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平成27年12月6日の「あさも会」

  担 当 者    海南文化協会 茶道部(表流)
展  観    偕楽園製の香合
場   所    和歌山市西浜1164番地 
  名勝庭園 養翠園
「養翠亭」
   平成27年12月6日(日)
時   間    午前10時〜午後3時まで 

点前座 本席床 展観席 寄付 本席

.ヘラ水仙・白玉椿・神楽椿
菓子
鶴屋製「寒牡丹」
本席 本席 本席

展観 「 偕楽園製の香合  過去の展観テーマ

結文香合 六角香合 亀香合 獅子香合
紀州お庭焼き 偕楽園製について
紀州徳川家十代藩主「治宝公」と紀州徳川家御庭焼「偕楽園焼」について
治宝公は紀州徳川家八代藩主「重倫公」の第二子として、明和八年に江戸にて生まれ、十九才にして藩主の位に就かれました。在任中は歴代藩主中の名君と言われ、其の治績顕著なるもの多く、上下の節約を奨励し商工を起こし、特に学問を奨励され、八才以上三十才以下の藩士子弟の就学を義務となし、明教館、医学館、松阪学校を開設し本居宣長を始め多くの学者を招いたり、又、紀伊続風土記、紀伊国名所図絵等々を編纂させるなど紀州文学史上多大な功績を残されました。
治宝公自身としては、表流茶道を究め、十才の幼少で紀州藩に出仕した表千家第十世吸江斎が十九才になったおり、治宝公御自らが真点前の皆伝を伝授しています。そして、書画、音楽等々と多能多芸にして、特に西浜御殿(県立和歌山工業高校周辺と言われている)に窯を築き、京より「楽 吉左衛門」「永楽 善五郎」等々を招き陶器を作らせました。 これが、有名な「紀州御庭焼」として今日珍重されています。 又、「あさも会」が開かれている養翠園も治宝公により西浜御殿よりの別業庭園として造営されました。
かくのごとく、紀州芸術の後世に伝うべき特異なものは、治宝公に負うところが多々あります。 退位後も良く十一代斉順公を援け、 従一位大納言を拝し、「一位様」と呼ばれ後世までその徳を称えられています。
偕楽園焼は、前記、西浜御殿の庭園偕楽園で焼かれた陶器である。 確実なものだけで、文政二年、同十年、天保七年の三回焼かれている。それ以外にも焼かれたようであるが、不明な点が多い。偕楽園には、京都から、楽 旦入、永楽 保全、仁阿弥 道八、二代弥介、らが招かれている。 又、主要な資材はやはり京都で調達、搬入されている。 この資材搬入には、御用商人 三井 高祐が尽力してる。 又、偕楽園焼の特色の一つに、陶工以外の人々の作陶が数多く残されている点である。治宝公と側室八詠の他、西浜御殿御広敷御用人 森 玄蕃(陳章、余楽庵)、木村 弥兵衛(松窓庵)、西浜御殿御数寄屋坊主(陶器係) 坂本 宗辰、吸江斎後見人 住山 楊甫、吸江斎、御用商人 三井 則兵衛(高祐)らが知られており、藩主、側室、藩士、等々が一体となって、作る楽しみを満喫する作陶 喫茶文化が忍ばれる。
作品には、楽焼き系統の作品、陶磁質の素材に交趾釉を掛けた作品が多く知られている。しかし、後者については、西浜御殿において焼かれたとするには窯の規模など多くの疑問点が残る。 さらにこれらの陶片が南紀男山窯、南紀高松焼の窯跡から検出されていることがそれを物語っている。



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