InterBook"紙背人"の書斎(最終更新日時:12.2.18,9:34 PM


具象と抽象

知・情・意・体・物・力能(エネルギー)


澤田 諭著


InterBook絶版の森 Web刊行

(2010.02.27,Web執筆開始)




人間とは、不断に定立するものである。

人間とは、「人間とは何か?」と自問し、自らがその一部である「世界とは何か?」と問うものである。




 そもそも、なぜ、何かが「ある」のか?いっそ何もなければ、簡単明瞭この上ないことである。およそ「何事」も「何物」もなければ、何も言うべきことはなく、何の問題もない。どんな世界もなく、いかなる宇宙もない。何もない。「ない」ものは、端的に「ない」。ばかりか、ことさらに「ない」とあげつらう必要すらもない。そもそも「無」と名状することさえ本来できない相談であり、いかなる定言も定立も無力である。せいぜい「沈黙」が関の山であるが、これすら余計である。「無」に対して我々はまったく為す術を知らない。人は「無」を認識できない。それは人間の認識の埒外にあり、端的至極に「無事」である。

無限


有限・有・存在
 ところが、幸か不幸か、何かは「ある」。この世界はある。すでに、まさしく当の上述によって、何かが「ある」ことは明白である。「我思う。故に何かあり。」我々には言うべき何かがあり、故に何かの「ある」この世の中(世界)が、我々に開示される。人間とは、不断に何かを定立するものであり、故に何かは「ある」。我々は、あらゆる瞬間に、何かを定立せずには居られない。と言うより、「不断の定立」こそ、まさしく「人生」そのものの謂いに他ならない。
 いったい何ゆえ、何かが「ある」のか?この世界はあるのか?我々はそれを知らない。が、とにもかくにも、そもそもの「元始」、「初めに、何かありき」。何かの「ある」この世の中(世界)に、我々は、幸か不幸か、否応なく、運命的に生まれ落ち、生き合わせ、死んで行く。他のどんな世界でもない、この世界に。ここから逃れる術はなく、選択の余地はない。全ては、ここから始まる。だが、この度は、「ある」ものは「ある」と端的に言うだけでは済まされない。ひるがえって、「有」については語るべき無限のことどもがある。

人間存在
 さて、上来、かく叙述し来っているのは、20世紀中葉の地球に生まれたホモ・サピエンスの雄、日本語を遣う日本人の個体、「私」という人称代名詞のみならず、「澤田 諭」という人称固有名詞を持つ著者の、脳髄、精神、意識、理性、論理、思考、観念、言語、文字、意味、概念等々と名状される活動である。この分野はPhilosophie(愛知)と定言され、日本語では一般に「哲学」と翻訳されている。




(以下、随時執筆・推敲します。)


具象と抽象能力 知・情・意・体・物・力動(エネルギー)
2010.2.27 Web執筆開始
2010.2.27 Web初版発行
著 者 澤田 諭
発行者 澤田 諭
発行所 InterBook絶版の森
所在地 150-0012 東京都渋谷区広尾5-7-3-614
電 話 03-3446-1048

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