数原晋(かずはらすすむ)Susumu"Shin"Kazuhara
スタジオミュージシャンという職業に耳慣れない方もいると思います。
ほんの少しこの職業について説明します。
皆さんが日頃聴いている(聴いていた)CDやレコード類、それから映画やTVラジオなどで流れる音楽、
これらは全てスタジオレコーディングという作業を経て世に出ています。(ライブは除いて)
レコーディングスタジオの現場では当然その音楽を演奏する奏者が必要です。
ドラム、ベース、ギター、キーボード・・・数え上げたらキリがありませんが、その楽器を演奏する奏者がいなければ録音が出来ない事は誰でもわかりますね。
この作業を請け負うのがスタジオミュージシャンです。
当日渡された譜面を見て一瞬に理解し演奏しこなす、いわばプロ中のプロ。
ほとんどが個人事業主、保障もなく自分の腕だけが頼り。
そんな厳しい世界で、「トランペットといえば数原晋」とまで言われる彼は一体何者なのでしょう。
トップに君臨するためには理由があります。
腕前、音色、奏法、仕事の早さ、信頼、音楽性、知識、努力、研究心、愛・・・
これらの事で他の追随を許さなければ良いのです。
言葉で言えば簡単ですね。
よければ皆さんお手持ちのCDのミュージシャンクレジットを見てみて下さい。
Brassが入っている日本のアルバムですよ。何枚かありますか?
好きなアーティストので構いません。
Trumpetのクレジットに「数原 晋」の名前はありませんか?
(晋様のスタジオワークの内容が少しでもわかってもらえたらと思い、スタジオワーク見学記、ついでにライブ見学記をご用意しました)
この偉大なるトランペッターを皆さんに少しでも紹介したくてこのバーをオープン致しました。
このバーの全てのメニューには彼のテイストがたっぷり詰まっているはずです。
ほんの少しですが、プロフィールをご紹介します。
本名 | 数原晋(かずはらすすむ)名前が「しん」とクレジットされていることが多い。本人にお尋ねしましたが特に使い分けているわけではないとのことです。 |
出身 | 岡山県岡山市 |
生年月日 | 1946(昭和21年)9.13 |
Tp.との出会い | 桑田中〜岡山東商業高と吹奏楽でTp.と親しみ国立音大へ(中退) |
活動略歴 | 高橋達也と東京ユニオン、豊岡豊とスイング・フェイス、宮間利之とニューハード、原信夫とシャープ&フラッツ等を経てフリーに。超売れっ子として数限りないスタジオワークをこなす |
主なRecording | ルパン三世、必殺シリーズ、杏里、山下達郎、角松敏生、さだまさし、渡辺美里、チャゲ&飛鳥、井上陽水、ユーミン、郷ひろみ、矢沢永吉、松田聖子、南こうせつ、服部克久、服部隆之、堀井勝美、等・・・数え上げたらきりがありません。 |
参加 | 菊池ひみこグループ、三木敏悟インナー・ギャラクシー・オーケストラ、前田憲男ウィンドブレイカーズ等 |
リーダーバンド | 東京ジャズ・アンサンブル・ラボ(東京アンサンブル・ラボ) |
吹奏楽でTp.と出会った訳ですが、最初はサックスがやりたかったらしいです。
でも出来たばっかりのクラブなのでサックスがなかった、だからしょうがなくTp.を始めたということです。
それから高校に進学し「吹奏楽一筋」の高校生活を送ることになります。
その頃にジャズに目覚め(主にデキシー)はまった、もちろん吹奏楽やクラシックと平行して。
卒業後一度就職するが音楽の道を諦めきれずに退社、いろいろ悩んだあげくキャバレーバンドに3rdTp.兼ボーヤで入る。入ってすぐにリードTp.の人の替わりを吹いたら数原氏の方が上手かった!でリードに。
二年ほどそこで吹いてお金を貯め、音楽学校に進むといって会社を辞めた手前音大を受験するに至る。
見事国立音大に入学、北村源三氏に師事するがあっという間に飛び出してキャバレー「銀馬車」へ。
この頃からデキシーからモダンへ移行する。本人曰く「そまりやすいから(笑)」
その後数々のビッグバンドを渡り歩きついにフリーへ。
ビッグバンドでは様々な勉強をこなし着々とトップの座へ近づいていたんですね。
そのバンドで自分より上手い奴がいなくなったら次へ移る、と言うような感じですね。
もうこの頃はこの世界で数原晋の名前を知らない者はいなかったんじゃないでしょうか。
そして数原伝説が始まるわけですが、ここでどうしても必要な出会いがあります。
ジェリー・ヘイ(元SEAWIND)、アメリカで最高のスタジオトランペッターです。
実際、会うまでにレコードなどで夢中になってたらしいですが、会ってからはもう大変。
多分私が数原氏に狂っている以上に、数原氏はジェリーに狂っていたようです(今も)。
ジェリーに会わなければ、今の数原氏(ということは今のブラス音楽界)は無かったかも知れません。
それくらい数原氏にとって、ひいては日本のブラス音楽界にとって大事な出会いでした。
初めての出会い(競演)は'81クインシージョーンズ日本公演でした。
(この時の模様はCD「ライブアット武道館」D32Y3045、レーザーディスク「同名」に収録。)
ジェリーは向こうのリードTp.奏者、数原氏はシャープ&フラッツのトラとして競演が実現したのです。
この頃もう一つの素晴らしい出会いがあります。
カリキオです。
日本では馴染みの薄かったこのメーカーをジェリーは使用していました。
当然ジェリーに首ったけの数原氏が放っておく筈はありません。
数原氏が使用しているとなると周りのプレイヤーも使う、この様に瞬く間にカリキオはスタンダードになりました。
奏法、音色、感性、センス・・・
どれをとってもジェリー・ヘイを手本にブラスの世界は飛躍してきました。 つづく・・・・
次に演奏スタイル。音色の所と重複するかも知れませんが、ラッパは明るく華やかであるべきです。
一つのフレーズを吹くにしても、数原氏は歯切れ良く軽いごきげんサウンドです。
これは、米国で言えば東海岸と西海岸の違いといえば解りやすいでしょうか。
良く刃物に例えて、東海岸をナタの重厚な切れ味とすると、西海岸はカミソリの鋭さ、繊細さと言われます。
うまいこと言うモンだと感心させられます。(演奏スタイルそのものの違いもあるでしょうが、西海岸の湿気の少ない気候は生楽器に多大な影響を与えます。生ピアノ、ストリングス等の木材などは顕著に現れます。金属にも微妙に影響は与えているでしょう。スタジオ内部の壁材なんかにも関係あると思います)
数原氏は西海岸サウンドと言うことになります。ジェリー・ヘイが西海岸の代表選手と言う事を考えれば当然ですね。
忘れてはならないのが味です。これがぴかいちなんですよ!
技術や音色などは鍛錬や楽器などで何とかなるかも知れません、が味にかけてはセンスでありその人の個性そのものなのです。バッキングパターンなどは、研究をすれば比較的容易に模奏出来るでしょう。しかし、ソロやメロに行った時の数原氏は水を得た魚です。数原節と言いますか何と言いますか・・・。バラードでは如実に現れます。
これこそ数原サウンドと唸らずにはいられません。しかし悲しいかな、こういう部分は表に出にくいのです。
先ほどラッパは華やかと言いましたが、人は派手にぎゅんぎゅんハイノートに行っているラッパ吹きの方が華やかでかっちょいいという錯覚に陥ってしまっているのです。
本当の数原氏のかっこよさは、本当に細かい微妙な部分だと思います。
そして当然技術です。とやかく言うまでもありません。タンギングの種類も膨大です。色んなプレイヤーのアドリブスタイルや手癖の研究は勿論のこと、タンギングの種類等も細かくチェックなさっています。
何せ研究熱心な方で、本当にラッパを愛しておられるというのがわかります。好きこそ物の・・・と言いますが、その言葉が本当にぴったり当てはまります。休みの日にも楽器屋に顔を出されますし、暇があればラッパのことを考えていらっしゃるし・・・趣味がラッパなのですね。
おそらくず〜っと同じスタイルで来たのでしょう、今も。
ということは、数原氏と同じ量の練習をし、研究を重ね、勉強したとしても数原氏には追いつけないのです。
もっともっとたくさんの練習・研究・勉強等が必要になってくるわけです。イヤになってきた・・・。
一応4項目に分けて書いてみましたが、伝わるのかどうか・・・。
やっぱり音を聴いて下さい。それが一番の解決策です。
数原氏との出会い
いつからだろう?遡ること十数年、最初にその名前を認識したのは中学1年の時。
吹奏楽部だった私は、1年生ながら「Take The A Train」のソロを吹く羽目になり、その譜面の音源である東芝EMIのニューサウンズインブラスシリーズで研究していた。東京佼成W.O.というバンドを初めて知り、ゲストTp.奏者に数原晋の文字を初めて見たのであった。その頃、そのシリーズは何枚も出ておりゲストに数原氏の名前を見ることも多かった。これや〜!自分の求めている音色に出会えた気がした。
同じ頃、手持ちのアルバムや貸しレコードのミュージシャンクレジットにはいつも彼の名前があった。
一体何者なんだ、この人は・・・。その頃からである、私がクレジットマニアになるのは(借金じゃないよ)。
時代はCDになってからも、数原氏の名前がクレジットから消えることはなかった。いつしかその音色に惚れ、演奏スタイルを追求する様になっていた。
不思議な物で、そんな田舎町の若者はラッパ吹きになりたくて上京する。
夢にまでみた数原氏との初対面は今でも覚えている。場所はとあるホールの楽屋。
緊張で足は震え、覚えているのは「歯をみせてごらん」と「おお、いい歯だねえ」。そしてかろうじてサインを貰った東京アンサンブルラボのジャケット。それぐらい・・・。
何度会っても緊張します。それは、ラッパ吹きの永遠のアイドルだからです。
余談ですが、私がTp.を吹きたいと思ったきっかけの一つに、TVドラマの主役が海辺でラッパを吹くシーンというのがあります。赤とんぼだったか浜辺の歌だったかの童謡を、ラッパ一本で吹くのです(どちらも大好きな曲です)。海の向こうには夕日が沈み海の色は黄金色です。このシーンを見て、小学生だった私は猛烈にラッパが吹きたくなったのです。今から思えば、その俳優が本当に吹いているはずはなく、誰かがその音をあてたはずです。音楽の右左もわからぬ小学生の私を感動させたこのラッパ吹き・・・数原さんだと信じています。