「福岡18世紀音楽祭」記録

1989年4月14日〜16日 福岡銀行本店大ホールにて

18世紀音楽祭協会は、1989年4月「福岡18世紀音楽祭」を主催するために設立されました。このときに誕生した「東京バッハ・モーツアルト・オーケストラ」は、当時の日本の古楽界の総力を結集したものではなかったかと思います。以下に「福岡18世紀音楽祭」のプログラムをご紹介しましょう。同じ公演が同年4月21日〜23日、東京カザルスホールでも行われました。

 
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福岡18世紀音楽祭
 1989年4月14日〜16日 福岡銀行本店大ホールにて

4/14 Program A
【J.S. バッハ】J.S. Bach
  管弦楽組曲第1番 ハ長調 BVW1066
【モーツァルト】Mozart
  フルート協奏曲第2番 ニ長調 K.314
    フルート:有田 正広
  交響曲第41番 ハ長調《ジュピター》K.551

4/15 Program B
【ヴィヴァルディ】Vivaldi
  弦楽のためのシンフォニア ト長調 RV149
  2つのトランペットのための協奏曲 ハ長調 RV537
    トランペット:福田善亮、島田俊雄
  オーボエ協奏曲 ヘ長調 RV457
    オーボエ:本間 正史
  フルート、オーボエ、ヴァイオリン、ファゴットのための協奏曲 ニ長調 RV90《五色ひわ》
    フルート:有田 正広    オーボエ:本間 正史
    ヴァイオリン:高田あずみ  ファゴット:デニー・ボンド
  4本のヴァイオリンとチェロのための協奏曲 ロ短調 RV580
    ヴァイオリン:若松 夏美、寺神戸亮、山縣さゆり、高田あずみ
    チェロ:鈴木 秀美
  弦楽のための協奏曲 ト短調 RV157

4/16 Program C
【ヘンデル】Handel
  合奏協奏曲 変ロ長調 作品3-2
【ハイドン】Haydn
  協奏交響曲 変ロ長調 Hob. …Ÿ- 105(Vn、Vc、Ob、Fg)
    ヴァイオリン:若松 夏美  チェロ:鈴木 秀美
    オーボエ:本間 正史    ファゴット:デニー・ボンド
【モーツァルト】Mozart
    交響曲第34番 ハ長調 K.338

以下はそのときのプログラムからの抜粋です。

フランス・ブリュッヘン   1989年3月1日
 バッハ・モーツァルト・オーケストラと私の友人アリタの指揮者としてのスタートを喜んでいます。
オーケストラがその聴衆を啓発しつつ楽しませますように!

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朗 報

皆川 達夫

 バロック音楽ブームとか言われて、その当時の楽器を使用して演奏することが、わが国でも普通のこととして受けいれられるようになってきている。古楽器を使用することによって、現代楽器では伝えることの出来ない微妙な音色感、そうして当時の人々の心の在りようをより適確に伝達できるようになってきたのである。
 しかしそれにしてもわが国では古楽器によるアンサンブルといえば、せいぜいバッハのコンチェルトとか、ヘンデルの組曲、ヴィヴァルディのソナタなどを合奏する程度で、古楽器によるシンフォニー演奏を聴くなどということは、まだほとんど望めなかった。
 ところがこのたび有田正広君をはじめとする東京バッハ・モーツァルト・オーケストラの諸君の努力によって、やっとそれが可能とされることになったのである。古典音楽を愛する人びとにとって、これほどの朗報はない。
 先週、三月の末にわたくしはイギリスから帰ってきたが、ロンドンやアムステルダムなどの町まちでは、古楽器によるモーツァルトやベートーヴェンらのシンフォニー演奏がきわめて積極的におこなわれ、ひろい愛好家たちの支持をうけている。
 イギリスやオランダで流行しているから、日本でも真似をしろと言いたいのではない。古楽器によるシンフォニー演奏が、その作品や作曲家の本質の把握に不可欠だから、わが国でも是非積極的に実行して欲しいと言っているのである。東京バッハ・モーツァルト・オーケストラの活躍によって、バッハやヘンデル、ヴィヴァルディたち、さらにはハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンたちの音楽作品がわが国の愛好家たちにとってより親しい存在になってくるにちがいない。

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当時の音楽にしかるべき尊厳が回復される可能性

礒山 雅

 「古楽器」と「オーケストラ」が、対立概念であった時期があった。巨大なホールで行われるオーケストラ・コンサートに心満たされぬ聴衆が古楽器に注目し、リコーダーやチェンバロの響きに耳を爽やがせていた時期が、かなり長く続いていたのである。そうしたファンはロマン派の音楽を嫌い、一般のファンに奇妙な対抗心とプライドをもつことも、少なくなかった。
 だが現在では両者が結びつくようになり、いわゆる「古楽器オーケストラ」が、続々と誕生している。世界各国に育ってきた古楽器プレイヤーが、ブリュッヘンの18世紀オーケストラへ、ホグウッドのエンシェント・ミュージックへ、あるいはマゲーガンのフィルハーモニア・バロック・オーケストラへと、合奏の場を求めて、集まってきているのである。これは、たいへんに嬉しいことだ。なぜならば、オーケストラ音楽を切り捨てることは古楽音楽のいちばんおいしいところを諦めることになるし、オーケストラなしでは、オペラの上演も、思うにまかせないからである。古楽器の愛好家たちは、これによって、ハイドンやモーツァルト、さらにはベートーヴェンやシューベルトらの交響曲を、自分たちの世界に取り戻したのである。
 だが、「古楽器オーケストラ」は、古楽器ファンのためにのみあるものではない。むしろ重要なのは、これによって18世紀から19世紀初めにかけての音楽に対して、われわれが新しい視座を形成しうることである。私は、「古楽器オーケストラ」によって、当時の音楽にしかるべき尊厳が回復される可能性があると思っている。
 一般に抜きがたく浸透している考えで私が大きな誤解だと思うのは、古楽器を使うと音楽の表現が「小さくなる」、ということである。モダン楽器ならできるいろいろな表現を、古楽器はできない。したがってその表現は幅が狭く深さが足りない、と彼らはいう。
 そうだろうか。私は、古くなった絵を洗うことで意外に鮮やかな色彩があらわれるように、作曲当時の楽器を用いて響きの原点に帰ることによって、かえって作曲者の生々しく切実な表現が、われわれに明らかにされると考える。なぜなら、一流の作曲家は、自分たちの前にあった楽器の能力を、技術的な意味であれ、内面的な意味であれ極限まで、精一杯使って表現を行うものであり、その「精一杯」のリアリティを表現することは、当時の楽器を用いてしかなしえないからである。性能が拡大され、量の面に余裕の出た後世の楽器では、すべてがあまりにも楽々と乗り越えられてしまうために、表現はかえって「小さくなる」。たとえば、チェンバロを模倣してピアノで演奏されるバッハ。あるいは、ハンマーフリューゲルを意識して、かわいく、小さくまとめられるモーツァルト。作品に忠実、形式の尊重といった美名のもとに、作曲家がめざしていた「精一杯」の表現は切り詰められ、狭い所に押し込められてしまう。しかし、モダン楽器を用いる限り、バッハやモーツァルトを、ペダルを踏んで叩きまくるわけにいかないことも、また事実である。
 しかし古楽器は、演奏家に、その限界までの表現を許す。表現の切実さに思い切ってチャレンジし、なおかつ則を超える心配のないのが、古楽器なのである。したがって、すぐれた音楽家によって正しく扱われた場合には、古楽器は、意外に鮮やかで明確な、訴えかける力の強い表現を行う。したがって、古楽器は音楽を「小さくする」のではなく、「大きくする」のである。いわゆる古楽器の現代性は、作曲家の行った表現の切実さが、これによって取り戻されるところにある。
 現代の大オーケストラによるバロックや古典派音楽の演奏は、様式への意識が強まる分だけ、生命力を失ってきていた。もちろん、すぐれたオーケストラ、すぐれた指揮者によって演奏されれば、それは月並みな古楽器演奏を上回る成果をあげることができる。それは、いうまでもない。しかし、現代オケによっては失われやすい線の明瞭さ、アーティキュレーションの歯切れよさ、和音の純粋さ、均一化されぬ響きの多様さ、奏者の自発性などが、バロック音楽はもとより、古典派の交響曲・管弦楽曲の演奏にきわめて重要な意味をもっていることが、昨今では、認識されつつある。大オーケストラのコンサートでは、ハイドンやモーツァルトの交響曲は、ブラームスやブルックナーの前座として、貧弱な響きで演奏されることが多かった。しかし古楽器オーケストラのコンサートでは、それらは堂々たるメインエベンターとして、コンサートの充実を担う。有田さんと東京バッハ・モーツァルト・オーケストラが、18世紀の美しい音楽を、心ゆくまで「大きく」してくれることを願っている。

有田さんとこのオーケストラのこと

語る人 中里 隆  聞く人 佐々木節夫

18世紀の音楽都市が誇っていたと同様の優れたオーケストラを蘇らせようという行為は、今日においてはそれが“企業体”として利益を生むか、または、それをサポートする人の“功名心”を満足させるかのどちらかが無ければ実現しえない、と誰もが考えるだろう。しかし、この「東京バッハ・モーツァルト・オーケストラ」はそのいずれでもなく、音楽を心から愛し、信じて、そのために献身する一人の音楽家の意欲と誠意を汲んで、「夢の実現」に協力する人々の力によって誕生した。
オーケストラの経済的なサポーターである岩崎純一氏と、有意の音楽家、有田正広さんを結びつけたのが中里さんである。中里さんは佐賀県唐津市に「隆太釜」を構え、とても自然で高雅、そしてのびやかな味わいをもつ作品を作ってこられている陶芸家である。中里さんはバロック音楽に惹かれて、年に何度も自邸に内外の優れた音楽家を招いてミニ・コンサートを開いてきておられる。
音楽会に参集されるお客さんたちや演奏者たちをもてなそうと、前日から材料を買い出し、下ごしらえし、調理を取り仕切り、快適な演奏の場を用意して、何処であろうとめったに味わえないくつろいでゆたかな素敵な古楽の集いを重ねてこられた中里さん。そうした氏と有田正広さんの交流を、寡黙な中里さんに無理にお願いして話をしていただいた。【写真は隆太窯での中里隆氏(左)と故佐々木節夫氏(右)】
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―有田さんとのお付き合いはいつ頃からですか。
 「有田さんと識り合ったのは彼が〈オトテール・アンサンブル〉を結成したと同時ではないですか。そもそもの話をするとね、日フィルの打楽器の人とあるとき酒を飲んでいたんです。そのうち何かの話で彼が『いやー、チェンバロっていいでしょう。5万円も出せば買えるんじゃないか』というんです。飲んでいるからすぐその気になって『じゃあ、あした折り返し電話をするから、何処で買ったらいいか教えて欲しい』ということになってね」。
「チェンバロをぼくは、20何年前にアメリカに行ったときにはじめて聴いたわけですよ。アメリカの焼物屋ですけどね、バロック音楽を聴いている人がいて、そこにしばらく居候して。それは今から思うとそれほどのバロック音楽ではないんですけれどね」。
「そのときにレコードなども買ってきて、『ああ、チェンバロっていいな』と思うようになった。そして末の娘が種子島で生まれたときに、唐津の友人たちがお祝いをしてくれるというので、『一人でなくて何人かで贈ってくれるのだろうから、もしくれるならチェンバロという楽器を』といったわけです。それで彼らはすぐ楽器店に行ったらしいんです。そうしたら『いや、チェンバロって名前も聴いたことがない』(笑い)という返事だったそうで」。
「そのことが頭にあったものだから、チェンバロが5万円ならすぐ自分で買おう、ということになったのです。その日フィルの彼もそれほどチェンバロについては知らなかったと思うのですが、責任上『ちょっと待ってくれ』と具体的に聞いてくれて、チェンバロ奏者の鍋島元子さんに伺ったら『堀栄蔵さんが大変立派な楽器を作っておられる』ということで、『では、その方の電話番号を』と尋ねて、すぐに堀さんの所に行ったわけです」。
「5万円というのはまったく嘘でしたが、堀さんはぼくが『どうせ素人だから』と、アメリカのキットを組み立てたのが適当だろうということだったんですが、折角買うならと本格的なものを頼んだんです。まず自分で弾こうと思ったけれど音痴で駄目だから、すぐ『演奏家の人たちにここにきてもらって、家で演奏会をやってもらうほうがいい』ということになって、堀さんから有田さん、オテトール・アンサンブルを紹介されて、彼らの旗上げ公演の前にきてもらったんじゃないでしょうか。日程がずれて結局、東京公演の前になったんです。それが最初でしょう」。
―最初は本当にご自分でチェンバロをお弾きになろうとされたのですか。
「なったの、なったの。でも先生は選ばなきゃいけないね。ぼくの先生は高校のときの女性の先生でね、それも引退するくらいのお年寄りだったんですよ。こっちは全然もう手が動かないけれど、若い女の先生だったら会えるという楽しみで無理してもつづけただろうけれど、すぐに止めた(笑い)」。
「あんなに大きなオタマジャクシがね、もう本当に真面目にやるものだから、すぐに見えなくなるんですよ。片手でやっているうちはどうにかいったわけ。でも両手になると『同じことをするんです』といわれても、もうこんな大きなオタマジャクシでも30分と見られないわけ(笑い)。そんなに音痴だったんです」。
―有田さんの音楽や人柄のどんなところに魅力を感じておいでですか。
「アメリカに行ってバロック音楽を聞いて、『ああ、これだ!』と―もともとクラシック音楽はまあまあ聴いていたわけですが、『これだ!』と思っていた頃だからね。非常に新鮮に聞こえるわけです。そして音楽会の前後に有田さんといつも酒を飲む。そうするとやっぱり人間の話をするでしょう。音が判らなくても音痴でも、何んとなく理解できるでしょう、その人が。決して特別に人間を見るという意識ではないけれどね。酒飲んだりいろいろなことをして、有田さんのこだわりというのがね、判るわけじゃないけれどもそれに共鳴するようなね―」。
―それは先輩としての共鳴ですか。
「いや、歳は全然関係ないね。それは全然関係ない。丁度一回り違うんだからね。それからほら、熱意ということだけれど、よく中途半端な絵描きみたいなのがね、熱っぽく話すようなことがあるわけ。それにはちょっと白々しくなってね。その人が『私はアーティスト!』というのが、話せば話すほどいやな気持になるということがある。われわれの日常会話でない言葉で話すような気がして」。
「有元さん(有元利夫さん。絵からどれも音楽が聞こえるような素敵な作品を残して、早世された画家で、中里さんのコンサートにも東京から訪ねておられた)もそうなんだけど、有田さんもそうでね、別にね、そんな話はしないわけなのに、彼らのその情熱みたいなのを感じるわけね。で、音楽家は一杯いるけれども、やっぱり有田さんと一番関わりあいが多いみたいね。何か知らないけれど。別に彼は熱っぽくいうわけではなくて、普通の日常語でしゃべるんだけどね」。
(中里さんは音楽や演奏を批評したり、音楽論をしたりは一切されない。ただ素敵な音楽の場所を提供し、ご自身で心から楽しまれ、聴き手にも楽しみを与えてこられている)。
―「私は違いが判らない」とおっしゃったことについてですが、ぼくがはじめて隆太釜に伺うときに、途中のバスの中でも有田さんから中里さんのことをたくさん聞かされていたわけです。オトテール・アンサンブルが「アメリカへの演奏旅行を世話してやる」と騙されかけた詐欺師が、中里さんのお宅にも出没した話とか(笑い)。そこで有田さんが熱心にいっていたのは、「一回目に伺ったときには中里さんの所には“ひどい”レコードしかなかった、全部バロックなのに。それが次に行ってみると、すべてがいいレコードに変わっていた。それですっかり中里さんを信用した」と(笑い)。それはぼくにもとてもよく判るんです。
「このインタヴューの前の禰生画廊の小川さんの話ではないけれど、サム・フランシスと有元さんの絵を一緒にしてはいけないということでしょう(笑い)」。
「有田さんと〈東京バッハ・モーツァルト・オーケストラ〉の話はね、ブリュッヘンが先例というか、有田さんが彼を非常に尊敬していたというかそんなことがあって、『俺も』というのと、有田さんがいうように『自分は笛しか吹けないけれど、欲張りだからヴァイオリンでも何でもやりたい』という話も聞いたわけですね」。
「だけどね、『銭が要るのに誰もね、見返りのないものには金は出さんでしょう』と、まぁ他人事のように聞いていたわけです。オーケストラをやりたいとは常々聞いていたけれど、『そうねぇ。判るけどお金は誰も出さんでしょう』と」。
「そのうちクリオコートの岩崎さんと識り合いになってね、彼が誰かからいわれたんでしょう、『音楽コンクールをやりたい』というんです。『えっ、それいつ?』と聞いたら半年もない先のことなんです。『それは金をドブに捨てるよりひどい。それは止めなさい』と。『それだけ金を出してもいいという気があるのなら、いいことをしたいとかねがね思っている人がいるから、是非その人に会って欲しい』といって有田さんを紹介したんです。
「それで有田さんは帝国ホテルで会ったらしいんです。有田さんは随分緊張したらしいけれど、何でもなかったらしくて。岩崎さんは『いいですよ』というぐらいしかいわないでしょう。具体的に『それをどうして?』とかは聞かないんですね。『あなたがいうんだったら、やりましょう』ということだったんです」。
「有田さんも『いやー、これはとてつもない金が要る』と思っていたんです。必要な金額を試算して、はじめのうちは100万円とか10万円単位を『ここを5万円に削れば』なんて細かい計算をしていたらしい(笑い)。そういう具合で話がはじまってから3年くらいになるでしょう。実現はもうすぐなんだけど。まぁ、しかしああいうスポンサーは昔はいたかも知れないし、無駄金を使うのが大きな意味の文化かも知れませんけれどね、今はいないでしょう。だからね、大変いい人との巡り合いがあったということですよね」。
―岩崎さんは有田さんやほかの演奏家の方々の音楽をお好きで聴いておられるのですか。
「それはないと思う。自分は判らないんだけれどもね、彼も情熱をもっているわけですね。それで自分に照らし合わせてみて、何かをしたいという意欲や情熱を感じたときには、お金で援助できるんだったらしたい、という感じなんですね。嫌いではないでしょうが、自分から積極的に音楽会に行ったりということは、少なくともぼくが知っている限りはないみたいですね。でも自分でできることならして上げたいという。ただそれだけがね、商売に結び付くものに加担するということはぼくの場合はしないから、ぼくが『どうですか』といった場合に、『ノー』ということが全然ないんです(笑い)。『何かを本当にしたいときにお金が必要なら、その援助はしましょう』というね」。
―ぼくもはじめは、これは嘘ではないか、と思いました。オーケストラにどんな期待をしていらっしゃいますか。どうなったときが成功なのでしょう。
「普通いうとね、商業的な成功が『成功した』ということで、それはそれで問題ないわけです。で、商業的に成功しなくてもいいんだけれども、それをしないとね、いろんな意味でそれでもう立ち消えになるんですね。折角この機運があったのに、やっている人たちも、聴いている人たちも、それを援助する人もね、それで終わってしまうわけですからね。それが普通でしょう。だからそういう点からは、軽薄な意味ででもいいから成功して欲しい」。
「これが一人でやれることだったら、成功でなくても何とかやって行けるだろうけれど、これはオーケストラですよ。何10人でやることだから、ここが出発になってね、これからのびて行きたいとは思っていますけれどね」。
「これは話は全然別ですけれど、映画を作っていた人がね、60歳になって映画をもうピタッとやめて焼物に入ったわけです。彼にとっては昔の映画を作っていた喜びと、いま焼物を作る喜びはまったく違ったことなんです。一つは自分一人で仕事をして自分だけで満足できるものと、映画の場合はそうじゃないという問題がある。ぼくの場合は自分一人でできるわけです。もちろん弟子とかいろんな人たちがいますが、いなくてもまあまあやれるんです」。
「それで作ったものを使ってくれる人がいなきゃいけないんですけれど、われわれの仕事の場合は、まあ使える、ということで成り立って行けるんですが、音楽の場合はいくら自分一人で満足しても、聴いてくれる人がいなかったら意味ないでしょう。自分一人ではどうしようもない。相手もいるし、それをつづけなければいけないということがあってね、ぼくとは大分ね、要素が違うわけ」。
「そういう意味でね、自分だけがどんなにみじめでもそれをつづけて行くという意志はあってもね、今度の場合はオーケストラですからね。そこで終わったんじゃもう終わりでしょう。だからそういう意味でも、そうでなくても、これからもつづけて欲しいんです。
―とうとうオーケストラが実現することになって、いまどんな気持ちですか。
「最初に頃からね、有田さんは『大変だ、大変だ』というわけ。そのことはあんまり実感としてはぼくは判らなかった。というのは、お金が出るまでがぼくは大変だと思っていたんだけれど、有田さんにとってはプレーヤーたちとの問題があるでしょう。有田さんは追い詰められていたわけではないだろうけれども、大変な思いをしている。そのことはぼくには判らないけれど、『ああ、これでとうとう成るな』という気持ちです。もう間違いないでしょう(笑い)」。
「しかしね、最初の音が出るときには、ぼくも少しは感傷的になると思いますよ(笑い)」。[文責:佐々木節夫]

東京バッハ・モーツアルト・オーケストラのオリジナルメンバー
●Conductor / Flute 指揮/フルート
 有田正広
●Concert Master コンサートマスター
 若松夏美
●Leader of the winds / Oboe 管楽器リーダー/オーボエ
 本間正史
●FIRST VIOLIN 第1ヴァイオリン
 山縣さゆり、高田あずみ、渡邊慶子、高岡真樹、竹嶋祐子、本多洋子、大塚麻由美
●SECOND VIOLIN 第2ヴァイオリン
 寺神戸 亮、近藤倫代、木村三穂子、小野萬里、前田孝子、梶川ひとみ、近藤晶子、永井寿子
●VIOLA ヴィオラ
 STAAS SWIERSTRA、大津 睦、李 善銘、森田芳子、田辺玲子
●VIOLONCELLO チェロ
 鈴木秀美、諸岡範澄、菊池知也、中村 整
●FAGOTTO ファゴット
 DANNY BOND、川村正明、堂阪清高
●HORN ホルン
 松崎 裕、一色隆雄
●KONTRABASS コントラバス
 前田芳彰、桜井 茂
●TRUMPET トランペット
 福田善亮、島田俊雄
●FLUTE フルート
 朝倉未来良
●TIMPANI ティンパニ
 近藤健一
●OBOE オーボエ
 柴山 洋、植野真知子 
●CENBALO チェンバロ
 有田千代子

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