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1977 夏・記憶に残されたウエストコースト旅日記
Chapter 18
ハワイアン・ウインドの彼方に
Hawaii Then And Now

 5時起床。6時にデュラントホテルを出て、7時過ぎにSFインタナショナル・エアポートに到着。エアオンリーの僕らは、この朝、空港でカリフォルニア大学ひと夏留学組と合流して、ホノルルへ向かうことになっていました。
 留学組の連中は、みんなが仲良しになっており、どこか排他的な雰囲気が漂っているように感じました。グループそのものに体制側的な生命力みたいなものもあって、ちょっと僕らは引いてしまいました。僕ら同様にエアオンリーで参加したロングヘアの3人組も少し後で合流しましたが、ギターケースを抱えた彼らの雰囲気にも、やはり居心地の悪さのようなものが感じられました。

 9時45分発のノースウエスト009便は、そんな僕らを乗せて5時間のフライト。11時45分にホノルル空港に降り立ちました。ウエストコーストとは3時間の時差です。空港を出ると、ホノルル空港特有の生温かい風が出迎えてくれました。
 僕らはそのまま観光バスに乗せられ、パンチボウル、カメハメハ王像が立つダウンタウン、アラモアナビーチと引っ張り回されました。バスはこのツアーとタイアップしていたと思われるのお土産屋にも立ち寄りました。場所は現在のウォードウエアハウスのある辺りで、老舗のヒロ・ハッティだったかもしれません。ただし、当時の僕を魅了するモノはひとつもありませんでした。
 その道中、自分たちの意志とは関係のないところで、色々なところに連れて行かれる事に違和感を感じながらも、初めて見るハワイの美しい景色には感動を覚えざるを得ませんでした。

ワイキキ 夕景 インタナショナルマーケットプレイス
スラックキーのレコードを抱えて見たワイキキビーチの夕景。ビーチコーミングをしている人の姿も写し撮られています 世界各国の旗を立てたインタナショナル・マーケット・プレイスの入口。雑多で小さな店が軒を並べる、日本のアメ横のような場所です。

 ホテルはアラワイ運河沿いのコンドミニアムでした。コンクリートの打ちっ放しの壁。バスの中から見たカラカウア・アベニュー沿いの白く清潔なホテル群とのギャップを感じつつも、とにかく旅装をほどき、ワイキキの中心部へと繰り出しました。
 カラカウア・アベニューは今では数多くの人が行き交い、ホテルもどこか年季を感じさせるようになりましたが、1977年のワイキキは、まだまだ人も少なく、ホテルはどこもピカピカでした。ラグジュアリー・ブランドのストアは見あたらず、インタナショナル・マーケット・プレイスとデューティフリー・ショップが一番大きなショッピングゾーン。そんな記憶が残されています。今では禁酒ゾーンとなってしまったワイキキ・ビーチで、まだビールを飲めた時代です。

 ワイキキ探索を終えると、ホテルのプールで泳ぎました。元気があったのではなく、ただのんびり陽射しを浴び、たまに水に入る、そんな感じだったと思います。それなら、ワイキキビーチに出ればよかったのだと思いますが、プールを選択した意図は、ノートにも記憶にも残されていません。

 その夜に食事したレストランでは、ポリネシアン文化、西洋文化、そして東洋文化が同居するハワイならではのシーンを体験することができました。クラムチャウダーを運んできたウエイトレスは中年の日系女性で、「ホット、ホット、アツイヨ、アツイヨ」と英語と日本語を交え、エネルギッシュな笑顔も添えて、僕の目の前に皿を置いて行きました。このチャンプルーな感覚は僕を瞬時に魅了し、その後の僕に複数回、ハワイへと足を運ばせた要因のひとつになっています。

 翌日は今はもう閉店してしまったウールワースのレストランで食事をしてから、ワイキキビーチでゆっくりしました。ダイヤモンドヘッド、パームツリー、白い砂、青い海と空。遊泳エリアで仰向けに浮かんで空を見上げると、海面越しにカラカウア・アベニュー沿いに建つリゾートホテルや椰子の葉が見えました。
 ハンティントンビーチでは感じることができず、ましてや九十九里でも伊豆でもない、まさに楽園特有の浮遊感と景色が、僕をまたもや魅了しました。

 夕方、食事がてらにまたワイキキビーチを訪れました。途中で買ったスラックキーのレコードを手して見た、ハワイアンサンセット。これもまた美しい風景でした。傾く陽を受けて波は黄金色に輝き、波間ではサーファー達が波をつかまえている。しかし、僕らはその風景をいつまでも見ているわけにはいきません。明日はいよいよ日本に帰る日なのです。

ワイキキビーチ レシート レコード
パームツリーの葉陰、リゾートホテル越しに見えるダイヤモンドヘッド。体格のいいビキニの白人中年女性は、今でもワイキキビーチの名物?です。 ケオラ&カポノ・ビーマーのレコード購入時のレシート。お店の名前はマーク・クリストファー・オブ・ハワイ。価格は税込み7ドル80セント。 最終回の英文タイトルに使用したケオラ&カポノ・ビーマーのレコード。彼らは今やスラックキーギターの巨匠として、数々の教則本も出しています。

 10時にホテルのロビーに集合してホノルル空港へ。1時5分のノースウエスト009便。シスコからハワイに来た飛行機と同じ便です。この頃は、メインランドと日本を結ぶ便は、ハワイを経由していたのだと思います。
 8時間のフライトが終わろうとする頃、窓の外に伊豆半島が見えはじめ、NW009便は横浜上空を通過し羽田空港へと降り立ちました。僕を待っていたのは、どこまでもグレーな風景でした。

 入国手続きを済ませてロビーに出ると、他のメンバー達は彼女や友達の出迎えを受けました。僕はそんな手はずも整えておらず、彼女もいませんでしたから、彼らと早々に別れタクシーに乗りました。レコード満載のスーツケースで爪を割ってしまった、Chapter4で書いたあの運転手のタクシーです。

 首都高を走るタクシーの窓から見る風景は、やはりどこまでもグレーでした。しかし、ここが僕の国なのです。ここでこれからの時間を、他の誰でもない自分になるために生きていく。それが僕に与えられた使命だと、そんなこともおぼろげに思いました。ノートにもそんなことが青臭く書き残されています。「とにかく僕の旅は終わった。そして、また新たな旅に出かけるのだ」と。

end
Buddy Kobayashi