風水fengshuiによる玄関、部屋、色のインテリアを考えよう

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風水と日本の家相の関係は

 

現代においては「中国風水」と「日本の家相」は別物である

風水と家相の違いの確認方法

 

1 風水と家相の違いを比較

2 家相項目をチェックしてみました

3 日本で風水が根づかなかった理由をさぐりました


1 風水と家相の違いを比較検討

 

風水と家相についての違いを知りましょう。このことについては、鮑 黎明氏著作の「正統風水百科」に詳しく書かれています。一部を引用しますので参考にして下さい。

 

項  目

中国風水学

日本の気学、家相

鬼門、裏鬼門について

一概に凶方としない。

これを忌み嫌い、避ける。

住居、オフィスの各部の意味

玄関の向き、ガスレンジの位置、電化製品の位置、トイレ、寝室、ベッドの向き、机の向きなどを細かく定義している。

各部の意味するところは明確にとかれていない。

方位の吉凶について

建物の構造、向き、地勢を考慮。人の出生年により吉凶を決定。八方位と九星による判断。

東、東南、西北を吉方とする。トイレを非常に嫌う。建物欠けや張りで吉凶を判断

方位の範囲度数の分割

八方位を各45度にする。さらに各15度の24方位で判断するのが一般的

八方位を各45度にする派と東西南北の四方位を各30度で四隅方位を各60度に分ける派がある


 

2 家相項目をチェック

 

『家相の科学』 清家清著、『風水家相学』鶴野晴山著より家相の項目をリストアップしました。著書では、各項目について科学的根拠や日本の気候風土を考慮した説明がなされています。

 

ただし項目をみると理論体系したものではなく、日本の風土から考えて建築にあたっては「ここは注意しましょう」といった感じのものが多いような気がします。常識的な内容ですから、家づくり、環境を考えるときに参考になります。

 

日本建築学会編の『現代家相学―住まいの知識と暮らしの知恵』では、家相は迷信か?あなたの住まいは健康か?といったテーマで、住まいのあり方を追求しています。

 

このチェック表はこれから住宅を建てる時の項目としても利用できます。(主な引用書として「家相秘伝集」「洛地準則」「家相新論」「家相大全」「家相一覧」とありました。)

 

■吉相の家■

 

家の西に大きな道路がある。敷地の北西に大樹がある。敷地は前が低く後ろが高い。北東、南西に凹凸がない敷地。南に空き地のある敷地。湿気のある敷地は盛り土をする。小さい家にたくさんの人が住む。家は南向き。

間口の大きさより奥行きが深い。北東、南西に凹凸のない家。部屋の配置は居間を中心。主人の部屋は家の中心。玄関は間口と一直線にならない。台所は東向き。床の間は西と北の間につくる。母屋の西に離れ座敷きつくる。窓は、東向き。柱を棟木より重視。陽木を使った家。吉相の家に吉相の人が住む。

 

■凶相の家■

 

道の突き当たり家をつくる。家の中央に便所をつくる。門の前に大きな木がある。階段を家の中心につくる。まわりより高い建物。軒や庇をくり抜いて木を通す。子供の家を親の敷地内に建てる。通路の上に二階を張り出す。

妊婦がいるときに家を建てる。大黒柱を接ぎ木する。三角形の敷地。柱に四方から戸が当たる。狭い敷地に大きな家を建てる。大黒柱の正面が外から見える。庭に大きくなる木を植える。棟木が通っていない。中庭に木を植えたり池をつくる。床が段違いになった家。

川の流れを敷地の中に入れる。古い井戸を埋める。高すぎる塀。二階を増築する。塀が家に近い。二軒の家を一軒にする。家が大きく、住む人が少ない。飾りの多い家。横に細長い家。門柱がまがっている。三部屋、四部屋の家。門が大きく家が小さい。

家の中央に使わない部屋がある。敷地の中に下水がたまる。寝室が台所の近くにある。南西に天窓。寝室にタンスや衣装箱を置く。こたつを家のまん中におく。台所が南西にある。物置きの上に住まいをつくる。茶室を南西につくる。敷地の南西に排水する。

 


 

3 日本に風水が根づかなかった理由

 

方位をみる羅盤修得は最低5年かかる

風水先生―地相占術の驚異」荒俣 宏著より

香港風水師の大物龍先生との会話でなぜ風水は日本に根づかなかったか質問しています。「日本は易学の哲学的研究をとても深めています。この面では、もう中国人は日本人にかなわない。

ただし、日本はそれを風水など実践の技術として磨くことを怠りました。実践技術の面では、香港、韓国、東南アジア、いやイギリスやフランスにも劣っているでしょう。」と述べています。

そして風水師独特の商売道具「羅盤」を取り出して「この羅盤をマスターするのに、最低5年かかります。そのあとも師匠について10年は地相占術のノウハウを実地に学ばなければなりません。」中国で風水が一番栄えたのが、明から清にかけて。

日本でいえば戦国時代から江戸時代になるところです。ちょうどこの時期、沖縄や台湾にも風水が伝わっている。しかし、日本本土にはとうとう届かなかった。鎖国し海外渡航を禁じた江戸時代は、風水の技術を中国で学んでくることは不可能であったにちがいないわけです。

 

 

日本の鬼門説は疑問なのです。

図説風水学」目崎 茂和著より

日本での風水は、中国文化を積極的に導入した七世紀から九世紀にかけて、つまり奈良時代から平安時代初期にかけて展開されている。日本独自の鬼門説、中国にも北東を鬼門とする風水書は「宅経」にあるが、それは天門、地門、鬼門の一つである。

現実には、中国の風水にしても、朝鮮や沖縄の風水にしても、今伝わっている風水の中では鬼門説を持っていない。持っているのは日本だけである。

日本に鬼門説が定着するのは、中国文化の影響が少なくなる平安時代、つまり平安京からとなる。平安京以来、日本では都づくりは大きく変えられた。中国式の風水ではなくて、日本式の風水に変わっていくのである。

こういう日本独特の観念の発達は、その後江戸の風水まで引き継がれていく。その間に特に鬼門説というのが有力になっていくのである。

そして北東のところに鬼門封じのためのお寺をつくる。平安京でいえばこれは延暦寺ということになる。艮(うしとら)の方向が鬼門でその反対に裏鬼門がある。この裏鬼門については、ほかの国の風水にはまったく記述はなく、迷信の産物である。

 

日本ではなぜ風水という言葉自体が普及しなかったか。

「風水とデザイン 」の思考体系としての「風水思想」より杉本 正年著

日本ではなぜか「風水」という言葉自体は普及しなかったが風水の機能は、律令制の太政官制の中に生かされていた。その中では、陰陽寮の所管に「天文、暦数、風雲気色、占筮、地相」とありそれぞれに博士や学生が担当したが、この中の風雲気色および地相がまさに風水に相当するものであった。

さらにこのような陰陽五行、天文、地理などに関する四書五経以外の書物やそれらに関する器物、図面などを民間が保有することを禁止し、これを犯せば刑罰に処せられるこになっていた。

おそらく平安前期ごろまでは、陰陽寮の役人以外にはこれらのテキストは公開されず、秘法として政府やその直轄の担当のみに独占されていたようである。

平安も中期以後からは没落貴族や平家の残党が邸宅を焼かれ家を失って流亡して諸国に散っている。その中で、陰陽道も密教や民俗信仰にその大半が吸収されていくことになったのである。

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