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奥州黒川澤田家譜 第三巻
日本姓氏家系譜











澤田 諭編著




目 次
目 次
姓氏家系総索引

澤田/猪狩/大越氏古文書
    澤田家系図(仙台猪狩家文書)小野猪狩氏系圖(仙台猪狩家文書)/大越家系勤功巻(仙台大越氏文書)

天皇家・宮家
    大王家/応神朝/継体朝/天智朝/天武朝/天皇家/聖武朝/桓武朝/宮将軍家/大覚寺統/南朝/木寺宮家/持明院統/北朝/南北合一朝/伏見朝/閑院朝/直宮家/秋篠宮家/常陸宮家/秩父宮家/高松宮家(直宮)/三笠宮家/桂宮家(三笠)/高円宮家/閑院宮家/高松宮家/有栖川宮家/八条宮家/常磐井宮家/京極宮家/桂宮家/正親町源氏/広幡家/伏見宮家/山階宮家/久邇宮家(中川宮家)/賀陽宮家/朝香宮家/東久邇宮家/小松宮家/華頂宮家/北白川宮家/竹田宮家/東伏見宮家/梨本宮家系図
源氏
    源氏二十一流/嵯峨源氏/定流/融流/仁明源氏/渡辺氏/松浦氏/光孝源氏/慶派/醍醐源氏/高明流/花山源氏/白川伯王家系図
     清和源氏①多田源氏/摂津源氏/多田氏/頼政流/大河内氏/美濃源氏/土岐氏/土井氏/明智氏/浅野氏系図
     清和源氏②大和源氏①奥州石川氏/角田石川氏/石川澤田氏/楢葉澤田氏/黒川澤田氏/胆沢澤田家/黒川澤田家/宇野氏/江川氏系図
     清和源氏③大和源氏②石川澤田氏/楢葉澤田氏/黒川澤田氏/胆沢澤田家/黒川澤田家/下シタの家黒川澤田家/黒川澤田分家/八幡町澤田家/半子町澤田分家/下シモの家音羽氏/新宅音羽分家/上ウエの家黒川澤田家系図
     清和源氏④河内源氏①/源家/鎌倉将軍家/木曽氏/三沢氏/仙台三沢氏系図
     清和源氏⑤河内源氏②義国流①足利氏/室町将軍家/阿波平島公方家/鎌倉公方家/古河公方家/小弓公方家/喜連川氏/喜連川足利氏/篠川公方家/稲村公方家/石塔氏/一色氏/足利尾張家/斯波氏/武衛家/高水寺斯波家/大野斯波家/大崎氏/内ヶ崎氏/最上氏/中野氏/黒川氏/蒜袋黒川家/下草黒川家/大衡氏/八森氏/石橋氏/塩松石橋氏/渋川氏/奥州吉良氏/世田谷吉良氏/蒔田氏/吉良氏/西条吉良家/東条吉良家/東条氏/吉良氏(再興)/岡山氏/荒川氏/西尾氏/今川氏/高家今川氏/高家品川氏/岩松氏/田中氏/細川氏/京兆家/野州家/典厩家/和泉細川家/肥後細川家/谷田部藩主家/阿波細川家/仁木氏/丹波仁木氏/伊勢仁木氏/伊賀仁木氏/榊原氏/式部大輔家/大須賀氏/久能榊原氏/新田氏/仙台新田氏/仙台中村氏/藤沢氏(仙台)/横瀬氏/由良氏/脇屋氏/里見氏/安房里見氏/天童氏/世良田(得川)氏?/山名氏系図
     清和源氏⑥河内源氏③義光流/常陸源氏/佐竹氏/佐竹南家/佐竹北家/佐竹東家/佐竹西家/京都佐竹氏(山入家)/甲斐源氏/武田氏/高家武田氏/米沢武田氏/典厩家/穴山氏/蠣崎氏/松前氏/仙台松前家/柳沢氏/武川衆/甲斐一条氏/南部氏/信濃源氏/小笠原氏/信濃小笠原氏/府中小笠原家/大岡氏/松尾小笠原家/三好氏/伴野氏/平賀氏系図
     清和源氏⑦/河内源氏④/頼清流/信濃村上氏/伊予村上氏/政清系/越後村上氏/頼季流/保科氏/会津松平家/満政流/水野氏/満快流/夏目氏系図
     宇多源氏/庭田家/大原家/綾小路家/近江源氏/佐々木氏/六角氏/京極氏/尼子氏/黒田氏/湯村氏/白石湯村氏/宮床湯村氏系図
     村上源氏/中院流/久我家/久世家/岩倉家/千種家/中院家/北畠家/星合氏/伊勢北畠家/名和氏/赤松氏/奥平氏/奥平松平家/別所氏/為平流系図

平氏
    恒武平氏①(嫡流)/坂東平氏①(嫡流)/高望流①(嫡流)/国香流/伊勢平氏/平家/織田氏/岩倉織田氏(伊勢守家)/清洲織田氏(大和守家)/弾正忠家/伊勢氏/備中伊勢氏/後北条氏/伊豆平氏/北条氏/得宗家/阿蘇流/名越流/極楽寺流/赤橋流/政村流/金沢流/大仏流/武蔵平氏/熊谷氏/常陸平氏/磐城氏/亀田磐城氏/岩谷堂伊達氏/恒武平氏高棟流系図 北条氏・伊勢氏/後北条氏相関図
     恒武平氏②(庶流)/坂東平氏②(庶流)/高望流②(庶流)/良兼流/尾張平氏/長田氏/永井氏/尚庸系/鳴尾永井家/平岡氏/良将流/相馬氏/奥州相馬家/下総相馬家/奥山氏/吉岡奥山家/小野田奥山家/良文流/坂東八平氏/房総平氏/千葉氏/千葉六党/武石氏/亘理氏/涌谷伊達氏/佐沼亘理氏/国分氏/秋田伊達氏/古内氏/東氏/秩父平氏/秩父氏/畠山氏/総州家/尾州家/能登守護家/上条上杉家/足利畠山氏/二本松畠山氏/豊島氏/葛西氏/小早川氏/毛利小早川氏/相模平氏/三浦氏/佐原氏/猪苗代氏/仙台猪苗代家/野口氏/蘆名氏/針生氏/和田氏/朝比奈氏/相模蘆名氏/石田氏/杉山氏/岡氏/鎌倉党/鎌倉氏/長江氏/竹中氏/深谷長江氏/矢本氏/三分一所氏/大庭氏/長尾氏/越後長尾氏/上田長尾氏/梶原氏系図

藤原氏
    中臣氏/中臣氏一門/藤原氏/北家①九条流/御堂流/摂関家(五摂家)/近衛流/近衛家/鷹司家/松殿家/九条流/九条家/摂家将軍家/二条家/富小路家/一条家/土佐一条氏/醍醐家/式家/京家/中臣氏二門/大中臣氏(二門)/卜部氏/吉田家/中臣氏三門/大中臣氏(三門)系図
     藤原北家②御堂流/花山院流/花山院家/五辻家/中山家/大炊御門家/難波流/難波家/飛鳥井家/中御門流/中御門家/松木家/持明院流/持明院家/園家/一条家/御子左流/御子左家(二条家)/冷泉家/上冷泉家/藤谷家/下冷泉家/京極派/藤堂氏/中関白家/水無瀬流/水無瀬家/堀河家/坊門家/道兼流/伊沢氏/留守氏/水沢伊達氏/宇都宮氏/世尊寺家/小野宮流/師尹流(小一条流)/小一条家/姉小路家/系図
     藤原北家③閑院流/三条流/三条家/姉小路家/正親町三条流/正親町三条家/三条西流/三条西家/武者小路家/滋野井家/阿野家/西園寺流/西園寺家/橋本家/今出川家/洞院流/洞院家/正親町家/四辻流/四辻家/西四辻家/徳大寺家/兼通流/本多氏系図
     藤原北家④良門流/勧修寺流/甘露寺家/清閑寺家/坊城家/勧修寺家/中御門家/万里小路家/葉室家/上杉氏/八条上杉家/扇谷上杉家/山内上杉家/山浦上杉家/長尾上杉氏/米沢上杉家/越後上杉家/上条上杉家/井伊氏/掃部頭家/兵部少輔家/高倉流(法性寺流)/高倉家/真夏流/日野家/裏松家/烏丸家/勘解由小路家/柳原家/三室戸家/町家/広橋家/大谷本願寺/西本願寺(真宗本願寺派)/西大谷家/東本願寺(真宗大谷派)/東大谷家系図
     藤原北家⑤/魚名流①/末茂流/善勝寺流/四条家/櫛笥家/山科家/鷲取流/山蔭流/利仁流/斎藤氏/美濃斎藤氏/鬼庭氏/茂庭氏/原田氏/鎌田氏/加藤氏/遠山氏/岩村遠山氏/飯羽間遠山氏/明知遠山氏/苗木遠山氏/片倉氏/白石片倉氏/仙台片倉氏系図
     藤原北家⑥/魚名流②/山蔭流①伊達氏/米沢伊達家/仙台伊達家/中村氏/川崎伊達家/宇和島伊達家/吉田伊達家/岩出山伊達家/亘理伊達家/懸田氏/桑折氏/飯坂氏/吉岡伊達氏/伊達崎氏/田手氏/宮床伊達氏/安達氏系図 伊達氏諸家血脈図
     藤原北家⑦/魚名流③/秀郷流①/千晴流/平泉藤原氏/津軽氏/刈田氏/白石氏/登米伊達氏/米岡白石氏/蒲生氏系図
     藤原北家⑧/魚名流④/秀郷流②/千常流//小山氏/大石氏/下総結城氏/越前松平家/福井松平家/糸魚川松平家/津山松平家/松江松平家/広瀬松平家/前橋松平家/明石松平家/白河結城氏/小峰氏/真坂白河氏/伊賀氏/比企氏/佐藤氏/美濃佐藤氏/信夫佐藤氏/本吉馬籠佐藤氏/長州佐藤氏/置賜佐藤氏/砂金沢佐藤氏/角館佐藤氏/大友氏/立花氏/仙台立花氏系図
     藤原南家/工藤氏/伊豆工藤氏/日向伊東氏/安積伊東氏/伊東氏/尾張伊東氏/河津氏/曾我氏/奥州工藤氏/越後赤塚工藤氏/越後赤塚工藤分家/新潟工藤家/二階堂氏/須賀川二階堂氏/吉川氏/毛利吉川氏/相良氏/高倉流/高倉家/藪家系図
     木下氏/羽柴氏/賜姓藤原氏/豊臣氏/蜂須賀氏系図

橘氏/小野氏
    県犬養氏/橘氏/薄家/頼氏/王珥氏族/春日氏/春日小野氏/小野氏/武蔵七党/横山氏/猪狩氏/楢葉猪狩氏/大和守系/仙台猪狩氏/七ヶ浜猪狩家/仙台猪狩分家/忠満系/富岡猪狩氏/早渡(川内)猪狩氏/小白井猪狩氏/良正系/岩谷堂猪狩氏/会津猪狩氏/(平姓)深谷猪狩氏/柴田猪狩氏/柿本氏系図
神別
    土師氏/大江系/大江氏/毛利氏/徳山毛利家/長府毛利家/清末毛利家/菅原系/菅原氏/唐橋家/高辻家/五条家/坊城家/東坊城家/前田氏/加賀前田家/富山前田家/大聖寺前田家/上州七日市前田家/久松氏/久松松平家/定勝系/定綱系/柳生氏系図
     賀茂氏/勘解由小路家/幸徳井家/松平氏/十八松平/松平郷松平家/酒井氏/左衛門尉家/雅楽頭家/安祥松平家/徳川氏/江戸将軍家/御三家・御連枝/尾張徳川家/尾張徳川分家/高須(四谷)松平家/大久保(梁川)松平家/紀伊徳川家/西条松平家/水戸徳川家/高松松平家/守山松平家/府中松平家/宍戸松平家/長倉松平家/越智松平家/御三卿/清水徳川家/田安徳川家/一橋徳川家/徳川慶喜家/大給松平家/能見松平家/長沢松平家/大河内松平家/松平伊豆守家系図 松平家/徳川宗家・三家・三卿・連枝/親藩血脈・相関図

皇別
    孝元裔①阿倍氏/安倍氏/土御門家/倉橋家/奥州安倍氏/安東氏/秋田氏/阿部氏(譜代)系図
     孝元裔②紀氏/摂津池田氏/滝川氏/美濃池田氏/岡山池田家/鳥取池田家/天城池田家/山城守家/堀田氏/正俊系堀田家/宮川堀田家/堅田堀田家/稲葉氏/正成系稲葉家/館山稲葉家/脇坂氏/滋野氏/滋野氏三家/海野氏/根津氏/望月氏/真田氏/松代藩主家/沼田藩主家/真田勘解由家/秋田真田氏/仙台真田氏/越前真田家系図
     天武裔/高階氏/高氏/清原氏/広澄流清原氏/舟橋家/伏原家/澤家/出羽清原氏/桓武裔良岑氏/丹羽氏系図

諸蕃
    秦氏/惟宗氏/島津氏/相州島津家/佐土原島津家/伊作島津家系図
     前漢朝/後漢朝/解涜亭侯/東漢氏/坂上氏/田村氏/三春田村氏/一関田村氏/田母神氏/橋本氏/大越氏/仙台大越氏/東京大越家/大越弘毅家/仙台大越分家/仙台大越別家/三十石大越氏/大蔵氏/秋月氏系図

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<PDF版日本姓氏家系譜>
    澤田/猪狩/大越氏系譜古文書、天皇家
     源氏、平氏
     藤原氏
     橘氏、皇別・土師氏、豊臣氏等諸氏、諸蕃

<奥州黒川澤田家譜第一巻 澤田氏の歴た道 目 次>
<奥州黒川澤田家譜第二巻 清和源氏奥州黒川澤田家譜 目 次>

奥 付
裏表紙

姓氏家系 総索引
あ行か行さ行た行な行は行ま行や行ら行わ行
<あ行>
  会津猪狩氏 会津松平家 明石松平家 県犬養氏 赤塚工藤氏 赤塚工藤分家 赤橋流北条氏 赤松氏 秋篠宮家 秋田氏 秋田真田氏 秋田伊達氏 秋月氏 明智氏 明知遠山氏 安積伊東氏 朝香宮家 浅野氏 朝比奈氏 足利氏 足利尾張家 足利畠山氏 蘆名氏 飛鳥井家 阿蘇流北条氏 安達氏 穴山氏 姉小路家(三条流) 姉小路家(師尹流) 阿野家 安倍氏 阿倍氏(孝元裔) 阿部氏(徳川譜代) 天城池田家 尼子氏 綾小路家 安房里見氏 阿波平島公方家 阿波細川家 荒川氏(吉良) 有栖川宮家 安祥松平家 安東氏
  井伊氏 井伊掃部頭家 井伊兵部少輔家 飯坂氏 飯羽間遠山氏 伊賀氏 伊賀仁木氏 猪狩氏 猪狩忠満系 猪狩大和守系 猪狩良正系 池(河内守)家(平家) 池田山城守家 伊作島津家 砂金沢佐藤氏 胆沢澤田家 伊沢氏 石川氏 石川澤田氏 石田氏 石塔氏 石橋氏 伊豆平氏 伊豆工藤氏 和泉細川家 伊勢氏 伊勢北畠家 伊勢仁木氏 伊勢平氏 一条家(持明院流) 一条家(摂家) 一関田村氏 一色氏 五辻家 糸魚川松平家 伊東氏 稲葉氏 稲葉正成系 稲村公方家 猪苗代氏 今川氏 今出川家 伊予村上氏 磐城氏 岩倉家 岩倉織田氏(伊勢守家) 岩出山伊達家 岩松氏 岩村遠山氏 岩谷堂猪狩氏 岩谷堂伊達氏
  上杉氏 上田長尾氏 上ウエの家澤田家 魚名流藤原氏 宇多源氏 宇都宮氏 内ヶ崎氏 宇野氏 卜部氏 裏松家 宇和島伊達家 海野氏
  江川氏 越後上杉家 越後長尾氏 越後村上氏 越前真田家 越前松平家 江戸将軍家
  扇谷上杉家 正親町家 正親町源氏 正親町三条家 正親町三条流藤原氏 奥州安倍氏 奥州工藤氏 奥州吉良氏 奥州相馬家 応神朝 近江源氏 大石氏 大炊御門家 大江氏 大江系土師氏 大岡氏 大給松平家 大蔵氏 大久保(梁川)松平家 大河内氏 大河内松平家 大越氏 大越弘毅家 大崎氏 大須賀氏(榊原) 大谷本願寺 大友氏 大中臣氏(二門) 大中臣氏(三門) 大野斯波家 大庭氏 大原家 大衡氏 小笠原氏 岡氏 岡山氏(吉良) 岡山池田家 置賜佐藤氏 奥平氏 奥平松平家 奥山氏 長田氏 大仏流北条氏 小白井猪狩氏 織田氏 織田弾正忠家 越智松平家 音羽氏 音羽分家 鬼庭氏 小野氏 小野田奥山家 小野宮流藤原氏 小山氏 尾張伊東氏 尾張徳川家 尾張徳川分家 尾張平氏
<か行>
  甲斐一条氏 甲斐源氏 解涜亭侯 加賀前田家 蠣崎氏 柿本氏 角田石川氏 懸田氏 角館佐藤氏 葛西氏 花山院家 花山院流藤原氏 梶原氏 勧修寺家 勧修寺流藤原氏 春日氏 春日小野氏 加藤氏 金沢流北条氏 花山源氏 片倉氏 堅田堀田家 華頂宮家 桂宮家 桂宮家(三笠) 勘解由小路家(賀茂氏) 勘解由小路家(藤原氏) 鎌倉氏 鎌倉公方家 鎌倉将軍家 鎌倉党 鎌田氏 上冷泉家 亀田磐城氏 賀茂氏 蒲生氏 賀陽宮家 烏丸家 唐橋家 刈田氏 川崎伊達氏 河内源氏 河津氏 閑院朝 閑院宮家 閑院流藤原氏 桓武朝 恒武平氏(嫡流) 恒武平氏(庶流) 恒武平氏国香流 恒武平氏高棟流 恒武平氏高望流(嫡流) 恒武平氏良兼流 恒武平氏良文流 恒武平氏良将流 恒武平氏高望流(庶流) 甘露寺家
  紀氏 紀伊徳川家 木曽系源家 北白川宮家 北畠家 吉川氏 喜連川氏 喜連川足利氏 木寺宮家 木下氏 京極氏 京極宮家 京極派 京都佐竹氏(山入家) 清末毛利家 清洲織田氏(大和守家) 清原氏 吉良氏 吉良氏(再興)
  櫛笥家 九条家 九条流藤原氏(師輔) 九条流藤原氏(兼実) 久世家 工藤氏 久邇宮家 久能榊原氏 熊谷氏 倉橋家 黒川澤田家 黒川氏 黒田氏
  継体朝 慶派 源家 源氏 源氏二十一流
  小一条家 小一条流 高氏 高家今川氏 高家武田氏 光孝源氏 幸徳井家 桑折氏 久我家 古河公方家 後漢朝 国分氏 極楽寺流北条氏 五条家 近衛家 近衛流藤原氏 小松宮家 小早川氏 後北条氏 小峰氏 小弓公方家 惟宗氏
<さ行>
  西園寺家 西園寺流藤原氏 西条松平家 西条吉良家 斎藤氏 酒井氏 酒井雅楽頭家 酒井左衛門尉家 榊原氏 榊原式部大輔家 嵯峨源氏 嵯峨源氏定流 嵯峨源氏融流 坂上氏 相模蘆名氏 相模平氏 相良氏 篠川公方家 佐々木氏 佐竹氏 佐竹西家 佐竹東家 佐竹北家 佐竹南家 佐藤氏 佐土原島津家 里見氏 真田氏 真田勘解由家 佐沼亘理氏 澤家 澤田氏 澤田分家 佐原氏 三十石大越氏 三条家 三条流藤原氏 三条西家 三条西流藤原氏 三分一所氏
  塩松石橋氏 直宮家 滋野氏 滋野氏三家 滋野井家 宍戸松平家 四条家 下シタの家澤田家 七ヶ浜猪狩家 品川氏(高家) 信濃小笠原氏 信濃源氏 信濃村上氏(政清系) 信濃村上氏(頼清流) 信夫佐藤氏 斯波氏 斯波武衛家 柴田猪狩氏 渋川氏 島津氏 清水徳川家 持明院家 持明院統 持明院流藤原氏 下総相馬家 下総結城氏 下草黒川家 下冷泉家 十八松平 上条上杉家 聖武朝 白川伯王家 白河結城氏 白石氏 白石片倉氏 白石湯村氏
  須賀川二階堂氏 薄家 菅原氏 菅原系土師氏 杉原氏 杉原木下氏 杉山氏
  清閑寺家 清和源氏 世尊寺家 世田谷吉良氏 摂関家(五摂家) 摂家将軍家 摂津池田氏 摂津源氏 世良田(得川)氏 前漢朝 善勝寺流 仙台猪狩氏 仙台猪狩分家 仙台猪苗代家 仙台大越氏 仙台大越分家 仙台大越別家 仙台片倉氏 仙台真田氏 仙台立花氏 仙台伊達家 仙台中村氏 仙台新田氏 仙台松前家  仙台三沢氏
  相州島津家 相馬氏 曾我氏 園家
<た行>
  大王家 大覚寺統 醍醐家 醍醐源氏 醍醐源氏高明流 大聖寺前田家 賜姓藤原氏(豊臣) 平家 平氏 高倉家(藤原北家) 高倉家(藤原南家) 高倉流藤原氏(北家) 高倉流藤原氏(南家) 高階氏 高水寺斯波家 高須(四谷)松平家 鷹司家 高辻家 高松宮家 高松宮家(直宮) 高松松平家 滝川氏 武石氏 武田氏 武田典厩家 竹田宮家 竹中氏 多田氏 多田源氏 高円宮家 橘氏 立花氏 館山稲葉家 田手氏 伊達氏 伊達崎氏 田中氏(岩松) 田村氏 田母神氏 田安徳川家 丹波仁木氏
  千種家 秩父氏 秩父宮家 秩父平氏 千葉氏 千葉六党 長州佐藤氏 長府毛利家
  津軽氏 土御門家 津山松平家
  出羽清原氏 天智朝 天童氏 天皇家 天武朝
  土井氏 洞院家 洞院流藤原氏 東京大越家 東条氏 東条吉良家 藤堂氏 遠山氏 土岐氏 常磐井宮家 徳大寺家 徳川氏 徳川御三卿 徳川御三家・御連枝 徳川慶喜家 徳山毛利家 土佐一条氏 豊島氏 鳥取池田家 富岡猪狩氏 富小路家 登米伊達氏 伴野氏 富山前田家 豊臣氏
<な行>
  苗木遠山氏 苗木山前田家 永井氏 永井尚庸系 永井直清系 長江氏 長尾氏 長尾上杉氏 中川宮家 中関白家 長倉松平家 長沢松平家 中臣氏 中臣氏一門 中臣氏二門 中臣氏三門 中野氏 中院家(村上源氏) 中院流(村上源氏) 中御門家(勧修寺流) 中御門家(御堂/中御門流) 中御門流藤原氏(御堂流) 中村氏 中山家 名越流北条氏 梨本宮家 夏目氏 難波家 難波流藤原氏 七日市前田家 楢葉猪狩氏 楢葉澤田氏 鳴尾永井家 名和氏 南朝 南部氏 南北合一朝
  新潟工藤家 新里猪狩氏? 二階堂氏 仁木氏 二条家 西尾氏 西大谷家 西本願寺(真宗本願寺派) 西四辻家 新田氏 二本松畠山氏 丹羽氏 庭田家 仁明源氏
  沼田藩主真田家
  根津氏
  能見松平家 野口氏
<は行>
  土師氏 羽柴氏 橋本家(西園寺流) 橋本氏(田村流) 秦氏 畠山氏 畠山総州家 畠山能登守護家 畠山尾州家 八条宮家 八条上杉家 蜂須賀氏 八幡町澤田家 葉室家 早渡(川内)猪狩氏 原田氏 針生氏 半子町澤田分家 坂東平氏(嫡流) 坂東平氏(庶流) 坂東八平氏
  東氏 東大谷家 東久邇宮家 東伏見宮家 東坊城家 東本願寺(真宗大谷派) 比企氏 肥後細川家 久松氏 久松定勝系 久松定綱系 久松松平家 常陸源氏 常陸宮家 常陸平氏 備中伊勢氏 一橋徳川家 日野家 平泉藤原氏 平岡氏 平賀氏 蒜袋黒川家 広澄流清原氏 広瀬松平家 広幡家 広橋家 日向伊東氏
  (平姓)深谷猪狩氏 深谷長江氏 福井松平家 藤沢氏(仙台) 藤谷家 伏見朝 伏見宮家 藤原氏 藤原魚名流(四条流) 藤原兼通流 藤原京家 藤原式家 藤原末茂流 藤原千常流 藤原千晴流 藤原利仁流 藤原南家 藤原秀郷流 藤原北家 藤原真夏流 藤原道兼流 藤原師尹流(小一条流) 藤原山蔭流 藤原良門流 藤原鷲取流 伏原家 府中小笠原家 府中松平家(常陸) 舟橋家 古内氏
  平家 平家頼盛流 平氏 別所氏
  北条氏 北条得宗家 房総平氏 坊城家(勧修寺流) 坊城家(菅原系) 坊門家 北朝 星合氏 保科氏 細川氏 細川京兆家 細川典厩家 細川野州家 細川谷田部藩主家 堀田氏 堀田正俊系 堀河家  本多氏 本多平八郎家 本多弥八郎家
<ま行>
  前田氏 前田土佐守家 前橋松平家 蒔田氏 真坂白河氏 政村流北条氏 町家 松江松平家 松浦氏 松尾小笠原家 松木家 松代藩主真田家 松平氏 松平伊豆守家 松平郷松平家 松殿家 松前氏 万里小路家
  三浦氏 三笠宮家 御子左家(二条家) 御子左流藤原氏 三沢氏 水沢伊達氏 水野氏 水戸徳川家 御堂流藤原氏 水無瀬家 水無瀬流藤原氏 源家 源氏 源満政流 源満快流 源義国流 源義光流 源頼清流 源頼季流 源頼政流 美濃池田氏 美濃源氏 美濃斎藤氏 美濃佐藤氏 三春田村氏 三室戸家 宮川堀田家 宮将軍家 宮床伊達氏 宮床湯村氏 三好氏
  武川衆 武蔵七党 武蔵平氏 武者小路家 村上源氏 村上源氏為平流 室町将軍家
  
  毛利氏 毛利吉川氏 毛利小早川氏 最上氏 望月氏 本吉馬籠佐藤氏 茂庭氏 守山松平家
<や行>
  柳生氏 八森氏 柳沢氏 柳原家 藪家 山科家 山階宮家 大和源氏 大和豊臣家 東漢氏 山名氏 山内上杉家 山浦上杉家 矢本氏
  湯村氏 由良氏
  横瀬氏 横山氏 吉岡奥山家 吉岡伊達氏 吉田家 吉田伊達家 良岑氏 四辻家 四辻流藤原氏 米岡白石氏 米沢上杉家 米沢武田氏 米沢伊達家
<ら行>
  頼氏
  
  留守氏
  冷泉家
  六角氏
<わ行>
  脇坂氏 脇屋氏 涌谷伊達氏 和田氏 渡辺氏 亘理氏 亘理伊達家 王珥氏族



澤田/猪狩/大越氏古文書
澤田家系図(仙台猪狩家文書)小野猪狩氏系圖(仙台猪狩家文書)/大越家系勤功巻(仙台大越氏文書)


澤田家系図(仙台猪狩家文書)

    澤田家   姓 源   紋 三ツ柏

             実名不知
 
◯澤田大學────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
   右大學義慶長八[1603]年 檀那様 〔猪狩〕親之様御事 御当〔伊達〕家に御奉公ニ御出之節御譜代ニ付磐城より御供にて仙臺に來り候事ニ承傳申候  生歿年  │
   齢とも相知不申候                                                                │
   御知行高先年ハ相知不候                                                             │
   寶暦五[1755]乙亥之書記ニハ 御知行高四百四拾五文〔四石四斗五升〕ト御座候                                      │
     内田代四百廿八文〔四石二斗八升〕 畑代十七文〔一斗七升〕                                             │
   御家中前にて被下置候                                                              │
     但シ黒川郡北目大崎村別所にて外ニ同所にて地附山をも被下置只今ニ自由仕居候事                                    │
  一 右御知行所四百四拾五文〔四石四斗五升〕之処何年何月何之訳にて代相増候哉文化五[1808]辰年書記ニハ四百五拾文〔四石五斗〕ト相記置候         │
      内田代四百廿五文〔四石二斗五升〕 畑代廿五文〔二斗五升〕                                         │
  一 如此ニ仕候ヘハ御家中前代五文過ニ罷来候得共先年より右之勘定ニ小割帳等仕来り申候間其儘に記置申候                        │
  一 田代八百七拾四文〔八石七斗四升〕  先年より抱地ニ被成下居  八切銘                                     │
      内拾四文〔一斗四升〕御家中前高不足ニ付安永二[1773]年より代相増候と小割帳ニ相見得申候                            │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘

└─
同 加兵衛利義 ─────────────────────────────────────────────────────────────────┐
   右加兵衛と申者暦代に有之候哉不訳候にて相尋相在候処大學惣領加兵衛と古紙に記置候書付見出候ニ付如斯記置候生歿年号共一圓相知不申尚吟味致可候事   │
  
 不知                                                                      │
〔二代欠落〕 ──────────────────────────────────────────────────────────────────┘

└─
同 甚兵衛利永 ─────────────────────────────────────────────────────────────────┐
    元禄四[1691]年生ル 母ハ不知                                                             │
   右甚兵衛義宝永三[1706]年正月より 拾六才 江戸定詰御奉公被仰付罷登 信滿様 公儀役御勤仕中 其後御共にて度々江戸江も罷登り候事と承候得共何年何  │
   月罷登何時罷下候哉承傳不申                                                           │
   木工右衛門信滿様 長作定滿様 丹宮時之様                                                    │
   右御三代江御奉公申候事に承り候                                                         │
   寶暦五[1755]年十二月如願之隠居被仰付候 此節六十四才                                               │
   御奉公年数宝永三[1706]年より宝暦五[1755]年?五拾ヶ年                                                │
  
ハ不知                                                                       │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│母不知      新右衛門   後 新太夫ト改  又 九十九
├─
同 亮長─────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
│         隠居 清休                                                            │
│    享保六[1721]年生ル                                                              │
│  何年何月初而罷登り候哉相知不申                                                         │
│  寶暦五[1755]年十二月如願父隠居跡式被下置候 此節三十五才                                             │
│  引續勤仕罷在候                                                                 │
│  天明三[1783]年正月廿一日如願隠居被仰付候 六十三才                                                │
│  御奉公年数都合三拾七ヶ年                                                            │
│  隠居後御奉公申上候事と相見得寛政三[1791]年五月七十一才病気ニ付医師證状具添退役願申上如願被仰付候                         │
│  他邦往来御奉公先不申上由承り候                                                         │
│  寛政十二[1800]年十一月四日死 八拾才                                                       │
│ 
ハ勇山〔綱宗〕様之御内長澤忠兵衛娘 名                                                       │
└─
 名不知                                                                      │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│母ハ長沢忠兵衛娘
├─
 名  新町駅金五郎妻
│母同       甚右衛門   後 新右衛門
├─
同 亮之─────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
│                後新右衛門 此名不寫                                                │
│    寛延弐[1749]年生ル                                                              │
│  何年何月初而罷登り候哉承不申                                                          │
│  天明三[1783]年正月父如願隠居被仰付其後御奉公申上候 此時三十五                                          │
│  同五[1785]年十一月父新右衛門義数十年引續勤仕申上候ニ付御加増 田代高七拾五文〔七斗五升〕被下置候                         │
│  取合御知行高五百弐拾五文〔五石二斗五升〕 内 田代五百文〔五石〕 畑代弐拾五文〔二斗五升〕                           │
│  引續奉公申上居文化拾[1813]年八月隠居願申上候處同十一[1814]年正月十三日如願隠居被仰付候 他邦往来不仕候由承申候 此節六十六才            │
│  御奉公年数三拾弐ヶ年                                                                 │
│  文政六[1823]年八月五日死 七十五才                                                        │
│ 
 黒川郡大谷糟川村武山甚之助様御家中 千葉弥大夫 妹  名 おたよ                                         │
└─
 名 お津め  音羽仲内嗣忠妻ト成 天明四[1784]辰年五月弐拾六日死 三十四才                                  │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│        実名不知
├─
同 勇蔵〔源太郎〕 ──────────────────────────────────────────────────────────────┐
│  婿養子黒川郡前野村 安永三[1774]年四月生                                                     │
│  右勇蔵義寛政十一[1799]己未十月廿六日 部屋住中 病死 廿六才 仕候其節嫡子源太三才幼少に御座候得共家督に願可申上候処右源太義虚弱に而成長無心元  │
│  家督被除下右勇蔵ヲ妹江婿養子被成下度願申上如願被出近々源太成長仕候て別家〔新家(分家にあらず)〕に被出下度願申上如願文化八]1811]年別家〔新家〕  │
│  に被立下候                                                                   │
│   同人位牌に第七世と有之候大学親より七世後加兵衛甚兵衛之欠年数遠く誰々名前可有之哉不訳ら可尋                          │
│母おたよ                                    ┌─────────────────────────────────┘
├─
 名 お津ま  養子勇蔵妻 寛政十三[1801]年三月廿九日死  二十三才     │母家娘〔お津ま〕
│母同                                       ├─
 名 お紀ん 黒川郡太平村御百姓忠吉妻
├─
 名 お紀さ  音羽兵吉孝信妻                       │母ハ同上
│        新大夫   後 改甚大夫                     └
◯同 源太〔清重〕 寛政九[1797]年三月生ル  系在別
├─
同 茂行─────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
│  安永八[1779]年出羽圀村山郡寒河〔江〕村 四月生                                                  │
│  享和三[1803]年婿養子トと為 此節廿五才                                                      │
│  文化十一[1814]年正月養父甚右衛門如願隠居被仰付跡式被下置候事 三十六才                                      │
│  引續相勤罷在候處病気ニ付天保五[1834]甲午年三月九日隠居願申上候事                                          │
│  同月廿二日ニ療用相加可申由にて右願書被相戻                                                   │
│  同六[1835]年十月十一日以隠居願申上候                                                       │
│  同月廿一日如願隠居被仰付候 此時五十七才                                                    │
│  御奉公年数廿弐ヶ年 他所御用等一圓相勤不申候                                                  │
│  嘉永四[1851]年正月晦日死 七十三才                                                        │
│母同                                                                           │
└─
 名 多利乃  寛政二[1792]年三月生ル 婿養子甚大夫妻                                             │
   元治元[1864]年四月廿三日 七拾五才死                                                       │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│母多利乃
├─
同 甚之助 ───────────────────────────────────────────────────────────────────┐
│  文化五[1808]年三月廿一日生ル                                                          │
│  文政四[1822]年正月より罷登部屋住御奉公申上居 此節十四才                                            │
│  同十[1827]年八月 檀那様 康之様御事 江戸番組頭御勤仕中壱ヶ年番御供にて罷登 此節弐拾才                            │
│  小旦那様も御一同御登り 隆之様御事                                                         │
│  同十一[1828]年九月東道中御供にて罷下り申候                                                   │
│  天保弐[1831]年九月 檀那様 康之様御事 御役銘右同頭 御参勤御登りニ付右御供相勤罷登り                             │
│  同三[1832]年九月御供にて罷下り候                                                        │
│  同六[1835]年十月廿一日如願父隠居被仰付 跡式無御相違被下置候                                          │
│  弘化二[1845]年五月十四日 檀那様 隆之様御事 田村〔邦行〕様御付人御勤仕中 半ヶ年御番にて一関江御下り                     │
│  同[1845]年十月一ノ関より御登ニ付同所江御迥に罷下候處急御用にて御日限通より御早く御登被成置候ニ付途中?罷下り直ニ御供仕同月十一日御登仙 但シ  │
│  何方何駅?罷下り候哉相知レ不申                                                           │
│  同四[1847]年五月一ノ関江半ヶ年御番にて 旦那様御下り 御役銘右同頭 御供にて罷下り同月十八日拙者計罷登り候事                   │
│  同[1847]年十月十一日御迥に罷下り同十九日御出立御供相勤同廿一日御登被遊候                                     │
│  嘉永元[1848]年 檀那様 御役銘右同頭 江戸田村〔邦行〕様御上屋敷江半ヶ年御番にて御登候ニ付御供仕罷登 同[1848]年十月?相勤罷下候事         │
│  同弐[1849]年四月 檀那様 御役銘右同頭 一ノ関江半ヶ年御番にて御勤仕中 同[1849]年八月廿日 小旦那様 隆福様御事 御下りニ付御供にて一ノ関江罷   │
│  下り 九月岩ヶ崎迥右御供にて罷登申候事                                                     │
│  同三[1850]年六月 檀那様 御役銘右同頭 壱ヶ年御番にて田村〔邦行〕様御上屋敷江御登候ニ付右御供相勤罷登 此節御一同小旦那様 隆福様御事 御登り  │
│  同[1850]年十月十六日江戸還立 小旦那様御下りニ付御供相勤濱街道罷下り候                                      │
│     但し大旦那様御事ハ来春迄御勤仕 同四[1851]年御下り被遊候                                          │
│  引續相勤仕罷在候處 安政六[1859]年八月廿三日病死仕候 五十二才                                          │
│    江戸上下  八ヶ度                                                             │
│    一ノ関上下 八ヶ度                                                             │
│  御奉公年数  弐拾五ヶ年                                                               │
│ 
 黒川郡同村御百姓万蔵娘 名 おみゑ                                                        │
│母同上                                                                          │
├─
 お志゛ゅん  利府駅 常治妻ト成                                                         │
│同                                                                         │
├─
軍治  黒川郡同村御百姓孝之助養子ト成                                                       │
│同                                                                         │
├─
 お屋す  御城下立町北村屋今朝吉妻                                                        │
│   明治三十[1897]年九月三十日死 七十九才                                                     │
│同                                                                         │
├─
民治 後改源三郎  黒川郡前野村御百姓今野五郎養子ト成                                               │
│同                                                                         │
└─
末治 勇三郎ト改  岩沼町片山屋雄吉養子                                                      │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│母おみゑ
├─
 名 ゆ紀  富谷町末吉妻
│同
├─
 ます  同村田母神源右衛門様御家中 二瓶善右衛門妻
│同       文久三[1863年]十一月恒三郎ト改
└─
同 恒次郎 ───────────────────────────────────────────────────────────────────┐
   天保十亥[1839]年六月五日生ル                                                           │
   嘉永五[1852]年正月より御奉公ニ罷登候事 此節十四才                                                │
   安政六[1859]未年八月廿三日父甚之助病死仕候ニ付同[1859]年十月十四日忌明に相成候ニ付父跡式被下置度趣願奉候處同[1859]年十二月十八日跡式無御相違被下 │
   置候事 此時廿壱才                                                                  │
   同七[1860] 万延元年 申晟正月十日抱地高田代八百六拾九文〔八石六斗九升〕之内別所澤にて 百十九文〔一石一斗九升〕沢田一馬江此末相遜〔ゆず〕り候  │
   様被仰渡右高之通候相遜り申候                                                  〔以下一馬筆蹟〕│
   殘高七百五拾文〔七石五斗〕是迄之通自由仕候様被仰渡候                                              │
   文久三[1863]年二月御国元御立                                                           │
   旦那様 隆福様御事 江戸番馬上御勤仕 屋形〔伊達慶邦〕様 御上京ニ付江戸表?被遊御供                              │
   同所壱ヶ年御番 右御供にて罷登                                                         │
   同四[1864]年二月二日江戸御出立                                                          │
   御曹司様 茂村君 御入国御供同月十三日御国許へ御着 右御供にて下着                                       │
   慶應四[1868]年 明治元年ト改 四月十一日會津御追討                                                │
   屋形〔慶邦〕様御出陣 幸之助〔之知/章〕様 投機隊方にて 御供被為被仰蒙候〔おほせをかうむらせられそろ〕ニ付右御供被仰付同日出立        │
   同十三日白石より 御着 御帰隊ニ付勤仕相居候処                                                 │
   閏四月十六日同所にて御徒目付御仮役被為被蒙 仰同日為交代 御城下より立花龍助着仕候ニ付同十九日同人と代り合御屋敷江罷登申候           │
   同七月十一日                                                                  │
   御曹司 宗敦様 御出陣ニ付 旦那様 隆福様御事 狙撃隊方に而御供被為 蒙同日御出張右御供にて出立                        │
   御途中より相馬口に被相直亘理御城前に御滞留御座候ニ付同十七日駒ヶ峯江御着陣御滞留被遊候處 同廿八日 旦那様今神濱〔新地町駒ケ嶺今神〕御出張被為 │
   蒙仰同日夕御出足ニ付直御供被仰付出立同所に出足罷有候處 八月六日御武頭御仮役被為蒙 仰右ニ付御用被仰付                     │
   同七日 御城下表江走帰り相登り 同九日御出張先戦場江着仕候 駒ヶ峯?〔より〕西山ノ手曽谷村と申所 同日直ニ戦争仕候               │
   同十日十一日起戦                                                                │
   同十六日廿日同所 休軍之節ハ御持所江番足御出張ニ付其御供仕候                                          │
   九月十日畑〔旗〕巻峠〔丸森町大内〕戦争有之候ニ付御探出御供仕候 夜中御引揚                                   │
   九月十二日幸之助様桑折より御出立之由にて宇多郡真弓村〔新地町真弓〕 御旅宿善作所江被為入                            │
   同十三日幸之助様桑折江御引揚候ニ付立花龍助と代り合直ニ御供仕同所より出足仕候處 此度御人数壱宇御引拂之由に而直ニ白石江御引揚同所に勤仕仕居候処 │
   同廿四日 御隠居〔隆之〕様御大病之由申来候ニ付直ニ幸之助様御出立御供申上 同廿七日暁七ツ頭 御屋敷江御着被遊候事                │
   同弐[1869]巳〔己巳〕晟三月此度御減高に被為候ニ付帰農仕度御暇願申上候処一流御暇被成下旨被仰渡候事                         │
   但黒川御屋敷代付ニ付是?之通拙者とも方ニテ始末罷在申候                                             │
         一 明治三十[1897]年十二月十二日                                        〔以下二行金吾補筆〕 │
                       恒三郎 死  五十九才                                            │
  
 名 吉〔よし〕  同郡桧和田大河内十五郎様御家中 後藤林蔵 娘                                          │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│母
├─
 お年世
│同
├─

│母は別
├─
同 甚三郎

断簡1(恒次郎代)
   高田代八百七拾四文〔八石七斗四升〕先年より抱地ニ成下自由罷在候処右之通にてハ御奉公人前高五文過ニ相成候ニ付安政三[1856]辰年より伺之上八百六拾九
   文〔八石六斗九升〕ト小割調相直し申候

断簡2(恒次郎代)
 万延元[1860]年四月廿四日左之通被渡仰
   拙者代御知行寶暦五[1755]年之書記ニハ御知行高四百四拾五文〔四石四斗五升〕ト御座候内 田代四百廿八文〔四石二斗八升〕 畑代拾七文〔一斗七升〕 右
   之通り御座候處
   文化五[1808]年之扣ニハ御知行高四百五拾文〔四石五斗〕ト相直居内 田代四百廿五文〔四石二斗五升〕 畑代廿五文〔二斗五升〕
   何之品にて代相増候事相知不申尤畑代廿五文〔二斗五升〕ト相記候而者奉公人前之畑代過ニ相成申候 先年より御知行所如前書過不足等相書不分り候義ニ付此
   度御一宇御吟味之上御知行高百四五拾文〔四石五斗〕 内田代ハ先規之通拾七文ト相記ニ有
      外御加増之地御座候
   別紙調書を以被呉儀
    御加増之地合て
       御知行高五百廿五文〔五石二斗五升〕 内 田代五百八文〔五石八升〕 畑代拾七文〔一斗七升〕



    澤田家   姓 源  〔紋 三ツ柏〕

         寛政九[1797]年三月朔日生ル
 
◯澤田 源太〔清重〕 ──────────────────────────────────────────────────────────────┐
         母ハ家娘お津ま                                                           │
   文化八[1811]年秋初而罷登御奉公申上候 其時十五才                                                 │
   右源太義父澤田勇蔵早死候ニ付其節源太幼少ニ候へとも家督に可奉願候處生後病身末々成長之極も無心元依而勇蔵妹へ婿養子被成下度願申上如願被出下 近々 │
   源太義本復成長仕候て其節直別家〔新家〕に被出下度奉願重候所如願之文化八]1811]年八月十日御扶持方弐人前被下置別家〔新家〕に被召出候 此直高九百文  │
   〔九石〕                                                                    │
   文化十二[1815]年二月 檀那様 〔猪狩〕康之様御事 江戸番馬上御勤仕 御供登被相扣ニ付右御供にて罷登 此時十九才                  │
   同十三[1816]年五月御下り御供相勤                                                         │
   日光江 旦那様御供にて御廻り被遊候ニ付同所も相廻り罷下り申候                                          │
   同十四[1817]年三月 旦那様 御役銘右同頭 御登被遊候                                               │
   江戸表にて御人少ニ罷成候ニ付同[1817]年九月罷登                                                  │
   同十五[1818]年 文政ト改元 五月?相勤御供にて罷下                                                │
   文政五[1822]年四月壱ヶ年御番にて 旦那様罷登 康之様御事 御武頭御勤仕 御供仕音羽兵吉罷登                            │
   同[1822]年十月拙者壱人罷登右兵吉へ交代仕                                                     │
   同六[1823]年四月?相勤御供下り仕候事                                                       │
   同[1823]年十月江戸御登 旦那様 康之様 江戸番組頭御勤仕 御供にて罷登                                      │
   同七[1824]年十一月御供相勤罷登                                                          │
   同十[1827]年十一月御屋敷江定詰被仰付罷登申候                                                   │
   此節より御扶持方三人前ニ被出下候事                                                       │
      此直之高 壱〆〔貫〕三百五十文〔十三石五斗〕                                               │
   天保八[1837]年松山〔茂庭升元?〕公御〆〔咎〕同所へ 旦那様 隆之様御事 御目付御勤仕 二月廿一日御下り御供にて罷下  同[1837]年八月御〆〔咎〕被  │
   相揚候ニ付半ヶ年相勤御供にて罷登                                                        │
   同[1837]年同月廿六日定詰御免被出下暇被仰渡 同[1837]年九月家内黒川江引越罷下申候△                                 │
   △散田等作り居候事                                                               │
   但文政十[1827]年より當[1837]年?拾壱ヶ年定詰仕候                                                  │
   同〔天保〕十一[1840]年九月 檀那様 隆之様御事 御部屋御目付御勤仕 御供にて罷登                                 │
   同十二[1841]年九月 屋形様 龍山〔伊達斎邦〕様 御卒去 旦那様 御尊骸御供御下り 拙者壱人東海道御荷物才料候同月罷下り申候            │
   嘉永二[1849]年四月 旦那様 隆之様 田村〔邦行〕様御付人 一ノ関へ御下りニ付御供にて罷下                             │
   同年[1849]十月御供登仕候事                                                            │
   引續相勤罷在申候処病気ニ付                                                           │
   同四[1851]年辛亥正月より倅一馬江名代御奉公申上罷在候                                               │
   安政六[1859]年六月年齢─此節六十三才 隠居願申上同八月朔日如願被仰付跡式無御相違倅一馬江被下置候                         │
     江戸上下  拾ヶ度   志田郡松山ヘ勤仕 半ヶ年                                              │
     一ノ関上下 弐ヶ度                                                             │
       諸方へ上下拾四度                                                            │
    御奉公年数  四拾壱ヶ年                                                           │
  〔明治六[1873]年六月二十九日   源太 死  七十七才〕                                                 │
  
 同郡同村御百姓駒吉妹 おゆゑ                                                           │
    嘉永四[1851]年正月十六日死 五十弐才                                                      │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│母おゆゑ
├─
 名 紀よの 初 上郡山丹宮家中 遠藤亀太郎妻
│          後 黒川郡穀田村御百姓浅治妻
│                     慶應四[1868]年戊辰閏四月死 四拾三才
│母同上     天保三[1832]年六月六日生ル
├─
同 一馬─────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
│   弘化三[1846]年より罷登 部屋住御奉公申上候 此節十五才                                             │
│  弘化四[1847]年四月 旦那様 隆之様御事 田村〔邦行〕様御附人御勤仕 一ノ関江御下ニ付御供にて罷下                         │
│  同[1847]年十月御供にて罷登候事                                                          │
│  嘉永四[1851]年正月より父源太義病気ニ付名代御奉公にて罷在申候                                           │
│  安政五[1858]年四月廿六日 檀那様 隆之様 御奥年寄御勤仕 真明院〔伊達斉義正室芝姫〕様御不快不被遊御勝候付即刻立候道中三日早御使被為被仰蒙候〔  │
│  おほせをかうむらせられそろ〕ニ付同日御供にて罷登五月朔日江戸着 同月廿四日御尊骸御供御下り被遊候ニ付右御供にて罷下り六月七日御着        │
│  同六[1859]年八月朔日父隠居跡式無御相違被下置候事                                                 │
│  同九月十三日御知行方御用被仰付候                                                         │
│  同七[1860] 満延元ト改 庚申正月十日沢田恒三郎抱地之内別所澤にて田代高百十九文〔一石一斗九升〕の處抱地ニ被出下之旨被仰渡右高之通同人方より受取  │
│  り申候                                                                     │
│   但し皆金八切銘ニ上納 為御恩之壱〆〔貫〕文〔十石〕ニ                                     〔以上源太筆蹟〕│
│  慶應四[1868]年 明治元年ト改 正月十四日此度                                           〔以下一馬筆蹟〕│
│  屋形〔慶邦〕様御上京被遊候ニ付 檀那様 隆福 御供御先登被為蒙仰諸隊方にて同日御出立潜気ヶ浦〔潜ヶ浦(かつぎがうら)、東松島市宮戸潜ケ浦〕より │
│  蒸気船にて同〔翌十五〕日御出帆 右御供にて出帆 同月廿四日志州方向に御上陸                                   │
│  同月廿九日江州蒲生郡 御陣屋江 御着                                                      │
│  二月七日同所御出立 日通候 京都 粟田御殿江 御着勤仕罷登候處於御国許會津御追討被為蒙仰候ニ付 御上京御扣                   │
│  同月廿九日御先御登之御人数引揚                                                         │
│  三月六日京師御出立東海道右御供相勤罷下り同廿九日 御国許 御着                                         │
│  御曹司様 宗敦公 七月十一日 御出陣ニ付狙撃隊方にて 旦那様御供にて御出張被遊候                                │
│  八月二日御出張先於駒ヶ峯御武頭仮役被為蒙仰候ニ付即刻立にて罷下同九日御出張先戦場江参着 駒ヶ峯より四ノ手曽谷村と申候所 同日直ニ戦争      │
│  同十日十一日起戦                                                                │
│  同十六日廿日同所 休軍之節ハ番足御持場江御出張其時に御供仕候                                          │
│  九月十日畑〔旗〕巻峠戦争御座候ニ付御探出 御供仕候 夜中御引揚                                         │
│  同十二日御用有之 御屋敷江走帰被仰付罷登居候内同十七日相馬口御人数惣御引揚                                   │
│  旦那様御同従同日御帰着                                                             │
│  同弐[1869]巳年三月此度御減高に相被成候ニ付帰農御暇願申上候処如願御暇被成下候事                                  │
│    但し御扶持方三人前七月恩被召上候ニ付沢田恒三郎抱地遜〔ゆず〕り更耕作罷有候                                 │
│  御屋敷廻り是?之通拙者共方ニテ始末仕居申候                                                   │
│         一 明治二十九[1896]年二月五日                                        〔以下大部分金吾補筆〕│
│                   一馬 死  六十五才                                             │
│ 
 名 お松   宮床御家中 八巻深吉娘                                                       │
│同                                                                         │
└─
 名 寿さな   喜代松 妻ト成                                                          │
   安政五[1858]年十一月廿三日死  弐十四才                                                     │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│母おまつ    安政元[1854]年八月十九日生ル
├─
同 金吾〔金五郎〕───────────────────────────────────────────────────────────────┐
│  慶應元[1865]丑年十二月部屋住中御屋敷江罷登定詰勤仕 此節拾弐才                                          │
│ 
ハ同村砂金源兵衛娘 実ハ〔仙台藩参政大越文五郎〕娘  名〔まつゑ〕                                         │
│同                                                                         │
├─
 名 新〔/しん〕   安政三[1856]年四月十二日生ル  砂金沢桜井新吉妻ト成                                     │
│同 サカリ                                                                     │
├─
盛〔佐賀治〕   万延元[1860]年九月生ル                                                    │
│同  キヨミ                                                                    │
├─
 清身〔/きみ〕   黒川郡大平村 佐々木長之助妻〔                                                │
│同                                                                         │
├─
松吉〕                                                                       │
│母砂金之女                                                                     │
└─
養太郎 実は長男金吾之子 祖父一馬養テ為子 戸籍無如此ニ書上到也                                         │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘

├─
〔同〕 辰五郎 婿養子 黒川郡松坂村早坂清三郎弟
│母ハ〔まつゑ〕
├─
 〔名 ゆゑ〕     右辰五郎妻
│同
├─
 梅の〔/むめの〕
│同
└─
松治〔俊郎〕                                   (「仙台猪狩家文書」仙台猪狩家14代当主隆氏所蔵/原文は縦書き)

小野猪狩氏系圖(仙台猪狩家文書)

    ◯小野猪狩氏姓橘系圖

       仁皇三十一代

 ◯敏達天皇 [572-585] ───────────────────────────────────────────────────────────────┐
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘

└─
春日ノ皇子 ───────────────────────────────────────────────────────────────────┐
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│     小野ノ臣オミ
└─
妹子ノ王 オホキミ──────────────────────────────────────────────────────────────────┐
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│     大位冠
└─
毛人 ──────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│     正三位 中納言       従五位 陸奥少サクハン                 ┌─
恒河
├─
毛野 ────────────永見────────────瀧雄──────────┴─吉河
│     参議 従四位ノ下
└─
岑守 ──────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│     参議 従四位ノ下
└─
俊生 ──────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│     参議 左大辨 文章生モンシヤウセイ
└─
タカムラ ─────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
      称ス野相公ト 嵯峨ノ帝之時ノ人 或説任ス陸奥守ニ                                                │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│     出羽郡司
├─
良真────────────小町
│     大貳 筑前ノ守         従五位ノ下 木工ノ頭
├─
葛絃────────────道風 能書ノ人
├─
    大貳 阿波ノ守
└─
保衡 ──────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
      猪狩之元祖                                                                │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘

│  此間系嗣既ニ遺亡焉セリ家世相傳フ保衡カ後葉有リ四族所謂郡司野内小野猪狩是也蓋ケダシ従ヨリ篁爲タリシ奥州ノ司ミコトモチ而下コノカタ子孫或ハ住トニウノ家イエイスルモノアリ于此ココニ或ハ散シテ在
│  スルモノアリ于國。郡司者ハ其ソレ良真之後コウ歟カ。野内者ハ其ノ所出ス未イマダ詳カニセ焉ジ。小野者ハ便スナハチ其ノ称号如今イマ奥州仙道郡有リ小野六鄕ガウトイフ。従當初ソノカミヨリ有リ于此コ
│  コニ相公ノ之廟ビヨウ。土俗トショク以テ孟夏ノ初八之日ヲ祭ル焉ヲ。私ノ傳ニ曾ムカシ保衡天質剛健勇壮。弓箭之達者ナリ。常ニ好ム狩猟ヲ而シテ呼バル於名ヲ。于時境内病ウレフ猛猪之暴シテアル
│  ヲ保衡狩ッテ之ヲ除ク害ヲ。土俗トショク欣ヨロコビ美ホメテ而シテ称スト猪狩ノ冠者ト云フ。
│  又云ク先祖舊ヒサシク在テ于奥州而退治シ叛賊ヲ安集アンシュシテ服民ヲ而數シバシバ有リ邉功。仍ヨッテ勅シテ賜タマフテ十万ノ字符ヲ而令シム祖ヲシテ監セ於州内十万之師イクサニ矣。因茲コレニヨッテ後葉
│  以テ十万ノ字爲氏章ウジノハタモント
│  又私ノ記ニ云フ。藤原ノ秀衡爲タリシトキ鎮守府記シテ國士クニサムライノ交名ヲ云フト猪狩左衛門ノ尉小野ノ正衡ト云フト云々
│  又云中比[ナカゴロ]戈カ氏宗室有リ雀林軒何某シ゛ャクリンケンナニガシ者トイフモノ。有テ事コト亡命シ而シテ客死カクシ後コウ斷タヘタリ矣。世系綜スベテ任與シテ彼ガ許トコロニ而倶ニ紛失セリ。宗族痲ナシ能ク
│  知ル其中間ナカゴロヲ者。或ハ云ク迄イタルマデ此ノ嗣ツヅキ于隆清ニ貳十九代ト云々。此ノ間歴数六百有餘年矣

│     應仁[1467-1469]ノ比[コロ]ノ人 奥州高倉ノ城主
└─
隆清 ──────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
      猪狩筑後ノ守                                                                 │
   當時コノトキ本朝戰國。是ヨリ先サキ隆清從ッテ于父亡命シ爲ッテ孤ミナシゴ而シテ後ニ復帰セリ於本土モトノトコロニ。從ヨリ曾ムカシ先祖磐城郡ノ内食邑タリ於楢葉ノ庄三箇村ニ。楢葉淺見川。  │
   高倉。都カツテ證文アリ焉且文明六[1474]年十月七日。并ナラビニ十一月日。 磐城殿平ノ親隆之状ニ云ク。賞メ隆清之軍功而本領楢葉ノ庄之外。別ニ岩崎ノ郡蒋コモ田村。小楢   │
   葉大谷ヤ。日野在家等。全ク可シト領知ス之ヲ云々。證文于今在リ焉。                                             │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│     猪狩蔵人
└─
滿清 ──────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
   磐城ノ親隆以テ女ムスメヲ妻メアワス之ニ                                                            │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│     右京ノ進
└─
滿生 ──────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│     將監
├─
忠滿 ──────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
│  天文十八[1549]年十月二十日磐城ノ重隆賞ホメ忠満之戰功而小楢葉オナラハ三ケ村ノ山野等之支配之證文ヲ賜フ焉                           │
└─
滿?  主膳ノ正                                                                    │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│     筑後ノ守
├─
盛満 ──────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
│     備中ノ守            木工右衛門ノ尉                                                  │
├─
滿?────────────滿? 子孫猶在リ焉                                                   │
│     長門ノ守            加右衛門ノ尉                                                   │
└─
滿?────────────滿? 子孫猶在リ焉                                                   │
                 初メ事ツカヘテ于上杉景勝卿而有リ武名。後ノチ事ヘテ于鳥居左京兆忠恒而蒙カウムル恩遇ヲ終ツイニ以テ死ヲ殉シタガフ焉。存アリ石碑銘シルシテ於羽州山   │
                 形立石寺ニ矣                                                      │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│     筑後ノ守
├─
重滿 ──────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
│     平内左衛門ノ尉                      木工助           右馬允                         │
├─
滿?──────────────────────────滿形──────────┬─隆?                             │
│  文禄七〔慶長三[1598]〕年四月廿三日佐竹又七郎状ニ云。 下郡山之内件々宜シク被ラルベキノ   │      幼ナル名ハ左馬ノ介 後ノ名ハ左源次              │
│  知行セ之ヲ由ト云々                                  └─
隆昌                             │
└─
滿? 四郎五郎                                                                   │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│      中務ノ少輔                            
├─
親滿 ──────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
├─
重? 修理ノ亮                                                                  │
├─
重? 四郎兵衛                                                                   │
├─
  猪狩紀伊ノ守〔源十郎〕カ妻  紀伊ノ守ハ石城郡木戸山田ノ城主也                                          │
│     玄蕃ノ允 壮名ワカナハ源五郎                                                           │
├─
重昌 ───────────────────────────────────────────────────────────────────┐  │
│  玄蕃允重昌從往サキヨリ而スデニ去土トコロヲサル。初メ事ヘテ于上杉黄門景勝卿ケフニ而住トドマル會津ニ。慶長五[1600]年。卿起ヲコストキ兵ヲ重昌從フテ直江山城ノ守兼續之麾下ニ  │  │
│  時ニ羽守ウシュ而數シバシバ手揮テガラフルウテ以テ武術ヲ知ラル名矣。兼續自ラ將トシテ而出ス師イクサヲ於羽州ニ。西南無不震慄フルイオノノカザルナシトイフ。羽守ウシュ迫急也シ大ニ擧テ而防   │  │
│  ギ戰フ焉。戈カ衆一ヒトタビ勝カツ。敵支フ酢川スカワ邉ニ。少將湯淺甚内勵ハゲマシ卒ヲ抜〓グンヲヌキ能ク防キ戰フ也。重昌措ステテ其ノ所ノ率ヒキイタルトコロ之軽率ヲ而單身ヒトリミニシテ駈 │  │
│  ケ出テ以テ鑓ヲ接戦シ與ト湯淺遂ニ討テ之ヲ得タリ大ニ勝ヲ矣。兵罷ヤンデ後ニ去テ而事フ于鳥居忠恒朝臣。?オヨビ忠次朝臣ニ忠次早生無シ嗣ヨツギ。?オハリニ事ヘテ于         │  │
│  源羽林君〔保科正之〕ニ而卒オフ會津城下ニ。壽コトブキ八十有余。生涯毎ツイニ以テ老武ラウブヲ被称セラセラルト云フ。                         │  │
│  寛永癸未[1643]八十四歳。卒ス會津ニ葬ル於高岩寺内ニ    ┌──────────────────────────────────────────┘  │
│  右三人之名前 安政七[1860]年正月猪狩康清方にて    │     玄蕃ノ允           左源次 實ハ満形カ男也                 │
│  承り〔隆之(または隆福)〕記ス           └─
宗滿────────────隆昌──────────┬─隆忠 軍次郎          │
│                                                         ├─
忠武 新三郎          │
└─
  猪狩加右衛門カ妻                                                 └─保滿 権平次          │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│     童名ハラハナ山丸 野次郎
└─
貞滿 ──────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
    慶長年中[1596-1615]磐城氏有ツテ故而被廃セラレテ遷サル于羽州由利。於テ此ココニ國士サムラオ共ミナ亡命シ而散シテ所々ニ貞滿失フテ食邑ヲ而 シテ卒オフ。              │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│     法名渓閑
└─
滿親
   男コ滿親無禄ブロクニシテ亦卒オフ世ヲ。于此ココニ嫡嗣斷タエタリ矣。

<本稿筆者加補筆編集前原文>
   慶長年中[1596-1615]磐城氏有ツテ故而被廃セラレテ遷サル于羽州由利。於テ此ココニ國士共ミナ亡命シテ而散シテ客タリ於所々ニ貞滿失フテ食邑ヲ而シテ卒オフ。男コ滿親無禄ブロクニシテ亦卒オフ世ヲ。
   于此ココニ嫡嗣斷タエタリ矣。玄蕃允重昌從往サキヨリ而スデニ去土トコロヲサル。初メ事ヘテ于上杉黄門景勝卿ケフニ而住トドマル會津ニ。慶長五[1600]年。卿起ヲコストキ兵ヲ重昌從フテ直江山城ノ守
   兼續之麾下ニ而數シバシバ手揮テガラフルウテ以テ武術ヲ知ラル名矣。兼續自ラ將トシテ而出ス師イクサヲ於羽州ニ。西南無不震慄フルイオノノカザルナシトイフ。羽守ウシュ迫急也シ時ニ羽守ウシュ大ニ擧テ而゙
   接戦シ防キ戰フ焉。戈カ衆一ヒトタビ勝カツ。敵支フ酢川スカワ邉ニ。少將湯淺甚内勵ハゲマシ卒ヲ抜〓グンヲヌキ能ク防キ戰フ也。重昌措ステテ其ノ所ノ率ヒキイタルトコロ之軽率ヲ而單身ヒトリミニシテ駈ケ出
   テ以テ鑓ヲ與ト湯淺遂ニ討テ之ヲ得タリ大ニ勝ヲ矣。兵罷ヤンデ後ニ去テ而事フ于鳥居忠恒朝臣。?オヨビ忠次朝臣ニ忠次早生無シ嗣ヨツギ。?オハリニ事ヘテ于
   源羽林君〔保科正之〕ニ而卒オフ會津城下ニ。壽コトブキ八十有余。生涯毎ツイニ以テ老武ラウブヲ被称セラセラルト云フ。

   右三人之名前 安政七[1860]年正月猪狩康清方にて承り〔隆之または隆福〕記ス

   自リ是爲リシ氏ト後孫相継ギテ任ゼシ于陸奥國也。篁ノ霊廟ハ在リ同州白河ノ郡小野新町山上ニ、號ス野大神ト。土人於今毎歳四月八日祭ル之ヲ也。至リ猪狩紀伊ノ守ト同弟肥後入道
   道譽ニ附隷ス同ク之磐城家ニ。而シテ道譽居リ于淺見川城常ニ爲リ先隊ノ軍將ト用フ胴黒旗ヲ。依テ戰功ニ被與ヘラレ信國之鑓〓〔右に文〕旗及ビ鑓ヲ子孫傳ヘ來タリ之ヲ。又諱イミナヲ守リ
   代々滿之字ヲ用ヒシ之ヲ也

   紀伊守ガ嫡子下野始メノ名ハ紀伊守道譽ガ嫡子嫡子肥後始メノ名ハ平次左衛門相継ギ而シテ仕フ于磐城家慶慶長年中[1596-1615]至リ磐城左京亮貞隆君之時郊ニ磐城被レ移羽州
   亀田ニ於テ是ニ下野織部相共ニ赴キテ仙台ニ仕フ于伊達正宗〔政宗〕君也


    〔
◯仙台猪狩氏姓橘系圖(〔 〕内本稿筆者加補筆)

     実名不詳
 
◯大和守─────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
   高倉山城主猪狩筑後守隆清ガ曾孫または玄孫 仙台猪狩氏元祖〕                                           │
   自リ是爲リシ氏ト後孫相継ギテ任ゼシ于陸奥國也。篁ノ霊廟ハ在リ同州白河ノ郡小野新町山上ニ、號ス野大神ト。土人トジン於今毎歳四月八日祭ル之ヲ也。           │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│    紀伊守
├─
源十郎─────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
│  至リ猪狩紀伊ノ守ト同弟肥後入道道譽ニ附隷ス同ク之磐城家ニ。〔木戸山田岡(楢葉)城主〕                                   │
│ 
  磐城重滿女                                                                   │
│    肥後入道                        肥後 始メノ名ハ平次左衛門                                │
└─
道譽────────────────────────── 滿之──────────────────────────────────────┐     │
   而シテ道譽居リ于淺見川城常ニ爲リ先隊ノ軍將ト用フ胴黒旗ヲ。     道譽ガ嫡子肥後始メノ名ハ平次左衛門相継ギ而シテ仕フ于磐城家               │     │
   依テ戰功ニ被與ヘラレ信國之鑓〓〔右に文〕旗及ビ鑓ヲ子孫       肥後〔入道道譽〕後コウト云フ磐城ニテ先年ノ侍大将致シ度々ノ軍功抜キン出テ近隣ニ其ノ名ヲ著ス   │   │
   傳ヘ來タリ之ヲ。又諱イミナヲ守リ代々滿之字ヲ用ヒシ之ヲ也        胴黒ノ旗ヲ指ス磐城殿ヨリ御持鑓賜ル旗鑓代々傳来ス實名滿之守リ代々用ヒ來タル        │     │
                             ┌──────────────────────────────────────────┘     │
                             └─
織部                                          │
                                慶慶長年中[1596-1615]至リ磐城左京亮貞隆君之時郊ニ磐城被レ移羽州亀田ニ於テ是ニ織部      │
                                赴キテ仙台ニ仕フ于伊達正宗〔政宗〕君也                          │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│    紀伊守
└─
守之 ──────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
   〔磐城親満従兄弟 楢葉猪狩氏嫡流 木戸山田岡(楢葉)城主 仙台猪狩氏鼻祖〕                                   │
   紀伊守ガ嫡子下野始メノ名ハ紀伊守道譽ガ嫡子肥後始メノ名ハ平次左衛門相継ギ而シテ仕フ于磐城家慶慶長年中[1596-1615]至リ磐城左京亮貞隆君之時郊ニ磐城被レ移羽州  │
   亀田ニ於テ是ニ下野織部相共ニ赴キテ仙台ニ仕フ于伊達正宗〔政宗〕君也                                           │
  
  佐藤大隅女                                                                   │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│    紀伊守 後下野守
├─
親之(信滿) ─────────────────────────────────────────────────────────────────┐
│  紀伊守ガ嫡子下野始メノ名ハ紀伊守相継ギ而シテ仕フ于磐城家〔神城/高倉山城主〕                                     │
│  磐城定隆〔貞隆〕公ノ御代ニ磐城家崩ル定隆〔貞隆〕公ト仙?政宗ト兄弟タルユエニ磐城ニテ勝レタル者共仙?ヘ呼ル紀伊守モ仙?ヘ来リ伊沢〔胆沢〕ト云  │
│  フニ住マフ伊沢〔胆沢〕ハ仙?ヨリ三日地隔ル[仙台伊達家臣]                                           │
│ 
  新妻内近助清娘                                                                 │
└─
  大和田筑後妻                                                                  │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│    下野 後主計
├─
盛滿 ──────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
│  慶長十[1605]年生 十三歳ノ時ヨリ政宗公に勤侍ス 貞山様御代郷小姓                                          │
│ 
  守屋伊賀貞成女                                                                 │
├─
五兵衛                                                                      │
└─
左衛門                                                                      │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
├─

│    弥總兵衛  寛永十[1633]年生
├─
持滿 ──────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
│ 
  浜田古五右衛門友末娘                                                              │
│    十三郎  寛永十四[1637]年生                                                         │
└─
有滿                                                                        │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│    初松之丞 後幸之助  寛文八[1668]年生
├─
信滿 ──────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
│  橋本伊勢高信次男 母ハ松倉豊後守之次男松倉左近女                                                │
└─
  名  寛文十[1670]年 吉田太夫重親之娘 養子信滿ニ配偶                                           │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│    幸之助  元禄三[1690]年生  享保八[1723]年四月七日長作ト改ム
├─
定滿 ──────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
│ 
  上田權左衛門女                                                                 │
├─
  元禄四 [1691]年生 吉田長左衛門源直昶室                                                     │
├─
?? 早世                                                                     │
│    初多賀之助 後幸之助  正徳元[1711]年生                                                   │
├─
徳滿 父ニ先立死 二十二歳                                                             │
└─
  早世                                                                      │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│    多仲  享保四[1719]年生
├─
元滿  婿養子 父山崎源太左衛門隆郷ノ男 母ハ妾  二十九歳死
│ 
   長作定滿ノ女ミエ
│    守道 丹宮 長作  享保十五[1730]年生
├─
時之 ──────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
│  婿養子 父遠藤對馬守信三男 母佐藤伊賀娘                                                       │
└─
ミエ 享保十五[1730]年生 養子多仲元滿死後時之長作妻ト成テ家系ヲ嗣グ                                         │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│    文弥 長作ト改ム  寛延三[1750]年生
├─
冨之 ──────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
│ 
  遠藤一郎信徳妹                                                                 │
└─
リク 宝暦元[1751]年生 横尾多聞藤原兼長室                                                      │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│                             ┌─
  早世
│    弥總兵衛  安永三[1774]年十一月生         │    杢右衛門
├─
將之────────────────────────┼─隆之 享和三[1803]年二月六日生 後助五郎康之ノ婿養子
│  三十五歳病死                     └─
シュン 横尾郡太兼明室
│ 
  若林十蔵友直次女 イヨ
│    助五郎  天明六[1786]年十二月廿三日生
├─
康之 ──────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
│ 
室 滿  伊藤平次祐壽次女                                                            │
└─
ミエ 寛政三[1791]年生  畠中助太夫保康之嫁                                                     │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│    杢右衛門 弥總兵衛ト改ム
├─
隆之 ──────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
│  將之ノ子 享和三[1803]年生                                                            │
├─
智恵(多智恵) 文化七[1810]年七月十日生 隆之ノ妻                                                  │
├─
   早世                                                                     │
├─
ヨイ 早世                                                                     │
├─
チョウ 早世                                                                   │
├─
治一 文政八[1825]年八月六日生 芳賀又右衛門治恭養子                                                 │
└─
   文政十一[1828]年正月廿四日生 須江良之介源守宣嫁                                                │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
├─

│    長作  天保三[1832]年七月十日生
├─
隆福 ──────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
│ 
室 梅   小松新左衛門守休妹                                                          │
│ 
後室 宮 木村八兵衛成長次女                                                             │
│    幸之助 後章                                                                │
├─
之知〔章〕 天保九[1838]年十月廿七日生                                                      │
├─
ヲキサ 小山友郷嫁                                                                │
└─
  早世                                                                      │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│    杢右衛門  安政四[1857]年五月廿六日生
├─
規之 ──────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
│ 
妻 キワ  仙台市茂市ケ坂 仙台士族塩沢半兵衛三女                                               │
├─
ラン 安政六[1859]年生 早世                                                             │
├─
松代 文久二[1862]年五月十六日生 早世                                                        │
├─
  早世                                                                      │
│以下母後室木村宮  明治四[1871]年三月廿八日生                                                    │
├─
文弥────────────────────────┬─フミ                                          │
│  士族金須丹六郎ノ婿養子                └─
ミサヲ                                           │
│ 
妻 タカ                                                                    │
│    明治八[1875]年一月七日生                                                           │
├─
亥三郎───────────────────────┬─隆夫                                            │
│ 
妻 品 大阪府豊中市櫻塚 安井織衛長女       ├─正夫                                            │
├─
兵衛 十七歳死                       ├─道雄                                            │
├─
  明治十二[1875]年十一月廿二日生 早世        └─泰子                                            │
│     明治十六[1883]年十一月廿二日月                                                       │
└─
てつを ───────────────────────┬─克雄                                           │
   仙台市北六番丁 伊藤胞吉嫁             ├─
義雄                                           │
                             ├─
敏三                                           │                              ├─龍夫                                           │                              ├─五郎                                           │                              └─                                             │ ┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│    杢右衛門  明治十五[1882]年九月十五日生│
├─
────────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
│ 
妻 みやこ 明治二十二[1889]年九月十五日生  仙台市宮町 宮城県庁官吏嶺岸大力清成五女                              │
├─
  早世                                                                      │
│   明治二十六[1893]年十二月廿三日生                                                        │
├─
次郎────────────────────────┬─美沙子 今岡弘ニ嫁ス                                    │
│  尼崎市南城鴻池藤太郎長女恵 婿養子          ├─
文子 浜本小吉ニ嫁ス                                  │
├─
さと 明治三十[1897]年一月九日生 早世        └─藤昭 昭和二[1927]年生                                  │
└─
三郎 明治三十二[1899]年七月廿四日生 早世        妻 史子                                         │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
├─
正子 ───────────────────────┬─和子
│  福岡県京都郡行橋町名誉町民音作長男 若山節夫ニ嫁ス├─
洋稔
│                           ├─
信幸
│                           ├─

│   改名                      └─
幸彦
├─
禮子→ 玲子 ───────────────────┬─道夫→迪夫
│  広島県御調郡河内村篤農家徳兵衛次男        ├─
員子→和子
│  新宅建氏ニ嫁ス                  ├─
昭氏→昭二
│                           ├─
雅子
│                           ├─
倫子→光子
│                           └─
展子→信子
├─
糸子────────────────────────┬─
│  仙台市東四番丁 山本繁ニ嫁ス             └─

│    大正十[1921]年十一月十三日生
├─
隆明 ──────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
│ 
妻 貞子 仙台市南光院丁 醫学博士横山有五長女                                                 │
└─
典昭────────────────────────┬─義則                                          │
  
妻 美和子 横山有五次女 住所右ニ同ジ       └─宏司                                          │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘
│    昭和二十三[1948]年九月二十八日生
├─
───────────────────────────────────────────────────────────────────────┐
│ 
妻 恵久 仙台市台ノ原一丁目 浅野宗一ノ三女                                                  │
└─
 昭和二十六[1951]年三月五日生                                                          │
  
妻 尚子 秋田市八橋伊藤進ノ長女                                                        │
┌──────────────────────────────────────────────────────────────────────────┘

                                             (「仙台猪狩家文書」仙台猪狩家14代当主隆氏所蔵/原文は縦書き)




天皇家・宮家
大王家/応神朝/継体朝/天智朝/天武朝/天皇家/聖武朝/桓武朝/宮将軍家/大覚寺統/南朝/木寺宮家/持明院統/北朝/南北合一朝/伏見朝/閑院朝/直宮家/秋篠宮家/常陸宮家/秩父宮家/高松宮家(直宮)/三笠宮家/桂宮家(三笠)/高円宮家/閑院宮家/高松宮家/有栖川宮家/八条宮家/常磐井宮家/京極宮家/桂宮家/正親町源氏/広幡家/伏見宮家/山階宮家/久邇宮家(中川宮家)/賀陽宮家/朝香宮家/東久邇宮家/小松宮家/華頂宮家/北白川宮家/竹田宮家/東伏見宮家/梨本宮家系図

(☆本SiteはmacOS上で制作しています。Windows,AndroidなどMac系以外のOS上では、図版の罫線の乱れなどで系図類が正しく再現されない場合があります。その際は、<PDF版日本姓氏家系譜>をお試しください。)


大王家応神朝継体朝天智朝天武朝天皇家聖武朝桓武朝宮将軍家大覚寺統南朝木寺宮家持明院統北朝南北合一朝伏見朝閑院朝直宮家秋篠宮家常陸宮家秩父宮家高松宮家(直宮)三笠宮家桂宮家(三笠)高円宮家閑院宮家高松宮家有栖川宮家八条宮家常磐井宮家京極宮家桂宮家正親町源氏広幡家伏見宮家山階宮家久邇宮家中川宮家)/賀陽宮家朝香宮家東久邇宮家小松宮家華頂宮家北白川宮家竹田宮家東伏見宮家梨本宮家系図

<記紀神話>
                  ┌───────────┐
神武天皇─綏靖天皇─安寧天皇─懿徳天皇─孝昭天皇┴孝安天皇       │
                         ├────孝霊天皇─┐│
            ┌────────────忍鹿比売命     ││
┌──────────────────────────────────┘│      ┌八腹木事─┐
│ ┌─────────────────────────────────┘      ├佐都紀────深目───┬─河内──┬──美奈古
│ │<和邇氏族>   │                              〔春日氏〕 │      │     │      
│ └─和邇日子押人彦命┴彦姥津命┬彦国葺命─大口納命─難波根子建振熊命─米餅搗大臣命┴人華─────岡上─────野依─────淵名────────┐
│    ┌───────────┘                               │〔阿倍氏(安倍氏)〕  │            │
│    │┌大彦命─武渟川別命─豊韓別命──◯◯───◯◯────◯◯───◯◯───◯◯─────大麻呂  │     │            │
│    ││                               〔大王家〕      │      │     │            │
│    ││                    ┌日本武尊──仲哀天皇<応神朝>      │      │     │ ┌豊青皇女      │
└─孝元天皇┼開化天皇─崇神天皇─垂仁天皇      │      ├────応神天皇┬仁徳天皇──┬履中天皇───市辺押磐皇子┼仁賢天皇      │
     │││         ├────┬景行天皇┴成務天皇 ┌神功皇后     │     │├反正天皇 │     │ │├────────┐│
     │││        ┌日葉酢媛命└倭姫命       │         │     ││├    │     │┌─春日大娘皇女   ││
     │││        └─────┐          │         │     └─都努郎女 │┌安康天皇││└顕宗天皇     ││
     │││        ┌丹波道主命┘          │         │      └允恭天皇──┴雄略天皇││          ││
     ││├────彦坐王─┴山代之──迦邇米雷王─息長宿禰王┘         │            │ ├────┴─清寧天皇     ││
     └─姥津媛       大筒木真若王    〔紀氏〕            │            └─童女  │           ││
      └彦太忍信命──屋主忍男武雄心命─武内宿禰─角宿禰            └稚淳毛二派皇子─意富富杼王─乎非王────彦主人王────┐││
   ┌─────────────────────────────────(春日氏)────────────────────┘          │││
┌────────────────────────────────────(応神朝庶流)─────────────────────────────┘││
│┌───────────────────────────────────(応神朝)────────────────────────────────┘│
││┌──────────────────────────────────(春日氏)─────────────────────────────────┘
│││(春日氏)
│││〔春日小野氏〕   〔小野氏〕                                        〔伝猪狩氏遠祖〕
││└─大樹───仲若子─┬妹子───毛人───────毛野───老────竹良───永見─┬─峰守────篁────保衡
││ │         └老女子郎女                           │〔猪狩氏遠祖〕
││ │          ├───┬難波皇子─────大俣王──栗隈王──美奴王 〔橘氏〕└─滝雄
││ │          │   └春日皇子               ├───┬諸兄───奈良麻呂─┬嶋田麻呂
││ │          │                      (橘三千代)          ├清友┐
││ │          │                       │   │          └入居───逸勢
││ │         ┌櫻井皇子─────────吉備姫王       │   │         ┌───┘     〔在原氏〕
││ │    ┌安閑天皇││           ┌─┤         │   │         │┌平城天皇─阿保親王┬行平
││ │    ├宣化天皇──┐          │ ├────孝徳天皇─有間皇子│         ││         └業平
││(応神朝) ┌──────┘          │ │         │  ┌─井上内親王    ││    〔桓武平氏高棟流〕
│└─┬武烈天皇└石姫皇女││           │┌茅渟王┌─────┐│  ││├────他戸親王││    ┌高棟王─惟範───時望───┐
│  └手白香皇女├────敏達天皇─押坂彦人大兄皇子┴舒明天皇<天智朝>││  │〔天皇家〕<桓武朝>││    │   〔桓武平氏高望流〕  │
│  │├────欽明天皇┘├───┬竹田皇子   │ ├───┬天智天皇┼志貴皇子─光仁天皇─桓武天皇──葛原親王┴高見王─高望王──国香──┐│
│  <継体朝>││├──┬推古天皇└菟道貝蛸皇女 └─皇極┌──┤   │(施基皇子)    ├────┴嵯峨天皇───┬─────────────┐
└───継体天皇┘││  └用明天皇 ├     /斉明天皇││┌遠智娘 └弘文天皇│   ┌─式家乙牟漏 ├───────────────────┐│
   │├   ┌堅塩媛  ├────聖徳太子(厩戸皇子)┌───┤   (大友皇子)   │ │   │┌┤      │          ││││
   └荑媛  ││   ┌穴穂部間人│〔蘇我倉山田氏〕石川麻呂┴姪娘   ├────葛野王│ │   └─橘嘉智子(檀林皇后)        ││││
        ││   │   皇女├────山背大兄王││││   ┌─十市皇女│   │ ├─────淳和天皇   │          ││││
        ││   │    ┌刀自古郎女     ││││   │ │  ││   │┌式家旅子 │├────恒貞親王(宮床信楽寺)  ││││
        │├───┴崇峻天皇─蜂子皇子(能除太子)│││〔県犬養氏〕橘三千代│   │└───┐ └正子内親王  │          ││││
        ├小姉君  ├   │          ││││   │(橘夫人)│   │ ├─────仲野親王──┐│          ││││
        │    ┌河上娘 │          ││││   │ │  ││  ┌──河子(京家大継女)   ││          ││││
   〔蘇我氏〕│    ├────┘          ││││   │ │  ││  ││ ├─────葛井親王─────────────┐││││
    稲目──┴馬子──┴蝦夷───入鹿        ││││額田王│〔坂上氏〕┬田村麻呂─春子 │        ││         │││││
                             ││││├──┘ │  ││  ││ ├  │        ││         │││││
                             │││││┌───山辺皇女└─────又子 │ 〔良岑氏〕  ││         │││││
                             ││├─大田皇女 ├───粟津王││ ├─────安世───宗貞│         │││││
                             ││││├────大津皇子│  ││(百済永継)     (僧正遍昭)       │││││
                             │││〔天皇家〕 │  ││  └──│────────┐  ││         │││││
                             │││<天武朝> │  │〔南家〕│ └─────┐  │  ││         │││││
                             │││└天武天皇┐│  ┌─武智麻呂┬仲麻呂(恵美押勝)│  ││         │││││
                             │││ │├───草壁皇子┌元正天皇<高倉流>  │  │  ││         │││││
                             │└──持統天皇│├─┬─┴文武天皇└巨勢麻呂──貞嗣───高仁──保蔭─────┐│││││
                             └─────┬┐┌元明天皇││  │<聖武朝>  百済永継[本朝第一美人三人]  ││││││
                               ├──┘└─┘│ │││├────聖武天皇  │  │  ││        ││││││
                               │ │  │││ │├─宮子 │ ├─────孝謙/称徳天皇│        ││││││
                               │ │  │(橘三千代)   │┌光明皇后  │  │ ┌───────┐  ││││││
                               │ │  ││├────────┘   │  │  │ │││<高倉流>│  ││││││
                               │ │  │││ ││〔北家〕│    │ (百済永継)│││┌長良──┴清経││││││
                            〔藤原氏〕鎌足───不比等┼─房前┐└───┐│  ├────冬嗣─┼良房     ││││││
                               │ │  ││  │││├────真楯────内麻呂│ ││││├─────┐││││││
                               │ │  ││  ││└牟漏女王<魚名流> <末茂流> ││└─潔姫    │││││││
                               │ │  ││  │〔式家〕└──魚名────末茂───総継┐<良門流>  │││││││
                               │ │  ││  │├─宇合─┬─広嗣││     │ │││├良門───┐│││││││
                               │ │  ││  ││    ├─良継─┴──詫美 │ ││││     ││││││││
                               │ │  ││  ││〔京家〕└─百川┴───緒嗣 │ ││││     ││││││││
                               │ │  ││  │└─麻呂───浜成────大継─┘ ││││     ││││││││
                               │ │  │├高市皇子                 ││││     ││││││││
                               │ │  ││├────長屋王             │││〔高階氏〕 ││││││││
                               │ │  └─御名部皇女├────桑田王───磯部王──石見王─峯緒   ││││││││
                               │ │   │  └──吉備内親王     〔清原氏〕 ││││     ││││││││
                               │ │   │    ┌御原王──小倉王───夏野   ││││     ││││││││
                               │ │   │    │    〔清原氏〕       ││││     ││││││││
                               │ │   │    ├貞代王──有雄         ││││     ││││││││
                               │ ├────舎人親王┴淳仁天皇            ││││     ││││││││
                               └─新田部皇女                     ││││     ││││││││
                                     ├長親王──知怒王──三諸大原──文屋綿麻呂││││     ││││││││
                                     └新田部親王                ││││     ││││││││
                ┌────────────────────(高倉流)─────────────────┘│││     ││││││││
           ┌─────────────────────────(桓武朝)──────────────────┘││     ││││││││
  ┌──────────────────────────────────(末茂流)───────────────────┘│     ││││││││
  │   ┌──────────────────────────────(藤原北家冬嗣)─────────────────┘     ││││││││
┌────────────────────────────────────(藤原北家良門流)──────────────────────┘│││││││
│┌───────────────────────────────────(藤原北家)──────────────────────────┘││││││
│││  ┌─────│────│────────────────────(藤原南家高倉流)────────────────────────┘│││││
│││  ││ ┌────────────────────────────(葛井親王)────────────────────────────┘││││
│││  ││ │┌───────────────────────────(桓武平氏高望流)──────────────────────────┘│││
│││  ││ ││┌──────────────────────────(桓武平氏高棟流)───────────────────────────┘││
│││┌─────────────────────────────────(桓武朝)────────────────────────────────┘│
││││┌────────────────────────────────(桓武朝)─────────────────────────────────┘
│││││││ ││││    │                    〔摂津源氏〕
│││││││ │(葛井親王) │                   ┌─頼光────頼国───頼綱────仲政───頼政
│││││││ └────棟貞王──女子       〔清和源氏〕   │〔大和源氏〕     〔奥州石川氏〕    〔澤田氏遠祖〕
│││││││  │││┌───┤ ├────貞純親王─常基王──満仲─┼─頼親────頼遠───有光────元光─┬─光義(澤田太郎)
│││││││  │││[本朝第一美人三人]              │                     │ ├───義季──基光──広季
│││││││  │││(染殿后) │                 │                    ┌──法成院
│││││││  │││└明子 │ │                 │                    ││[澤田城主]
│││││││  │││ ├────清和天皇              │〔河内源氏〕          ┌─義親┐└─義基
│││││││  │││ │  │ ├───┬陽成天皇         └─頼信────頼義──┬義家──┼──=┴──為義──義朝──┐
│││││││  │││ │  ├─高子  │                         │    │   │ 〔新田氏〕    │
│││││││  │││ │  │     │                         │    │   │┌─義重──義兼  │
│││││││  │││ │  │     │                         │    │<義国流>〔足利氏〕    │
│││││││  │││ │  │     │                         │    └─義国─┴─義康──義兼─┐│
│││││││  │││ │  │     │                         <義光流>〔常陸源氏〕〔佐竹氏〕   ││
│││││││  │││ │  │     │                         └義光──┬─義業┴──義昌     ││
│││││││  │││ │  │     │                              │〔甲斐源氏〕   〔武田氏〕
│││││││  │││ │  │     │                              ├─義清───清光─┬信義 〔南部氏〕
│││││││  │││ │  │     │                              │〔平賀氏〕    └遠光──光行
│││││││  │││ │  │     │                              └─盛義───義信──朝雅 ││
│││││││  │││ │  │     └貞保親王     〔滋野氏〕                〔海野氏〕   ┌─────┘│
│││││││  │││ │  │      ├────目宮王──善淵───滋氏────為広───為道───則広┬重道─広道─幸親─幸長─長氏┬茂氏
│││││││  │││ │ 〔滋野氏〕恒蔭─女子                               │  〔根津氏〕    │  〔真田氏〕
│││││││  │││ │  │                                       ├直家─道直      │  └幸春
│││││││  │││ │  │                                       │  〔望月氏〕    │
│││││││  │││ │  │                    〔村上源氏〕〔久我家〕        └重俊─広重      │
│││││││  │││ │  │              ┌─具平親王─師房────顕房───雅実────顕通───雅通─────┐│
│││││││  │││ │  │              │                〔花山王氏〕〔花山源氏〕 │     ││
│││││││  │││ │  │             ┌──冷泉天皇─花山天皇──清仁親王─延信王───康資王──顕康王──顕広王───────┐
│││││││  │││ │  │             ││ ├───┬三条天皇            [神祇伯]  │     ││      │
│││││││  │││ │  │         ┌──────超子  │├───┐                  │     ││      │
│││││││  │││ │  │         │   ││┌─────妍子  │                  │     ││      │
│││││(桓武朝)││ │  │         │   │││    │├   │                  │     ││      │
││││││〔嵯峨源氏〕 │  │         │   │││ ┌───綏子  │                  │     ││      │
││││└──融 │││ │  │         │   │││ │  │├─────頼賢               │     ││      │
││││ │└順子(北家冬嗣女)│         │   │││ │  〔村上源氏為平流〕               │     ││      │
││(桓武朝)├─────文徳天皇─惟喬親王    │   ├──為平親王─頼定  │                  │     ││      │
│││└───仁明天皇│    │         │   │││ │  └為尊親王│                  │     ││      │
││(末茂流)├────┬光孝天皇         │   ││├──────────威子                │     ││      │
││├────沢子││││├────宇多天皇   ┌─朱雀天皇│├───────┐ │├─────章子内親王       │     ││      │
│││  │   ││└─班子女王 ├───┬醍醐天皇  ┌───遵子     │┌─後一条天皇 ├           │     ││      │
│││  │   ││ │   │┌胤子  │├─┴─村上天皇┘│├│┌──定子│││     ┌寛子          │     ││      │
│││  │   ││ └人康親王─┐ ┌──穏子 │├──┴──円融天皇 ├ └──嬉子   │├           │     ││      │
│││ ┌───────────┘││ │┌─────安子│  │├────一条天皇│├─────後冷泉天皇       │     ││      │
│││ ││┌───────────┘ │││   ├──────詮子│  ├──┴─後朱雀天皇│            │  (美福門院)     │
│││ │││  ││┌────────┘││   │  │  ├─────彰子  │├─────後三条天皇  ┌────────末茂流得子     │
│││ │││  │││     │   ││   ├道隆──────┘  ├   └禎子内親王│├─────白河天皇─堀河天皇 ├────────┐│
│││ │││  │││    ┌─実頼───頼忠────┘  │┌────閑院流義子    ┌─御堂流茂子  │   ├────鳥羽天皇     ││
│││ │││  │││    ││   │[本朝第一美人三人]│││ ┌──────────┘│ (閑院流) │ ┌閑院流苡子 ├───────┐││
│││ ├──高経────惟岳───倫寧───藤原道綱母    │││ │┌──────────┘       │ │  │  ┌閑院流璋子   │││
│││ │││  │││    ││   ││├───道綱   │││ ││  ┌─────────────────┘  │  │(待賢門院)  │││
│││ ├──清経────元名───国章───対御方(近江)  │││ ││  │      ┌────────────────┘  ││    │││
│││ │││  │││    ││   ││├──────────┘ ││  │      │        │┌───(久我家)─┘│    │││
│││ ││└女子│││    ││   │││  <御堂流> ││  ││  │      │        ││ 〔近衛家〕    │    │││
│(藤原北家)├───┴─忠平─┴─師輔─┼─兼家─┴道長───┼頼通──┴師実─┬─師通────忠実────忠通─┬─基実───基通─────┐│││
│└─=┴──基経││      │   ││         ├能信=┤   ││     │        │││〔九条家〕    │   ││││
│ │  │(高倉流長良三男)  │   ││         ││  │   ││     │        ││└─兼実───良経┐│   ││││
│ │  │   ││      │   ││         ││  │   ││<花山院流>        ││ 〔花山院家〕  ││   ││││
│ │  │   ││      │   ││         ││  │   │├─家忠────忠宗────忠雅───兼雅─┬─忠経────┐││││
│ │  │   ││      │   ││         ││  │   ││     │        ││   │ │〔五辻家〕  │││││
│ │  │   ││      │   ││         ││  │   ││〔大炊御門家〕       ││   │ └─家経───┐│││││
│ │  │   ││      │   ││         <中御門流>  │└─経実────経宗────師経───家嗣───冬忠──┐││││││
│ │  │   ││      │   ││         └頼宗───俊家─┬─宗俊────宗忠────宗能───宗家────┐│││││││││
│ │  │   ││      │   ││          │  │   ││<持明院流>        ││ 〔園家〕   ││││││││││
│ │  │   ││      │   ││          │  │   │└─基頼────通基────基家───基氏───┐││││││││││
│ │  │   ││      │   │<閑院流>      │  │   │      │〔三条家〕   ││   │   │││││││││││
│ │  │   ││      │   └─公季─┬実成────公成─┴─実季┴──公実──┼─実行────公教───実房──┐│││││││││││
│ │  │   ││      │    │   └──────┘             │〔西園寺家〕  ││   │  ││││││││││││
│ │  │   ││      │    │                        ├─通季────実宗─┐  │  ││││││││││││
│ │  │   ││      │    │                        └─季成┐    │││  │  ││││││││││││
│ │  │   ││      │    │                   ┌長実──┬─長輔│    │││  │  ││││││││││││
│ │  │   ││      │    │                   │    └────────┘││  │  ││││││││││││
│ │(末茂流) ││      │    │                   │        │  〔四条家〕  │  ││││││││││││
│ └────直道────連茂───佐忠───時明──頼任────隆経───顕季──┴家保────家成────隆季───隆房  ││││││││││││
│    │   ││      │    │    〔宇多源氏〕                  │     ││  │  ││││││││││││
│(良門流)<勧修寺流>     │    └敦実親王─雅信───時中───済政───資通────政長────有賢───資賢┐ ││││││││││││
└──────高藤──┬─定方───朝頼───為輔──宣孝────隆光───隆方───為房────為隆────光房───経房─┐││││││││││││
     │   ││└─────┘                                 │     ││  │││││││││││││││
     │   ││(桓武平氏高棟流)                               │     ││  │││││││││││││││
     │   │└──直材───親信───行義──範国────経方───知信───時信─┐    │     ││  │││││││││││││││
     │   │(桓武平氏高望流)                           │    │     ││  │││││││││││││││
     │   └───貞盛───維衡───正度──正衡────正盛───忠盛─────┐│    │     ││  │││││││││││││││
     │(藤原南家高倉流)                              ││    │     ││  │││││││││││││││
     └─道明────尹文───永頼───実範──季綱────友実───能兼─┐   ││    │     ││  │││││││││││││││
     ┌───────────────────────────────────┘   ││    │     ││  │││││││││││││││
     │ ┌───────────────────────────(足利氏)─────────────────────┘││││││││││││││
     │ │┌──────────────────────────(河内源氏)───────────────────────────┘│││││││
     │ ││┌─────────────────────────(久我家)─────────────────┘│   ││││││ │││││││
┌──────────────────────────────────(勧修寺流)──────────────────────┘││││ │││││││
│    │ │││   ┌─────────────────────(九条家)───────────────────────────┘ │││││││
│┌─────────────────────────────────(近衛家)────────────────────────────────┘│││
││┌────────────────────────────────(桓武朝)─────││────│──────│───│─│││──────┘││
│││┌───────────────────────────────(桓武朝)──────────────────────────────────┘│
││││┌──────────────────────────────(花山源氏)──────────────────────────────────┘
│││││(花山源氏)  │  〔白川伯王家〕         ┌────────────(宇多源氏)───────────┘ ┌雅光王 │││┌雅辰王
││││└仲資王─業資王─資光王─資邦王─業顕王─資清王─資英王─顕邦王─資忠王─雅兼王┬資益王─資氏王─雅業王─顕成王─雅喬王┴雅冬王=雅富王┴──┐
││││ │ │││   │                  │           └忠富王   │      │     │││ (梅溪通条男)│
││││┌──────────────────────────────(閑院流)───────────┘      │     │││  │││   │
││││││ │││   │┌────────────────────(西園寺家)─────────────────┘     │││  │││   │
││││││ │││   ││┌───────────────────(三条家)────────────────────────┘││  │││   │
││││││ │││   │││┌──────────────────(園家)──────────────────────────┘│  │││   │
││││││ │││   ││││┌──────────────│──(中御門流)────││───────────────────┘  │││   │
││││││ │││   │││││┌────────────────(大炊御門家)───────────────────────────┘││   │
││││││ │││   ││││││┌───────────────(五辻家)──────────────────────────────┘│   │
││││││ │││   │││││││┌──────────────(花山院家)──────────────────────────────┘   │
││││││ │││   ││││││││(花山院家)     │          ┌───────────────────────────────┘
││││││ │││   │││││││└─定雅───┬通雅  │          │ ││             〔白川家〕
││││││ │││   │││││││(五辻家)  └師継=─────┐      └─資顕王─資延王=雅寿王=資敬王─資訓王─資長=久雄[絶家]
││││││ │││   ││││││└──雅継────忠継───┬経氏─┐       ││      (梅溪行通男)       (北白川宮能久親王
││││││ │││   ││││││(大炊御門家)      │└──┤│       ││                     庶子上野正雄男)
││││││ │││   │││││└───信嗣────良宗────冬氏────冬信───冬宗────宗氏───信宗┬=┬─信量
││││││ │││   │││││              │   ││       ││           └──=信子(高倉流孝長女)
││││││ │││   │││││              │   ││       ││             │〔後花園下臈/嘉楽門院〕
││││││ │││   │││││(中御門流)        │〔中御門家〕      ││             │〔松木家〕
││││││ │││   ││││└────宗経────宗平────宗雅────宗冬───宗清────宗重───宗泰────宗宣────宗継─────┐
││││││ │││   ││││(園家)           │   ││       ││             │              │
││││││ │││   │││└─────基顕────基藤────基成────基隆───基光────基秀───基有────基富────基国────┐│
││││││ │││   │││(三条家)           │   ││       ││             │             ││
││││││ │││   ││└────┬─公房────実親────公親────実重───実忠────公忠───実冬────公量────実量─┬公敦││
││││││ │││   ││     │〔姉小路家〕     │   ││       ││             └──────────┘  ││
││││││ │││   ││     ├─公宣────実尚────公朝────実次───公夏────実広…………(再興)=公景────実道───┐││
││││││ │││   ││     │〔正親町三条家〕   │   ││ ┌実仲───公明────実治──────┐             │││
││││││ │││   │(西園寺家)└─公氏────実蔭────公貫───┴実躬───公秀──┬─実継      │             │││
││││││ │││   │└─公経──┬─実氏───┬公相───┬実兼──┬─公衡──┐││  │         │             │││
││││││ │││   │  │   │      │    │〔橋本家〕│     │││  │         │             │││
││││││ │││   │  │   │      │    │└実俊────季経───実澄────公音───実郷────公国───=公夏──┐│││
││││││ │││ 一条能保 ├──┐│〔洞院家〕 │    │〔正親町家〕     │││  │         │            ││││
││││││ │││ ├───┬全子 │└─実雄──┬─公守────実明────公蔭───忠季────実綱──=公仲────実秀────持季─┐││││
││││││ │││┌坊門姫(九条家)└──掄子  │〔摂家将軍家〕  │││     │││  │         │           │││││
││││││ ││││  └──良経    ├─────頼経────頼嗣│││     │││  │         │           │││││
││││││ ││││    │├─────道家─┬──教実────忠家────忠教───師教───=房実──=道教───=経教───忠基─┐│││││
││││││ ││││    └女子       ││〔二条家〕│   │││     │││  │         │          ││││││
││││││ ││(河内源氏)┌頼家       ├──良実────師忠───=兼基───道平────良基───師嗣────満基─=持基─┐││││││
││││││ │││〔鎌倉将軍家〕        ││〔一条家〕│   │││     │││  │         │         │││││││
││││││ │└─┼頼朝──┴実朝       └──実経────家経────内実───内経────経通──=経嗣─兼良─冬良=房通─┐│││││││
││││││ │ │〔阿野氏〕         ┌──────(桓武平氏高棟流)─────┘│  │         │        ││││││││
││││(桓武朝)│└全成┐          │┌─────(桓武平氏高望流)──────┘  │         │        ││││││││
│││└─近衛天皇(足利氏)          ││││    │   │││〔室町将軍家〕   │         │        ││││││││
││(桓武朝)└───義氏────泰氏───頼氏────家時────貞氏────尊氏───義詮────義満─義教─政知─義澄─義晴─義昭││││││││
│││┌─崇徳天皇──重仁親王         ││││    │   │││     │    │〔庭田家〕    │        ││││││││
│││││平業房 │   │          ││││    └─時賢───=経資───茂資────重資──┬経有────重有───┐││││││││
│││││├─────教成〔山科家〕      ││││        │││     │    │     │   │       │││││││││
│││││高階栄子(丹後局)          ││││        │││     │    │     │   │       │││││││││
│││││├─────覲子内親王        ││││        │││     │    │     │   │       │││││││││
││││└閑院流成子┌二条天皇─六条天皇    ││││        │││     │    │     │   │       │││││││││
││││ ├─────以仁王          ││││        │││     │    │     │   │       │││││││││
││└┴─後白河天皇│ ┌───重子(修明門院/高倉流範季女)  〔宮将軍家〕     │    │     │   │       │││││││││
││   ├────┴高倉天皇 ├─────順徳天皇──仲恭天皇 ┌宗尊親王──惟康王──女子  │     │   │       │││││││││
││  ┌慈子  │ ├───┬後鳥羽天皇   ││││     │  │││     │├─────守邦親王│   │       │││││││││
││  (建春門院) 坊門殖子│├─────土御門天皇├──────西園寺公子┌─────久明親王│     │   │       │││││││││
││  ││   │(七条│┌─久我在子  ├─────後嵯峨天皇┘├ ││├─西園寺鏱子    │     └庭田資子 〔伏見宮家〕│││││││││
││  ││   │ │院)│(承明門院/┌久我通子││├────┬後深草天皇┘├   │    │      ├─────栄仁親王 │││││││││
││  ││   │ │││││能円女) (正親町院)└西園寺姞子││ │││<持明院統>    │     ┌崇光天皇  ├───┐│││││││││
││  ││   │ │││││     │  │││ (大宮院)│├─────伏見天皇│    │     │   └─正親町三条││││││││││
││ ┌────────────────────┘│├───────洞院愔子│ ├────後伏見天皇<北朝> │     治子   ││││││││││
││ │││   │ ││││└守貞親王──後堀河天皇─四条天皇 │  │└──五辻経子│├────┬光厳天皇│     (陽照院)││││││││││
││ │(桓武平氏高棟流)││ (後高倉院)   ││      │  │ │ │   └西園寺寧子│├───┴後光厳天皇──┐  ││││││││││
││ └┴時子  │ ├────安徳天皇 │   ││      │  │ │ ├────花園天皇└─正親町三条秀子(陽禄門院)  ││││││││││
││   ├─────徳子││      │   │├─────────────洞院季子      └光明天皇        │  ││││││││││
││ ┌─清盛  │ (建礼門院)    │   ││      │  │ │         ┌──────────────┘  ││││││││││
││ │(桓武平氏高望流)││      │   ││      │  │ │         │      <南北合一朝>    ││││││││││
││ └─────────────────────┘│     ┌─────┴────┐    └─後円融天皇─後小松天皇┬称光天皇││││││││││
││ ┌─┘   │  │││      │    │     └─西園寺瑛子[高田御所]          〔木寺宮家〕└一休宗純││││││││││
││ │     │  │││      │    │      │├ │  ┌継仁親王┌後二条天皇─邦良親王─康仁親王─邦恒王  ││││││││││
││ │     │  │││      │    │      <大覚寺統>│   └─西園寺禧子〔建武将軍家〕         ││││││││││
││ │     │  │││      │    │      └亀山天皇 │    │├    ┌護良親王─興良親王─良王─┐ ││││││││││
││ │     │  │││      │    │       ├────┴後宇多天皇<南朝> │(大塔宮) ┌──────┘ ││││││││││
││ │     │  │││      │    └───────洞院佶子  ├───┴後醍醐天皇┴宗良親王  └信重─定広─┐ ││││││││││
││ │     │  │││      │              └───花山院忠子│    [鎌倉将軍府]┌──────┘ ││││││││││
││ │     │  │││      │                 (談天門院)│    ┌成良親王  └広正〔長田氏〕 ││││││││││
││ │     │  │││      │                       │    [陸奥将軍府]         ││││││││││
││ │     │  │││      │                       ├────┴後村上天皇(義良親王)    ││││││││││
││ │     │  │││〔阿野家〕 │                 ┌─────阿野廉子  │  ┌長慶天皇 〔小倉宮〕 ││││││││││
││ │     │〔滋野井氏〕公佐(藤原成親男/滋野井実国猶子)      │    (新待賢門院)├──┴後亀山天皇─恒敦─┐ ││││││││││
││ │     │  │││ ├─────実直────公仲────公廉───┴季継───実為────嘉喜門院     ┌───┘ ││││││││││
││ │(南家高倉流) │└──女子   │                                      └聖承─教尊││││││││││
││ └┬範兼─┬=┬範季──┬範茂   │                                            ││││││││││
││  └─────┘ └──┘     │                                            ││││││││││
││      └──範子─┤      │                                            ││││││││││
││       │ │┌=┘      │                                            ││││││││││
││       │ ├┴───通光   │                                            ││││││││││
││       │(久我家)      │                                            ││││││││││
││(近衛家)  └─通親───通宗───┴通基────通雄────長通────通相───具通────通宣────清通──通博──┐││││││││││
│└───家実──┬─兼経───基平────家基────経平────基嗣────道嗣───兼嗣────忠嗣────房嗣──政家─┐│││││││││││
│        │〔鷹司家〕                                                 ││││││││││││
│        └─兼平───基忠────冬平────師平────冬通────冬家───房平────政平────兼輔──忠冬┐││││││││││││
│                              ┌───────────────────────────────┘││││││││││││
│(勧修寺流)         〔勧修寺家〕         │┌───────────────────────────────┘│││││││││││
└────定経────資経────経俊───俊定────定資────経顕─┐                           │││││││││││
       ┌─────────────────────────────┘                           │││││││││││
       │  ┌─────────────────────────(久我家)────────────────────────┘││││││││││
┌───────────────────────────────────〔伏見宮家〕────────────────────────┘│││││││││
│┌──────────────────────────────────(庭田家)──────────────────────────┘││││││││
││┌─────────────────────────────────(一条家)───────────────────────────┘│││││││
│││┌─│─│──│────────────────────││───(二条家)────────────────────────────┘││││││
││││┌───────────────────────────────(九条家)─────────────────────────────┘│││││
│││││┌──────────────────────────────(正親町家)─────────────────────────────┘││││
││││││┌─────────────────────────────(橋本家)───────────────────────────────┘│││
││││││││┌───────────────────────────(姉小路家)───────────────────────────────┘││
│││││││││ │                    ││┌──(園家)──────────────────────────────────┘│
│││││││││┌──────────────────────────(松木家)──────────────────────────────────┘
│││││││││││                    │││(近衛家)
│││││││││││                    │└──尚通────稙家──┬前久─────信尹=┬──信尋───尚嗣────基熙─┬─┐
│││││││││││                    │ │(鷹司家)      │          │      ┌─────────┘ │
│││││││││││                    └──=信房──┬─信尚───教平───┬─房輔────兼熙──=房熙───=基輝──┐│
│││││││││││                      │     │     │├    └─────┐     │          ││
││││││││││(勧修寺家)                 │     │   ┌──文智女王      ││     │          ││
│││││││└───経重─経興=経直=教秀┬政顕─尚顕─尹豊────晴秀───┬晴豊───光豊────=経広────経敬───尹隆────高顕─┐││
│││││││ │││           〔万里小路家〕    │     │├───┐│          ││     │         │││
│││││││ ││(松木家)       ├賢房───┬秀房───┬惟房────輔房=┴─充房        ││     │         │││
│││││││ │└─宗綱────宗藤───=宗房────宗則────宗敦───=宗保───宗条──┬──宗顕 ││     │         │││
│││││││ │(姉小路家)       │     │    ││    ││  │ │    └───────┐    └近衛熙子(天英院)│││
│││││││ └──公量─実武┬公文   │     │    ││    ││〔櫛笥家〕隆致──┬──隆朝─隆胤=隆賀─┐ ├        │││
│││││││(橋本家)    │     │     │    ││ 〔徳川氏〕家康───秀忠───┬─家光──┬─綱重───家宣       │││      
││││││└───=実勝=実村─季村=公綱=実松─実文=実理─実誠─実久┬実麗│  │ │    ││ ├  │└─綱吉 │ ├─────家継 │││
││││││(正親町家)    │     │  ┌───────────┘ └─────────────鷹司孝子││├  │ 月光院      │││
│││││└──公兼─公叙=季秀─季俊─実豊─公通─実連─公明─実光┬実徳   │  │ │    ││    │└─鷹司信子          │││
│││││(九条家)│     │     │  │ ┌──────┘     │  │ │    ││    │ │   │          │││
││││└─────=満家────政基────尚経────稙通───=兼孝────幸家───道房────=兼晴────輔実───尚実──道前──┐│││
││││(二条家) │     │     │  │ ││    ││     │  │ │    ││    │ │   │         ││││
│││└─持通─政嗣─尹房─晴良─昭実=康道─光平=綱平─吉忠┬宗熙│     │  └─────────────┐│   │         ││││
│││  ┌────┘    ┌───────────────┘ └─基継────基任─┬─基音────┬基福────基勝───基香──基衡─┐││││
│││  │    <伏見朝>││     │  │ ││     │     │〔四辻家〕季満─┬───季継 │││   │        │││││
│││  │   ┌─後花園天皇│     │  │ ││     │     │   ││   └───四辻与津子│   │        │││││
│││  │   │ ├─────後土御門天皇  │ ││     │     │   └────┐│││├───┴─賀茂宮│        │││││    
│││  │   │ 大炊御門信子├──────後柏原天皇     │     │    │   │└──櫛笥隆子(逢春門院)        │││││
│││  │   │(嘉楽門院/┌庭田朝子 │ ├─────後奈良天皇     │    │   │ ││├───┬─後西天皇─┐      │││││
││(庭田家)  │ 高倉流孝長女)    └─勧修寺藤子 ├─────正親町天皇(陽光院)   │ │││  ││(良仁親王)│      │││││
│└─┬───────長賢───┴雅行    (豊楽門│└─万里小路栄子├─────誠仁親王   └───園光子(壬生院) │ │      │││││
│ ││ │   │     ││        │院) (吉徳門 └─万里小路房子├─┬──後陽成天皇│├─────後光明天皇│      │││││
│ ││ │   │     ││        │ │    院) (清光院)└─勧修寺晴子├──┬──後水尾天皇│   │ │      │││││
│ ││ │   │     ││        │ │             (新上東└─近衛前子││├─────明正天皇 │      │││││
│ ││ │   │     ││        │ │               門院) (中和門└─徳川和子(東福門院) │      │││││
│ ││ │   │     ││        │ │                │     院)│├─────霊元天皇┐│      │││││
│ ││ │   │     ││        │ │                │     │ └園国子│││├─┬──東山天皇   │││││
│ ││ │   │     ││        │ │                │     │ (新広義││└松木宗子│├─────┐│││││
│ ││ │   │     ││        │ │                │     │   門院)│(敬法門└─櫛笥賀子  ││││││
│ ││ │   │     ││        │ │                │     ├─────┘│ 院)│ (新崇賢門院)││││││
│ ││ │   │     ││        │ │                │     │〔高松宮家〕〔後西天皇〕〔有栖川宮家〕││││││
│ ││ │   │     ││        │ │                │     ├─好仁親王─=良仁親王=┼幸仁親王─┐││││││
│ │(一条家) │     ││        │ │                〔八条宮家〕└一条昭良  │   │ ││    │││││││
│ └──兼冬=昭良─教輔─兼輝─=兼香─┬道香────輝良───忠良──忠香─┐   └─智仁親王┬─智忠親王=┴穏仁親王=┼長仁親王┐│││││││
│(伏見宮家)  │     ││    │   │ │            │         │〔正親町源氏〕   │ (後西第一││││││││
│  │┌─治仁親王     ││    │   │ │            │     ┌邦尚 │〔広幡家〕 (久我通名男)│皇子)││││││││
│  ││(後崇光院)    ││    │   │ │            │     │親王 └─忠幸───=豊忠───長忠┬前豊││││││││
└───┴─貞成親王     ││    │   │ │        ┌貞康親王     ├邦道親王          │ ││└信通││││││││
   │ │├──┴─貞常親王──邦高親王───貞敦親王───邦輔親王─┴邦房親王─貞清親王┴貞致親王─邦永親王──貞建親王─────┐││││││││
   └──庭田幸子(敷政門院)│    │   │ │            │                    │ ││  │││││││││
     └豊通─通言=晴通─通堅─敦通┬通前  │ │            │                    │ ││  │││││││││
     (久我家)     ││   〔久世家〕│ │            │                    │ ││  │││││││││
               ││   └通式─通俊─通音─経式=通夏┬通晃  │                    │ ││  │││││││││
               │┌───────────────────(霊元天皇)───────────────────┘ ││  │││││││││
       ┌────────────(久世家)──────────┘    │                      ││  │││││││││
       │       ││    │┌─────────────(霊元天皇)─────────────────────┘│  │││││││││
       │  ┌─────────────────────────(後西天皇)──────────────────────┘  │││││││││
┌───────────────────────────────────(伏見宮家)─────────────────────────┘││││││││
│┌──────────────────────────────────(八条宮家)──────────────────────────┘│││││││
││┌─────────────────────────────────(有栖川宮家)──────────────────────────┘││││││
│││┌────────────────────────────────(伏見朝)─────────────────────────────┘│││││
││││┌──│──│────││────││──│─│────────(園家)│──────────────────────────────┘││││
│││││┌──────────────────────────────(九条家)───────────────────────────────┘│││
││││││┌─────────────────────────────(勧修寺家)───────────────────────────────┘││
│││││││┌────────────────────────────(鷹司家)─────────────────────────────────┘│
││││││││┌─│─────────────────────────(近衛家)──────────────────────────────────┘
│││││││││(近衛家) ││    ││  │ │            │
││││││││└──家熙─┬──家久────内前───┬経熙────基前────忠熙────忠房────篤麿────文麿────文隆───=忠煇
││││││││(鷹司家) │││    ││  │ ││           │
│││││││└─=┬輔平────政煕─┬──政通──┬─輔煕───=煕通────信輔──┬─平通
││││││││ ┌────┘││   └─────┐││           │    │ ├───=┬尚武────尚通
│││││││(勧修寺家)  ││    ││  ││││           │    │┌和子内親王│
││││││└────顕道────経逸─┬──良顕────経則────経理────顕允  │└──────────────┐
││││││(九条家)│   ││   │││  ││││           │    └─章子───┘        │
│││││└─────輔家───=輔嗣───=尚忠┬=┴─幸経──=┬道孝──┬─道実────道秀────道弘────道成│
│││││(園家)│││   ││   │││  └────────┤    └──────┐              │
││││└──────基理────基茂────基祥──┬─基資────基健────基久───=基信            │
││││   │(新中和門院)└─二条舎子(青綺門院)└───────────┐│     │              │
││││   │ └─近衛尚子 │├─────後桜町天皇│     │    ││     │              │
││││(伏見朝) │├─────桜町天皇││  ││││     │    ││     │              │
│││└────┬──中御門天皇│├─────桃園天皇││     │    ││     │              │
│││    ││ │├───┐└姉小路定子│├───┬─後桃園天皇│    ││     │              │
│││    └──久世夏子 (開明門院)└一条富子││││    │    ││     │              │
│││     │┌─────────────────┘││    │    ││     │              │
│││     ││││   ││   │ ┌──────┤    │    ││     │              │
│││     ││││   ││   │ └欣子内親王└近衛維子 │    ││     │              │
│││     ││││   ││   │ ││ │└─┬祺子   │    ││     │              │
│││     ││││   ││   │ │├ │ ││├    │    ││     │              │
│││     ││││   ││   │ <閑院朝>│└繋子  ┌────────────────────────┐  │
│││     ││││   ││   │┌─光格天皇┐ ├   │└九条夙子(英照皇太后)│           │  │
│││     ││││   ││   │││├─────仁孝天皇─┐├   │└一条美子(昭憲皇太后)      │  │
│││     ││││   ││   └──勧修寺婧子 ├─────孝明天皇│ ├    │           ├──┘
│││     ││││   ││    (東京極院)└─正親町雅子│├─────明治天皇 │           │池田隆政 ┌令和天皇
│││     ││││   ││    ││  │ │(実光女/││中山慶子│ ├─────大正天皇 〔直宮家〕 │├    │├─────愛子内親王
│││     ││││   ││    ││  │ │ 新待賢門院)(典侍御雇)柳原愛子 │├────┬昭和天皇 ├厚子内親王│小和田雅子(恆長女)
│││     ││││   ││    ││  │ │ ├─────和宮親子│(二位の局)└九条節子 │├────┼平成天皇 〔秋篠宮家〕┌眞子内親王
│││     ││││   ││    ││  └───橋本経子│││内親王│┌┤   (貞明皇后)┌─久邇宮良子│├────┼文仁親王 ├佳子内親王
│││     ││││   ││    ││    │(観行院)││├   └─園祥子(小菊典侍) │(香淳皇后)│正田美智子│├────┴悠仁親王
│││     ││││   └─成子内親王│    │     ││徳川家茂 │          │〔秩父宮家〕│(英三郎 │川嶋紀子(辰彦長女)
│││     ││││    │├   ││    │     ││     │          │├雍仁親王 │  長女)└清子内親王
│││     ││││    │大江磐代(蓮上院/岩室おつる) ││     │          ││├    〔常陸宮家〕 ├
│││     ││〔閑院宮家〕│├───┤│    │     ││     │          ││勢津子(会├正仁親王  黒田慶樹
│││     └──直仁親王 ││   ├─盈仁入道親王    ││     │          ││津松平家)│├
│││      ││├────┬典仁親王└─建宮 ┌─────────────┘     〔閑院家〕〔高松宮家〕│津軽華子
│││      ││左衛門佐讃岐├─────美仁親王──孝仁親王──愛仁親王=┬載仁親王──春仁王┌=┼宣仁親王 └貴子内親王
│││      ││(伊藤一中│大中臣祐智女   ││     ││     │         │││├     ├
│││      │││  女)│    ┌──────────────────┘        ┌───喜久子   島津久永
│││      ││└────┘    ││   ││ 徳川家慶││              ││││      近衛忠煇
│││      ││     │    ││   ││ ├   ││水戸斉昭          │││〔三笠宮家〕 ├─────忠大
│││      ││     │    ││   ││┌喬子女王││├─────慶喜────徳川慶久│└崇仁親王 ┌甯子
│││      ││     │    ││   ││├──────吉子女王 [東征大総督]├─┘││ ├────┼寬仁親王
│││(有栖川宮家)│     │    ││   │││    ││     ┌熾仁親王 ┌實枝子女王 高木百合子│├─────彬子女王
││└────────正仁親王=┼職仁親王──織仁親王─┴韶仁親王──幟仁親王─┴威仁親王─┴栽仁王┘│ (正得女)│麻生信子(太賀吉女)
││       ││     (霊元第十七皇子) ││     │└───────────┬─────┐     〔桂宮家〕
││       ││     │    ││   │└────────────┐     │    ││     ├宜仁親王
││(八条宮家) ││     〔常磐井宮家〕〔京極宮家〕    │      〔桂宮家〕 │    ││     〔高円宮家〕
│└───────=┴尚仁親王=┴作宮──=┴文仁親王──家仁親王──公仁親王=┴盛仁親王=┴節仁親王=┴淑子内親王└憲仁親王
│        │(後西   (霊元  │(霊元第六皇子)   │                 │       ├─────承子女王
│        │ 第八皇子) 第十皇子)〔山階宮家〕     │〔山階家〕            │       鳥取久子(滋治郎長女)
│        │           │┌晃親王─┬(菊麿王)──武彦王             │
│        │          ┌──────┘     │  ├              │
│        │          │││   │      │┌佐紀子女王           │
│        │          │││   │ 〔賀陽宮家〕〔賀陽家〕            │
│        │          ││中川宮家→┌邦憲王──┴恒憲王───博忠王       │
│        │          │││久邇宮家〕│    │〔久邇家〕            │
│        │          ││├朝彦親王─┼邦彦王──┬朝融王             │
│        │          │││   │┌┤    │├────────────────┘
│        │          │││   ││〔朝香宮家〕└智子女王〔大谷光暢妻〕
│        │          │││   ││├鳩彦王 │〔朝香家〕
│        │          │││   │││├─────孚彦────誠彦
│        │          │││   ├──允子内親王
│        │          │││   ││〔東久邇宮家〕経子(徳川慶喜九女)
│        │          │││   ││└稔彦王 │ ├───┬─博義王─┐
│        │          │││   ││ ├─────盛厚王 │〔東久邇家〕
│(伏見宮家)  │          │││   ├──聡子内親王 ├─────信彦王 │
│  ┌邦忠親王=┴─貞行親王(桃園皇子)││   ││     └─成子内親王(昭和長女)〔伏見家〕
└──┴邦頼親王───貞敬親王┬─邦家親王─┼貞教親王=┬貞愛親王─┬博恭王──────=┴─博明王
               ├─隆子女王││  ┌──┘     (華頂宮)│
               │    ││〔小松宮家〕      │    │
               │    ││├彰仁親王│      │    │
               │    ││├─────┐     │    │
               │    ││〔華頂宮家〕│     │    │〔華頂家〕
               │    ││├博経親王──博厚親王=┴博恭王=┴─博信王
               │    │││  ││││     〔竹田宮家〕
               │    │││  ││││     ┌恒久王  〔竹田家〕
               │    │││  ││││     │├─────恒徳王───恒正
               │    │││  │├────────昌子内親王
               │    ││〔北白川宮家〕[東武皇帝]
               │    ││├智成親王=┴能久親王─┴成久王        〔北白川家〕
               │    ││├──┘││(輪王寺宮) ├─────永久王───道久王
               │    │└┤   └────────房子内親王
               │    │ │    │ │    〔上野家〕
               │    │ 〔東伏見宮家〕├─────正雄  ┌─久雄〔白川伯王家〕
               │    │ ├依仁親王│ 前波榮   ├───┴=秀治(宍戸松平圀秀次男)
               │    │ │├   │       伊達惠以子(宗基長女)
               │    │ │周子(岩倉具定長女) 〔李氏朝鮮王家〕
               │    │ └和子女王〔大谷光勝室〕 李垠[皇太子]
               〔梨本宮家〕      │〔梨本家〕  ├─────李玖
               └博忠王=┴──菊麿王=┴─守正王───方子
                      



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