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G.Ph.テレマン(1681-1767)

〜パリ四重奏曲(全6曲2枚組)〜

演奏:トラベルソ:前田りり子、バロックヴァイオリン:寺神戸亮

ヴィオラ・ダ・ガンバ:上村かおり、チェンバロ:チョー・ソンヨン

レコード芸術特選 朝日新聞CD評推薦 読売新聞CD評推薦

「レコード芸術」の2016年レコード・アカデミー賞(音楽史部門)にノミネートされました!

朝日新聞評
1788年、生涯唯一の外報の地となったフランスで発表された六つの組曲。パリの聴衆を意識してはいるが、作風は疑いもなくテレマンのもの。名手四人による合奏で、とくにフルートとバイオリンの会話は秀逸。

Musica Lyrica ML-003 発売(株)キングインターナショナ2015年4月27-30日、5月3-5日、オランダ・デルフトのOud-Kathorieke Kerk で録音

Disc 1

四重奏曲 第1番 二長調

四重奏曲 第2番 イ短調

四重奏曲 第3番 ト長調

Disc 2

四重奏曲 第4番 ロ短調

四重奏曲 第5番 イ長調

四重奏曲 第6番 ホ短調

  左はデルフトでの録音風景

レコード芸術 9月号評抜粋

4人の奏者たちの阿吽の呼吸が合致し、清新の気に満ちた音楽が颯爽と流れ出す。お互いの受け渡しもあざやかに、生き生きとした自在な合奏である。それぞれの楽器は自発性を持ち、それぞれ自己主張をしながらも、全体の融和を忘れてはいない。その結果生命感と愉悦間とを併せ持った爽快なアンサンブルが形成されていく。

 テレマンとパリ四重奏曲

                       前田りり子

 テレマンといえば、バッハ、ヘンデルと並ぶドイツ・バロックを代表する作曲家の一人であり、当時の人気は二人の巨匠をも超えていたという。現代でもテレマン愛好家の数は非常に多く、仲間同士で集まって、ちょっとバロック音楽でも演奏してみるかとなったら、まず登場するのがテレマンである。曲が平易で初見でもそれほど苦労せずに演奏でき、あらゆる楽器の組み合わせに対応しているため、たまたまその場にいる仲間ですぐに即席アンサンブルを楽しめるからだ。

 またテレマンの作品は、当時人気のフランス趣味、イタリア趣味はもちろんのこと、伝統的な対位法、流行のロココ・ギャラント様式、斬新な多感・疾風怒濤様式、当時では珍しいポーランド・スラブ様式など非常に多様で、彼の曲を演奏するだけでバロックのあらゆる様式を体感できるといっても過言ではない。さらにどれもがユーモアあふれた良い曲とくれば、気軽にアンサンブルを楽しみたいと思うと、ついついテレマンに行きついてしまうのである。

 牧師の家系に生まれたテレマンは、幼い時から音楽への強い興味と才能を持ちながらも、音楽家となることを長い間親に反対されていたため、正式な音楽教育を受けることはなく、ほとんどすべて独学で学んだそうである。しかし、ライプツィッヒで大学生活を送っていたころにはすでに作曲法に通じ、オルガン、チェンバロはもちろん、ヴァイオリン、リコーダー、ツィター、オーボエ、フルート、シャルモー、ガンバ、コントラバス、トロンボーンに至るまで様々な楽器を弾きこなすことができ、仲間と共に学生オーケストラ「コレギウム・ムジクム」を組織して自作品を演奏し、大成功を修めている。それ以降テレマンのもとには作曲の依頼が多数舞込み、親も音楽家となることを認めざる得なくなったそうである。

 その後テレマンは順調に出世の道を登り続け、ゾーラウ、アイゼナッハの宮廷楽長、フランクフルト市の音楽監督などを経て、ハンブルグ市の音楽監督となるが、彼のこの成功を支えた鍵は何だったのだろうか。音楽的才能はもちろんのことだが、彼の社交的な人柄が大きく影響したのではないかと私は思っている。例えば頑固なバッハは上司とのいざこざが絶えず、時には牢屋に入れられたりもしていたし、ヘンデルはライバルたちとの競争に打ち勝つためにかなり汚い手を使ったり、陥れられたりもしているが、テレマンに関してはそんな話は全く聞かない。

 テレマンの周りにはいつも多くの人が集まってくる。彼は新しい任地に行くたびに、アマチュアとプロフェッショナルを織り交ぜた合唱団やオーケストラを作り上げ、人々は自ら喜んで参加したそうである。「演奏者が足りない」といつも嘆いていたバッハとは大違いである。多くの宮廷や都市がテレマンをほしがった。雇い主たちはみな彼のことをとても可愛がり、気前よく報酬を与えただけでなく、彼の意思を尊重して行動の自由を認め、彼が職場を去った後も不在楽長として作品を依頼し続けるなど、長く良好な関係が続いていたようである。それをバッハ崇拝者の中には「テレマンはとても幸運な人だった」とし、うまく安住の地を見つけることができず、才能に対する成功を修めることのできなかったバッハを「不運な人」とする人もいる。しかし私はテレマンが単なる「幸運な人だった」とは思えない。恐らくテレマンは人とのつながり、人との調和をとても大切にする人だったに違いない。だからこそ人はテレマンのもとに集まり、喜んで協力を申し出たのだろう。

 彼はマテゾンへ宛てた自伝の中で平易な音楽を書くこと常に心がけているということを強調している。それを要約すると「大事なのは楽器の特性に合った曲であること。そうでないと演奏している人はだんだんしかめ面になってしまう。平易な曲を、つまりみんなの役に立つ音楽を書くことは、特定の少人数のための音楽を書く人より、多くの人に奉仕することになるから、作曲家はその姿勢を貫きとおすことが最善である」ということである。

 実際彼はその姿勢を生涯貫き通し、誰でもが演奏しやすい曲を、気軽に買えるようにたくさん印刷して販売し、誰でもが聴ける公開演奏会を時代に先駆けて数多く開催した。18世紀前半、音楽はまだまだ知的特権階級者のための特別な楽しみであり、庶民が気軽に楽しめるものではなかったが、テレマンはそんな時代に、音楽を通してできるだけ多くの人が幸せになることを望んでいたのだと思う。

 いかに人と付き合い、そこでどんな素敵な出会いが起こり、新しい音楽が生みだされるか、これがテレマンの音楽の醍醐味かもしれない。確かに、時にテレマンの作品は平易すぎて単調な演奏になることがある。だが、それもすべて演奏家次第である。演奏家の技術次第ではない。演奏家の心持ち次第である。音楽を愛する心、アンサンブルを楽しむ心を持って挑めば、いつでも曲が生き生きと踊り出すのだ。

 だがそんなテレマンも、例外的に少々難しい曲を書くことがある。素晴らしい才能を持った音楽家と出会った時だ。そんな時には万人向けを常日頃心がけるテレマンも、たまには思う存分自らのアイデアを駆使して、心行くまで書きたいことを書くという楽しみに浸ることもあったようだ。その典型的な例が、本録音で取上げたパリ四重奏曲である。

 テレマンの名声は出版楽譜などを通じて、ヨーロッパ各地に広まっていったが、ハンブルグでの仕事があまりに忙しかったせいか、生涯を通じてテレマンはあまり大きな旅行をしていない。しかしたった一度だけ、1737年に8ヶ月に及びパリに滞在した。その時の様子を自伝の中でこのように述べている。

 「私の念願であったパリ旅行は、出版された私の作品を見て気に入った、パリの幾人かの演奏家たちの数年来の招きによって実現し、私は1737年のミカエル祭(9月末)の頃に出発し、8ヶ月の時をそこで過ごした。パリでは20年間有効の、国王認可による印刷販売の許可を得て、予約形式で新しい四重奏と、終始旋律的なカノンで構成された、6曲のソナタを銅板に付した。フルートのブラヴェ氏、ヴァイオリンのギニョン氏、ガンバ奏者のフォルクレ氏(息子の方)、チェロのエドワード氏といった人たちによって、この四重奏曲がどれほど素晴らしく演奏されたか、ここに述べておく値打ちが十分にあるのだが、ただその見事さを描写し得る言葉が見つからないのである。とにかく、この四重奏曲に対する宮廷や町の人々の関心は稀に見るものであって、しばらくの間に私の名声がほとんど町中に広がると、私は日増しに丁重な扱いを受けるようになった。(『テレマン〜生涯と作品』カール・クールベ著、服部幸三・牧マリ子共訳、音楽の友社)」テレマンがパリに持参して出版した四重奏曲こそがパリ四重奏曲で、その時出版された楽譜をバッハも購入している。

パリの演奏家たちがテレマンを招聘するきっかけとなった作品は、1730年にハンブルグで出版された同じ楽器編成の曲集で、現代では1730年の曲集と1738年の曲集を合わせてパリ四重奏曲と呼ぶ場合もある。テレマン自身はどちらの曲集にも「パリ」という名称は用いておらず、それぞれイタリア語とフランス語で四重奏を表す「Quadri(1730年)」と「Quatuor(1738年)」というタイトルがつけられているのみであるが、本録音では、1738年に出版された曲集のみを「パリ四重奏曲」呼んでいる。

 パリの友人たち、そして耳の肥えたパリの音楽愛好家たちに楽しんでもらうために書かれたパリ四重奏曲は、テレマンの数ある作品の中でも特に、フランス風の様式を意識して書かれている。速度や表情などの指示はすべてフランス語で書かれ、フランス人が大好きだった舞曲のリズムが多く取り入れられているが、それはけっしてフランス趣味への追従や模倣ではない。テレマン独自の軽妙洒脱でユーモアあふれる会話がいたるところで繰り広げられ、聴いている人たちに飽きさせる隙を与えない。まさにテレマンワールド全開である。

 ただ一つだけ、普段のテレマンの作品とは趣を異にしていることがある。演奏するのが簡単ではないということだ。当時最高のヴィルトゥオーソ達のために書かれたこの作品は、それぞれの奏者の腕の見せ所がふんだんに用意され、聴く者たちに感嘆を促す。しかし、それは単なる名人たちの技の競い合いではない。精巧緻密ながらも臨機応変、自由自在に反応し合う絶妙なアンサンブル能力があって初めて成り立つ最高の晴れ舞台なのである。「みんなに役に立つ音楽」という足かせから解き放たれたテレマンが、満を持してパリに持参したこの曲に、持てるすべてのアイデアと能力をつぎ込み、自身の最高傑作を作ろうとしたことは間違いない。

 当時の音楽家が目指すべき最高の地位はオペラ作曲家、もしくは教会音楽作曲家であり、小さな室内楽は2流、3流の作曲家、もしくは演奏家自身によって書かれるような格下の仕事とみなされていた。ドイツ最高の大作曲家であったテレマンも、オペラや教会音楽、管弦楽組曲を書くことが彼のもっとも重要な仕事であり、膨大な数の大編成作品を作曲していた。しかし、テレマンはみんなが楽しむことができる小さな室内楽を書くことにも心からの喜びを見出し、情熱を費やした。パリ四重奏曲にはそんなテレマンの室内楽への愛が満ち溢れている。

 テレマンの作品の特徴を一言でいうなら「親しみやすい楽しさ」である。テレマンの作品を気の合った仲間同士で演奏すると自然に笑いがあふれてくる。そしてそれを聴いている人も、いつの間にか仲間の一員として一緒に笑い、一緒に泣いている。それがテレマンの魅力だと私は思う。

●発売を記念して、CD発売記念コンサートを7月に東京、松本、神戸で開催しました。(詳細はこちら
 また、10月には新・福岡古楽音楽祭に関連して、アクロス福岡ランチタイム・コンサートで演奏します。これは大きなホールですが、チケットが1000円と安いです。(詳しくはこちら