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平成27年11月1日の「あさも会」

  担 当 者    湯川 好美 先生(表流)
展  観    南紀男山焼
場   所    和歌山市西浜1164番地 
  名勝庭園 養翠園
「養翠亭」
   平成27年11月1日(日)
時   間    午前10時〜午後3時まで 

点前座 本席床 展観席 寄付 本席

.秋明菊・秋蓼・不如帰・紀伊上臈杜鵑草
秋丁字・見返り草
菓子
鶴屋製「栗きんとん」
本席 本席 亭主

展観 「 南紀男山焼  過去の展観テーマ

汲み出し茶碗 風鎮
南紀男山焼について

南紀男山焼は、文政十年(1827)頃から、明治十一年(1878)にかけて、和歌山県有田郡広川町男山において焼かれたもので、紀州で最大の規模を持っていた。
当初、男山焼は紀州徳川家十代藩主治宝公の、殖産興業政策の一つとして生まれ、藩の御用窯であったが、安政三年(1856)頃から明治維新にかけての時期に、藩の手を離れ、開窯者 崎山 利兵衛 の個人経営となり、途中一時開物局時代に藩との共同経営となったが、明治八年(1875)、利兵衛の没後、男山 嘉兵衛、土屋 政吉、など五人の共同経営となったが、製品の売れ行きが悪く、廃窯となった。
男山焼は、あらゆる物が焼かれたと言っても過言ではなく、交趾写、青磁写、色絵写、等々が制作されたが、染付けの物が最も多く、一般大衆向けの製品を数多く作り、伊万里焼きに習って、紀州簑島の陶器商人の手により、藩、県の内外に販売された。又、製品には、在銘のものと、無銘のものが有り、割合から言えば、無銘の物が圧倒的に多く、在銘品は最初から念を入れて作られたようで、技術的にも非常に優秀であり、嗜好的な製品が多いようである。
銘の種類としては、「南紀男山」の染付け銘が大半を占めるが、作者の名前が入った物もある。
その他、窯跡からは、「偕楽園製」「三楽園製」「南紀高松」の銘の入った物も出土している。
一方、無銘品は、技術的にも在銘品に比べ低級な物が多く、これらは伊万里焼に混ぜて売りさばいた例が多くあげられている。そして、在銘品は藩の御用品であったとも言われている。
しかし、長い間焼かれたわりには、土取場、原材料の供給源、職人の問題等々、不明な点が多い



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