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「〔1797年〕寛政の転法によつて仙台領農村は比較的安定した状態となつたが、これに対して伊達家や〔猪狩氏等〕家中の財政難は一向に改善されなかつた。十九世紀はじめの文化文政時代になると、江戸米価下落や蝦夷地警備をはじめとする数度の幕府からの課役、さらに当時の一般的な華美の風潮等によつて、伊達家財政はいよいよ悪化し(中略)た。〔猪狩家等〕家中の窮乏は一層甚だしく、士風の頽廃は藩当局にとり重大な社会問題とさえなつた。しかもこの重大な時期に、藩政の頂点に立つ藩主が代々いずれも若死にしたことは、藩政の衰退に拍車をかけた。」(『宮城縣史』) |
仙台澤田分家初代松吉は、1875(明治8)年2月7日、澤田家三代一馬43歳=まち40歳 の三男に生まれた。私の曾祖叔父である。 前年12月まつゑと結婚していた長兄金五郎はすでに21歳で、次兄佐賀治も12歳に達して いた。金五郎は一馬22歳の子であるから、松吉とはほゞ親子ほども年が離れていた。 翌1876(明治9)年5月、早くも姪ゆゑ (1876〜1956) が生まれ、松吉はわずか1歳年 長の叔父となった。 1879(明治12)年には姪むめの、つづいて1884(明治17)年には甥養太郎が生まれた。 1888(明治21)年13歳の時、次兄佐賀治が25歳で「戦死」した。 1893(明治26)年2月、甥俊郎が生まれた。松吉は、年の離れた兄たちよりは、むしろ ゆゑ以下の甥姪達と近しく、事実上の兄弟姉妹同様に育ったものと想像される。 同年9月、長兄・澤田家四代金五郎は、姪ゆゑに養子辰五郎を配して嗣子とした。
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| 七男五女
松吉は長兄金五郎同様仙台に上り、当初は半子町在某家の山番をしていた由であるが、 やがて仙台郵便局に勤務して仙台〜黒川間の逓送に従事した。のちに嫡子榮松さらには姪 孫てっそん金蔵・金之助等の澤田一族が、逓信省に勤務する先鞭をつけたといえよう。 1894 (明治27) 年12月24日、松吉は鳥屋とやの郷古家(宮下)から妻せん (1877〜1938) を迎えた。せんは1877(明治10)年の生まれで、当時17歳であった。 翌1895 (明治28) 年2月15日、長女ゆきが生まれたが、四日後の同月19日夭折した。松 吉夫妻は多産で、じつに十二子・七男五女をもうけたが、うちゆきを含む五子・三男二女 は早世した。 同年7月には、早くも嫡姪孫金太郎が生まれた。 翌1896 (明治29) 年1月5日、父・澤田家三代一馬が64歳で没した。 同年7月22日、嫡男榮松が誕生した。松吉21歳=せん19歳の子であった。 つづいて誕生した次男榮次郎(1898〜99)・次女たけよ(1900)・三男榮七(1901〜02 )は、不幸にも相ついで夭折した。 1904(明治37)年3月1日、三女まつよが生まれ、ようやくにして無事成長を遂げた。 1906(明治39)年4月3日、四女かつよが誕生した。 1908(明治41)年5月31日、母まちが74歳で没した。 翌1909(明治42)年2月7日、四男勝男が誕生した。 1911(明治44)年2月15日、五男勝三郎が生まれた。私の父・姪孫亥兵衛と同年である 。 1914(大正3)年2月10日に生まれた五女きよは、不幸またしても、翌年2月夭折し た。 1916(大正5)年3月25日、六男千代治が誕生した。 1920 (大正9) 年2月1日、末子・七男末治が生まれた。時に松吉45歳・妻せんは43歳 で、長男榮松よりはじつに24歳の年少であった。
仙台澤田分家の創始
同1920 (大正9) 年、45歳の松吉は、澤田一族としては初めて、仙台市半子町44番地に 分家独立し、「仙台澤田分家」を創建してその始祖となった。かつての仙台澤田氏の故地 仙台に、再び黒川澤田氏の一分流が形成されたのである。 同年松吉は、自宅門前に所在する寿徳寺の僧徳温・伊藤林大夫の次女ときを、これより 先満州に渡っていた甥俊郎に媒酌した。同年8月俊郎はいったん帰国して結婚式を挙げ、 新郎新婦はそろって再び満州に渡った。 翌1921(大正10)年、長兄・澤田本家四代金五郎が68歳で亡くなった。 19□(□□□)年□月□日嫡孫が誕生し、父・澤田本家三代の名を襲って「一馬はしめ 」 と命名した。 * 1938(昭和13)年3月29日、妻せんが62歳で先立った。 19□(昭和□)年□月□日嫡曾孫隆が誕生し、仙台澤田分家は四世同堂の春を迎えた。 この間松吉は、長年の労苦で得た資本をもとでに、北目沖に約2反歩の水田を購入して 長兄金五郎の澤田本家留守宅に小作に出していた。これらの土地は、第二次大戦中の人手 不足から他家に小作に出され、戦後の農地解放によってすべて失われてしまった。 * 1955(昭和30)年姪孫亥兵衛の分家に際して、松吉は一族の長老として、紛争の源とも なりかねない「代々家督」に反対し、甥俊郎・姪孫金蔵らとともに、亥兵衛の澤田本家か らの分家独立に力を尽くした。 翌1956(昭和31)年4月3日、嫡子榮松の妻きよしが55歳で早世した。 18日後の同月21日、こんどは五男勝三郎が46歳で父に先立った。 1960 (昭和35) 年4月4日、松吉は85歳の長寿をまっとうして大往生を遂げた。
第I二I節I 二I代I榮I松I (1896〜1979)
二代榮松
仙台澤田分家二代榮松は、1896(明治29)年7月22日、初代松吉21歳=せん19歳の長男 に生まれた。私の従祖叔父である。 1908(明治41)年、祖母まちが74歳で没した。 榮松は仙台鉄道船舶郵便局に勤務して、のちにはその人事の任にもあたった。従姪金蔵 ・金之助の同局就職の機縁にもなったと思われ、三人は一時仙台鉄道船舶郵便局の同輩と なった。 榮松は、従姪・澤田本家六代金太郎の媒酌で大衡村・高橋きよしと結婚し、六男二女を もうけた。 19□(□□□)年□月□日嫡男が誕生し、曾祖父・澤田本家三代の名を襲って「一馬はし め 」と名づけられた。 19□(昭和□)年□月□日、長女栄子が生まれた。 1928(昭和3)年3月16日、次男栄が誕生した。 19□(昭和□)年□月□日、三男栄三郎が生まれた。 19□(昭和□)年□月□日、四男栄四郎が生まれた。 19□(昭和□)年□月□日、次女静子が誕生した。 19□(昭和□)年□月□日、五男静男が誕生した。 19□(昭和□)年□月□日、末子・六男勝が誕生した。 1938(昭和13)年3月29日、母せんが62歳で亡くなった。 1956(昭和31)年4月3日、妻きよしが55歳で先立った。 同年同月21日、こんどは弟勝三郎が、46歳で父・長兄に先立って亡くなった。 1960 (昭和35) 年4月4日、父・初代松吉が85歳で大往生を遂げた。 1979(昭和54)年9月16日、仙台澤田分家二代榮松は84歳の高齢で亡くなった。
庶流
松吉の三女まつよは、宮崎家に嫁いだ。 松吉の四女かつよは加藤賢作と結婚したが子がなく、末弟末治を養嗣子とした。 * 末治(1920〜) 松吉の七男末治は松吉45歳=せん43歳の末子で、私の従祖叔父である。長兄榮松よりじ つに24歳の年少で、榮松は父松吉21歳の子であったから、兄弟は親子以上に年が離れてい たわけである。 末治は、上述のごとく、四姉加藤かつよの養嗣子となり、加藤家を継いだ。
第I三I節I 三I代I一I馬I (19□〜)
仙台澤田分家三代当主一馬
仙台澤田分家三代一馬はしめ は、19□(昭和□)年□月□日、二代榮松□歳=きよし□歳 の長男に生まれた。仙台澤田分家の当主である。 1938(昭和13)年3月29日、祖母せんが62歳で亡くなった。 一馬は□□弘子と結婚し、二男をもうけた。 19□(昭和□)年□月□日、嫡男隆が誕生した。 19□(昭和□)年□月□日、次男修誕生。修は□□□□と結婚し、別に一家をなした。 1956(昭和31)年4月3日、母きよしが55歳で亡くなった。 1960 (昭和35) 年4月4日、祖父・初代松吉が85歳で大往生した。 1979(昭和54)年9月16日、父・二代榮松が84歳の高齢で亡くなった。 * 庶流 榮松の長女栄子は、古積家に嫁いだ。 榮松の次女静子は、菅野家に嫁いだ。
庶家
澤田栄家 栄は、1928(昭和3)年3月16日、仙台澤田分家二代榮松33歳=きよし□歳の次男に生 まれた。 栄は祖母せんの従兄弟にあたる鶴巣村鳥屋・大友久雄の次女とも子と結婚し、仙台半子 町の仙台澤田分家敷地内に別に一家をなした。とも子の長姉ひさゑは私の学童時代の鶴巣 小学校教師で、末妹豊子は私の一年年長の才女であった。 1955(昭和30)年10月13日、長女敏子が誕生。敏子は加藤家に嫁いだ。 1958(昭和33)年6月4日、長男忠が誕生した。 * 澤田栄三郎家 栄三郎は、19□(昭和□)年□月□日、仙台澤田分家二代榮松□歳=きよし□歳の三男 に生まれた。 栄三郎は□□とよ子と結婚して一男一女をもうけ、別に一家をなした。 19□(昭和□)年□月□、長女玲子が誕生。 19□(昭和□)年□月□、長男淳じゅん 誕生した。 * 澤田栄四郎家 栄四郎は、19□(昭和□)年□月□日、仙台澤田分家二代榮松□歳=きよし□歳の四男 に生まれた。 栄四郎は□□しづのと結婚して二男をもうけ、別に一家をなした。 19□(昭和□)年□月□、長男貢子誕生。 19□(昭和□)年□月□、次男渉わたる が誕生した。 * 澤田静男家 静雄は19□(昭和□)年□月□日、仙台澤田分家二代榮松□歳=きよし□歳の五男に生 まれた。 静男は□□範子と結婚して□男□女をもうけ、別に一家をなした。 19□(昭和□)年□月□、□□□□が誕生。 19□(昭和□)年□月□、□□□□が誕生した。 * 澤田勝家 勝は19□(昭和□)年□月□生日、仙台澤田分家二代榮松□歳=きよし□歳の六男に生 まれた。 勝は□□房子と結婚して□男□女をもうけ、別に一家をなした。 19□(昭和□)年□月□、□□□□が誕生。 19□(昭和□)年□月□、□□□□が誕生した。
第I四I節I 仙I台I澤I田I分I家I庶I家I
澤田勝雄家
勝雄は、1909(明治42)年2月7日、仙台澤田分家初代松吉34歳=せん32歳の四男に生 まれた。私の従祖叔父である。長兄榮松より13歳の年少であった。 勝雄は少年時代、その兄弟姉妹とともにしばしば佐々重なる伯父・澤田本家四代金五郎 を訪れ、盆正月の時節にはお膳の接待にもあずかったという。また、従兄養太郎もしばし ば仙台澤田分家を訪れていたという。 勝雄は父同様鳥屋の郷古家(宮下)から妻つる子を迎え、二男二女をもうけた。 1933(昭和8)年3月25日、長男弘が誕生した。 1938(昭和13)年6月15日、長女陽子誕生。 1941(昭和16)年6月10日、次男仁ひとし 誕生。 1946(昭和21)年2月11日、末子・次女紀美子が誕生した(私と同年である)。 * 二代弘 勝雄の嫡男弘は、妻夏生なつみ との間に一男一女をもうけ、澤田勝男家二代を継いだ。 1961(昭和36)年12月14日、嫡男雅弘が誕生した。 1967(昭和42)年7月10日、長女紀子が誕生。紀子は斉藤家に嫁いだ。 勝男の長女陽子は、安田家に嫁いだ。 勝男の二女紀美子は、糸永家に嫁いだ。 * 澤田仁家 勝雄の次男仁は□□知子と結婚して一子をもうけ、別に一家をなした。 1974(昭和49)年12月29日、長男圭史けいじ が誕生。
澤田勝三郎家
勝三郎は、1911(明治44)年2月15日、松吉36歳=せん34歳の五男に生まれた(私の父 亥兵衛と同年である)。私の従祖叔父である。 勝三郎は妻しづ子との間に一子をもうけ、別に一家をなした。 19□(昭和□)年□月□、長男勝弘が誕生した。 勝三郎は建具師となり、その最初の仕事に四兄勝雄宅の新築をてがけた。 1955(昭和30)年、同年の従姪亥兵衛の分家独立に際し、同家の新築をもてがけた。 翌1956(昭和31)年4月21日、勝三郎は46歳で父に先立ち亡くなった。 * 二代勝弘 勝三郎の長男勝弘は、勝三郎家二代を継いだ。
澤田千代治家
千代治は、1916(大正5)年3月25日、松吉41歳=せん39歳の六男に生まれた。私の従 祖叔父である。長兄榮松より20歳の年少で、既述のごとく、榮松は父松吉21歳の子であっ たから、兄弟は親子ほどに年が離れていた。 千代治はいったん結婚して別に一家をなしたが、後に子を残さずに離婚した。 19□(昭和□)年□月□、千代治は□歳でなくなり、同家は絶えた。 |
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