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平成26年11月2日の「あさも会」

  担 当 者    川口 照美 先生(表流)
展  観    野呂 介石
場   所    和歌山市西浜1164番地 
  名勝庭園 養翠園
「養翠亭」
   平成26年11月2日(日)
時   間    午前10時〜午後3時まで 

点前座 本席床 展観席 寄付 本席
菓子
鶴屋製「山紅葉」
本席 本席 亭主

展観 「 野呂 介石  過去の展観テーマ

野呂介石について  延享四年(1747)〜文政十一年(1828)

 和歌山紺屋町大年寄・野呂九右衛門方紹の五男として生まれた。  父・方紹は、古義学の伊藤仁斎の第五子で紀州藩儒であった伊藤蘭嵎と知己であり、介石もまた幼少にして蘭嵎の門に入り人間形成の上で多大の
影響を受けた。  十四歳の頃より画を学び始め、二十一歳の時、京都の池大雅の門に遊び南宋画を志した。  介石より一歳年長で、紀州の文人画を代表する画人のひとり桑山玉洲と親しく、また、大阪の富商で当代き
っての文化人であった木村兼霞堂とも交流をもった。  寛政五年(1793)、四十七歳にして藩員となり、産物方を歴任。  天賦の資質と自らの研鑽、恵まれた環境、そして熊野の風光によって醸成された芸術性、それらを
基盤とする介石の作品は、唱えるところの真山水論とともに、高い評価をうけた。     その人と作品を慕って集まる門人・同志も数多く、直接・間接的に影響を受けた画人として、野呂介宇、野呂松蘆、野際白雪、蔡真ら
があげられる。
名は隆、字は隆年。 初期は松齢・班石・澄湖、後に矮梅・四碧斎のほか十友窟・臺岳樵者・三臺樵者、混斎、松陰亭、間適斎、二々軒など、数多くの号がある。


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