吉村昭 ――


『仮釈放』 新潮文庫 (292P \514)
★★★★☆

 とても悲しい話だ。無期刑の判決を受けた男が、16年の獄中生活の後、仮釈放された。与えられた自由におびえる彼にまず憐憫を感じ、次に彼を応援する愛に感動し、そして罪人の宿命に戦慄した。ブラックな味がもう少しあればもっとよかった。平易な読み物すぎるのがもったいなくも残念。『破獄』の続編の意味合いがあるらしい。


『わたしの流儀』 新潮文庫 (246P \400)
★★★★☆

 「桜田門外の変がつい先頃に起った事件であるのを感じ」る筆者の、年季の入った随筆集だ。“エッセイ”ではなく、あえて“随筆”と呼びたい。筆者が日々思う「年齢を重ねたことの一つの恵み」は、若い読者にも通じるはずだ。小さな感銘を涼しく書く、これが随筆の王道であろう。小説のこと、夫婦のこと、酒肴のこと、旅行のことなど、話題がまたとてもいい。


『破獄』 新潮文庫 (371P \514)
★★★☆☆

 昭和11年青森刑務所脱獄、昭和17年秋田刑務所脱獄、昭和19年網走刑務所脱獄、昭和22年札幌刑務所脱獄。犯罪史上未曾有の4度の脱獄に成功した無期刑囚・佐久間と、脱獄させじと彼を監視する男たちとの闘いを、戦時中の時代背景を重ねて描き、読売文学賞を受賞した。かなり事実に即した話らしく、ドキュメンタリー風に書かれており、臨場感はすごいもんだ。でもオチはいかにも作り物って感じだった。


『漂流』 新潮文庫 (437P \590)
★★★☆☆

 江戸期に、無人島に漂着した長平たちの、サバイバルなお話だ。望みのない状況の中で、常に人としての礼節を忘れず、神仏をあがめ、来光に手を合わせる彼らには驚かされる。昔の日本人てすごすぎ。この小説のもう一方の主人公は、島を覆い尽くすように群生するあほう鳥たちだ。はじめは人間をまったく知らなかったために、仲間が食用にされるべくすぐ隣で殺されても飄々としていた鳥たちが、だんだんと長平たちから逃げるようになっていくところに長い年月の経過が感じられる。時と人と自然と、どれがいちばん偉い(強い)のだろうと考えてみると、この本に関しては人間だな。


『高熱隧道』 新潮社 (226P \800)
★★★☆☆

 黒部第三ダム建設工事を描いた記録文学。なんとも凄まじい。死人が出るのが当たり前の工事だなんて、いまの感覚で言うと無茶以外の何物でもない。幹部技師の無茶っぷりは読んでいて腹が立つほどであるが、昭和初期とはこういう時代だったのだろう。現代日本人の平和な暮らしは、先達らの決死の努力と多大な犠牲の上に成り立っているのだなあと痛感する。あまりに熱いストーリーゆえ、一気読みだ。


『プリズンの満月』 新潮社 (219P \1456)
★★★☆☆

 戦争は昭和20年8月15日にいちおう終わったことになっているが、そんな簡単に終わるものじゃないのだ。これは昭和33年まで続いた巣鴨プリズンの物語。戦争文学はたいてい、日本陸軍を悪者役に描くか、アメリカを悪者役にするかの二通りに分かれる。これは後者。ちょっと悪者にしすぎじゃないかという嫌いはあるが、いい出来だ。もちろん哀しい話なのだが、戦争という、哀しく、奇妙で、理不尽なものを、そのまま哀しく描かないところが、吉村昭の年の功だ。淡々と読ませる。刑務官を引退した老夫婦の日常を描きながら静かに本編(プリズン回顧録)に入っていくあたりも芸が深い。


『めっちゃ医者 伝』 新潮社 (177P \500)
★★★☆☆

 「めっちゃ」とは「あばた」、すなわち天然痘に罹って出来る吹き出物のこと。種痘の普及に尽力した江戸時代の医師・笠原良策を描いている。新潮少年文庫の一冊ということで、少年少女が図書室で読む王道的内容だ。種痘は、ご存知のように天然痘に罹った牛のエキスをヒトに植えつけることであり、科学が発達した現代で聞いてもグロテスクな感じがする。いわんや江戸時代の笠原良策の苦心は察して余りある。少年時代にこれを読んでいたらわたしもちょっとは医者を志したい気になっちゃったかもな。


『冷い夏、熱い夏』 新潮文庫 (267P \438)
★★★☆☆

 読むのがあまりに辛くて辛くて、気のやさしすぎる人はやめといたほうがいいかも知れない。末期癌に冒され激痛にもだえ苦しむ「弟」と、彼を見守り続ける「私=吉村昭」の兄弟愛物語である。私小説ぽいのでケチをつけるのは心苦しいがつけてしまうと、筆者の持つ死生観を読者に押しつけすぎだ。死生観はそれこそ人それぞれあるもので、筆者の考えに100%賛同できる人は少なかろうし、すると主人公の謎とも思える行動に納得できず、かなりムカつくことになる。危険なネタということだね。あまりに続く凄惨シーンに感覚がマヒし、感動についていけなかったのもある。毎日芸術賞受賞。


『死顔』 新潮社 (157P \1300)
★★★☆☆

 吉村昭の遺作集。と言っても実際は未発表作も含む「寄せ集め」であり、有り難い「遺作集」として売り出す出版者のあざとさがちょっと嫌な感じだ。一作一作の出来は悪くなく、名手・吉村昭の凄さは十分感じられる。言葉ひとつひとつの密度がずっしりして、そこらにいる作家とはぜんぜん違うなあと思った。吉村昭が長年生きてきた重みであろう。重い文章の書ける作家さんがまたひとりいなくなってしまった。


『深海の使者』 文藝春秋 (338P \900)
★★☆☆☆

 第二次大戦中、日本とドイツを行き来した潜水艦を追った記録文学。当時日独間の交通手段は潜水艦しか無かったとは識らなんだ。前半は非常に面白く読めたが、盛り上がりのない一本調子のため、段々飽きてきて、最後は苦痛になってしまった。あくまで記録文学だから、これはこれでしょうがない。文藝春秋読者賞受賞。


『戦艦武蔵』 新潮文庫 (280P \438)
★★☆☆☆

 知識として戦艦武蔵の生涯を読んでおこうと思った。読み始めて、わたしが識りたかったのは武蔵ではなく戦艦大和だったことに気づいた。ああ勘違い。だけど読み進めたら、武蔵と大和は、ほぼ生涯を共にした、同型の兄弟艦であったことがわかった。ああ無知は怖し。この小説は、基本的に記録文学であり、人間ドラマではない。だから、並はずれた武蔵のデカさはわかっても、それを造り上げた技師たちの心意気や、ろくに戦闘もできずに艦とともに沈んでいった乗組員たちの悲劇が、それほど心に響いてくるわけじゃない。知識としてはこれでいいのだ。


『零式戦闘機』 新潮文庫 (312P \476)
★★☆☆☆

 零式艦上戦闘機は、もし略すとしたら「零戦(れいせん)」とするべきであって、決して「ゼロ戦」だなどと和洋折衷の呼び方をしてはいけない。これわたしのポリシーである。この記録小説は、もちろんアホな略し方はしていない。最初から最後まで「零式戦闘機」で徹底しているところに好感を持った。あの戦争の時、日本が、世界に敵なしの精鋭機(零戦がそれであり、戦艦武蔵も大和もそうだ)を持っていたという事実は、戦争哲学を考える上でひとつのキーポイントになる。漢字が多くて読みにくいのは仕方ないとして、結局は負けてしまったという虚しさは『戦艦武蔵』よりも響いてきた。戦争と日本人が見える。


『私の引出し』 文藝春秋 (285P \1262)
★★☆☆☆

 筆者は若い時分に大病を患って、大手術をしたひとである。だから(?)、このエッセーはイタイ話ばかりである。大病についての考え。苦い想い出。さらには戦争小説を書くにあたって取材をした人々から聞いた哀しい想い出の数々。こうもイタイ話が続くと、考えさせられるどころか、逆効果っすよ。読んでて、もういやんなっちゃう。吉村おじさんが尊敬すべき素晴らしい大人であることはほんとわかる。個人的にはリスペクトします。