随想録

ここは、Bar唯一管楽器にあまり関係のないことを綴っている部屋です。
マスターが勝手に思ったことを書き殴って行こうと思っています。
Web作成や管楽器に関することを主として書いて行こうと思っていますが、さてどうなる事やら・・・。
お暇な方はどうぞ(笑)

タイトル

更新日

文章は難しい

'99.09.13

三日坊主

'99.09.30

連休終了

'99.10.11

色々有った日

'99.11.27

聖なる夜に・・・

'99.12.24

知らない間に・・・

'00.03.24

夢・・・

'00.04.11

ガンダム

'00.04.24

タイトル

更新日

シティボーイズ
'00.05.12
現在の音楽業界について(序章) '00.06.05

Apple
'00.09.28

とほほのほ・・・
'01.11.07


文章は難しい('99 9/13UP)

 グダグダになってしまった。
練習法のページを新規アップしたのだが、書いている内に話があちこちに行ってしまい収拾がつかなくなってしまった。書き出す前に、こういう話からこういう話へ持っていこう、と考えはしていたのだが、見事に玉砕してしまった。玉砕というと聞こえが良すぎる、零砕としておこう。
 ある一つの事を人に伝える時に、わざと関係のないところから話を切り出すことがよくある(これは論文の基本らしいが)。酒席などでそうして切り出しておいて、途中で「俺は何を言おうとしていたのだろう・・・」とわけがわからなくなってしまう。周りで聞いている奴らも酒が回っているため、あまり問いつめられることもないが、自分では「またやってしまった」と悔悟の涙を人知れず流しているのだ。
 結果だけ話せばいいと思うかも知れないが、その結果をより劇的に、より印象深く相手に伝えたいが為にその様な方法を取ってしまうのであろう。
 それとは別に、自分では完璧な筋書きで話をしていた筈なのに、横からちゃちゃを入れられて他の話題になってしまうこともある。横やりを入れた方は、僕の話がこれから劇的に展開することなど微塵も思っていないだろうから悪気はないのだが。そんな時も、早く結論に達していれば良かった、と後悔するのである。
 話題というのは次から次へと変わる物なので、それはそれで良しとしている。喫茶店で、ずーっと十円玉の話ばかりしていられないのである。

 さて、こうやっている今も何が書きたかったのか、解らなくなってきている。
こんな僕が思うままに書き殴っていく随想録である、気の短い方は読まないようにして下さい。
 おそらく、書を重ねるたびに同じ様な問題が湧き出てくると思う。
 この先どうなるかわからない、やっぱり文章は難しい。


三日坊主('99 9/30UP)

 一念発起という言葉がある。
「或ることを成し遂げよう、また改めようと決心する事」と辞書には出ている。
 僕は一念発起することがよくある。好奇心旺盛なのも手伝って、何かに熱中するととことんまでいってやる!と一念発起するのだ。毎日ジョギングをしよう、部屋を片付けよう、英会話をマスターしよう、等々書き始めたらきりがないほど「一念発起」してきた。が、ことごとく失敗してきている。
 熱しやすく冷めやすいのはAB型の特徴らしいが、僕はAB型ではない。
 盛り上がったら止め処もないが、その盛り上がったことを忘れてしまうのである。冷めるよりひどい結果ではないか。
 そんなわけで一つのことに固執することが少ない。転じて多趣味ということになるが、当然底は浅い。

 日記を書こうという「一念発起」は誰しも経験することではないか。かくいう僕も数え切れないほど日記にトライしてきた。しかしその度に挫折を経験している。というか忘れてしまう。今までの最長記録は7〜8年前に10日間、それも毎日書いての10日ではなく一ヶ月かかって書いた10ページ・・・。今見るとわけがわからない。酔っぱらって書いたと思われるページには、「タニシの墓を作った」とある。一体何をしていたのだ。自分でもわからない。

 そんな僕だから、インターネット上にHPを展開させても、決して成功するはずがないと高をくくっていた。とりあえずオープンにこぎ着け、その後もある程度の更新を重ね、人々にもようやく浸透してきた感がある。嬉しい限りだ。
 今、忙しくて更新する時間が無いのだが、それでも毎日自分のHPは確認しているし、掲示板等の盛り上がりも見ている。このHPだけは三日坊主で終わりたくないと言う決意みたいな物が体の中にある。おそらくそれは、(これも三日坊主を逃れた数少ない物の一つ)トランペットを題材にしているせいもあるだろう。

 今日、憧れの人、数原晋氏からメールが届いた。
 ご自身のHPにリンクを張って下さり、しかも恥ずかしいほど素晴らしい紹介文を書いていただいた。元々このHPを始めるきっかけは、憧れの人 数原氏のHPがなかった事、こんなに素晴らしい方のページが無いとは何事だ、世の人々に数原氏の存在を知らせなくては、という誠に勝手な思想であった。ではその数原氏がご自身のHPを持たれた事で僕の使命は終わりか?・・・いや、そうではない。このページを愛してくれている人々に答えるべく、さらに素晴らしいページに仕上げるという使命が生まれた。それはもう、僕一人の「三日坊主」克服ではない。

 期待して欲しい。Bugler's Barはさらに発展する。


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連休終了('99 10/11UP)

 今年最後の連休が終わりました。
 まあ、強者は11/1と2に休みを取ったり、12/24と25に休みを取ったりするんでしょうけど・・・。
 元々カレンダーに関係のない職業なのですが、世の動向を見ていますと「ああ、連休なんだな」と感じます。今回は天気も良く、行楽や運動会にはもってこいの状況だったんではないでしょうか。

 そういえば、長いこと行楽という物を体験してません。
 遠足、山登り、海水浴、、、人一倍そういうイベントが好きな僕としては憤慨です。そういうことが無くなった原因に、人とスケジュールがあわなくなったというのがあります。ここ数年で同年代の連中は、結婚したり子供を産んだりと人生の大きな分岐点を経験し、アホな仲間(僕のことです)とバカ騒ぎしている暇もないのでしょう。
 仕事にしても責任のある立場に立ったりしてさらに忙しくなってきているみたいです。こうやって書いていると、僕の中で「仲間」というのは故郷の昔から遊んできている友達のことを指しているみたいです。東京の友達とは結構遊んでいる気もしますね(普通の社会人がいないせいもあるでしょうが)。
 それでも遊びたいというこの気持ちは、どこかで帰郷願望というか望郷の念みたいなものがあるのだと思います。もしかすると、子供の頃を懐かしんでいるのかも知れませんね。

 年に数回帰郷しますが、道路などの区画整理が激しく、子供の頃遊んだ野原がほとんど無くなってきています。地震のせいもあるのでしょう(僕の故郷は兵庫県伊丹市、阪神大震災で中心駅が崩壊したところです)。それでなくても、田圃や畑は年々減少している傾向にあるようです。昔は、そういう子供の遊び場(本当は遊んじゃいけないところだろうけど)がたくさんありました。野池や、野山、竹藪、川・・・もう何十年もするとそういうものは見る影もなくなるのでしょうね。
 言葉遣いを間違えたかな、見違えるというべきなのかな。いや、僕にとっては見る影も無いが正しいのです


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色々有った日('99 11/27UP)

 始まりは朝でした。そろそろ寒さも厳しくなってきて、炬燵を出したんです。久しぶりの炬燵に幸せを感じていたのでした。お昼までは・・・。

 結果から言うと、今日はHP開設以来の来店者でした。僕も昼間からちょくちょく自身のHPをチェックしていたのですが、カウンタの回り方が異常に速かったのです。今までの経験上、一日の来店者数は20〜30くらい、休前日でも50行けばいい方でした。それが今日は1時間に100位の割合で回り続けたのです。この驚きは、ある意味恐怖でした。
 掲示板に書き込みしてくれた方の情報で、Yahoo!Japanの【今日のオススメ】に推薦されていたことを知ったのでした。
 やっぱり凄いですね、検索エンジンの力というのは・・・。その後もカウンタは回り続け、結局1日で1000近く回りました。嬉しい限りです。これをきっかけに益々来店者が増えてくれることを願っている今日この頃・・・。

 たまたま今日は家での作業が主だったので、リアルタイムでカウンタの回りを体感できラッキーでした。そんなわけで有頂天になっていた僕にまた一つ、天にも昇るような出来事が・・・。

 携帯電話が鳴りました。どうせ今やっている仕事の変更事項かなんか、もしくはまためんどくさい事を頼まれるのか?と思って電話を取りました。
「もしもし?」
「もしもし?・・・カリキオさんですか?(勿論本名でしたよ(*^_^*))」と中年男性の声。
「!・・・?・・・はい、そうですけど・・・?」
「・・・トランペットの数原です」
「?・・・・・・!は、はい!!」思わず直立不動です。
 聞くと伊丹の(私の実家があるところです)自衛隊の演奏会にゲスト出演するとのこと。伊丹といえば・・・と言うことで思い出してくれたのでした。
 私にとっては神様みたいな存在です。その方から電話がかかってくるなんて・・・!!思えば長い間連絡もせず、不義理な弟子です。しかし僕としては、迷惑では無かろうか、ご多忙ではなかろうか、との思いが縦横無尽に頭の中を駆けめぐって音沙汰なしになってしまっていたのでした。
 メールにおいては何度か便りしていたのですが、数原さんご自身も「メールよりも早いからね」とわざわざ電話を下さったのでした。
しかも、ご本人から電話を頂くなんて・・・感動して体のふるえが止まりませんでした。
 それから雑多なことをお話しして、次のレコーディング時、スタジオにお邪魔させていただくことになりました。どきどきわくわくですね!(*^_^*)

 そんなことがあって、今日は不思議な日だなと思っていたところ、ふとカバンの中身が気になり何気なくかき回していました。すると、封筒に入った現金がみつかったのです。まあ、これは自分自身が忘れていただけなので別に何でもないのですが・・・。ただの忘れんぼさんですね。

 なんやかんやで色々あった日でした。
・・・今、読み返してみましたが、小学生の日記みたいですね(*^_^*)。
【随想録】のタイトルが泣いています。それほど色々あった日だったんです。次回にご期待下さい。


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聖なる夜に・・・('99 12/24UP)

 今年も残すところ一週間。
 この時期は毎年思うのだが、時の過ぎるのが早く感じる。ついこないだ正月を迎えたと思っていたのに、もう年末。と言うと大げさに聞こえるが、誰しも思うところではないだろうか。
 そうしていつも思うのは、今年もやり残したことがあると言う後悔と、来年はいい年にするぞと、今年は「なかったこと」にしてしまうずるい心。

 ふと今年を振り返ってみる。
 今年は目標がいくつかあった。あえてここでは書かないが、自分の掲げた目標が達成できたとは思っていない。時が経つに連れ、当初の目標は別の目標に姿を変えていった、という事もある。

 今年の後半はでかい仕事をやった。というか、まだやっている。
 日本最高峰のミュージシャンとの仕事だった。
 話が来たのは九月。友人のベーシストからだった。詳細は解らないがとある音楽講座の監修、という話だった。ただ残念なのは、それがラッパの仕事じゃ無いことだった。
 しかし、音楽の仕事には変わりなく、ほとんど二つ返事で快諾した。
 仕事の概略はこうである、とある大物ミュージシャンの名前で通信講座を立ち上げる。スタートは2000年1月。ついてはその講座のテキストや課題を年内にあげなければいけない。そのミュージシャンは多忙な為、このプロジェクトに付きっきりになることは不可能である。そのミュージシャンの変わりに監修をしてくれ、と。
 唯一大変だったのは、そのミュージシャンが嫌いだった事。
 資料として音源や書籍が大量に送られてきて、その数は膨大であった。それらをあさっていく内に、そのミュージシャンの考え方や音楽が解るようになってきた。今まで、ただ嫌いだった(食わず嫌いと言った方がよいか)のが、少しは理解できるようになったのである。

 なぜ、嫌いだったのか。俺の考える音楽とは全く正反対の音楽をしていたからである。生楽器をほとんど使用しない音楽。日本の音楽シーンを根本から変えてしまった影響力。おおよそ管楽器奏者の引き受ける仕事ではなかったような気がする。
 しばらくして本人と会う機会が設けられた。話してみると、人当たりも良くかなりの好印象。時間を忘れて音楽談義に華が咲いた。
 たしかに向かうべき方向や考え方は俺とは違うけれど、音楽を好きだという心に変わりは無いという結論に達し、ある意味割り切って仕事をこなしてきた。

 そうやって思ったことは、現実の社会の中でもこのような事は有るのではないか、と。つまり、ろくに会話も交わさずなんとなく敬遠してしまう人。そんな人とでも、話をすれば本当はいい奴なのかも知れないと。ちょっとのすれ違いで分かれてしまった恋人達も、付き合った当初は愛し合っていたという事実。
 人の心は移ろいやすいと言うけれど、ほんの少し遠回りしてもう一度見つめてみるのもいいかも知れない。

 聖なる夜・・・街を行き交う恋人達を見ながら少し思った。
 ま、なんにせよメリークリスマス!


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知らない間に・・・('00 03/24UP)

更新間隔がこんなに空いてしまった・・・。
我ながら慚悔の念に悩まされる。
良くもこんなに間隔が空いた物である・・・。正に、とほほ状態。

たくさん書かなければいけないことがある。
まずは前回(と言っても3ヶ月前)も触れているが、小室哲哉氏との仕事である。
仕事の期間中は、オフレコやら企業機密などの制約があり小室氏の名前も出せず仕事の内容も口外無用であった。
仕事の概略は前回に書いたとおりである。
その仕事も今年初めにアップした。
その後は自らのラッパの技術を磨くために自主トレに励んでいた。

ハワイの話が舞い込んだのはそんなある日の事であった。
詳細はハワイのコンテンツを観ていただくことにするが、何やら自分の星回りが気持ち悪い程上手く回っている感がある。
小室氏との仕事のギャラが入ったらどっかリゾートに行きたいなあ、と思っていたのである。行き先はハワイが最有力であった。
そんな矢先に仕事としてハワイ行きが決まったのである。しかも私の中の神様、数原さんからのお誘い、数原さんと一緒に仕事でラッパが吹ける、である。
気持ち悪くなるのも当然である。
そんな人生最高とも言える期間を浮かれて過ごさないために、自主トレに励むようにし向けていた。
そんな合間を縫って数原さんに会いに行ったり、ライブを観に行ったりしていた。
そうやってこの2ヶ月を過ごして来て、ようやくハワイから帰国した今、これからの身の振り方を真剣に考えなければと霜烈に感じているところである。

さて、堅い話が続いてきたので少し雑談を・・・。
最近HP更新が滞っていた言い訳をさせて貰おうと思う(*^_^*)。
まず一つにHTML作成ソフトであるAdobe PageMillの不調。
アップロードがどうしても出来ない状況に陥っていた。
Fetchで対応していたが、次第にめんどくさくなりHP作成自体から遠ざかることになる。
そして最近は、デジカム購入に関する様々な事柄・・・。
ここに他の場所で書いた文章が有るので転載する事にする。

   *

実はハワイに旅立つ前に少し大きな買い物をしました。(そんな大層に言うほどのモンでも無いですが)実はデジカムを買ってしまったのです。
で、ハワイ滞在中に回したりしてたんですが、そのデジカム内部の画像をマックに取り込みたいのです。
動画はFireWireというマック自慢のポートで取り込めるのですが、静止画を取り込む方法を模索中です。
そのデジカムは(テープとは別に)カードに画像を記憶させることが出来るのですが(いわゆる普通のデジカメ状態ですね)、そのカードを読むカードリーダーが発売されていないのです。
最近のカードの流行りでは「スマートメディア」や「コンパクトフラッシュ」などがあり、これらのカードリーダーは一杯出ています。
しか〜し!私のカードは「マルチメディアカード」という訳のわからん代モンなのです!
購入前はそういうカード事情にも詳しくなく、まあどんな種類でもカードリーダーくらい出てるやろ?てなモンでしたが、いざ取り込もうとするとカードリーダーがない!マルチメディアカードというカードの不遇の状況を目の当たりにしている今日この頃です。
一応購入時に店員にそのことを訊いたのですが、「カードリーダー出てますよ」という簡単な受け答えに騙されたのです。お〜まいがっ!
その事も含め、これからどうするか思案中です(店員のせいにしてクレームをつける、など(*^_^*))。
しっかりしてくれよパナソニック〜!。

そして数日後・・・

デジカムを買いに行った某大型量販店(ここでは仮にBとします)。
最終的にSONYとパナに絞った結果、店員に「マルチメディアカードのリーダーはあります」といわれ、パナにしたのは前回お話ししました。
で、本日、パナのお客様相談窓口に電話して確認した所やはり「出てない」との事でした。
そうなれば話は急展開です!
Bに電話しました。
「こうこうこういう理由でパナのデジカムを買ったが、リーダー出てへんやないけ!ちゃうメーカーのデジカメに換えろ!」という内容のクレームを冷静に丁寧にお伝えしました。
すると、「交換致します」と謝罪付きであっさり二つ返事。
少し拍子抜けした物の、こりゃラッキーてなもんで早速Bに向かいました。
ここからが本番!!

Bに着いて、電話した担当者を訪ねると客の接待中との事で、ここでまず20分近く待たされました。
やっと担当者が現れたので、他メーカーのデジカメに換えようとしている旨を伝えました。
私の中では後はもうSONYしか無かったので、SONYにする旨をつたえると、また間が悪いことにSONYはSONYで独自のフォーマット(メモリースティック)のカード形態です。
そのメモリースティック用のリーダーも出ていないのです!!
もういい加減イヤになってきて、「じゃあデジカメはパナのままで、PCカードリーダーを買います」と妥協しました。

解説・・・マルチメディア専用のPCカードが7,000円位で有って、さらにそのPCカードを読むためのリーダーが必要(これが1万円位)なのです。
当初はマルチメディアを直で読めるカードリーダーが出ているって話しだったのです。つまり1万円(PCカードリーダー分)余計に必要になってしまったのです。

まあ、もうこうなったらしょうがないので、1万円は妥協する事にした訳ですね。
で、とりあえずPCカードを買いました(7,000円)。
(何故とりあえずかと言うと、Bはパソコン館と家電部門が分かれていてPCカードは家電でPCカードリーダーはパソコン館なのでした。ややこしい(´ヘ`;))
で、パソコン館へ・・・。
すると、「マルチメディアPCカード対応のPCカードリーダーは出てない」との事。
もうこの辺からイライラがレッドゾーンに進入してきました。
また「話が違う」と言う事になりBの店員は大慌て!(最終的に3人の店員が私にくっついてケアーしてくれました)
とりあえずPCカードリーダーはあるが、公にマルチメディアに対応しているとは謳っていない。
じゃあ、動作確認してみよう、と言う話になる。
それならばマックで、と私。
マックの所に行くが店員はマックに詳しくないらしく、結局インストールやらその他の設定は私がし、何やかんやで動作することが確認できました。
店に着いて、ここまで約2時間・・・(´ヘ`;)。

いざ購入、の段になり私の中の眠れる獅子がむくりと起き出しました。
「ねえ、これ、この値段で売るつもり?」
「・・・」
私は、これまでのいきさつをもう一度おさらいし始めました。
元々はデジカム購入段階の店員のミスが原因、そして今日クレームを対処する担当員に20分待たされた話、PCカードならばOKという話でPCカードリーダー買おうとすると未対応だった事、動作確認を私がした事etc........。
二人の店員はしばしの沈黙の後、何やらこそこそ打ち合わせをし、そのPCカードリーダー(9,800円)を指し、「この値段は元々ぎりぎりなのでこれ以上引けないんです。でも9,500円にします」
・・・?(・_。)?(。_・)? ・・・(*^_^*)。思わず笑ってしまいました。
300円?!たった300円の値引きで事を済まそうとしてるんかい?!
眠れる獅子は正に百獣の王の貫禄を示し出しました。
「ちょっと・・・偉い人呼んでくれる?」

すぐさま偉い人が飛んできました。既に店内には蛍の光が流れ始めています。
さっきも書いた通りパソコン館と家電は別で、その偉い人は家電の人でした。
「このPCカードリーダーはパソコン部門なのでこちらで値引きは出来ません。その代わり家電部門で既に購入済みのデジカムの値段から値引きさせていただきます」との事。

結局、1万円値引きさせる事に成功しました。(つまりPCカードリーダー分が浮いた訳です)
しかし、あそこで何も言わなければ300円の値引きだけやったと思うとぞっとしますね(*^_^*)。

   *

という訳である。
画像を取り込むことが出来なかったのだ。
ならばテキストだけで作れば良い、というご意見もおありかと思うが、画像の件が頭を占拠し、それどころでは無かったのである。
まあ、単純に色々と雑用が多かったという理由もあるのではあるが・・・。

ま、そんな訳である。言い訳であるから、あまり美しい物ではない。はっきり言えば見苦しい態度である。
これからは(出来るだけ)HPのケアーをしなければ、と心に言い聞かせている今日この頃である。
長くなりました。ここまで付き合って頂いたあなた。
くだらない内容で本当に申し訳ありません。
ではまた・・・(^.^)/~~~


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夢・・・('00 04/11UP)
今年も桜満開の春爛漫の時期になった。
昨日(4/9)は本当に満開で、お天気も良く絶好の花見日和。そんなわけで2年ぶりの花見に出かけた。
趣味でやっている草野球のチームメンバーが集まってのお花見。
この草野球のメンバーはいろんな人種が居て、俳優、ミュージシャン、板前・・・と普通の会社勤めの人はほとんど居ない。
それぞれがいろんな夢を持って生活している面々で、話をしていても互いに頷ける部分が有ったりして楽しい。
昼の2時に始まった宴は、知らない間に日が落ちていても続けられた。
アルコールを煽り、それぞれの舌が滑らかになってくると決まって出てくる話題は野球の話。今年のペナントの行方を必死になって語り合ったりする。ここでは自分の職業がどうという話は皆無で、こういうくだらない話ばかりである。そこが気に入っている。
そんな中、話はどういう訳か一人の若者の話になった。彼は我が野球チームの監督で、(監督というと聞こえは良いが、いわゆる連絡をとったりグラウンドを予約したりという一番大変な係なのだが)、今は家業を手伝っている。
その彼が、実はイラストレーターになりたい、という話を初めて聞いたのだ。付き合いはもう3年以上になるかと思われるが、そんな話は聞いたことがなかった。
今はイラストの学校に行くための学費を溜めるために家業を手伝っているとのことであった。
若いと行っても彼は今年25になるのだが、我々から見れば若いのだ。
話に加わっていた面々は「俳優37歳」「板前28歳」「ミュージシャン29歳」であった。
彼がどれほど本気で語っていたかは解らないが、私はその時別の事を考えていた。
自分が25の頃、この前後1年をたした3年間くらい、ちょっとした壁に当たっていた。何をやっても上手くいかない時期で、半分自暴自棄になっていたように思う。毎日浴びるように飲んでいた時期である。日頃の鬱憤から逃れたいためにアルコールの力を借りていたように思う。
忙しさは頂点に達していたが、決して収入に直結せず、「貧乏ヒマ無し」の典型の様な生活であった。
鳴り物入りでデビューした割には、トンと売れないバンドに所属し、それでも少しでも良い方向に持っていこうと頑張っていた時期。ラッパをいくら練習しても、ある一定のフレーズがどうしても克服できない時期。5年ほど付き合っていた彼女と別れた時期・・・。
何せ、世界の全てが自分に逆らって回っているような気がしていた。こういう場合、循環は悪い方へ悪い方へ進んでいく物である。
本気でラッパをやめて故郷へ帰ってしまおうか、と考えたこともある。帰ったからどうなるモンでもないので、その案は却下されたが。
あの時、俺は何を考えていただろう?・・・ということを考えていた。
酔っていたせいもあるだろう。夜桜があまりにも綺麗だったせいもあるかも。
ほんの一瞬では有るが、自分一人別世界を漂っていた。
目の前の若者は25を過ぎてから自分の夢に向かって進んでいくつもりなのだ。
すごく羨ましくなった。
決して今の自分の立場が嫌なわけではない。ただ何となく羨ましくなったのである。
実は私にも夢はある。
29の私が見る夢である。
おそらく25の時よりも大きくなっている夢である。
ここでは書かない。ただ、いくつになっても夢に向かって進んでいたい、と思った。

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ガンダム('00 04/23)

なんちゅうタイトルや・・・(*^_^*)。
いやあ、最近このコンテンツを読み返してみたら、あまりにも役に立たない情報ばかりで、自分でイヤになってきてしまったのである。
元々、誰へ向ける訳でも無く書き始めた随想録なのだから気にする必要もないのだが、A型の私としてはやはり気になるのである。
で、気になり始めたら止まらないので、この際開き直ることにした。
しばらくは私の好きなモノの事を書こうと思う(これも、いつまで続くかの保証はしない)。

昔から、「自分の感動した何か」の事を人に話すのが好きなタチで、他人から見ればはた迷惑なこと甚だしいと思うわけである。
なぜなら、私が人のそういう話を聞くのが嫌いだからである。
例えば、美味いラーメン屋があったとする。そこのラーメンを私は食べたことが無い。友人は食べた事がある。
その友人は私にそのラーメン屋の事を教えてくれる。私はいつかヒマがあれば行く、と応える。それでいい。
しか〜し!それで済まない友人が中にはいるのである。何故美味いのか、スープのダシは・・・、店のオヤジの家族構成が・・・、夫婦喧嘩をした日のスープは少し辛い・・・、などの訳のわからない情報までくれたりするヤツがいる。
そこまで言われんでも行くっちゅうねん!と言ってようやく友人のクセは治まるわけであるが、大変なのは私が難色を示したときである。
何故行かないのだ?!あそこはホンマに美味い!!何故美味いかは・・・果てしなく続く。
そう、ほっとけ、なのである。ラーメン屋に行くか行かないかは私が決める事。友人は、あそこは美味いよ、という情報をくれるだけで良いのである。
そういうお節介が嫌いなのに、当の自分はそのお節介の最たるモノである。困ったことだ。
そういうわけで、私はぐだぐだと色々書くが、それを試すかどうかはこれを読んだあなた自身が決めれば良いことである。
間違いないのは、私がそれらを大好きであると言うことだけだから・・・。

前置きがかなり長くなってしまった。
記念すべき第一回は、アニメ「機動戦士ガンダム」である。なかなか情けない選択である。他にも色々と書くモノがあるだろうに・・・(*^_^*)。
俗に私の歳の世代は「ガンダム世代」と呼ばれる世代である。
テレビで「機動戦士ガンダム」の記念すべき第一回の放送が行われたのが1980年(かな?)。大体その'80年頃に小学校高学年〜中学生の世代がガンダム世代と呼ばれている世代である。
その頃私は小学校5年だったと思う。学校に行けば男の子はみんなガンダムの話題、女の子はたのきんトリオの話題・・・という年代である。
しかし私は最初からガンダムに狂っていた訳ではない。もっと言えば「何それ?たかがロボットでしょ?何を浮かれとるかガキンチョ共」というスタンスであった。
だが、既に小学校という社会の中ではガンダムの話が分からないと友達との会話についていけないようになっていた。遊びにしても、それまでの野原を駆け回ったり、草野球をしたり、という子供らしい遊びから、ガンダムのプラモデル(いわゆるガンプラ)を友人の家に集まってみんなで作る、というインドアの遊びに変わっていった。
しょうがないので、付き合いで私もそれに参加することになった。と言っても参加するにはガンプラが必要である。その頃のガンプラといえば、ドコに言っても手に入るモノではなかった。今、プレステ2が手に入らないのとは訳が違う。本当に手に入らなかった。
模型店の店先に「○月○日ガンプラ入荷!」の張り紙を見つけ、その日に友人と模型店に向かう。凄いのはここからである。今では考えられないような事であるが、自分の欲しいプラモデルを選べないのである。ガンプラを欲しい子供達が列を作って並ぶ。列の先頭では店員がどういう順番か知らないがそこにあるガンプラを渡して行くのである。ザクがどうとかガンダムがどうとか言ってられないのである。ただ渡されたガンプラしか選択の余地は無いのである。
私の記念すべき第一作となるガンプラは「ガンタンク」であった。連邦軍のどう考えても強そうじゃないモビルスーツで、劇場公開版「めぐりあい宇宙」ではその姿さえ現さない情けない戦車もどきである。
ガンプラを作る楽しみの一つに塗装がある。プラモデル用の塗料と筆で細かい部品を塗っていくのが楽しいのであるが、プラモデルを買うと塗料を買う余裕のなかった私は、その初めてのガンプラを絵の具で塗った。図工の時間に使う普通の絵の具である。乾くとパリパリと剥がれてきて哀しかった。

おっと!まだ本題に入れていない。
これは書く前から恐れていたことであるが、自分の好きなことを書こうとすると、あれこれと無駄な事まで書きたくなってしまいつい長くなってしまう。
そんな前途多難なスタートを切ったのに何故ガンダムの世界に入っていったか?それを書かなければ・・・。

ある日小学校からの帰り道、Nクンと一緒に帰ることになった。私の記憶の中でNクンとはそんなに仲が良かった訳でも無いし、一緒に帰るという事もほとんど無かったと思う。何故かたまたまそうなったのである。
そういう事って大人になってからもあるもので、ある種奇妙な空気というか、何を話せばいいの?的な気まずい感じになる。だからといって走って帰る訳にもいかず、何か当たり障りのないことを話してお茶を濁すしかない。別にその人が嫌いとかそういう訳ではないのです、念のため。
私はその時「ガンダムって、どういう話なん?」と、とりあえず流行の最先端の話を浴びせてみた。無難な選択である。
(不思議とこの時の事ははっきりと覚えている。場所や天気や二人の立ち位置、果ては話した一言一句まで。何故かはわからない)
「ジオン軍てゆうのと連邦軍てゆうのがあんねん」Nクンは静かに話し始めた。
それから別れるまでの15分間は夢のようであった。それまで全く話に入れなかった私の中で、それでも単語やエピソードなどは少しは入ってきた、そのほんの少しの糸くず達が寄り合い紡がれていく。あれ?この道ってここに繋がるんや?!的な喜びである。
そうして、私はその次の週のガンダムの放送を初めて観た。勿論ストーリーが完全に理解出来たわけではなかったが・・・。
だが、その時はそれきりだった。続けてガンダムを見続けることを私はしなかった。理由はわからない。
それから数年後、劇場公開された「機動戦士ガンダム」を、公開終了後テレビで観た。もう中学生になっていた。
そこでハマってしまったのである。

まずハマったのは何と言ってもストーリー。
今でこそアニメは立派なジャンルとして確立されているが、その頃の私のイメージでは、アニメというのは子供のためにある物と思っていた。
昔から周りの同級生達より大人ぶっていた私が、番組開始当初にのめり込まなかった理由の一つであろうと思われる。
劇場公開版は「機動戦士ガンダム」「同 哀戦士編」「同。 めぐりあい宇宙編」の3作があるが、テレビ版の物語を凝縮した物がこの3作だと考えて貰って良い。
時間の都合で、テレビ版では観られたエピソードがカットされたりはしているが、概ねこの3本の映画版を観れば「初代ガンダム」の世界は堪能出来るであろう。
それまでのアニメの主役にないキャラクター性をもった主役の少年、アムロ・レイ。決して喧嘩が強いとか頭が良いとかではなく、ハンサムとも言えない。どちらかといえば戦争が一番似合わないタイプの弱い少年である。その弱い少年が物語の進行と共に成長していくのがわかる。
もう一つ言えるのは、何でもかんでもこの主役のアムロが中心では無いと言うこと。それまでの子供向けのアニメキャラクターは、主役or脇役の二者択一だったように思う。逆に言えば、それだけアムロが主役ぽくなかったとも言えるが、周りのキャラクターの人間性が豊かだった事も見逃せない。
もしかしたらアムロよりも人気があったかも知れないジオン軍のエースパイロット「シャア・アズナブル」や、アムロと同じ連邦軍ホワイトベースのクルーの面々など様々な登場人物がその奥に秘められた人間性を露呈する。
何でもかんでも正義と悪でスパッと線を引き、最後には子供だましの技で悪をやっつける、という図式に飽き飽きしていた我々にとって、「戦争」というテーマで描かれたガンダムはカルチャーショックであった。
一応形式的には「地球連邦軍」にスポットを当てて物語は進行していくのだが、決して連邦軍は正義ではない、と同時に「ジオン軍」が悪でもない。

物語は地球連邦軍とジオン軍の間に起こった戦争(通称一年戦争)、その勃発間もない頃からその終戦までを綴っている。
戦争そのものの描写もさることながら、政治的な背景や人間同士のヒューマンドラマ、巧みなサイドストーリーが複雑怪奇に絡み合い、素晴らしい作品に仕上がっている。何でもかんでも爆発したり、とりあえずロボットを闘わせたりというそれまでの子供向けのアニメとは明らかに違っていた。
一年戦争を綴った単なる戦記物でない事はそのサイドストーリーやテーマを見ても明らかで、私見であるが3部作はそれぞれ「主人公アムロの成長」「人の生き死にについて」「人としての新たな覚醒・革新」という大きなテーマがある。
そしてその中に複雑な人間関係が絡み合い、非常に奥深い作品になっているのである。

初めてガンダムを観てから今まで、おそらく30回以上は観ていると思う(年に2回は必ず観ていると思うので)。1回につき約6時間かかるので、180時間(1週間と半日)ほど見ている事になる。
まだまだ書き足りない気はするのだが、この辺で筆を置くことにする。止まりそうにないからだ。
このテーマでHPを作れるくらいの勢いなのだから当然である。
今回から、自分の好きな物について書こうと決めたのだが、初回からこんな事では先が思いやられる。多分、余計な事を書きすぎているのであろう。
次回からの反省点に加えておくことにする(治りそうも無いのは火を見るよりも明らかではあるが)。
さ〜て、次回は何を書くかな・・・。


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