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発売元:アルケミスタ・レコード 販売元:キング・インターナショナル [CD]ALQ-0012

前田りり子(バロック・フルート)
ロベール・コーネン(チェンバロ)市瀬礼子(ヴィオラ・ダ・ガンバ)

CDのライナーノーツをこちらに掲載しています。
レコード芸術、日本経済新聞に出た批評を
こちらに掲載しています。

J.M.ルクレール(1697-1764) ソナタ集第4巻 第7番 ト長調 op.9の7(1743) 
 1) Andante (dolce)
 2) Allegro ma non tropo
 3) Aria (Affettuoso) - Altro
 4) Allegro moderato (Giga)

M.ブラヴェ ソナタ ロ短調 第2番 op.3の2(1740)
 5) Andante e spicato
 6) Allegro
 7) Minoetto - Variatione I - Variatione II

J.D.ブラウン編集 無伴奏組曲 ホ短調 op.12(1740)
 8) Allemanda
 9) Bizaria
 10) Minuetto

M.ブラヴェ  組曲集 第1巻 より 無伴奏ジーグ (c.1755)
 11) Gigue en Rondeau

J.B.ボワモルティエ(1689-1755)
フルートとオブリガートチェンバロのためのソナタ 1番 ニ長調 op.91の1(c.1742)
 12) Sicilienne
 13) Gayement
 14) Gracieusment
 15) Gayement

M.ブラヴェ(1700-1768) ソナタ 2番 二短調 op.2の3(1732)
 16) Andante (La Vibray)
 17) Allegro (allemand)
 18) Moderato (Gavotta Ces Caquets)
 19) Largo (Sarabanda)
 20) Allegro

J.P.ラモー(1683-1764) クラブサン・コンセール 第5番 ニ短調 (1741)
 21) Fugue la Forqueray
 22) La Cupis(Rondement)
 23) La Marais (Rondement)

●ベルギーの教会でのレコーディングの様子をレポートしています。(詳細はこちら

●発売を記念して、ロベール・コーネンさんと一緒に「前田りり子/フルートリサイタル〜華麗なるロココの饗宴〜」を東京・山口・福岡で開催しました。(詳細はこちら


J.S.バッハと同時代の作曲家達による
フルート音楽
キング・インターナショナルよりリリース!
このページからも注文できます。2500円(送料無料)
新レーベル ムジカ・リリカから再版しました!

[CD]ML-002
発売元:ムジカ・リリカ
販売元:キング・インターナショナル

G.F. ヘンデル : フルートと通奏低音のためのソナタ ホ短調 HWV359b op.1-1b

G.P.テレマン : 「12のファンタジア集」より第1番 イ長調、第2番 イ短調

J.S.バッハ : フルートとチェンバロのためのソナタ ロ短調 BWV 1030

C.P.E.バッハ : フルートと通奏低音のためのソナタ ホ短調 Wtq.124

J.G.ミューテル : フルートと通奏低音のためのソナタ ニ長調

Total time  59:31 Photo:(c)三浦與一

フラウト・トラヴェルソ 前田 りり子
ヴィオラ・ダ・ガンバ  市瀬 礼子
チェンバロ ロベール・コーネン Robert Kohnen

レコーディング・ディレクター  リコー・イェンテマ Rico Yntema
レコーディング・アシスタント  濱瀬 祥
 
録音場所 Lienne de Bra (ベルギー) の教会
録音時期 2002年5月11日〜12日

●ベルギーで録音したときの様子はこちら
●CD発売を記念して行ったリサイタルツァーはこちら
●「朝日新聞」・「レコード芸術」の紹介記事こちら
●アントレ誌に掲載された朝岡 聡さんの紹介記事はこちら

【ライナーノーツ】

現在、過去、未来、流れと共にバッハは生きる・・

 JS.バッハといえば、あまりにも有名な作曲家である。
しかし、18世紀にドイツで行われた人気作曲家投票で栄えある1位に輝いたのは、J.S.バッハではなくテレマンだった。2位がヘンデルで、J.S.バッハは7位にすぎなかったのだ。同時代の人々は、J.S.バッハをオルガンの巨匠として尊敬しながらも、彼の高度な対位法的作風は時代遅れなものだと感じていた。だが、彼の死後、ほとんどのバロック時代の作曲家が急速に忘れ去られていく中で、J.S.バッハの名前と作品だけは彼の優秀な弟子や息子達によって、新時代の作曲家へと受け継がれ、ロマン派的に神格化されたバッハ像が次第に造られていく。
 そして、20世紀後半の古楽器復活運動を通じてバッハ像は再び新しい姿で再生する。バロック時代の楽器や演奏習慣が再び堀り起こされ、バッハが意図したであろう音楽の復元が試みられるようになり、19世紀的なバッハ像は、ゆがめられたバッハ像として、時代遅れとなっていく。しかし、オリジナル楽器によって、忠実に再現されたバッハが、永遠の生命を持った絶対的なバッハ像ではない。それを聴く聴衆の意識をバッハ時代にまで引き戻すことは出来ないからだ。時代は、とどまることを知らない。21世紀には21世紀のバッハ像がるはずだ。
 このCDでは、J.S.バッハが日頃慣れ親しんでいた人々のフルート作品と、彼自身の作品とを一つに集めることによって、彼の作品を彼が生きた時代の流れの中に置くという試みがなされている。ここではJ.S.バッハを音楽史上神格化された存在としてでなく、ある時代を生きた1人の作曲家としてとらえてみた。友人、同僚、父、教師としてのバッハは、私達と何ら変わるところない、悩み多き人間の一人である。もちろんJ.S.バッハの曲には底知れぬ深さがある。それは確かだ。だが、彼以外の作品にも、それぞれ個性あふれる魅力が輝いている。ある程度以上のレベルをこえた芸術作品に絶対的な評価はない。後は受け取る側の感受性しだいであろう。そういった作品の中にJ.S.バッハを置いてみたとき、何か新しいバッハ像が見えてこないかと考えたのである。
 インターネット等の発達によって情報が氾濫する21世紀は、価値観の多様化の時代である。情報の洪水の中から自分の求める情報を探し出して価値を決めるのは自分自身である。このCDを聴いた人、一人一人に自分なりの21世紀バッハ像を作っていっていただければ幸いである。
 
演奏ノート

G.F.ヘンデル フルートと通奏低音のためのソナタ ホ短調 HWV359b op.1-1b
G.F.ヘンデル(Georg Friedrich Handel 1685-1759)といえば、J.S.バッハと完全な同時代に活躍した代表的な作曲家の一人であるが、二人の誕生日はわずかに1ヶ月、生地も約130キロしかはなれていない。しかしながら、この二大巨匠が歩んだ道は実に対照的である。故郷の中部ドイツから一度も出ることなく、ライプツィッヒの教会のカントル、すなわち教会付き作曲家、教育者、そしてオルガン奏者として静かな生涯を終えたJ.S.バッハに対して、ヘンデルの人生は実に華やかである。オペラ作曲家を目指したヘンデルは、バロック芸術の世界でもヨーロッパをリードしたイタリアで学んだ後、イギリスに渡り、オペラ作曲家、演出家、興行師として大成功をおさめ、その名は全ヨーロッパ中に広まっていた。バッハもヘンデルの信望者の一人であり、国際的に活躍していたヘンデルが故郷のハレに里帰りした時、2度ほど会おうと試みたようだが、いずれも諸般の事情で成功はしていない。
 ヘンデルが活躍した18世紀の前半のイギリスでは、優雅だけれども楽器が安くて小さく、気軽に貴族気分が味わえる横吹フルートの人気が急上昇中で、アマチュア向けのフルート作品集は出版社の重要な商品のひとつだった。ヘンデルの第一の関心はオペラやオラトリオなどの劇場音楽にあったため、小さな編成の室内楽をあまり残していない。しかし、作れば売れる人気作曲家ヘンデルを、当時の抜け目のない楽譜出版社が放っておくはずもなかった。ロンドンの出版社ウォルシュはヘンデル自身の出版許可を得ずに、彼の数少ない室内楽曲をかき集められるだけかき集め、フルートで吹きやすい調性や音域に書き直し、それでも足りないところは、別の作曲家の作品でつなぎ合わせ、さらにはアムステルダムの出版社ロジャーの名を語って、1729年頃に「トラヴェルソ、ヴァイオリン、オーボエのための12のソナタ集」を出版する。タイトルページにはないが、この曲集の中にはリコーダー・ソナタが4曲、フルート・ソナタが3曲、ヴァイオリン・ソナタが3曲、そしてオーボエ・ソナタが2曲、計12曲が収められている。一つの曲集の中にいろんな楽器のためのソナタが収められているのは、もちろんウォルシュの販売数増加をねらった目論見である。単なるフルート・ソナタ集だと、フルーティストしか買わないので・・・。
 現代人の目から見ればウォルシュのやり方はあまりにも無謀である。しかし、著作権という概念がまだあいまいだった18世紀には、これぐらいのことはよくあることで、ヘンデルやバッハも、いろんな曲の断片をつなぎ合わせて新しい曲を作るというパスティッチョ作品をいくつも残している。
 今回録音したソナタは上記のソナタ集の第1曲目に入っている。原作は1724年頃にヘンデルが書いたヴァイオリン・ソナタ ニ短調 HWV359aで、それをそっくりそのまま、一音高く移調したものである。そのため、息継ぎへの配慮が欠けていたり、当時のフルートでは難しい高音が出てきてしまったりするが、ヘンデルらしい華やかさと構築性の高さを併せ持った名曲の一つである。
 
G.Ph.テレマン ファンタジア 第1番 イ長調 & 第2番 イ短調
 ヘンデルやJ.S.バッハと公私に渡って親交が深く、J.S.バッハの次男、C.P. E. Bachの名付け親にもなっているG.Ph.テレマン(Georg Philipp Telemann 1681-1767)は、現代においては、室内楽曲を異常にたくさん書いた、バッハと同時代のドイツの作曲家ぐらいにしか認識されていない。しかし彼が当時の音楽家や音楽生活に与えた影響は、我々が考えているよりもはるかに大きなものだったことが、最近の研究で明らかになっている。彼こそが18世紀前半のドイツ音楽界をリードしていた、第一人だったのである。
 テレマンが生涯を通じて心を砕いたのは、イタリア、フランスやイギリスと比べると、まだまだ文化後進国だったドイツで、音楽を愛する人を一人でも多く育てることだった。彼は、当時はまだ珍しい公開演奏会を企画して、それまで一部の特権階級の人々のためだけに内輪で行われていた音楽を、より多くの人々に聴かせる機会を作り、中産階級の人々にも広く音楽を普及させた。彼がライプツィッヒ大学在学中につくり、後にJ.S.バッハへと受け継がれた、大学オーケストラのコレギウム・ムジクムなどもその一つで、若い音楽愛好家を育てるだけでなく、市民が気楽に音楽を楽しめる機会を提供した。
 また、テレマンは愛好家向けの室内楽曲を数多く出版しているが、これは後進国ドイツではまだまだ楽譜が手に入りにくかったためで、前述の出版社ウォルシュのような営利目的では決してなかった。テレマンは、技術的に難しすぎず、親しみやすくて、分かりやすいメロディー、選択幅の広い楽器編成をもつ室内楽曲の出版を通じて、ドイツの市民的な音楽愛好家の育成に大きく貢献したのである。
 「テレマンの音楽は軽薄だ」という人がよくいる。確かに重厚な対位法を駆使して書かれたJ.S.バッハの作品と、素人でも楽しく演奏できるように書かれたテレマンの作品を比べてみるなら、テレマンの作品は軽く感じられるかもしれない。しかし、テレマンの真価はそれだけでは測れない。パリ四重奏曲など、プロの演奏者を想定して書かれた彼の作品を見れば、彼がより高度で複雑な音楽を書く能力を持っていたことは明らかである。だが、テレマンは自らの技術をひけらかすことよりも、より多くの人が楽しめる音楽を書くことを望んでいた。彼の書く単純なメロディーの中には、音楽を愛する心が詰まっている。音楽は楽しい!それを感じさせてくれるのがテレマンの音楽の真価なのだ。
 今回録音したテレマンの曲は、1727年頃出版された12のファンタジア集の中の一番最初と2番目の曲である。通奏低音がついていないこの独奏曲集は、最初に出版されたときには、楽器の指定が書き込まれていなかった。しかし、使用音域が当時のフルートでベストとされるd1-e3であること、まったく重音が出てこないことなどを考え合わせると、恐らくフルートのために書かれた曲であろうことが想像できる。また、この曲集のすべての曲は、それぞれ違った調性で書かれており、テレマンの教育的配慮と想像力の豊かさが偲ばれる。
 ファンタジアはもともと自由な形式による鍵盤楽器の独奏曲の題名として使われることが多く、即興で演奏されることもあった。しかしテレマンは、チェンバロだけでなく、フルート、ヴァイオリン、ガンバのためのファンタジアを、それぞれ12曲ずつ残しており、通奏低音から解き放たれた旋律楽器の開放感を、ファンタジア独特の自由奔放さで表現することに成功している。
 今回お贈りする2曲のファンタジアも、高々5分程度の短い曲の中に、凝縮されたエネルギーが詰まっている。めまぐるしく変わる緩急のテンポのなかに、プレリュードあり、フーガあり、舞曲ありで、とにかくあらゆるアイデアが盛りだくさんな曲といえよう。

J.S.バッハ フルートとオブリガートチェンバロのためのソナタ ロ短調  BWV 1030
 第3曲目は、言わずとしれた大作曲家J.S.バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の作品である。世にバッハ信奉者は多い。かく言う私もその一人である。バッハを吹きたいがために、バロックフルートを始めたといっても過言ではない。バッハの音楽は深い。考えれば考えるほど行き着くところを知らない、そんな底なしの深さがバッハの作品にはある。
 絡み合う対位法、偶然と必然が隣り合わせの複雑な和声、コンピューターで計算したかのように理路整然とした多重構造、演奏者の技術的な問題を省みない音楽優先の姿勢、「時代遅れ」とみなされながら、当時の人が誰もなしえなかった前衛的な斬新さ、ちばめられた音楽修辞学、調性論、神学論など、など・・・。バッハの音楽を取り巻く世界は、なんだか難しい。そこが魅力でもあるのだが、浅はかな私など、永遠にたどりつけないかと思わせるような、そんな畏れ多いオーラがバッハの周りにはある。
 だが彼を、18世紀の中部ドイツに生きた一人の男として見るとき、そこには現代の私達と何も変わらない一人の人間がいる。就職活動、子供の教育や上司の無能に苦悩し、2度の結婚、20人もの子供の誕生や孫の誕生に喜ぶバッハは、家庭を愛する、ちょっと頑固な「教育パパ」以外の何者でもない。
 息子達を初めとして、バッハが育てた弟子の中には、次世代のドイツ音楽をリードする立場になったものは多い。テレマンを初めとして、バッハと交友を深めた当時の音楽家も多い。もちろんそれは、バッハの卓越した音楽性に惹かれて多くの人間が彼のもとに集まってきたとも言えるが、それだけではなかったはずだ。彼の誠実で暖かい人柄、そして彼の音楽と同様の深い洞察力で貫かれた人間性に惹かれて、多くの音楽家が彼のもとを訪れたに違いない。そんなバッハ像を想像したとき、私はそれまで持ち続けていたバッハに対する恐怖の念を越えることができた。ヘンデルやテレマンと同じく、演奏家対作曲家という対等の立場で、バッハと向き合えるようになった。
 バッハの音楽は「ねばならない」で塗り固められた練習曲ではない。生きる喜びに満ちた人間ドラマがそこにはある。神の慈悲、そしてバッハの暖かい愛がそこにはある。バッハの音楽は決して人を拒絶してはいない。バッハの個性豊かな子供や弟子たちは、彼の作った曲をそれぞれの個性に合わせて独創的に演奏し、バッハは彼らの豊かな表現力に目を細めて喜んだに違いない。私も、バッハを慕う弟子の一員として精一杯の演奏をしたい・・・そんな思いで今回の録音を行った。
 J.S.バッハは、旋律楽器とチェンバロの右手が同等の比重で動くオブリガートチェンバロ付きソナタを、ガンバやヴァイオリンのためにも書いているが、その中でも、このフルートのためのロ短調のソナタは格別に美しい曲の一つである。まずは、演奏に10分もかかるコンチェルト様式風の壮大な1楽章。この長さ、この壮大さは、当時のソナタの常識としては異常である。ところが2楽章ではうって変わって、現代の常識から行けばあり得ないほど分厚い通奏低音の上で、フルートはなんとも可憐で優雅なメロディーを奏でる。ところが、まるで天上からの声のように非現実的な響きを聴かせたフルートは、3楽章のフーガで再び冷静さを取り戻したかに見える。しかし、楽章の終わりに向かって再び冷静さを失い、4楽章の12/16拍子という奇妙なジーグへと突入する。
 
C.P.E.バッハ フルートと通奏低音のためのソナタ ホ短調 Wtq.124
 バッハ家というのはドイツ中部のチューリンゲン地方では音楽家の代名詞となるぐらい、数多くの音楽家を輩出した家系である。J.S.バッハの息子たち4人もそれぞれ立派な音楽家となった。特に、ベルリンとハンブルグで活躍した次男C.P.E.バッハ(Carl Philip Emanuel Bach1714-1788) と、ロンドンで活躍した末息子のJ.C.バッハ(Johann Christian Bach1735-1782)は当時、父のJ.S.バッハよりもはるかに高い国際的な名声を得ていた。几帳面なC.P.E.バッハは兄弟の中で一番のしっかり者だったようだ。父バッハが亡くなった時も、情緒不安定で変わり者だった長男に変わって遺産相続等の処理を取り仕切り、15歳にして父母を失った末の弟J.C.バッハを引き取って育てている。
 C.P.E.バッハは、当時めきめきと力をつけ、領土を拡大しつつあったプロイセン王国の国王、フリードリッヒ大王に約30年にわたって仕えた。ドイツの一辺境地に過ぎなかったプロイセンを、強力な軍隊を作り、戦争に次ぐ戦争の末ヨーロッパの大国の一つにしたフリードリッヒ大王は、プライべートには、フルートを心から愛する典雅な趣味人でもあった。大王のフルートの腕前はかなりのものだったらしく、技術的にも相当高度なフルート・ソナタを、約120曲も自作し、週に3〜5回は、自らが出演するコンサートを開いていた。大王の主席チェンバリストだったC.P.E.バッハは、そのコンサートにおいて大王の伴奏をするのが仕事だったのである。
 主君の趣味を真似して、大王の宮廷ではフルートが大人気を博していた。それは純粋な趣味としてではなく、大王と趣味を一致させて歓心を買おうとする下心もあったに違いない。C.P.E.バッハの書いたフルート曲がフリードリッヒ大王によって演奏されたという決定的な証拠はない。しかし、この未曾有のフルート人気のおかげで、大王の宮廷があったベルリンでは、他の場所では類を見ないほどのたくさんのフルート曲の傑作が作られたのである。
 少なくとも、今回録音したホ短調のソナタが、大王のために書かれた作品ではないことは確かである。C.P.E.バッハはこのソナタを、彼がまだフランクフルト大学に在学中だった1937年に書いたが、彼は1738年に、まだ皇太子だったフリードリッヒ付きの音楽家になったからである。しかし、このようなC.P.E.バッハの初期フルート作品が大王の目にとまり、C.P.E.バッハの就職が決定したということはありそうな話である。
 このホ短調のソナタは、C.P.E.バッハが父親のもとを離れてわずか4年後に書いた作品である。父親の書いたフルート作品と比べるなら、管弦楽組曲2番と同じ時期にあたる。しかし、二つの作品の音楽様式はすでに決定的に違っている。時代遅れといわれた父の作品にはけっしてみられない、多感様式という新しい時代の波が息子の作品にはある。こま切れな旋律、急激な転調、極端な音の跳躍、シンコペーションの多用などによって、C.P.E.バッハの作品は、我々の心を鷲掴みにし、直接揺さぶってくるようだ。「最近の若いもんは・・・」と父バッハが息子の曲を聴いたらなら言ったかもしれない・・・。

J.G.ミューテル フルートと通奏低音のためのソナタ ニ長調
ミューテル(Johann Gottfried Muthel1728-1788)はJ.S.バッハの最期の弟子である。北ドイツのメルンで生れ、リューベックでオルガンを学んだ後、ベルリンの北にあるメクレンブルクの宮廷のオルガンニスト兼音楽家を勤めた。1750年に1年間の休暇をもらったミューテルは、ライプツィッヒのJ.S.バッハのもとを尋ねて弟子入りをしている。しかし、そのほんの数ヶ月後、J.S.バッハは緑内障の手術の失敗のために亡くなっているので、ミューテルがJ.S.バッハから直々に教えを請うことができた時間は、かなり短かった。しかし、偉大な音楽家の最期の日々を共に過ごしたことは、22歳の前途ある青年に大きな影響を与えたに違いない。
 J.S.バッハの死後、まだ休暇が残っていたミューテルは、ベルリンのC.P.E.バッハや、ハンブルグのテレマンを訪れ、鋭敏な感受性で、当時の最先端音楽を吸収していった。1753年には、バルト海に面する美しい小都市リガ(現代のラトヴィアの首都)に移り、もっとよい就職条件の町に移る機会は何度もあったにもかかわらず、死ぬまでその地にとどまった。
 ミューテルは、同時代の著名な音楽史家チャールズ・バーニーに「斬新さと趣味の良さと優美さ、現代最高の作品の1つに数えられるもの」と絶賛されるほど、才能のある音楽家だったが、かなりの変わり者だったらしい。内省的な性格で、常に独創的なアイデアを求めたミューテルは、気分が乗ればほとんど休まずに書き進めるが、気分が乗らないときはまったく筆が進まず、作曲するのにはかなり時間がかかった。そのため、ミューテルの残した作品の数はかなり少ない。テレマンのように数千とまではいかなくとも、当時は雇い主の注文に合わせて、とにかくマンネリでもパロディでもいいから新しい作品をどんどん書くことが、作曲家には求められていたため、ミューテルのように書きたいものを書きたい時にだけ書くというスタイルは、プロの音楽家としては極めて稀であった。さらに彼は、C.P.E.バッハ等の多感様式のように感情を音楽の中に表出させるだけでなく、自己の内面を音楽で表現しようとしたため、18世紀の終わりにゲーテ等によって推進された「シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)」の初期を代表する音楽家といわれている。
 ミューテルの残した作品の大半は鍵盤作品で、現存するフルートの作品は、今回録音したニ長調のソナタのみである。その由来は分かっていないが、楽譜はベルリンで発見されたので、フリードリッヒ大王、またはベルリン宮廷に関わりのあるフルート奏者に献呈された曲かもしれない。全楽章を通じて、自由奔放に動き回るメロディー、予想のできないリズム、突然の超絶技巧など、当時の他のフルート作品ではみられない、大胆で独創的なアイデアが次々に現れる。初めはなんだか奇妙な曲と思っても、気が付いてみれば、彼独自の世界観にはまってしまっている・・・そんなところが奇才ミューテルの魅力かもしれない。(前田りり子)