18世紀音楽祭協会

◆設立の経緯

 

 最初の出発点は、佐賀県唐津市の陶芸家中里 隆(現会長)が私邸に内外の古楽器奏者を招いて始めた「隆太窯コンサート」でした。このサロンコンサートは非公開ですが、年に数回内外の著名な古楽器奏者を招聘して開催され、すでに150回を越えています。このコンサートの常連であった有田正広氏が、中里の友人である岩崎純一氏の資金援助を得て、1988年に日本で最初のピリオド楽器による本格的なオーケストラ「東京バッハ・モーツァルト・オーケストラ」を結成しました。18世紀音楽祭協会は福岡市で最初の旗揚げ公演をしたときに、中里を会長とし、主に福岡市に住むボランティアによって設立された任意団体です。

 以来有田氏を音楽監督として、年に1回、熊本県小国町で「おぐに古楽音楽祭」を開催してきたほか、福岡市を中心に内外の演奏家を招聘して年に2回程度の演奏会を主催し、地域の音楽文化の振興に努めてきました。1999年より2013年まで、本拠地福岡市で「福岡古楽音楽祭」を主催してきました。

 

◆沿 革

 

1978年4月   陶芸家中里 隆が私邸でサロンコンサート「隆太窯コンサート」を始める。

1988年4月   「東京バッハ・モーツァルト・オーケストラ」の旗揚げ公演を主催するために結成。当初は「福岡18世紀音楽祭協会」と称した。

1989年4月   3日間にわたり「福岡18世紀音楽祭」を開催。以後、年に2回程度古楽関係のコンサートを福岡市で開催している。

1990年10月  熊本県小国町との共催で「第1回おぐに古楽音楽祭」を開催、以後1998年まで9回にわたり毎年開催。

1994年1月   協会会則を制定し、名称を「18世紀音楽祭協会」とする。

1997年4月   会員制を発足し、会員を募集。

1998年7月  「第1回ヨーロッパ・ツアー」を実施。以後3回実施。

1999年9月  「第1回福岡古楽音楽祭」を開催。以後2013年まで15回開催。

2000年2月  協会のホームページを開設。

2001年2月  18世紀音楽祭協会東京支部を開設。

2008年1月~9月 一連の、福岡古楽音楽祭第10回、協会設立20周年記念事業を実施。

2008年10月~11月 福岡県文化賞(社会部門)、福岡市民文化活動功労賞、西日本文化賞(社会文化部門)の3賞を同時に受賞。

2013年9月 第15回をもって福岡古楽音楽祭を終了。

2013年12月 会員制・東京支部を廃止。

2014年10月 新しく組織された「新・福岡古楽音楽祭実行委員会」の一員として参加し「新・福岡古楽音楽祭」を主催する。

2017年10月 スタッフ老齢化のため、「新・福岡古楽音楽祭実行委員会」を辞退する。

 

◆18世紀音楽祭協会事始め

  (以下は福岡古楽音楽祭のプロクラムに載せた文章を若干手直ししたものです)

隆太窯コンサート

 18世紀音楽祭協会のルーツをたどれば、中里隆氏が1978年に始めた「隆太窯コンサート」に行き着きます。人間国宝であった先代中里太郎衛門(無庵)の五男に生まれた中里隆氏が、種子島での作陶生活を終えて唐津に帰郷されたのが1974年。唐津見借に陶房「隆太窯」を開いてまもなくの頃、かねてから念願のチェンバロ(故堀 栄蔵作)が入り、小林道夫氏やアメリカ在住の橋本英二氏を招いて開いたサロンコンサートがその始まりです。

 今回の音楽祭のすぐ後には、隆太窯コンサート第150回記念行事が計画されています。中里氏自身がこのプログラムの巻頭言に書いておられるように、第3回目の隆太窯コンサートには、有田正広氏らのおなじみのメンバーが登場します。隆太窯コンサートの記録を眺めてみると、そのプログラムには当時の日本を代表する古楽奏者のほとんどが名を連ねており壮観です。また、コープマン(第13回)、ハウヴェ(第24回)、インマゼール(第30回)など著名な外国人奏者も初期の頃から数多く招かれています。

 隆太窯コンサートは非公開のコンサートで、80人ほどの客を招いて演奏会を終えた後パーティがあり、中里氏自身がさばいた唐津の生き魚料理が振る舞われます。中里氏の料理は東京のグルメ陣も一目置く腕前で、隆太窯コンサートがかくも多くの演奏家や文化人を引きつけた魅力のひとつは、演奏の後中里氏の料理が食べられるという点にありました。

 

福岡18世紀音楽祭

 東京バッハ・モーツァルト・オーケストラが最初に福岡市で旗揚げ公演をしたのは1989年4月のことでした。その後の東京公演も含めて、このときの経費はすべて福岡市在住のある実業家の方が負担されましたが、これも隆太窯コンサートのパーティの中から生まれ出た話です。有田正広氏の呼びかけで、この時初めて我が国の古楽器奏者がひとつにまとまったという意味では、画期的なできごとだったと思います。

 18世紀音楽祭協会は、この時の福岡公演をサポートするために中里氏の要請で生まれた「応援団」でした。18世紀音楽祭協会という名前だけは未だに使っていますが、これはこのときのイベントを「福岡18世紀音楽祭」と称したからです。

 この公演時の費用は保証されており、マネージメントは東京の業者が担当したので、協会の主な仕事は福岡市近郊の人たちに呼びかけて入場者を動員することでした。そして多いにがんばり、3夜にわたって福岡銀行大ホール(775席)を完全に満席にすることができました。

 

おぐに古楽音楽祭

 熊本県小国町というのは阿蘇の外輪山のふもとにあり、小国杉で有名な山林と牧場とひなびた温泉地からなる田舎町です。大胆にも18世紀音楽祭協会が古楽音楽祭をやろうと考えたのは、「福岡18世紀音楽祭」の取材にあたったHKの方から、「また古楽関係のフェスティバルをやらないか」と持ちかけられたのがそのきっかけでしたが、先の成功でおおいに盛り上がっていた世話人連は、「やろう、やろう」とそれに乗ったわけです。

 最近では小さな町でも立派な音楽ホールを持っているところが多いようですが、小国町には音楽ホールはありません。小国町を選んだ理由は、町長さんが文化事業にたいへん理解のあるかただったことと、町に点在する小国杉でできた木造りの建物が、意外に古楽と合うのではないかと考えたからです。

 第1回おぐに音楽祭は、1990年10月に1日半の会期でした。このとき有田夫妻のコンサートは、なんと「家畜市場」で開かれました。家畜市場というのは、普段は牛などのせりをやる場所です。もう一つのイベントは、今日の「古楽コンサート」にあたる交歓演奏会ですが、固定会場の演奏会だけではなく、小国町の主要会場を回って演奏する巡回演奏が行われています。これはまさに「博多どんたく」と同じ形式です。博多っ子が考える「祭」といえばどんたく式の「巡回演奏」という発想だったようです。

 第1回音楽祭のときの「古楽コンサート」の出演メンバーを見ると、麻生純氏の「あくたリコーダーオーケストラ」、合唱団「コーロ・ピエーノ」、河本基實氏らの「山口のアンサンブル」、中川洋子・古井由紀子氏らの「グループ葦」や「熊本古典舞踏研究会」など、その後今日までずっとお出でいただいている人たちの名を見いだすことができます。またダンスの古賀穂南美氏、九州出身の波多野睦美、森洋子、小池耕平、竹嶋祐子といったプロやプロ修業中の方々が巡回演奏にも加わっています。

 その後、会期は2日半に延び、「古楽セミナー」も始まって、だんだんと福岡古楽音楽祭に近い形になってゆきました。「おぐに古楽音楽祭」のいいところは小規模ですが、古楽が本当に好きな人たちが集まって、温泉付きの研修施設に泊まり、じっくりとお互いの演奏や専門家の演奏を聴いたり,その指導を受けたりできる点にありました。

 「おぐに古楽音楽祭」は協会と小国町との共催で、費用は全部小国町が負担してくれましたし、音楽祭の期間中には町役場の人たちが献身的に働いていただいたので、今考えるとずいぶん楽でした。ただ地元の住民と古楽の結びつきは最後まで希薄でした。町長さんにはずいぶんかばっていただきましたが、町の費用を使っているのですから、もっと町民に還元できるイベントであるべきだという議論が町議会では絶えませんでした。

 

福岡古楽音楽祭

 9年間続いた「おぐに古楽音楽祭」ののち、1999年から「福岡古楽音楽祭」を始めたとき、我々が期待したのは、地元に聴衆となりうるある程度の数の古楽ファンが存在すること、全国から人を集められる交通の利便性でした。この2点は期待通りで、回を重ねるうちに音楽祭の規模は「おぐに」の数倍になり、全国的な音楽祭になってゆきました。しかし、「都会型音楽祭」の性格が増して、「おぐに」の良さが失われた面もあるでしょう。「あいれふホール」という「古楽」向きの手頃なサイズで、残響時間の長いホールが福岡市にできたことは、音楽祭をを福岡市に移動する大きな動機になりました。

 おぐに時代に知らなかった苦労は、資金集め、人手集め、それに会場の確保でした、いずれにしろ、「古楽」の基本理念をゆがめないで企画から運営までを自主的に行うこと、ボランティアに徹して、費用をできるだけ演奏者のためにつぎ込むこと、素人らしい手作りによるもてなしの精神を忘れないこと、これらについては「おぐに音楽祭」を引き継ぐことができたのではないかと思っています。(詳しい事業内容については、別項をご覧下さい)

 

新・福岡古楽音楽祭

 福岡古楽音楽祭は2013年、第15回まで行いました。回を追うごとに音楽祭の知名度があがり、全国の参加者も増え、規模も大きくなったよきました。その間に地元の「文化賞」を多数いただくなど、周囲の評価も上がっていったのですが、音楽祭の世話をしているスタッフの仕事が年々増えてゆき、その老齢化とともにだんだん支えるのが困難になってきました。

 「新・福岡古楽音楽祭実行委員会」は福岡県が管轄する(財)アクロス福岡の中に事務局を設けています。実行委員長は「おぐに」時代から音楽祭を支えてきた村山暁氏で、18世紀音楽祭協会からも事務局長の前田明子氏が実行委員として参加しました。いろいろな面でこの音楽祭は「旧福岡古楽音楽祭」を踏襲してきていますが、福岡シンフォニーホールという大きな音楽ホールをはじめ多くの施設を有する大きな施設を有する(財アクロス福岡が第一の支援団体であるため、それまでのような「あいれふホール」を中心とした手作りの音楽祭からいろいろな面で変わりました。

 新・福岡古楽音楽祭は2017年で第3回を迎え、今後も続けられていく予定ですが、18世紀音楽祭協会は第3回をもってその主催者から手をひくことにいたしました。ただし、協会独自で企画した小規模なコンサートは、今後も「あいれふホール」を中心に行ってゆく所存です。よろしくご支援くださいますようお願いします。