2004

第6回

有元利夫「音楽の部屋(1978)」(c)Yoko Arimoto

インターネットアルバム
写真撮影:蘇馬外二良・梅野 健

日時

午 前

午 後

午 後

10月8日(金)

オープニング
ヘンデル/ガラコンサート

交歓パーティ

10月9日(土)

古楽セミナー
第1部

古楽セミナー
第2部

講演会

ダウランド
リュートソング

10月10日(日)

古楽セミナー
第3部

古楽コンサート
第1部

ヘンデル室内楽
コンサート

10月11日(月祭)

古楽コンサート
第2部

ピノック
リサイタル

音楽祭のおもてなし

18世紀音楽祭協会会長  中里 隆 

 音楽会といえばチケットを買ってコンサートホールに聴きに行くものという習慣が定着したのはいつの頃からでしょうか。特にクラシックのコンサートでは、演奏家はもっぱらステージ上で自分の演奏を立派に披露することだけに専念し、主催者は聴衆にそれを「正しい」マナーで聴くことを要求します。しかしこの音楽祭で演奏される曲の多くは、貴族や金持ちが自分のサロンに客を呼んで演奏されたものです。その際には、酒やご馳走と同様に、音楽はもてなしの手段の一つでした。同時に長い間、音楽はダンスとともに社交の手段として大きな役目を果たしてきました。教会音楽もまた庶民の間で同様の役目をもっていました。
 最近クラシックのコンサートが一般的に退潮気味になってきているのは、演奏する人と聴く人の関係が固定してあまりに大きな溝ができてしまい、聴く側がそれに飽き足らなくなってしまったためではないでしょうか。
 この音楽祭の大きな特徴は、プロの演奏家と聴き手の他に、もうひとつ自分自身で古楽をたしなむ愛好家の層が存在していることです。そういった方々がだんだん全国からこの音楽祭に集まっていただけるようになってきたことは、大変ありがたいことで、その3者が協力して音楽祭を支えていく構図は、当初から我々が意図してきたものです。そういった人たちに演奏者と聴衆の間の溝を埋めていただくことを期待しています。
 古い記録をたどると、拙宅に堀さんのチェンバロが入り、東京から演奏家を招いていわゆる隆太窯コンサートを始めたのが、1978年のはじめ。その年の10月には有田正広さん夫妻らにおいでいただいて、コンサートをしています。早いものでそれからもう26年がたちました。当時オランダ留学から帰ったばかりの新鋭演奏家だった有田さんの髪にも、このごろは白髪が目立ちます。福岡古楽音楽祭がこのように大きく発展したのは結構なことですが、聴衆が会場に足を運んで聴くだけのコンサートに終わらせないよう、初心に返って、「音楽祭でのおもてなし」について主催者も演奏者も、また参加される皆さん方ももう一度よく考えるべき時かもしれません。

ピノックさんによるヘンデルの総て

音楽監督・フルーティスト 有田正広  

 トレバー・ピノックさんと初めて知り合ったのは、1980年代に彼がイングリッシュ・コンサートを率いて来日したときで、その時いっしょに仕事をして音楽的にも共鳴し、以来長いおつきあいをしています。人柄はたいへん気さくで、親しみやすい方ですが、音楽に対しては真摯で深い情熱を持った人です。福岡古楽音楽祭に来ていただけないかとお願いしたところ、気軽に引き受けていただき、自らコンサートの入念な企画までやってもらいました。
 ヘンデルはJ.S.バッハと並んで昔からバロック音楽の2大巨匠と言われていますが、いまだにその全貌を捉えるのがたいへん困難な作曲家です。同じドイツ生まれでも、終生ドイツを離れることがなかったバッハに比べるとずっと国際的な作曲家で、若い頃イタリアで学んだ後、高い給料で迎えてくれたイギリスに帰化しました。ヘンデルが最も情熱をつぎ込んだジャンルは、何といっても40曲以上もあるといわれるオペラですが、残念ながら今日、ヘンデル・オペラの全貌を聴くことはできません。
 初日のガラコンサートではピノックさんの指揮により、野心的にオペラやオラトリオの創造に力を注いだヘンデルの壮麗な音楽の一端を味わっていただきたいと思います。また、ピノックさんと日本人演奏家との共演による室内楽コンサートや、彼のチェンバロリサイタルでは、簡素な中に深い味わいを秘めたヘンデル音楽の本質を味わえるでしょう。いずれにしろ、これまで日本でヘンデルがこんな風にまとめて取り上げられるのは珍しいことで、ピノックさんならではの音楽祭になりました。
 ご承知のように、ピノックさんは演奏会にレコーディングにと長年エネルギッシュな活動を続けてこられ、これまで音楽教育に割く時間があまりありませんでした。この音楽祭では特別にお願いして、チェンバロのマスタークラスを担当されます。これは滅多にないことで、チェンバリストにとっては、貴重なレッスンとなるでしょう。