前田りり子 ソロCD  第3弾

J.M.オトテール フルート組曲集


新レーベル「ムジカ・リリカ」より発売中!

2500円こちらからご注文いただけば送料・手数料無料です)
発売元:ムジカ・リリカ 販売元:キング・インターナショナル [CD] ML-001

前田りり子(バロック・フルート)
市瀬礼子(ヴィオラ・ダ・ガンバ) ロベール・コーネン(チェンバロ)

「レコード芸術」2009年6月号の【特選盤】に選ばれました。詳細はこちら
古楽情報誌「アントレ」のCD評。詳細はこちら

 昨年6月にベルギーでチェン バロのロベール・コーネン氏とガンバの市瀬礼子さんとともに行った録音です。前回までと同様アルケミスタ・レコードからリリースの予定でしたが、なんと録音を終えて帰国したらアルケミスタが廃業しており、CDをリリースする場所がなくなっていました。さあ大変とそれから二転三転いろいろありましたが、結局ムジカ・リリカという自主レーベルを立ち上げることになりました。販売は引き続きキング・インターナショナルが行ってくれます。ついでに絶版となっていた1枚目のソロCD「J.S.バッハと同時代の作曲家達によるフルート音楽」もこのレーベルで再盤することになりました。 このホームページからも直接購入することができます。(上は、新しく立ち上げたムジカ・リリカのロゴマークです。ごひいきに)
  今回の録音は前回までと同様、ロベール氏の素敵な別荘に滞在しながら、響きのよい小さな田舎の教会で行いました。今までと違うのは、a'≒390Hzの低いピッチのフルートと、修復が完成したばかりの17世紀のオリジナルチェンバロを使用したことです。1枚目の録音をした2003年の少し前にロベールがフ ランスの田舎で眠っていたのをみつけ、手に入れたチェンバロで、その時のすごい楽器が見つかったんだとロベール氏が興奮していたのを私もよく覚えています。修復が終わったらぜひ一緒にオトテールを録音をしようと言ってはや5年。外側の絵は間に合いませんでしたが、今回の録音の直前にようやく修復が終わり、この録音がこのオリジナルチェンバロのお披露目となります。輝かしいながらも品があるすばらしい楽器ですので是非聞いてみてください。フルートも今回の録音の為に杉原広一さんと有田正広先生が共同でオトテールタイプの楽器を作ってくださいました。a'≒415Hzの楽器にはない、太く豊かで憂いを帯びた音色をお楽しみいただけると思います。

 ベルギーでの録音の様子はこちらにレポートしてあります。

録音で使った杉原/有田製作オトテールタイプのフルート

・・・・ライナー・ノーツ  前田りり子

バロック・フルートの始祖、オトテール・ル・ロマン
 
◆ バロック・フルートの誕生

 16世紀に大人気を博していた横吹きフルートは、17世紀のイタリアで始まったバロックという新しい芸術様式の到来とともに、次第に姿を消していった。ほぼ円筒の木の筒に歌口と6つの指穴があいているだけという単純な楽器では、バロックの壮大な表現力についていくことができなくなったためだ。光と影を強調し、感情をエネルギッシュに放出するバロック・オペラ は瞬く間にヨーロッパ全土へと広まり、音域やダイナミクスの幅に優れるヴァイオリン族が器楽アンサンブルの中心となっていった。

 しかし、そんな新しい時代の波を柔軟に吸収しながらも、イタリアに対抗して独自の芸術様式を確立した国があった。太陽王ルイ14世が治めるフランスである。17世紀までのフランスはルネッサンスやバロック 誕生の地イタリアと比べるとまだまだ文化後進国だったのだが、ルイ14世は文化の発展に多大な力を注ぎ、芸術の力を最大限に利用して自国の国力を国内外に見せつけることに成功した。ヴェルサイユには壮麗な宮殿が建てられ、そこでは毎晩のように舞踏会、音楽会、劇やバレエ、オペラなどが催された。ルイ14世 にとって音楽は楽しむためのものだけでなく、欠かすことのできない政治的に大事な道具の一つだったのである。

 ルイ14世 の宮廷楽団には声楽中心の王室礼拝堂聖歌隊、弦楽器中心の宮廷室内楽団、管楽器中心の厩舎の音楽隊という3つのグループがあった。野外での儀式などで活躍する厩舎の音楽隊では、17世紀前半までのルネッサンス時代とあまり変わらない木管楽器が使われていた。しかし音域が狭く、すべての半音階を演奏することができない古いタイプの楽器では、ルイ14世が要求する華麗で荘厳な音楽を表現することが難しかったため、厩舎の音楽隊員たちによって木管楽器には様々な改良が加えられていった。

 まず、円筒型だったフルートの内径は円錐型へと変えられ、低音から高音までより単純な指使いで、しかも正しい音程で演奏できるようになった。それまで1本の木筒で作られていた管は3つに分割され他の楽器と ピッチを微妙に合わせられるようになった。すべての半音階が演奏できるように6つだった指穴は7つに増え、7つ目の穴を短い小指で押さえるためにキーが一 つ加えられた。

 新しい3分割フルートは、キャップや接続部などに象牙が使われ、まるで高級家具のように非常に装飾的である。宮廷で使われる楽器は、音だけでなく、見た目にも美しくなければならなかったのであろう。これらの 象牙はただ美しいだけではなく、楽器の音色にも大きな影響を与えた。ルネッサンス・フルートは梨の木やカエデ、ツゲなどの軽めの材質で作られることが多く、音色もまた大変軽やかだったが、黒檀や象牙を材料に使うバロック・フルートは材質の密度がより高く、艶と深みを帯びた豊かな音を出すことができた。頭 部管の先についているキャップも単なる飾りではなく、キャップ内の空洞が楽器の共鳴を増す効果があり、接続部の飾りは補強のためにつけられた。

 新しく生まれ変わったフルートは音楽隊が野外で使うには音が小さすぎたが、まろやかな憂いをおびた音色は貴族にふさわしい品のある楽器として人気を博し、18世紀にはたくさんのアマチュアフルート奏者が誕生した。
 
◆ オトテール一族

  そんな管楽器革命を強力に推し進めたのが、厩舎の音楽隊に多数在籍していた、オトテール一族やフィリドール一族、そしてノースなどその周辺の製作家たちである。当時の木管楽器奏者はフルートからオーボエ、ファゴットにいたるまでいくつもの楽器が演奏できるのがあたりまえで、中には自分で楽器を製作したり、 作曲したりと多彩な才能を発揮するものも数多くいた。また彼らの多くは血縁関係で強力に結ばれており、宮廷楽団への就職活動など非常に強いつながりがあっ た。

 特にオトテール一族の名声は高く、管楽器改良を積極的に進めたジャン・オトテール(1605−1690/92)は、「ミュゼット、フルート、フラジオ レット、オーボエ、クルムホルンなどあらゆる種類の木製、象牙製、黒檀製の楽器製作にすぐれ、それぞれの楽器の完全なひと揃いのセットを作ることができ た」そうである。厩舎の音楽隊に所属し、息子へ、孫へとその地位と技術は受け継がれていった。一族の中でも特に有名だったのが、英才教育を受けて育った孫 のジャック・マルタン・オトテール(ル・ロマン)(1674−1763)で、フルートとミュゼットの演奏、製作、作曲、教育に傑出した手腕を発揮した。
 
◆ 教師としてのJ.M.オトテール

  ジャック・マルタン・オトテールが一体どんな幼年時代を過ごしたのかは不明である。しかし木管楽器一族に生まれたからには、子供の頃からあらゆる木管楽器 の演奏や製作を基礎から叩き込まれ、修業に励んだに違いない。一族の中には似たような名前の人がたくさんいたため、ジャック・マルタンはル・ロマンというあだ名で呼ばれていた。ロマンというのはローマ人のことなので、もしかしたらローマに留学したのかもしれないが事実はよくわかっていない。記録によると31〜33歳の頃厩舎の音楽隊に属し、35歳頃にはファゴットを演奏している。

  同じ頃彼は「フラウト・トラヴェルソの原理 (1707)」 というフルートのための教則本を出版している。17世紀の終わりに新しく生まれ変わったばかりのフルートはフランス貴族達の間で爆発的な人気を見せ、18世紀になるとフルートを吹いてみたいというアマチュアが急速に増加していた。しかし、フルートのための曲や教則本、教師はまだ数が少なく、J.M.オトテールはあちらこちらの貴族達に引く手あまただったようだ。

 そんな周囲の要望に応えて出されたのがこの教則本で、オランダ語、英語、ドイツ語にも翻訳され1760年代にいたるまで何度も再版を重ね、フランス生まれの新しいフルートがヨーロッパ全体に浸透する手助けとなった。しかし教則本といっても現代の教則本のように練習曲がたくさん載っているわけではない。楽器の持ち方、吹き方、運指、装飾法、タンギングの仕方などが事細かに説明されており、当時の演奏習慣を知る上で現代においても貴重な資料となっている。

  1719年にはどのように即興的にプレリュードを作るかを記した「プレリュードの技法」、1723年には初心者向けに当時の有名な宮廷歌曲をアレンジした「エールとブルネット集」なども出版しており、オトテールがアマチュアの教育にも力を入れていたことがわかる。
 
◆ 作曲家としてのJ.M.オトテール

  18世紀初頭に急に人気の出たフルートだが、フルートの為に書かれた曲は当時まだほとんどなかった。新しい楽器を手にした奏者達は、当時流行っていた宮廷 歌曲や他の楽器の為に書かれた曲を自らアレンジして演奏していたのである。
  フルートの為と明記された最初の曲集は宮廷フルート奏者のM.ド・ラ・バールによって1702年に出版された。J.M.オトテールは史上2冊目を1708年に出版し(作品2)、1715年には第2巻を出版している(作品5)。本CDに収録されている曲は、この2つの曲集から抜粋したものである。

  「通奏低音を伴う横吹きフルートとその他の楽器のための組曲集第1巻」というタイトルで1708年に出版された作品2は、活版印刷で非常に読みにくい楽譜だったが、1715年に銅版で刷りなおされ、再版されている。当時の演奏習慣では、奏者が書かれている音符に即興で装飾を付け加えるのが普通だったが、この再版では初版にはなかった装飾音符がたくさん付け加えられており、即興で装飾ができないアマチュアでもプロのような演奏が楽しめるように配慮されてい る。

  太陽王ルイ14世の意向がす べてを決定するヴェルサイユでは、音楽、そしてその他の芸術すべてにおいて、王の趣味が宮廷全体の趣味となった。もともとフランスの宮廷社会において舞踏 というのは社交上重要なものではあったが、ルイ14世はかなりの踊り好きで自らが踊りの名手でもあったため、フランス宮廷人の舞踏への関心度は高くならざるを得なかった。王に気に入られるために、貴族達は1日何時間もダンスの練習に励み、家名をかけて舞踏会や宮廷バレエに臨んだのだ。そのためフランスでは 舞曲が大流行し、実際には踊らない器楽曲までもがダンスのリズムに基づいて作曲され、いくつかの舞曲を同じ調性でまとめた組曲がフランス器楽形式の中心と なった。

  J.M.オトテールの曲もほとんどが舞曲の様式で書かれているが、例外が2つある。一つは第1巻最後に収められた無伴奏曲エコーで、1本の笛でエコー(こだま)を表現した非常に珍しい曲である。まったく同じメロディーがフォルテとピアノで2回ずつ繰り返される。

 もう一つは第2巻最後に収められた第4組曲ソナタ(ロ 短調)である。この曲はアルマンドやクーラント、ジーグなどの舞曲で書かれている部分もあるが、イタリアの室内ソナタ形式を強く意識して書かれており、イタリア様式を代表するソナタというタイトルが唯一つけられた曲である。

  第2巻が出版されたのは1715年で、ルイ14世が亡くなった年でもある。ルイ14世の死後摂政となったオルレアン公は、ルイ14世が確立した荘重なフラ ンス様式が嫌いで、ルイ14世の生前、その趣味に配慮して宮廷中がフランス様式に染まっていた時代にすら、自宅にイタリア派の音楽家を呼んで楽しんでいたほどである。そのため1715年の王の死後、フランスは急激にイタリア様式の影響を受け、舞曲は次第に姿を消していった。オトテールの第2巻のソナタはそんな時代の移り変わりを敏感にとらえており、大変興味深い。
 
◆ 楽器製作家・演奏家としてのJ.M.オトテール

 オトテールは一流の奏者、教師だっただけでなく、著名 な楽器製作家でもあった。フランクフルトの判事ウッフェンバッハは、1715年にオトテールのところを訪れた時のことを旅行記に詳しく書き残している。そ れによるとオトテールは丁重、上品だけどちょっともったいぶった態度でウッフェンバッハを小綺麗な部屋に通し、自分で作った売り物の美しいフルートを何本も彼に見せたそうである。そこにはビロードで覆われ、金のふち飾りとふさがついた最新式のミュゼットや、その半額の飾りなしのミュゼットなどもあったそう だ。オトテールはその美しい楽器でソナタを1曲デモンストレーションしたのだが、その演奏はこの上なく素晴らしく、完全にマスターしつくした装飾音をちり ばめたもので、ウッフェンバッハは呆然として聞き惚れ、褒め言葉もでないほどだったそうだ。
 
◆ J.M.オトテールの時代と音楽

  ルイ14世時代のフランスは身分制度が非常にはっきりとしていた時代である。宮廷楽団も王室礼拝堂聖歌隊を筆頭に宮廷室内楽団、そして厩舎の音楽隊という 身分制度が存在し、聖歌隊の歌手と厩舎の音楽隊員では4倍以上の給料の差があった。1708年に出版した組曲集のタイトルページでは、オトテールの肩書きは王の室内楽団のフルート奏者となっているが、公式資料によると厩舎の音楽隊にも席を置きつつ1717年に宮廷室内楽団員に就任している。いずれにしろフランス宮廷の管楽器奏者のほとんどが厩舎の音楽隊に属していた頃、オトテールはより地位の高い室内楽団に属していたことになる。新しいフルートの誕生、そしてJ.M.オトテールら高いテクニックを持った演奏家の誕生により、フルートはフランス宮廷内に 着実に高い地位を築きつつあった。

 J.M.オトテールが亡くなったのは1763年。彼が89歳の時である。J.S.バッハとほぼ同時代を生きたオトテールだが、残念ながら1730年代以降彼の動向ははっきりしない。1730年以降本格化したイタリア趣味についていけず人気が廃れてしまったのか、1720年代以降流行する4分割フルートへうまく移行できず時代の流れに取り残されたのか、はたまた健康上何か問題を抱えていたのか、その内情は全くわからない。

  しかし、オトテールらが作り出した新しいフルートの波は確実に大きくなり、ドイツ、イギリスをはじめ全ヨーロッパへ広がった。その層はアマチュアからヴィ ルトゥオーゾと呼ばれる名手まで、そして時代は現代に至るまで、あらゆる場所と時間でフルートは人気を博するのである。

  18世紀初めのフルート奏者・製作家達が行った一番の功績はなんであろうか? それはフルートが老若男女誰でもが楽しめる楽器であるということを世に知らしめたことかもしれない。

  イタリアで起こった劇的なバロック音楽はフランス上陸とともに牙をそがれ、少し儀式ばった荘厳さが加えられた。と同時にフランス特有のエスプリ、ちょっと アンニュイを含んだ陰影、豊かな色彩も附加され、他の土地にはない華麗で格調高い音楽がヴェルサイユで花を咲かせた。その後現代へ至るまで続いているフ ルート人気のルーツをこのCDによって体感していただければ幸いである。
 
◆ 使用楽器について

  残念ながらJ.M.オトテール本人が製作したと思われるフルートは現存していない。しかし他のオト テール一族が製作したと思われる楽器はオーストリアのグラーツとパリに2本残されており、このCDではそれらの楽器を元に復元したフルートを用いて演奏して録音した。ピッチはヴェルサイユで好んで使われた現在より約全音低い a'≒390である。3分割の初期バロック・フルートにしか出せない、太く豊かな音色をお楽しみいただきたい。

  また、今回使用したチェンバロはコーネン氏所蔵の大変貴重なオリジナル楽器である。16世紀半ばに作られたフランスの楽器であるが、作者はわかっていな い。裕福なフランス人一家が代々納戸で眠らせ、すっかりボロボロになってしまっていた楽器をコーネン氏が譲り受け、フランスのチェンバロ製作者アンセム氏 とともに長い年月をかけて修復し、本録音の直前にようやく修復が完成した。しかし、その音色はとても300年以上もほこりをかぶっていた楽器とは思えない ほどに軽やかで美しく高貴な輝きに満ちている。
 

録音場所について

  本録音はベルギーの静かな田園地帯アルデンヌ地方にある小さな教会で行った。鳥のさえずりや犬の鳴き声とともに行う録音は、録音技師にとっては悩みの種で あるが、演奏者にとってはなんとも心休まるひと時である。日本の喧騒を離れ、教会の高い天井からあふれでてくるような響きに身を任せていると自分自身が音楽と一体化して、ふと夢の世界をただようような感覚にとらわれることがある。そんな不思議な体験をこのCDとともに共有していただければ幸いである。

●発売を記念して、2009年5月にロベール・コーネンさんらと一緒にリサイタル・ツァーを札幌・福岡・宇部・神戸・東京で開催しました。(詳細はこちら