ヨゴレ日誌

2003年5月

5/31(土)

昨夜はひるねを送って行ってからほぼ徹夜でときメモ3をプレイ。ああちとせちゃん何てカワイイのでしょう。
朝に少し仮眠してまたときメモ。セカンドプレイはヒロインの牧原優紀子ちゃん。優紀子ちゃん主人公をあだ名で呼ぶのに、ちとせは優紀子ちゃんを「ゆっこ」と呼ぶのに、何故主人公の呼び名変更の選択肢には「ゆっこ」がないのでしょうか。

夕方までときメモ三昧。そして晩はPUZZLEの練習会に参加する。

5/30(金)

今日はひるねと会う日。しかし風邪気味のひるねが朝イチで病院に行きたいと言うので、オレはその間古本屋で立ち読みをして時間をつぶすことに。さりとて興味をひくような本もなく、足は自然とゲームソフトのコーナーへ。思えば長らくゲームソフトなんて自分では買っていない。無職は時間があり余っているのでこの機会に久しぶりにゲームでも買ってみるのも一興か。
するとそこに燦然と輝くあるソフト。「ときめきメモリアル3」\1,980-。
初代のときメモは虹野さんグッズを漁りまくり関連ソフトやCDの類もほぼコンプリート。ときメモ2はそれほどハマらずCDも3〜4枚買ったのみでサイドストーリーもプレイせず。そしてときメモ3は興味はないワケではなかったのだが、今日に至るまで手にとることはなかった。
それが今2千円で売っているのだ。これは買えというオレへの神の啓示に違いない。購入。

ひるねと合流し、ひるねのお母さんが誕生日だというのでダイエーにプレゼントを買いに行く。
家に帰って早速ときメモ3をプレイ。最初は違和感のあったトゥーンレンダリングもすぐ慣れる。
攻略知識ゼロでスタート。ヒロインと主人公の関係が前2作と比べてかなり希薄なのがやや寂しい。前作までと違ってやりにくいと感じたのは女の子の電話番号などの情報が簡単に入手できないこと。せっかく知り合っても電話もできない、ようやく帰り道で一緒になって電話番号を聞き出そうとしても最初はなかなか教えてくれない。かと言って放っておくとそのうち爆弾を抱える。その娘と友好関係にある女の子に聞けば教えてくれたりするが、その女の子が自分にときめいていたりすると他の娘の事を聞きたがる主人公に対して怒って教えてくれなかったり傷ついて後で機嫌をとるハメになったりする。そもそも友達関係外の娘の情報はわからない。誰かが爆弾を抱えてるのは確かなのに、その処理さえできなかったりする。ゲームの戦略性は格段にアップしたといえよう。

一番最初に伝説の坂で出逢うのはヒロインかと思いきや、オレのファーストプレイでは緑の髪の相沢ちとせちゃんだった。流暢な関西弁を操り、ボケにすかさずツッコミを入れるとウケてくれる。気に入った。まずはこの娘をターゲットにする。
そして夕方まで延々プレイ。疲れたので途中でひるねに代わる。ひるねのお気に入りはネジの外れたメカヲタク娘、河合さんのようだ。
面白い。何故今までこのゲームを放ったらかしていたのだろう。

5/29(木)

昼間リュウ氏からtel。何でもネットオークションの事について質問したいことがあるとか何とか。
その後他愛無い世間話やら近況の話になる。
「そういや美味い焼肉屋あるねん。どうよ?」
「ああ、いいッスねえ。是非行きたいです」
「そうか、西野空いてる日あったら行こうぜ。いつ空いてる?」
「無職やから毎日空いてますよ。今日もヒマですわ」
「ほな今日行こか」
というワケで急遽焼肉を奢ってもらえることになった。当初の予定では家で一人インスタントラーメンで晩メシを済ますつもりだったのでコレは嬉しい。
肉はすこぶる美味かった。こないだも肉食ったばかりではあるが、いい肉は何度食っても美味い。タダやし。
良い店を教えてもらった。今度ひるねと一緒に行こう。

5/28(水)

先週面接を受けた会社からやっと連絡が来た。結果は不採用。
落とすなら落とすでもっと早く知らせろっての。次のとこ行く踏ん切りがつかんがな。
まあ今週はあんまりええ会社なかったからええけど。でもなるべく早く次の仕事決めたいな。

5/25(日)

ゆひちゃんと焼肉を食いに行く。というのも前回の大阪オフの時は大学の合格発表と重なって参加できなかったのでその代わりということで、大阪へようこそという意味の歓迎会を兼ねてひるねと3人で大学の合格祝いをやることになったのである。
ひるねを早出の終わる時刻に迎えに行き、ゆひちゃんに一本telを入れてから車で30分くらいのところにあるマンションにゆひちゃんを迎えに行く。マンションの場所がいとも簡単に割れたことに驚いていた。部がなくなってもスト部の部長じゃゴルァ!!(゚Д゚)

柏原から外環をひた走り岸和田へ。今日の目的地山麓苑は岸和田の山の中にあるのだ。
貝塚へ向かう田舎道をさらに山の方へ曲がり、上の方に阪和道が見えてきたら山麓苑の入口がある。入口と言ってもセメント造りの坂道が斜面にへばりついているだけだ。「山麓苑」と書かれた看板がなければ地元の軽トラしか走らないミカン畑の農道にしか見えん。その道をカローラで登る。ギアをローに入れて一気に登らなければ落ちてしまいそうだ。いや誇張なしでこの傾斜30度はヨユーであるやろ。
そんな道をやっとこさ登り切ったら山麓苑だ。あんな上にあった阪和道もうそこやし。

山麓苑には大小さまざまな四十数個からなる樽が並べられている。この樽がそのまま個室になるワケである。小さいものは4人用から大きい樽は20人入れるような巨大なものまで。この樽は元々醤油造りに使っていたものを部屋として再利用しているのだそうだ。その中の1つに案内される。中は案外広い。
ジンギスカンのセットと極上牛肉、それに地鶏と上タン、ユッケなどを注文。
ひるねは銀河高原ビールを、そしてオレはカルピスチューハイを頼む。ゆひちゃんはウーロン茶で少しだけカルピスハイを。乾杯。そして早速肉を喰らう。
めっさ美味ぇ〜!!!!!(お約束)
やっぱりたまには上等の肉を食わなあかんなあ。美味い肉と雰囲気を堪能して山麓苑を後にする。

貝塚から阪和道に乗って藤井寺へ。そのまま帰ってもよかったのだが、まだ時間も早かったので夜景でも見に行こうかということになる。柏原から大和川ぞいに奈良県に入り、信貴生駒スカイラインへ。
山道を走ること十数分、途中の展望台に到着。少し曇っていたものの大阪平野の夜景にゆひちゃんも喜んでくれたようで何より。風が強く寒かったのと吹き飛ばされそうだったのであまり長居はせず山を降りる。
そしてゆひちゃんのマンションへ。今度は大阪プチオフをしようと約束して別れる。

5/24(土)

久しぶりにPUZZLEの練習会に参加できた。仕事辞めたからですけどね。テヘッ。
昼間はそれに間に合わすために楽譜を必死になって書く。なんとかギリギリでスコア完成。デモテープも出来た。
とはいえまだパート譜ができていないので、会場に着いたら練習もそこそこにテーブルを出して写譜をはじめる。
後から来た連中に「今日は写譜やぞー」と言うものの、「来週にしようやー」とか「先に吹いてからな」とか何とか。まったく人がどんな思いでこのスコアを書き上げて来たと思っているのやら。
やっとこさ写譜にとりかかったと思ったら今度は「移調がダルい」「シャープ多すぎる」と文句三昧。
まあそれでも何とか時間ギリギリにそれぞれのパート譜も形になったようなので、とりあえず合わせてみる。写し間違いがあったり初見で譜読みが出来てなかったりではあったが、それなりに曲になっている。ひとまずは成功であるといえよう。

その後見学に来た娘を交えてメンバーみんなでジョリパスに晩メシを食いに行く。演奏会の話をする。問題山積。

5/22(木)

ひるねと温泉行く。

朝の6時半に迎えに行く。咳が時折出るくらいで体調は見た目ほど悪くないというので予定通り出発することに。
今日の予定はまず洞川の湧水を汲みに行き、それから御手洗渓谷を散策して行者還林道を走破する。そして大台ケ原の近くに湧く入之波温泉というところで汗を流して昼食を摂って帰路につくというもの。
行者還林道というところは冬季は閉鎖であり、GWや夏休み、紅葉の季節はハイカーでごった返し、梅雨の頃は地盤が弛んで崩落や落石の危険があるという道である。行くなら今しかない。今日こそ行者還峠を制覇するぞ!

R309をひたすら南下。水越峠を越えて奈良県へ。もう何度も通っている道なので地図もほとんど不要だ。
ところが御所市内に入ったところで電光掲示板に残念なお知らせが。

「R309 ミタライ渓谷北角〜行者還トンネル 崖崩れのため通行止め」

そりゃないよセニョール。早くも今日の目標挫折である。しかも入之波温泉にも行けないではないか。
仕方がない。とりあえず洞川を目指す。なんとか湧水をゲット。少し御手洗渓谷を散策。マイナスイオン浴びる。
以前行ったことのある天川温泉やみずはの湯に行こうかとも考えたのだが、ひるねと協議のすえ龍神温泉に行くことになる。龍神温泉はわたらせ温泉に初めて行った時に通過したことがあるが2人で漬かりに行ったことはなかった。この位置からアクセスするなら高い金を払って高野龍神スカイラインに乗る必要もない。いいかもね。

河合から行者還とは逆方向に曲がりR168へ向かう。R168を十津川ぞいに南下、そしてR425を龍神村に向かって西へ。ところがまた通行止めに出くわす。なんでも工事で1時間ごとに通行止めをしてるとか何とか。その場所に着いたのが12時5分。通行止めの時間が12時〜1時。あと5分早ければ通れたのに!!
警備員のオッサンいわく「県道に迂回した方が規格ええから早いで」との事。仕方なくR425の入口まで引き返し南側の県道を走ることにする。なんか今日はこんなんばっかりや。しかもこの道めさ怖い。細いし急やしガードレールはないし。当然脱輪したが最後数百メートル下の谷底へ真ッ逆さま、あの世で祖父とご対面である。この道より規格が悪いという国道425号線とは一体いかなる酷道なのであろうか。

そんなこんなでやっとこさ龍神村に到着。早速龍神温泉元湯にザブン。はぁー、ええ気持ち。適度なぬめりがあって本当に気持ちがいい。日本三大美人の湯といわれるだけの事はあるといえよう。露天風呂から下を見下ろせば日高川のせせらぎ。極楽じゃぁ〜。しんどい思いをしてここまでやって来た甲斐があるわい。
すっかりポカポカになって上がる。コーヒー牛乳を飲もうかビールを飲もうか散々迷った挙句ビールに決定。近所のメシ屋に入ってビールとアマゴ弁当を注文。(゚Д゚)ウマー

龍神村をあとにしてR424を経由し有田方面へ。吉備ICより海南湯浅道路・阪和自動車道に乗り一路大阪へ。
帰ってひるねに足をマッサージしてもらう。ついでに3本目の足もマッサージしてもらう。
晩メシをつくる時、汲んできた湧水を使ってご飯を炊く。めっさ美味しく炊けた。水割りも美味かった。

 

 

33333HIT自爆する。ギャース!!

5/21(水)

ひるねが夜勤明けなので迎えに行く。すると何やら風邪をひいててしんどいとの事。2人そろってコレかい。
病院に行きたいというので送っていく。しばらくオレは100均で時間をつぶす。
やがて戻ってくるひるね。注射打たれたらしい。ロッテリアで昼メシ買って帰る。
ハンバーガー食って軽くシャワー浴びさせてそのまま寝室へ。マジでしんどそうだったので何もせず寝かしておく。

オレは別に眠くもなくヒマだったのでリビングに降りて曲のアレンジ作業をする。3時間ほどして様子を見に行く。
眠ったら多少マシになったらしい。喉が渇いたといって水分補給に降りてくるひるね。
オレは今日はおあずけを覚悟していたのだが、ひるねが「別に大丈夫やで?」と何度も言っては「こんなんなってるし」と触ってくるので一緒に寝室に行く。てゆーかしたいならそう言えばいいのに。
いつもと違ったかすれた声がセクシー。体調が悪いのもたまにはいいかも知れぬ。

晩メシを作るのはしんどいであろうから今日は外食。消化のいい蕎麦。
体調が悪くなければ明日は温泉に行く予定なのだが大丈夫だろうか。

5/20(火)

面接に行ってくる。前のとこよりはマトモな会社っぽい。
仕事内容は2tトラックに酸素ボンベを積んで病院とかに配送する業務なのだが、そっちの方は30人くらい応募があったのだそうな。配送以外に在宅酸素のメンテナンスの募集もしているのだが、そちらは4〜5人の応募しかなかったらしい。面接官いわく在宅のメンテナンスはお年寄りの家などにお邪魔して仕事をする場合が多いらしく、老人介護の経験が役に立つこともあるらしい。配送の方が手当が多いらしいが、もし配送で不採用となった場合メンテナンスで採用という場合もあり得るがそれでもいいかと聞くので、いいですと返事しておいた。今週中に一次面接の合否が出て、一次をパスしたら本社の専務相手に二次面接があるらしい。

腹の具合は昨日よりは少しマシだがまだ痛い。このまま治まってくれればよいのだが。

5/19(月)

オレの家からめっさ近い特養が求人広告を出していたのでtelしてみる。ところがすでに募集は終わってるのだそうな。どないやねん。秋にデイサービスセンターを新設するとかで連絡先だけ聞かれる。今雇ってくれよ。
もう一件医療用酸素ボンベの配送の求人があったのでtelする。こちらは明日の11時半から面接を受けに行くことになった。広告を見た限りでは営業ではないように思えるのだが・・・。

なんか昨夜あたりから腹が痛い。盲腸にしては痛む場所が上すぎるのでその心配はないと思うのだが、何にせよ痛いのは辛い。病院行った方がいいのかな・・・。

5/18(日)

ひるねと過ごす。なんか一緒にキーボードでチョコボのテーマとかツインビーの曲とか弾いたりして遊んでた。
晩はS吹奏楽団さんの練習があったので行く。「ナイルの守り」一生懸命練習したのにボツったらしい。代わりにやるのが「鉄腕アトム」と「ドラえもん」。アトムはわかるけどドラえもんはもうええやろ。
終了後ひるねとメシを食いに行って久しぶりにドライブする。

5/17(土)

PUZZLEの演奏会で使う予定の楽譜の編曲作業。ヒマな間に少しでもすすめておかなければ。
晩は実家へ行く。すると弟たちが光明池のスパ銭に行こうというので両親も誘って6人で行くことに。
けっこう広くて色んな種類の湯船があった。雰囲気は初芝のスパ銭の方が好きかな。
それから晩メシを食いに居酒屋へ行く。上の弟に運転任せて久しぶりに酒ガブガブ飲む。げふー。

5/16(金)

朝、支社長にもう一回telする。なんとかスッキリ辞めさせてくれた。恩を仇で返すようなマネをしてすいません。
領収書やら何やらの書類と制服を持っていき、事務所のドアに掛けておく。ああ、せいせいした。
もう明日からは飛び込みの訪問販売をやらなくて済むのだ。一気に気分がよくなった。

その足で実家へ行き、祖父の部屋の片付けを手伝う。それから義妹を産婦人科へ送っていき、古巣のA苑へ向かう。祖父の使っていた紙オムツが2袋残っていたので苑に電話して「いる?」と聞いたら「いる」とのことだったので持っていくのだ。
それから家に帰って掃除やら洗濯やらの溜まっていた用事を片付ける。

5/15(木)

朝イチで支社長にtelする。来週一杯は来いと言われる。いやこんな状態で出ても上がらへんて。
また明日にでももう一度telしてみよう。早く辞めて次の手を打ちたいし。

とりあえず今日は一日休みをもらったので夜勤明けのひるねを迎えに行って一日一緒にすごす。
回転寿司食いに行って夕方まで寝る。なんか久しぶりにゆっくりできた気がする。
無職の間に一回温泉行きたいな・・・。

5/14(水)

1人で出る。そして藤井寺あたりで延々1人ぽっちで補充回り。めさめさ疲れた。4本。
終わってから実家へ行き親に相談する。次の仕事を探すことにする。

5/13(火)

今日は余計なことを考えず、なるべく気楽にトークを打つことに決めた。売れる時は売れるしアカン時はアカン。
S原さんも気を遣ってくれて新築は晩にマンション回っただけでほとんど補充回り。
その結果0-1が2軒で2本。本数は少ないが今日はこれで良しとしよう。これを明日から立ち直るきっかけにしよう。

藤井寺の方でF注が来たらしい。支社長いわく明日その注文にオレを行かせてくれるらしい。1人で出る練習らしい。車輌長への第一歩だ。なんとか結果を出したい。出せなければ・・・その時は本当に次の仕事を考えなければならない。

5/12(月)

今日は売上ゼロだった。焦れば焦るほどドツボにハマっていくような気がする。頭ではわかっているのだが、底なし沼に足を取られていくかのよう気が滅入ってくる。売れる気がしない。次外したらどうしよう。ああやっぱりアカンかった。次も外したらどうしよう。うわあまたアカンかった。ヤバイヤバイヤバイヤバイ。
S原さんは見るに見かねて途中からオレに新築を叩かすのをやめて補充回りに切り替えたのだが、結局1本も本数が上がらなかった。
かなり凹む。自信なくす。オレこの仕事やっていけるのかな・・・。

給料出る。手取り16万。今月は少ないであろうから節約しなければ。
せめて葬儀代の一部として出した50万のうち半分でも返ってくれば少しは助かるのだが。

5/11(日)

和歌山の有田まで休日返上で自分の車で配達と集金に行く。遠いわ、有田。
晩はS吹奏楽団さんの練習会に参加する。

5/10(土)

支社長と和歌山。4本。まだまだキビシイ。焦れば焦るほどトークがおかしくなってくる。悪循環だ。
10日をすぎてまだ7本。歩合にして1万に届いていない。今月10万円いかんかも知れん。参った。どうしよう。

晩はPUZZLEの練習帰りのメンバーと合流してメシを食いに行く。演奏会の話進行中。編曲が多すぎる。皆気楽に言うてくれるけど、曲を耳コピしてフルバンドの楽譜書くのがどんだけ大変で面倒臭くて時間と根気を要する作業かわかっているのだろうか。

5/9(金)

久しぶりに仕事。かなり休んだし今月は皆勤もつかない。頑張って取り戻さんとキビシイ。
しかし何か調子が出ず1本止まり。メンタル的なものであろうか。

帰るとひるねがメシを作って待っていてくれたのだが、丁度帰宅したのと同時に山ゲがお悔やみに来てくれる。
せっかくなので上がってもらいビールを出す。そういえば山ゲにひるねを紹介するのは初めてやったっけ。

5/8(木)

告別式。
昨夜と同じく多数の弔問客が来てくれた。
式も終盤となり、いよいよ出棺となる。棺の中に1人ずつ花などを入れていき、故人と最後の対面をする。
悪いことをして父にこっぴどく叱られている時、「もうええやないか」とかばってくれた。
将棋を覚えたてで面白くてしょうがなかった頃、何十局と相手をしてくれた。
生前の想い出をいろいろと思い返して、ほんの少しだけ、泣いた。

それから金岡の斎場へ向かう。ここで荼毘に付すのである。
棺が釜に入るまで見送り皆で別室へ。火葬には時間がかかるのでその間出席者に飲み食いしてもらうのである。
ここでも遺族のオレたちは接待におおわらわ。「あまり湿っぽくならずに賑やかに送ってやった方が故人も喜ぶだろう」との父の意向により皆ワイワイガヤガヤと楽しそうに歓談している。
やがてお骨揚げの時間となる。台の上に残ったお骨を皆で少しずつ箸で拾い、骨壷に入れていくのである。
お骨はもっと細かくなっているのかと思ったのだが、予想していたよりも原型を留めていた。大腿骨なんかはかなり元の形のまま残っている。
足の方から順番に拾っては骨壷に入れていく。とはいっても全部の骨が入るわけではないので、大きい骨は残しておく。残った骨はこの後どう処分するのであろうか。

お骨を持って式場へ戻り、初七日法要をすませる。最近は告別式と初七日を一緒にやってしまうケースが増えているのだそうだ。法要とは言ってみたもののごくごく簡単なもの。しかも出席者は皆酒が入っている。消化試合だ。

こうして滞りなく祖父の告別式は終了する。

5/7(水)

今日明日と仕事は休みをもらった。ひるねも今日は休みなので迎えに行き一緒に実家へ向かう。
昼の3時ごろ葬儀屋が納棺にやってくる。好きだったお菓子や愛用していた品々などを一緒に棺に入れて送り出す。そして簡単な後片付けをすませ喪服に着替えて式場へ。
式場は予想していたより数倍広かった。おいおい何人入れるねん。イスの数は180脚あるとか。いや余るやろ。

やがて通夜の時間になる。会場は弔問客で見事に埋まっていた。来るもんやなあ。
父方の従兄妹たちとは10年ぶりかそのくらいに会うことになる。お互い年をとりました。
滞りなく通夜も終了し、会食となる。別室に弔問客らを案内し、飲み食いしてもらうのだ。その間オレたち遺族は弔問客らの間を回って挨拶したり酒を注いで接待したり。ひるねも献身的に手伝ってくれた。

弔問客もほとんど帰り、夜も遅くなってきたのでひるねを家まで送っていく。そして会場へ戻り弟たちと線香とろうそくの灯を絶やさないよう番をしながら交代で仮眠を取る。

5/6(火)

PM13:36。祖父は息を引き取りました。

そのころオレは仕事中であったが、上の弟から携帯に連絡が入った。弟は涙声で祖父が事切れたことを報告してくれた。支社長にはあらかじめ事情を話しておいたので、簡単な報告のtelだけ入れて早退させてもらうことにした。
偶然にも丁度病院からそれほど離れていない場所にいたので、車輌長に病院まで送ってもらう。

祖父はまるで眠っているかのような本当に安らかな、10年老人介護をやってきて見たこともないような柔和な表情をしていた。

1時半ごろから徐々に呼吸がチェーンストークス呼吸という死の直前に多く見られる特有のスーッと長い息をしてしばらく止まるような呼吸に変わり、心拍も弱まっていったという。
いよいよという時、そばにいた両親が耳元で「よう頑張ったな、えらかったな」と声をかけると、少しだけ眉根をひそめて静かに一筋涙を流したのだそうだ。「大丈夫やで、みんな傍におるで」と言うと安心したように元の表情に戻り、そのままスーッと静かに永遠の眠りについたのだという。

享年90歳。家族に看取られての大往生であった。

5/5(月)

今日はロクなことがなかった。

朝、目が覚めて携帯を見たらひるねから「体調が悪いので今日は逢えません」という旨のメールが届いていた。残念。まあこないだからグシュグシュいっていたので仕方がない。この際ゆっくり休んでもらおう。

未収で立て替えしていた客のところに今日の午前中に集金に行く約束をしていたのだが、何度電話をかけても出ない。どうなっとんねん。とりあえず出る。当然自分の車で。
白鷺から深井へ向かう泉北高速鉄道の高架下の道。突然警官が赤い旗を持って飛び出してきた。オマエは共産党員かっちゅうの。へっ?オレ?何?スピード違反??
捕まりました。40km/h制限の道で62km/h。22km/hの超過で2点と反則金15000円だそうな。
点数もさることながら1万5千円の罰金は今のオレにとっては痛すぎる。
てゆーかその程度のスピードで取り締まるなよなあ。やらしいなあ。

すっかりやる気をなくす。どうせ客も電話に出ない。家に行ってもおらんやろ。
そんなこんなで実家に行くことに。昨日おろしてきた金を持っていく。と、何をどう間違ったか換気扇の修理と裏庭の掃除を言いつけられる。どないやねん。
めんどくせーめんどくせーボヤきながらも用事を済ませる。未収の客からは昼すぎに連絡が取れて晩の9時半か10時くらいに会う約束をした。

すると祖父の病院から電話。どうやらいよいよ危ないらしい。両親が病院へ飛ぶ。オレも病院へ行き、後から上の弟と義妹が、そして下の弟が仕事を早退して駆けつける。
状態は意識混濁、四肢はチアノーゼ(心臓機能の低下により末端に充分な血流が行かず手足の指が紫色に変色し冷たくなること)を起こし、呼吸は下顎呼吸。血圧も7〜80台と低く、血中酸素濃度も60%程度。時々測定不能に陥る始末。ターミナルである。
伯父夫妻や親類の主だった人たちも駆けつける。息を引き取った場合は一旦家に連れて帰るとのことで、オレと弟たちは家に戻り部屋を片付ける。祖父を仮安置して親類が入れるスペースを用意せねばならない。オレはその間に母方の祖母を迎えに行く。

晩になり未収の客と約束した時間が迫ってきた。客の家は泉南にあるため片道1時間半はみなければならない。ところが和泉市の辺りまで来たところで客からtel。今日は帰宅が遅くなるのでできれば明日に集金に来て欲しいとのこと。それがムリやから今日にしたんやないかい!!
結局夜中でも良いからとのことで明日行くことになった。当然自分の車である。こっちにも都合ちゅうもんがあるっちゅーねん。

 

そんな今日。オレの短いゴールデンウィークは終わった。

5/4(日)

銀行に行ってお金をおろしてくる。祖父に万一の事態が起こった場合、葬儀費用の一部としてもらうためである。
頑張ってもう少し長生きして欲しい。でも今まで散々頑張ってきたのだからあまり長く苦しい思いもして欲しくない。
この10年仕事柄老人の死を何十人も見てきた。実の祖父が危篤に近い状態であるのにこれほど冷静でいられるのはそのことによって死に対する感覚がマヒしているのだろうか。

5/3(土)

実家に泊まっていたのだが、朝方祖父が入院している病院から電話がかかってくる。なんでも祖父の容態が急変したらしく、すぐに来て欲しいとの事。慌てて両親と共に病院に向かう。
行ってみると酸素は倍の10リッター、口腔内には舌根沈下による気道閉塞を防止するための管が挿入され痛々しい姿ではあるが、血圧や脈拍、血中酸素濃度などを示す数値はまずまず安定しているようだ。本人の意識はあまりハッキリしないようだが。
その後医師より説明と今後のことについての意思確認をされる。両親の意思としては最悪の場合は無理な延命措置はせず、痛みや苦しみを取り除く処置のみであとは自然に任せたいということだった。オレも同じ思いだった。

実家に戻り昼メシをよばれてから自分の家に帰る。
夕方になりA苑に早出のひるねを迎えに行く。と同時にA苑新聞が6月号で通巻100号なのでそこに掲載される元広報委員長としてのコメントを書きに行く。ついでに4コママンガも描いてきた。

 

晩はPUZZLEのお好み焼き&焼きソバパーティー。
薄力粉に出汁と玉子、それにすりおろした山イモを入れてガッシャガッシャ混ぜる。そこにキャベツの千切りをぶちこむ。タネができたら熱した鉄板に油を敷き、円形にタネを落とす。イカやエビを入れて焼いた豚バラ肉を乗せ、底が焼けてきたらひっくり返す。ところが最初に作ったタネが水っぽすぎた。これではお好み焼きではなくタコ焼きのタネである。しかし焼いてしまったものは仕方がない。なんとか完成させることにして残ったタネに小麦粉を追加してもう少し堅くする。
タイスケと原リンがユルユルのお好み焼きに四苦八苦しているのを尻目にオレは焼きソバ作りに着手。フライパンに油を敷きキャベツや牛肉などに火を通す。そして麺を入れる。6玉あるウチの3玉を入れ、最初はオイスターソースと中華スープの素、それに醤油で中華焼きソバに。残る3玉はピーマンも加えてオーソドックスなソース焼きソバに。見よう見マネでテキトーに作ったにも関わらずけっこう美味かった。フィルター屋あかんかったら次は焼きソバの屋台でも出そうかな。

どうやらお好み焼きも何とか形になったようである。
コップにビールを注ぎ乾杯。ゴクゴクプハー。めっさ美味ぇ〜!!
続いてお好み焼き。モグモグゴクン。まあまあ美味ぇ〜。

そんなこんなで高校時代の定期演奏会のビデオを皆で見ながらお好み焼きを喰らい酒を飲み夜はふけていく。
PUZZLEの活動飲み会ばっかしやん。演奏しろよ。

5/2(金)

ゼロ。どうも月初めはエンジンがかかりにくい。
晩は実家に行って母親と弟と3人で焼き鳥を食いに行く。(゚Д゚)ウマー

 

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