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編集:太田拓、更新:2011年11月26日

(6)「坂の上の雲」のこと

1.日本語表記の煩わしさ

英文和訳の仕事をするようになって、日本語の表記方法に敏感になりました。まあ、これは職業柄当然と言えば当然です。ひらがなにすべきところを漢字で書いてしまうと、それだけで減点されることもありますから。
たとえば、「持つ」という漢字は、手で何かを持つ場合にのみ使用し、「ある特性をもっている」ような場合はひらがなにする、と明確にスタイルガイドで指定されている場合もあります。これはクライアント(仕事の依頼主)の方針によって決まることで、すべて「持つ」ですませる場合もあります。

正しい日本語を書くのが難しいと感じることがあります。「音引き」の問題もあります。送り仮名の問題もあります。以前は一律に「コンピュータ」だったのが、依頼主から「コンピューター」と音引きするような指示が出ることもあります。音引きしないけど、「ユーザー」などの特定の用語は音引きしろとか、まあいろいろあります。 こういう悩ましいことが多いのは、戦後 60 年の間に、国語審議会が細かいところをコロコロ変えてきたからでしょう。
書きやすく改めることによって、学習到達度を上げるなどの目的があったのでしょうが、これ以上変えてもらいたくはないですね。

このような日本語表記の決まり事の煩わしさから抜けて出て、自由に日本文を書きたいと思うことがあります。こういう時は、司馬遼太郎の本を読むのが精神的にいいですね。

2.一朶の雲

司馬遼太郎の「坂の上の雲」がNHKでドラマ化されて 3 年目になります。今年の 12 月から始まる第 3 部が最終で、今回で完結します。
30 年以上も前に、原作を読みました。2 年前にドラマが始まったとき、あの壮絶な戦争シーンを原作のイメージを壊さずに映像化できるのだろうか、と疑問に思っていましたが、これまでの 2 年分を見る限り、大いに期待できます。

日本海海戦のシーンがどれくらいリアルに映像化されるかは分かりませんが、これまでの調子では、全体に非常によくできています。俳優陣も、脚本もすばらしいし、世界に誇っていい作品ではないかと思っています。
主人公の秋山真之、好古、正岡子規も良いし、妹の律、母の貞役の竹下景子、児玉源太郎(高橋秀樹)、東郷平八郎(渡哲也)、伊藤博文(加藤剛)も高橋是清(西田敏行)も、皆いいですね。日本て、こんなにすばらしい俳優が多かったのか、と改めて感心しました。
また主題曲「Stand Alone」も良いですね。ドラマの最後に流れる曲ですが、Sarah Brightman が歌うのとソプラノ歌手の森麻紀さんが歌うのと2通りあります。どちらも素晴らしい。

ここをクリックして、森麻紀さんの Stand Alone を聴く

ドラマの最初のナレーションですが、実はあれは「坂の上の雲」の本文には出てきません。最近、原作を読み直したのですが、「もし坂の上の青い天に一朶の雲が輝いているとすれば、彼らはそれのみを見つめて坂を登ってゆくであろう」のナレーションは原作の「あとがき」に出てきます。あれをナレーションに使った脚本家も大したものです。
また好古の少年時代のシーンですが、只で学ばせてくれる学校が大阪にできたらしいという噂をきいて、好古が県庁に出かけていくシーンがあります。あそこで、父の伊東四朗さんに「ところで旅費の 3 円はどうするのか」と訊かれて「帰って父に相談してみます。父がなんとかしてくれましょう」と好古が答えるのですが、ここまでは原作にあります。そのあと、伊東四朗さんが「そちは良い父を持ったのう」といいますが、これは脚本家の独創です。このセリフを追加した脚本家に脱帽します。

ところで、あの「イチダの雲」とは「一塊りの雲」のような意味ですが、私の持っている漢和辞典(大修館:現代漢和辞典)で「朶」を引くと
(1)耳朶のように垂れ下がった形状のもの
(2)花の一房
の意味が出ていますが「塊」の意味は出ていません。
パソコンでも「ダ」では出ずに、「ミミタブ」と打って初めて出てきました。司馬遼太郎はこの「一朶の」という表現が好きなようで、「梟の城」に「一朶の星雲」という表現が出てきます。漢和辞典にもあまり出ていないような言葉を簡単に使うのですから、司馬遼太郎の知識がどれくらい深いものであったか、僕には想像できませんね。

3.司馬遼太郎の文体

30 年前に原作を読んだ時は、ストーリーの面白さに魅かれて一気に読んだのですが、今回はじっくり名文を味わいながら読みました。司馬遼太郎は、どうしてあんな名文をすらすら書けるんでしょうね。司馬遼太郎の文体はロック音楽のようなリズム感があるという人もいます。

それと再読して気付いたのは、表記方法が一貫していないことです。特に動詞の場合、「動く」と漢字で書いたり、「うごく」とひらがなで書いたりばらばらです。「彼女」と漢字で書いたり、「かれら」とひらがなで書いたりもしています。これはなぜでしょうか。
翻訳の場合には、こういうのは 「Inconsistency」 と言って、一番嫌われるのですが、あの司馬さんが、こういう一貫性のない文章を書いておられることに気づいて少し安心しました。

あえて、この「一貫性の無さ」の理由を推測すれば、「読みやすさ」を優先した結果ではないでしょうか。漢字の多い文章の場合は読みやすくするために、あえて動詞をひらがなにする、ひらがなの多い文章では漢字にする、といったことではないかというのが僕の推測です。司馬さんが生きていたら訊いてみたい気がします。

情景描写の細やかさ、美しさも司馬遼太郎の特徴でしょう。
たとえば、忍者同士の斬り合いのシーンで、「池の面に映った月影がわずかにくずれた」なんていう描写が出てきます。「竹藪が天を掃くように揺れている」という表現もあります。まるで俳句の世界のようです。
また「坂の上の雲」の原作に、いよいよ明日は日本海決戦という前夜に、バルチック艦隊のロジェストウェンスキー提督が一人甲板に出て夜空を見上げながら、

「神よ」
とロジェストウェンスキーはつぶやいた。星はなかった。

というシーンがあります。
僕の好きなシーンの 1 つです。 (以下次号)



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