足とを無理のないように使って、痛みがない事に感謝しつつ、毎日を明るく有意義に生活し、失った日々を少しでも取り戻せたらと思っております。

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「無題」 S・Aさん

 33歳の冬でした。一歩移動するたび、激痛が股関節の一点に集中。トイレに行くのも壁つたいという状況で、あすなろ整形外科を受診しました。「すぐ手術しましょう。この日が空いています。」手帳をめくりながら、長谷川先生。手術!? 入院!?・・・5歳と3歳の娘の顔が頭に浮かび、その日に答えは出せませんでした。主人の両親、私の母を含め家族会議。まだ手のかかる孫たちのことは安心してまかせなさい、と本当にありがたい言葉を頂き、入院となりました。
 入院当日、下の子は泣きじゃくり、上の子は「ママ、早く足治してね。」と力強い言葉をくれました。でも、無理して強がってくれていたのです。帰りの車に乗ったとたん、大粒の涙をこぼしながら手を振っていました。ごめんなさいね、ごめんね。
 入院したからには、前向きに治すこと、歩けるようにと決心しました。今まで痛くて安静にしていたため、筋肉がかなり落ちていました。リハビリの先生に指導を受けて、運動のしかたを習得。手術当日、予備麻酔で効いたのか、手術台に上る途中で記憶がなくなったので、恐怖心はありませんでした。無事、手術は成功。私がなぜあすなろ整形外科に来たかというと、人伝てに「長谷川先生は股関節専門、道内で3本の指に入るわよ!」と聞いて受診したのでした。あすなろに来る前、他の病院も受診しましたが、湿布薬と痛み止めだけで骨には異常なしと言われていました。長谷川先生はレントゲン写真を見ながら、かなり詳しく説明してくれましたし、こちらの質問にも誠実に返答をくださいました。(医者という冠をつけずに・・・)それで、私は長谷川先生を信頼したのです。
 術後は、熱が上がったり、痛みで眠れない日が1週間続きました。今思い返してみれば、辛いと感じたのはその1週間だけでした。4週間の車椅子期間に、入学式、入園式にも出席できました。週末毎に外泊も許可してくださり、子供たちも安心できたと思います。同室の方とも、不安を話し合ったり、馬鹿な冗談を言い合って、楽しく過ごしました。術後、リハビリに下階におりるのが、楽しみでもありました。週ごとに手術した足に体重をかけていくのです。手術した足は、松葉杖をしながら「はい、体重の3分の1だけ力を入れていいからね」結構難しいのです、これが・・・。それをクリアするのが楽しみでもありました。
 この文章を書いている今、手術後2年が経過しています。今は普通に家事ができます。歩けるという普通の行為自体にありがたみを感じています。子供たちは母の不在を経験したせいか、頼もしい存在になりました。まだ、片側の手術も残っています。次回にむけ、筋トレに励んでいます。今回は多くの人に支えられました。主人、子供たち、両両親、見舞ってくださった方々、そして幾度も愚痴を聞いてくれた看護師の方々、リハビリの先生、そして長谷川先生、心から感謝しています。ありがとうございました。
 現在、痛みを抱えている方へ、手術に対する不安はあると思いますが、痛みのない世界があるのを知ってほしいと思い、これを書きました。

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「無題」 K・Mさん

私が初めて「あすなろ整形外科」を訪れたのは、足の異常を感じてから3〜4ヶ月経ったころでした。極寒のころ、長時間無理な体勢での重労働が祟ったのか「足筋をひねらせたのかな?」と軽く考えていたのがいたのですが、時間が経っても良くなるどころか痛みは増す一方で、そのうちに夜も痛みで起こされるようになりました。勿論マッサージ等にも何度も行きましたが効果はなく、今までの足の痛みとは少し違うのではないかと思いはじめました。周りの人たちに変な歩き方をしていると言われる程、不自然な歩き方をするようになりました。
 そんな時、友人の一人が自分のお姉さんの歩き方に似ているという話をしてくれました。そしてあすなろ整形外科でリハビリの仕方を習って毎日やっているということでした。私も痛みを取る為の運動だけ習いに行こうと軽い気持ちで診察を受けました。しかし私のレントゲンを見るなり先生が「あっ」と小さく言われ、手術をしないでこのままだと十年以内に普通に歩けなくなると診断されました。リハビリでなんとか治したいと私は思ったのですが、私の場合すでに進行期に入っているので手術しかないと断言されました。子供たちの重い学費が後何年で終わりそうで、その後はあれこれと楽しい計画を考えていた矢先でしたのでその全てをあきらめなければならなくなると思い、次の瞬間「手術お願いします」と口から出ていました。
 先生は手術の方法や入院期間、また退院後は普通の生活ができることを丁寧に教えて下さいました。手術までの期間1月半は大変な忙しさで、そのうちやろうとのんびりしていたことを片っ端からやり、普段手を抜いていた所の掃除をあちこちし、私が入院中子供に託すことをメモ書きし、予定していたことをキャンセルしました。また入院3週間前から毎週1度血液を採りにいく予定もクリアせねばならず、あわただしく充実した毎日でした。輸血用の血液を「自血」でというのは近年輸血による事故が話題となっていたため先生の手術に対する姿勢が理解でき嬉しく思いました。
 毎日が忙しいということもありましたし、また専門家に診てもらったという安心感もあって足の痛みが和らぎ手術しなくてもいいかなとも思いましたが、後々の事を考えて手術までの日をなるべく安らかに待つことにしました。
 入院してみると同じ症状で治療している人が8割で初めて先生が股関節の専門医であることを知り、紹介してくれた友人にあらためて感謝しました。手術前に車椅子や松葉杖、リハビリの練習も効果がありました。また同室の皆が同じ手術を受けた経験者ですので、数日・何週間後の自分の状況が目に見え、先輩たちのアドバイスで不安も少しずつ薄らぎました。手術当日はベッドで半分麻酔がかかった私をエレベーターまで仲間が皆励ましてくれました。心細かった私にとってこれは温かく心に残る一シーンでした。
 手術後自分の意志でいつも動いていた足が思うように動かず鉛が入っているように重く、感じました。足一本のために寝返りもままならず、体全体がベッドに沈み込んでいるような錯覚に襲われて術後一週間は夜もゆっくり寝られず何度も看護婦さんを呼んで寝返りをうたせてもらいました。「すみませんね」と私が言うと、看護婦さんはいつもにこにこしながら「なんでもないよ」と言ってくれ、その言葉が嬉しかったのを覚えています。
 一日三回の看護婦さんの診回りは、患者の症状の申し送りが行き届いている感じでとても安心感がありました。また先生の回診もレントゲンなどを使って経過を説明してくれますので自分の今の状態が隠さず示され先生との信頼関係も保たれていました。患者さん同士も同じ症状なため連帯感も強く、すぐに仲良くなりリハビリのための散歩もかばい合いながら皆で楽しくできました。私が入院中に夏祭りや開院記念日があり入院生活を少しでも楽しくしてくれるスタッフの心遣いに感謝しました。また食べる事が唯一の楽しみである入院生活で月に一度あるご馳走の日は大変な楽しみで、病院とは思えない豪華な手の込んだお料理に舌鼓を打ったものでした。退院の頃には皆元気に歩くことができますし、いつも病棟はワイワイガヤガヤとにぎやかで明るく、リハビリもお互い励まし合いながら頑張れました。入院中病室の窓から健康そうな人々をうらやましく見つめていた自分を時々思い出し、自由に何処でも行かれる今の自分の幸せをつくづく感じ、この健康を大切にしたいと思います。この入院・手術を終えて人生観が変わったことをつくづく感じます。
 一年が過ぎ日頃の忙しさについリハビリを忘れることもしばしばです。あらためてリハビリに励み、これからは小さいことにくよくよせずに積極的に生きていきたいと思います。また、この入院で家族の愛情あふれる看病をつくづくありがたく思いました。

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「花火大会」 宮崎喜美栄さん

 ドーンとなった花火だ、きれいだな、空いっぱーいにひろがった・・・・・?空いっぱーいとまではいかなかったのですが、まさか病院で花火大会があるなどということは誰にも想像できませんでした。
 8月8日午後6時30分より病院前広場にて花火大会があるということで、私たち患者はとても楽しみにしておりました。しかしその日は朝から雨、風強くそして暗く、とても花火のできるような天候ではありませんでした。
 「もし今日が駄目なら明日に延びるのだろうか」などと患者同士で話をしていましたが、病院の花火大会ってどんなのだろうと女性軍は賑やかに話し合っていました。私は何回も他の病院に入院しましたが病院での花火大会ははじめてなのでドーンと打ちあがって美しく散る華麗な花火を目の前で見られるのでとても楽しみにしていました。しかし、午後も雨が降り続いているので雨を恨めしく思いました。
 ところが、4時頃より雨は小降りになり止んできました。5時頃からは病室の窓から見える道路はだんだんと乾いてきました。ここ大谷地は風が強いので乾きも早いのだろうかなどと思って外を見ていましたが「これなら大丈夫、決行できるかも?」と思う天候になってきました。花火大会が始まる頃には、すっかりメインの広場は乾き、花火の出来る雰囲気になってきました。予定通りに花火大会が催され、夜の病院の前の広場には多くのテーブルや椅子が並べられ、患者全員が落ち着けるようにセットされていました。
 車椅子の人達は乗ったままの状態でテーブルにつき、私も歩けるようになった中の一人でしたので婦長さんに誘導されて着席しました。テーブルには沢山のご馳走が並べられ、焼き鳥、おでん、枝豆、おそば、お餅、焼肉、スイカ、飲み物etc. 院長先生からは全患者にプレゼントとして各自、好きな飲み物を下さり、看護師さんから一人一人に手渡されました。
 院長先生は浴衣をお召しになり、カメラを首からぶら下げ、パチリパチリ撮っておられました。ナースの方々は私服姿の華やかなお嬢さんに変身してお疲れの様子もなく、ニコニコしながらやさしく食べ物を患者に勧めたり運んだり、一生懸命温かくサービスをしてくださいました。私は楽しくてうれしいのも手伝ってか、食欲旺盛で沢山頂きました。何を頂いてもおいしかったです。リハビリの先生方は一生懸命に中、小の花火を打ち上げて、俄か花火師さんになったようでした。ドーン、ドーンの音とともに弱っている気持ちが遠くへ去って行くように思えて、花火が夜空に吸い込まれ、消え入るまで私たちは拍手を送っていました。もう一方のリハビリの先生は線香花火に火をつけて、私たち患者に持たせてくださり、目の前のパチパチの小さな火花の散るのを見ながら、幼少のころを懐かしく思い出していました。病院でこんなに楽しい一夜を過ごしたことは初めてなので、一生忘れないでしょう。この夜、就寝してからふと目を覚ますとまた音を立てて、ひどく雨が降っているのです。そして翌日8月9日は一日中雨が降っていました。病院では何日前から花火大会を計画していたかは私たちにはわかりませんが、ピタリ標準が合った感じです。花火大会のためにあの時間帯だけ、雨が上がってくれたような気がしました。私にはどうしても奇跡が起きたとしか思えませんでした。一時的にも一般社会、家庭から切り離された病院生活の中でこんなに大胆な楽しい一日があるなんて想像もしていませんでしたので、とてもとても忘れることの出来ない夜でした。
 「真夏の夜の夢」ではなく、楽しい現実の一夜でした。長谷川先生を始め、スタッフの皆様に心より感謝いたします。

「本当に有難うございました」 平成15年11月15日

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「右脱臼性股関節の手術をして」 舘下るりさん

 悩んだ、本当に悩んだ、私が病院に入ったら家のこと、主人のこと、手術して治るのか、何ヶ月かかるのか、もしかしたら治らないのでは・・・・
 もともと生まれつきだった。多少足を引きずることはあったが、30歳過ぎくらいまでは特に気にならなかった。40歳を過ぎた頃には足をかばい、人の目も気になるようになった。それでも、筋力を落とさないために運動もし、自転車で遠くにも行った。自分でもいつかはダメになることはわかっていた。でも、まだ大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせていた。それが50歳近くになったとき、限界がきた。腰が痛くなり、夜も寝られなくなり、朝起きるときも何かにつかまらないと起き上がれない。歩いての買い物はダメ。街に行っても長くは歩けない。友人と会うときも、我が家に来てもらうか、喫茶店で座って会うだけ。おしゃれをする気にもなれない。本当に限界の限界が来たのだと思った。
 以前、新聞記事で股関節のことを色々と教えてくれる「会」のことが載っていたので切り抜いておいた。意を決して電話をしてみた。自分の足の事を知る怖さもあって、心が暗くなっていたと思う。電話に出た方は「会」の副会長をしていたが、その方も両方の足が悪く、「会」をやめていたのだが、話を聞いてくれた。顔を見たこともない方だが、やさしい声で「私でよければ話を聞くことはできますよ」。その言葉で私は泣いてしまった。私が泣き止むまで待って色々と聞いてくれ、アドバイスもしてくれた。何回かそんなやり取りをした。グジグジしていた私は背中を押され、病院へ行く決意が固まった。専門病院で手術をしようと決めていた私は長谷川先生にめぐり会った。初診で「手術をしましょう、大丈夫!」と言われ、うれしくて泣いてしまいました。私の不安はいっぺんにふきとんでしまい、手術が待ち遠しい気持ちでいっぱいになりました。ほんとうにそう思ったのです。
 入院してからはともすれば初心を忘れてしまいそうになり、リハビリでよくなっていく足をみて、なぜもっと早く手術しなかったのだろう、あの悩んだ日々は何だったのだろうか、家や主人のこと、ひとつづつ解決はできるのだ。どうしても困ることは少ないものなんだと思った。びっくりしたことは患者さんたちが明るいことだ。前向きに明るい。同じ痛みを知る同士だからかも。手術後、車椅子〜松葉杖〜つえ〜退院、と約50日近くの病院生活、人生の一大事だったが、楽しかったのも事実だった。親しくなった人も出来た。友人も何回となく足を運んでくれた。姉達にもたくさん世話になった。手術して本当に良かった。退院した日の夕食、主人が「ひとりの食事は寂しかった」と、ポツリと言った時、心から私が元気で明るくがんばろうと強く思いました。私の右足、1年でも長くもってください、大事にしますから。

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「これから入院(手術)される方へ」 上野聖行さん(45歳 男性)

 私は変形性股関節症に依り、寛骨臼回転骨切り術を受けるため、入院することになりました。
 最初に申し上げておきますが、このような大手術も、3ヶ月という長期に亘る入院生活も初めての体験です。それだけに家のこと、仕事のこと、手術のことを考えると不安でなりませんでした。そんな心の葛藤を、後に続く貴方を勇気付けられればと思い、文集に残します。
 私が一番悩んだのは、やはり手術のことです。先生の診察を受け、一通り説明を受けたのですが、半信半疑で、仮に手術が成功したとしても職場復帰が果たせるのかなってね。
 最初に説明を聞いたときは、何ソレ!骨を切る!回転させる?元あった個所の骨は?足の長さは?って感じで、頭の中はパニック状態でした。しかし、日増しに痛みの間隔が短くなってきて、日常生活に支障をきたすようになってくると「手術」の二文字が脳裏をかすめてくる。実際、「痛み」と「歩ける生活」を天秤にかけると断然歩ける生活が良い訳で、心は次第に「手術=入院」と傾くようになりました。
 入院の時期は家族と話し合って、下の娘の卒業式を見届けてからということで、3月末とし、入院までの3ヶ月の間に、先生からアドバイスを受けた「更生医療給付」の手続きに取り掛かり、入院の準備に入りました。
 入院の準備に欠かせないのが、自己血採取で、最近の手術では輸血はしないそうで、弐回に分けて800CCの保存をしておくそうです。1回目は外来での採血で、この時増血剤を処方されたけれど、嘔吐するなど体調が急変し、以後、この薬を見ることはありませんでした。
 こうして入院の準備も着々と進み、入院当日を迎えることとなりました。
 入院の予定期間は90日(手術後、11週間)で、入院後1週間、手術までの段取り?期間がありました。股関節の手術だから1週間必要なのか?この間は体調管理が大切!
 入院初日は、二回目の採血の他、心電図、MRIとメニューをこなし、あとは手術までひたすら退屈な日々の連続です。
 只、内科と違って整形だからか、食事制限があるわけではないので、食べ物は自由で、消灯が過ぎてもTVは観れるので、割と自由に過ごせます。ちなみに携帯電話やパソコンも使えるので必携ですよ。
 そうこうして手術の当日。手術は午後1時半からで、約2時間の予定。病室を午後12時45分に出るので、朝から何やらと忙しく、宿便を出すのに浣腸もされた。
 手術や手術後の不安が全くなかったわけじゃないけど、手術は全身麻酔と局部麻酔の併用で行われるようで、寝てる間に終わってしまうわけで、後はすべてを先生に託して眠りに入りました。
 手術も予定通り終わり、回復室へ向かうのですが、なぜか局部麻酔の効きが悪く激痛!ノタウチまわる中、看護師さんは手馴れた対応で、いつしかまた眠りの世界へ突入。不安と緊張の連続だった「手術」も無事終わり、あとは一日も早く回復することを願うのみとなりました。
 手術後2週間は安静で、その内3日間は回復室でベッドに拘束され、腰痛にも悩まされるが、手術個所は不思議と痛まなかった。
 びっくりしたのは、手術した次の日から、ベッドで食事をとれることで、なんで?って感じでした。
 このあと病室へ戻り、本格的にリハビリが始まるまでが退屈で、そのうちトイレに行ったり、廊下をコソコソ出歩いたりして、看護師さんに「動きすぎです!」って患者の心得を聞かされてしまいました(笑)
 リハビリは1週間ごとにメニューが増えて、松葉杖での歩行では2週間ごとに、レントゲンで確認しながら、非荷重→3分の1荷重→2分の1荷重→全荷重と手術した足に、徐々に荷重をかけて、股関節を馴らしていくようです。
 リハビリに関しては順調な方でしたが、3分の1荷重に入ってから筋肉痛に見舞われ、むしろ筋肉痛との闘いでもありました。
 3分の1荷重に入って1週間も過ぎた頃、5月の連休にも掛かっていて、予期せぬ一時帰宅が許可され、1ヵ月半ぶりの我が家で、美酒に浸っていました。
 楽しい時って瞬く間に(入院生活が苦痛なのではないけど (^_^;)過ぎるもので、再び病院へ戻り、リハビリ再開。
 2分の1荷重入ってからは、時々外出許可ももらって、外に出ることで刺激を受けてリハビリにも一層熱が入りました。
 然しながら極度の筋肉痛に見舞われ、リハビリも様子を見ながら進めていくのですが、徐々にではあっても、自力歩行が出来つつある喜びに勝るものはないですね。
 2分の1荷重も1週を過ぎた辺りから、片松葉杖での歩行も可能となり、ひとり、ふたりと退院していく人を見送る傍ら、黙々とリハビリに励んでいました(笑)
 ようやく、手術後8週目を迎え、全荷重による歩行が始まりました。
 全荷重をかけた瞬間は、2分の1とは違ってずしりとくるものがあり、恐る恐る一歩を踏み出したときは感激しました。そのあと、階段も試してみて、ゆっくりではあるけれど、特に痛みもなく、無事クリア。
 歩けることの喜びに浸りつつ、退院が近いことも悟る瞬間でもありました。
 2ヶ月近くの入院生活で、すっかり体力も落ちてるので、歩き疲れが出てくると痛みも出たり、体が左右に振れてくるので、杖はまだまだ手放せないかな?
 横揺れ対策には、リハビリでは足の横上げが効果を発揮するようで、今までにも増して励まないと・・・・・!
 あれ程右足への負担も心配していたのですが、特に問題もなく順調に回復へと向かっています。
 退院は自己診断によるところが大きく、自信がつけばいつでも退院してもいいそうで、先輩達は、手術後10週を目途に退院していっているようです。
 長かった入院生活も終わりを迎え、この場を借りてお世話になった院長先生をはじめ、看護師さん、リハビリの先生及びレントゲンの先生に御礼申し上げます。
 大変お世話になりました。
 特に看護師さんは可愛くて素敵な人達だったので、長い入院生活が苦もなく不安も無く楽しく過ごせたのだと思います。
 その反面、看護師さんたちの苦労は、一方ならぬものがあったことと思います。
 まもなく退院します。
 皆さん、本当に有難うございました。最後になりますが、20代、30代で手術を勧められ、それを回避しようと湿布や痛み止めを服用されている方、痛みの間隔が短くなってきている方、早めに手術を決断された方がよいと思います。筋肉と体力が衰え始める前の方が、回復力が明らかに違いますから。

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「車椅子を覚悟して」 宮崎喜美栄さん

 昭和46年5月20日、大学病院にて、私が右足にアメリカ製の人工股関節を入れる手術を受けたのは、32年前の40歳の時でした。その時は症例がまだ2人しかいなく、私は3人目でした。症例が少ない上に個人差があるので、5年もつか10年又は15年もつかはわからないと言われました。それが、55歳の頃から痛み出し、1年に2回くらい歩けなくなることがありましたので、6〜7件の病院にて診ていただいたのですが、「まだ大丈夫、まだもちます」、とか「術後の後遺症のため」とか、レントゲン写真を見ながら「今、入ってる、この人工股関節を取るのが大変で、〜〜手術も大変です」などと言われましたので私は諦めてしまいました。やはり、同じ足に2度の手術は難しいのだと思い、家族が心配して病院に行くように幾度も私に勧めるのですが、、痛いのを我慢して、病院には行かず、痛くなると温泉に行き、家事を一切せずに体を休めていました。
 しかし、とうとう歩けなくなる日がやってきました。平成15年4月18日(金)に右足股関節がだるく、ぬけるような、イヤーナ痛みが大腿部と下肢を交互に走り、寝ていても椅子にかけていても身の置き場のないような激しい痛みに襲われ、寝返りもできなくなりました。
 第一回目の人工股関節を入れる前の痛みとは異質なものなので、何か股関節に異変が起きていると感じました。(最初の股関節を入れる前の痛みは、黙っていても涙が出るような痛みで、夜、唯一眠れるのは、うつ伏せの状態だけで、仰向け、右、左の横向きでは股関節が病めて眠られませんでした。ストッキングももちろんひとりでは履けませんでした。それで昭和46年に人工股関節を入れていただいたのですが、それから15年後位からは歩くと痛み出し、今年の4月の中頃からは、前に記した通りの病状になりました。)それで崩れるような格好で温泉の湯治先より「あすなろ整形外科病院」へ直行しました。
 医療関係のコンピューターソフトの仕事をしている息子が以前から、「あすなろ整形外科病院」を薦めてくれていたために迷わず行くことができました。
 しかし、私は今までに左足の手術、右足には人工股関節をいれ、また、他の病気で二度の開腹手術をしているために、歩くために必要な大事な筋肉を切っている上に高齢ですので、今度手術するなら車椅子の生活になることを覚悟して診察室へ入りました。
 少し待ってから50歳前後の経験豊富のような眼鏡をかけた先生が入ってこられました。私が32年前に一度人工股関節を入れたことをお伝えしますと先生は「32年前はまだ私は医者になっていなかった!」とレントゲン写真を見ながら優しくおっしゃいました。私は坐骨のところの筋肉も痛かったので、骨か筋肉のどちらが痛いのかよくわかりませんでした。先生は「このモヤモヤしているのは、セメントがゆるんでいるのです。」と言われました。32年前の手術のときに「セメントがゆるんだら痛くて歩けなくなります。」と言われていましたので、矢張り手術は避けられないのだと観念しました。レントゲン写真を見ながら私は「これを全部取ってしまうのですか?」とお聞きしますと、先生は「すっぽり取って、新しいのを入れます。セメントがゆるんでいるので、筋肉が痛いのではなく、これは骨からきているのです。私は97.7%自信があります。杖を使わずに歩けるようにがんばりましょう。まだ72歳ですよ。」と言われ、前途に大変な明るさと勇気を頂きました。私は4年前に転倒して右膝関節にヒビが入り、内出血をして以来、杖を使用するようになりました。先生が「左足で立ってごらんなさい。」とおっしゃったので、左足だけで立ちますと先生は「宮崎さんが今、左足で立っているように右足でも立って、杖を使わずに歩けるように挑戦しましょう。」・・・・今まで、どこの病院に行っても聞いたことのない心強さと暖かさを感じました。そして、素人の何もわからない私の質問に対し、分かりやすく明解にお答えくださり、不安を払拭してくださって、とても安心感と信頼できる先生に思えましたので、帰りの車の中で、長谷川先生にこの手術をお願いしようと心に決めました。すでに入っている人工股関節を取り除き、新しいものを入れる手術には神経や筋肉を切るので、どんなに難しい手術か私たち患者には想像もつきませんし、回復することがとても不思議に思えました。不可能ではないかとさえ私には思えたのです。その上、私のような体の悪条件の中での手術なので、もし運悪く車椅子の生活になった場合でも決して後悔はしないと心に決めました。以前に「今度手術をするときは車椅子になるかもしれないね。」と主人と話していましたので、その旨を先生にお伝えしますと先生は「その覚悟なら何でもできます」とおっしゃいました。
 4月21日(月)、週があけ、すぐ長谷川先生のところに再びお伺いして私の気持ちをお伝えしました。入院は5月23日と決まりました。それまでは、病院よりの痛み止め薬を服用して家ではあまり動かないようにしていました。その間、手術日迄がとても待ち遠しく、しかし、私と同じ骨の病気で多くの人が待っているのだと思うと致しかたのないことだと思いました。5月23日に入院して、その日から即、担当の看護師さんから術後の体、足の動かし方、また、リハビリの先生からは実際に車椅子に乗り、先生が押してくださり、どのようにしたら狭いトイレの入り口から入りやすいか、また、松葉杖の使用の段階に入った時の松葉杖の使い方などを親切丁寧に優しく教えてくださいました。自分で実際に車椅子に乗って動かしてみると建物の角にぶかりそうになったり、松葉杖と自分の足との調子が合わなかったり、自分の体とはいえなかなか思うようにいきませんでした。次に骨密度を調べた結果、70歳からは280mg/cnlからが合格点ですが、私の骨密度は198しかなく不合格でした。血液検査、手術時に必要な800ccの中の第二回目の血液の400ccの採血、そして化膿止めの液体が体内に入った時の反応等の検査がありました。手術日までの1週間はリハビリテーションルームにて術後のための体の動かし方や術後の足でのベッドへの上がり方、降り方などを事細かく、術後に困らぬように、担当のナースの方が教えてくださいました。
 とうとう待ちに待った手術の日がやってきました。5月29日の木曜日です。私には何の不安もありませんでした。今までの長い間の痛みが取れると思うだけで充分でした。手術が終わり、回復室に戻りました。どのくらい時間がたったのでしょうか?時計を持っていなかったために時間はわかりませんでしたので、主人に時間を聞きますと「7時一寸前」と言いました。多分麻酔が醒めたのでしょう。私は泣いていました。いくらこらえても涙が出て止まりません。声を出せないので口を開いて、声の出ないようにして泣きました。時々唇をかんでいました。ナースの方が「痛くて泣いているの?」と言いながら涙を拭いてくださいました。「いいえ。痛いのは手術をしたのだから当たり前だけれど、嬉しくて、嬉しくて。」と言いながら「嬉しい、嬉しい・・・・・」と何回この言葉を言ったか覚えていません。痛みから解放されたと思うと本当に嬉しかったのです。その時私は思いました。長谷川先生は「神の手」を持っておられるのだと思いました。私たち患者からは、そうとしか考えられません。どのくらい、多くの骨の病気の人々をお救いになったのかと心から感謝致しました。担当のナースの方の2時間置きくらいの手厚いお世話で、その夜を無事に過ごすことができました。回復室では毎日交代で看護師さんが体の隅々まで丁寧に温かいタオルでしっかり拭いてくださり、本当にさっぱりして気持ちよく、もったいないような気さえしました。私にとって最もつらい3日間が無事に過ぎ、4日目の6月2日はとても良いお天気でしたので、主人が「外に出てみようか?」と言うので、主人に車椅子を押してもらい、術後初めて病院の外に出てみました。途端、思わず、「万歳!万歳!」と両手をいっぱい上げて叫んでしまいました。太陽の光を燦燦と受けながら、痛みのない骨に生まれ変わった足に感謝しながら、そしてまた、好きな音楽ができる、通える、と思うと何とも言えない喜びと勇気がわいてきて頭の中は、もう色々のメロディーが駆け巡り、先が明るくなり、心から長谷川先生に感謝いたしました。手術後1週間でリハビリを受けましたが、長谷川先生が手術前に「32年前とは違い、今は楽ですよ。」と言われたとおり、私にとって今のリハビリはとても楽なものでした。リハビリも2週間位から楽しくさえなってきました。足、体の動きが段々楽に動くようになり、一日一日良くなり、回復していくのが自分でもわかるようでした。今までできなかった動作ができるようになり、希望がわいてきました。リハビリテーションルームも明るく、先生方も本当に親切で明るく丁寧に患者に接してくださり、雰囲気がとてもやわらかく、穏やかでした。8日目よりシャワーに入りましたが、お世話してくださる方たちの至れり尽くせりの、そして細心の注意を配ってくださるのには、頭が下がる思いでした。本当に良い病院に入って良かったとつくづく思いました。ナースの方々のお一人お一人が自信を持って優しく、そして笑顔で一人一人の病状の違う患者に対し、的確なアドバイス、または注意をしてくださるのにも感心し、また、病室にて自分でリハビリをしているときに、それを見て間違った動作や足に対して危険のようなことをしているとキチンとした指導をしてくださるので、ナースの方々の言う事を聞いていると間違いないという安心感がありました。洗面所にいくと、人々のお話が耳に入り「この病院に入る時は痛くて痛くて、私は肩をこんなに下げて、やっと歩いてきたんですよ。」と言っておられた方がニコニコして「明日退院なんです。」と言ってスタスタと楽に歩いて病室に戻られる姿をみて「本当に良かった、私もきっと歩けるようになる。」と確信しながら車椅子で病室に戻る事が何回もありました。また、私より遅く入院された方で、痛い、痛いと大きな声を出しながら入って来た方が、手術後何日かしてニコニコしながら家族の方に連れられて退院する姿をみて、私の足は2回目なので時間がかかるかもしれないけれど、焦らずしっかり治そう、そして笑顔で退院できるように頑張ろうと思いました。リハビリも順調に進み、8月15日か16日の退院と決まりました。古いことですが、第2次世界大戦は昭和20年8月15日に終わったので、私は私自身の骨との闘いにもピリオドを打つ意味で8月15日に退院する事に決めました。58年前の終戦の日は天気が良く暑い日でしたが、私の退院の日も有り難い事に晴天でとてもよい夏の日でした。足も治していただき、その上、院長先生をはじめ、スタッフの方々から人間として生きていく上に必要な心の栄養までいただき、心より感謝しながら、病院を後にしました。車椅子の生活になるかもしれない事を覚悟して入院したはずでしたが、車椅子ではなく、ゆっくり歩いて心も軽く、主人の車まで足を運ぶ事ができました。お世話になった病院の方々、毎日洗濯済のものを届けてくれた主人、いざと言うときのために病院を選んでおいてくれた息子、家族、本当にありがたく、温かい心に対し、神に深く感謝いたしました。そして、幸福を感じました。
 入院中に担当のナースの方から退院後に普通の生活に戻った時の注意事項として、パンフレットを読みながらゆっくり説明してくださいましたが、患者の退院後の体の事までの心配りには本当に感謝いたし、これは自分のために必ず守ろうと心に誓いました。退院後も家で、病院と同じリハビリを自分で行っていますが、入院前には、お通じが3〜4日置きでしたが、今は毎日か1日置きにありますので、足のためばかりでなく、腸のためにも良いと思うので、これからも続けようと思っています。
 退院後の翌月、9月11日には好きな温泉に一人でゆっくり注意しながらおそるおそる入ってみましたが、なにごともなく湯煙の中でゆっくりと温泉を満喫しました。小さな野天風呂や大きな浴槽にも入る事ができ、まずは自信もつき、ひと安心しました。入院中に担当の看護師さんが病院のお風呂の浴槽の中で私が実際に入り、丁寧に納得のいくまで入り方を教えてくださいましたが、それを思い出しながら、足の入り方、上がり方に注意しながら無事に初日の温泉入りは大成功の中に終わりました。家では炊事、洗濯、掃除など家事一切を滞りなく行っていますが、重いものは持たないようにしていますので、買い物は今のところ主人と行くか、主人に担当してもらっています。また、高いところにある物や床にある物などはマジックハンドを使用し、決して無理をしないようにしています。足は全然痛くないので夢のような毎日です。家の中では杖を使用してはいませんが、外を歩くときだけは、術後の足を保護するために使用しています。訓練をすると杖に頼らなくとも、もちろん歩けるとは思いますが、加齢とともに筋肉の衰えもありますので、転倒を避けるために安全な方法をとっています。退院後の3ヶ月目に入った11月ころからは、あまりマジックハンドを使わなくとも大丈夫になってきました。病院からいただいたパンフレットにあるように手術した足をちょっとずらしたり、後ろに足を上げたりすると容易に床に落ちている小さな物までも指で拾うことができます。
 退院3ヵ月後の11月15日現在、家での体の動かし方は以前の家庭と仕事を持っていた時のようなサッサと体を動かす事のできる状態に戻ってきたような気がします。これから北海道の厳しい寒さがやってきますので、傷口を冷やさぬようにして、雪のある間はあまり外を歩かないようにします。車で外には出かけることがありますが、自分の足は大切にして、ご機嫌を伺いながら付き合っていこうと思っています。私が今、一番恐れていることは転倒する事なので家の中でも大変注意をしています。家でのリハビリは続けていますので体調は良好です。痛みの無いことのおかげで何の不安もありません。これは入院した日より手術、退院、退院後6ヶ月間の日常生活状況を記したものです。

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「無題」 武田恭子さん

 私は、先天性股関節脱臼で生まれ、40代後半、人工関節の手術を受け、16年後、仕事の区切りを期に再手術を長谷川先生にしていただきました。
 長谷川先生との出会いは、前回手術をしていただいた先生から、股関節の手術に関して、今一番信頼している先生をと、紹介していただきました。受診してみて、先生のさわやかさの中に人を幸せにする信念を強く感じました。そして、安心して手術を受ける事ができました。婦長さんはじめ、看護婦さん、スタッフのお一人お一人が、それはそれは親身になってかかわって下さいました。
 こちらの病院の医療システムのすばらしさを感じます。第一に、患者の一人一人に担当の看護婦さんが決まっていて、看護婦さん間の連絡が細かに行き届いていることです。担当外の看護婦さんも一人一人の状態をよく判っていて、事柄がスムーズに運んでいることです。手術後のリハビリについてもリハビリ科の先生方と、これもまた連絡がよく行き届いており、病棟でも看護婦さんの指導とチェックが入ります。ベットの上だったり、廊下の歩行練習も、リハビリ科の先生方のメニューに従って行われます。
 第二に、入院生活は家族とはなれて、それはそれは孤独な日々が続きます。地方からいらしている方も大勢いらっしゃいます。そんな中、クリスマス会に、長谷川先生がサンタクロースになって、スタッフ一同、トナカイや子供たちになって、病室にプレゼントを一人一人にわたしてくださるといった場面があり、夏は夏祭りがあるとお聞きしていますが、なごやかで、あたたかで、お心を感じます。
 第三に術後の回復には、食事が大切ですが、味のしっかりした食事でした。月に一回のスペシャルメニューも楽しみのひとつでした。和食が多く、特に煮物は素材の味を生かしながら、病人食にありがちな味気ないものとは違い、いつも感謝しながらいただいていました。
第四に生活の中で携帯電話の使用が可能だったこと、また消灯後、テレビは11時まで見ることが許されていたことなど、入院生活が、日常的に家庭生活に近い状態で過ごすことができたことも、ありがたく思いました。
 皆さんがいてくださったおかげで、6ヶ月と少しの入院を終え、退院して4ヶ月が過ぎますが、この間一度もトラブルが起きずに通常の生活に戻りつつあります。
 これから手術をされる方、どうぞ、長谷川先生にお会いして、とことん相談なさってみてはいかがでしょう。助けてくださる先生はじめ、スタッフの方々がいらっしゃるのですから、術後の回復は、自分の人生のために前向きで受け止め、何事もプラスに考えて、幸せを目指してまいりましょう。

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「立てた!痛くない!歩ける!長谷川マジックの驚異?」 西谷 洋利さん

―我が母、がんとの闘いの中で、人工股間節(人工骨頭)置換手術を受けて―

「私もああいうふうに歩けるようになるのだろうか。」
「自分の足で歩いて、せめてトイレに行けるようになりたい。」
 ひときわ暑かったこの夏、8月の初旬、ベッドの上で額に汗をにじませながら、カーテン越しに杖をついて歩く患者さんを見て、つぶやく母の声には切実なものがありました。
「大丈夫だよ。きっと歩けるようになるから。」と励ますのが、精一杯の私どもがやってあげられる唯一のことでありました。
 2月にがんにより左腎臓の全摘出手術を受け、その後左腸骨に、そして左肋骨にがんが転移して放射線照射治療を受けに恵佑会病院に入院したその日に、急に歩けなくなりました。7月の26日です。翌27日恵佑会病院に長谷川先生がおいでくださり、28日あすなろ整形外科でレントゲンを撮っていただいたのを診て、「このままでは黙っておいても痛くなってきます。歩けなくなります。人工の骨頭をいれましょう。」との有無を言わせぬ即断に、「はい、お願いします。」と母も即答でした。
 これまでに、白内障、胆のう、左大腿骨骨折で金属を入れる手術を、さらには今年に入って腎臓の手術をしたばっかりですから、私どもは「無理に痛い思いをもうしなくてもいいのでは・・・」と申しました。手術をするという痛い思いをさせるのはかわいそうだと思ったのです。
 でも、母の答えは「手術をしていただく。歩けるようになりたい。」でした。O型の女性で、度胸のある私たちの肝っ玉母さんでありますから、一度決めたら後には引きません。とはいえ、今年齢84歳を迎える超高齢者でありますから、あとは長谷川先生にお任せをして、母の願いがかなうことを祈るばかりでありました。
 妹と二人で、毎日夕方食事の時間に間に合うように通いました。母も闘いですが、私どもにとっても闘いです。
 やかましいと思われるくらい通いましたから、多くの入院しておられる患者さんと知り合いになり、お話を伺いました。皆さん、本当に手術をされてから3日目くらいから車椅子で動かれ、1週間ぐらいたつと杖で歩いておられるのです。皆さんそれぞれ施術の部分や状態に差異はあるでしょうが、歩いておられるのは確かでありました。
 母は、これまでの大病でも良い病院、良い先生にめぐり合え、術後も順調で今日まで来ております。今回もきっと成功してくれるとは信じながらも、しばらくは「痛い!痛い!」と言いはしまいか、もう片方の頼みの左足もままならない状況でありますから、片足立ちもできず、車椅子を使っての行動も厳しいのではと、不安を母自身も私どもも抱えておりました。婦長さんをはじめ、来てくださる看護師さんに、他流試合の武芸者が相手方に手加減を請うように、何度も何度もお手柔らかに扱っていただけるようにお願いをいたしました。無理に左足を使って、元も子もなくなっては取り返しがつきませんでしたから。
 でも、さすが先生はじめ、看護師さん方皆さんプロです。素人の私たちの心配をよそに、車椅子を使えるように懇切にご指導くださり、次の段階では、歩行器を使わせてくださり、これで両足で立てるようになり、母も自信がつきほどなく歩けるようになりました。手術後1週間から10日くらいのことです。まさしく、長谷川マジックを見ているようでありました。
 歩けなくなって、恵佑会病院から数えてあすなろ整形外科に転院してから3週間くらい尿の管を入れたままの不自由な生活も、抜糸がすみ、シャワーを使わせていただいた日に解消され、少しずつ元気を取り戻してきました。
 ほかの入院患者さんも、超高齢でがんとの闘いを続ける母に励ましの言葉をかけてくださり、感謝しております。ややもすると、つい手を差し伸べてしまう私どもでありますが、自分の身の回りのことをできるように自立を促してくださったスタッフの皆さんのご助力、ご指導等々にもお礼申し上げます。
 また、同室となりました菅原ひとみさんという素敵な方とお会いできたのも幸せでした。以前入れられた人工骨頭の交換手術で入院という、苦痛と闘いながらも前向きに明るく生きておられる方で、お話をしていくうちに私どもとご縁があった方でしたが、動けない母に何かとお助け、お世話していただき、ただただ感謝申し上げる次第でありました。
 そもそもは、長谷川先生と出会えたことに始まり、長谷川マジックがかくも見事に母をよみがえらせてくださったのです。マジックなぞとはとんでもありません。長谷川先生の確固たる信念と、技術、豊富なこれまでの経験に基づく‘成せる技’なのであります。
 「息子さん、見て見て、ほら歩けるようになったよ!」看護師の馬場さんが私に声をかけてくださったあの時の情景は、感涙ものです。手術後の痛みもほとんどなく、自分の両足でしっかりと床を踏みしめ、歩き出すことができた母に、思わず拍手、万歳でした。
 股間節の痛みで苦しんでおられる方は多いそうです。手術と聞くだけで「ああ、痛い思いをしなければならないのだな」と、私どもは思います。患者さんの気持になれば動揺もされるでしょう。しかし、今回の母の経験から、人工股間節置換術を受けられて、痛みなく歩けるようになるということを実感してみるのも、大きな選択肢の一つだと思います。
 先生初め、スタッフの方々の優しく、力強い対応は、ややもするとめげる患者を励まし、回復に導いてくださいます。休診日、休日を問わず時間を割いて回診に来られ励ましてくださる長谷川院長、ミーティングを繰り返してここの患者さんにとって最良の対処をしてくださるスタッフの皆さん方、頼もしい限りでありました。股間節の痛みで悩んでおられる方、苦しんでおられる方、迷っておられる方、「あすなろ整形外科」の門をたたいて、ご自身で確かめられてはいかがでしょうか。
「あすなろ(翌檜)=明日はヒノキになろうの意」と、院内の壁に掲げられています。その精神、信条を病院スタッフ一同の方々が持ち続けておられるうちは、多くの患者さんに感謝され、語り継がれて、あすなろの年輪を限りなくヒノキに近づけていくことができるでありましょう。
 私どもの母にお寄せいただいたご厚情に感謝申し上げ、スタッフの皆さんのご健勝と、あすなろの弥栄をご祈念申し上げます。本当にありがとうございました。

 
  この文集の製作にご協力いただいた皆様、本当にありがとうございました。

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