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「毎日が金曜日」
編集:太田拓、更新:2013年10月30日

無生物主語について

1.無生物主語禁止ルール

生物とは「生命を有して成長・繁殖するもの」のことで、動植物を指します。無生物は生物でないもののことで、動植物以外のものを指します。
翻訳業を始めてから知った言葉の一つがこの「無生物」で、産業翻訳の分野では無生物を主語にしない、というルールがあります。これはスタイルガイドで指示される場合もありますし、スタイルガイドに指示がない場合でも、暗黙のルールになっているようです。

最近、この「無生物主語禁止」ルールがどうにも硬直的で、翻訳文を活力のないものにしている要因の一つではないかと感じています。
たとえば、
The computer system issues an error message.
という英文について考えてみましょう。
僕の感覚で、一番すっきりする和訳は
コンピューターシステムがエラーメッセージを出します。
ですが、これでは無生物である「コンピューターシステム」が主語になるため X です。 そこで、
コンピューターシステムから、エラーメッセージが出ます。
に直すのですが、これでも、無生物である「エラーメッセージ」が主語になってしまうため X です。そこで、最終的な訳文としては、
コンピューターシステムから、エラーメッセージが発行されます。
のように、受身の訳文にしてようやく合格、ということになります。

この最終訳文では受動態にしましたが、無生物である「エラーメッセージ」が主語であることは変わりません。しかし、この文章は無生物が「能動的主語」ではないということで ○ になります。
つまり、「無生物を主語にしない」という意味をもう少し詳しく説明すると、生命を持たない無生物が自らの意思で(つまり、能動的に)何かの行動を起こすことは不自然であるが、他者の行為の結果(受動的に)、何かの動作をするのは不自然ではないからです。たとえば、路傍の石ころが勝手に転がるは不自然ですが、坂本竜馬に下駄で蹴られた結果、転がるのは不自然ではありません。そういうことです。

また、この「無生物主語禁止」は他動詞の場合であって、「コンピューターが起動しました」のような自動詞の場合は、無生物主語で文句を言われることはあまりありません。この理由は、自動詞の場合は、主語にならないないようにすることが難しいからです。
たとえば、「コンピューターが起動しました」でコンピューターを能動的主語にするな、と言われたら一体どういう文章にしたらよいのでしょうか。コンピューターが勝手に起動することはなく、人間がスイッチをオンにする結果起動するのですから、「コンピューターが起動させられました」になりますが、この訳ではあまりにも理屈ぽくって面白みのない文章になってしまいますね。
「無生物主語禁止」ルールは、物事を論理的に考えていくとそうなる、ということですが、どうも固すぎる気がします。英語の文章は、生物か無生物かに頓着せず、自由に主語を選択して生き生きと書かれているので、日本語でももっと自由な表現を許容して、生き生きとした翻訳文にすればよいのではないかと思います。

ただし、読者の皆さんが、翻訳業を目指している人なら、トライアルではこの「無生物主語禁止ルール」に十分注意した方がいいですよ。訳文が正しいのに、つまらないところで減点されるのは損ですから。

2.コンピューターは無生物か

僕は元々エンジニアでしたから、「コンピューターがエラーメッセージを出す」、「プロセッサーが命令を出す」、「ロボットが自動車を組み立てる」、「モーターがエレベータを動かす」などの文章には、全く違和感はありません。
この例に挙げた「コンピューター」も「ロボット」も「モーター」も、生命は持っていませんが、路傍の石ころとは全く違い、外部から電気エネルギーを与えられて動作します。したがって、「生物」ではないが、「半生物」くらいの扱いにして、堂々と主語にしてもいいのではないでしょうか。

「太陽電池パネルが電力を生みだす」はどうでしょうか。この場合は他動詞です。太陽電池パネルの場合は、外部から与えられたエネルギー(太陽のエネルギー)を電力に変換します。ロボットは外部から与えられたエネルギーを運動に変換し、太陽電池パネルはエネルギーの種類を変換します。エネルギーの種類を変換する点ではロボットと同じですから、石ころとは違う特別なものとして「半生物」扱いが許されるのではないでしょうか。

3.一般の文章に「無生物主語禁止ルール」を適用すると?

文学作品などではこのようなルールを聞いたことがありませんから、このルールは多分、産業翻訳などの特定の分野だけでしょう。
しかし、この「無生物禁止ルール」を一般の分野にも適用したら一体どうなるでしょうか。頭の体操くらいにはなるので、ちょっとやってみましょう。
「ボールがフェンスを越えて、校舎の窓ガラスが割れた」に「無生物主語禁止ルール」を適用したら、「ボールがフェンスを越えさせられて、校舎の窓ガラスが割られた」になります。確かにボールが勝手に飛ぶことはなく、野球選手の振りまわしたバットによってボールは飛ばされ、その結果フェンスを越えるのですが、詰まらない、勢いのない文章になってしまいますね。
また「死体が横たわっていた」はどうでしょう。死体は元は生きていた人間ですが、死んでしまった人間に生命はないので、無生物ですね。これを「死体が横たえられていた」に変えると、ニュアンスとして人為的操作がなされた疑いが出てきます。「死体遺棄」事件に発展する可能性もあり、面白くなってきます。

(2013-10-30)



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