<資料>韓国の被爆者・二世援護法を巡る状況韓国被爆二世患友会顧問:金鳳大さんへのインタビュー記事(釜山日報2007年5月26日) (金ヒョンユル二周忌を前に、小説家によるインタビューが行なわれた。その中で、今年はアメリカを相手取って原爆投下責任を問う国際裁判の本格的な準備をする意向や「韓国被爆者・二世の名誉回復と支援の特別法」制定運動の現状などが言及されている。韓国での被爆二世の闘いに学び支援し、日本での被爆二世運動の新たな展開を勝ち取る時が来ている。事務局の責任で翻訳しました。 原文は次のところ http://www.busanilbo.com/news2000/html/2007/0526/060020070526.1015162452.html) |
故キム・ヒョンユルさんの人生を要約することは容易ではない。思い通りに糾明されず、精算されない20世紀の悲劇的事件は彼の人生と深く絡みあっているためだ。1970年釜山スチョンドンで生まれたが、1945年8月6日ヒロシマで既に運命が定まった人。生まれた時から身体が悪く死んだ時まで苦しんだ人。社会的には存在としてどのような意味もないままに、自分の病気がヒロシマ原子爆弾と関連していることを知って『私は身体が悪い。人生は継続しなければならない』と世間に向かって淡々と声を上げた人。人は彼を「被爆2世患友の代表者」であるとよんでいる。 35歳の生涯でヒョンユルさんは亡くなった。2005年5月29日、自宅で血を吐きながら息絶えたとき、32kgだった彼の身体はきれいに化粧をされて『永楽苑』に安置された。もうこれからは、彼の声はどこでも聞くことが出来ない。成し遂げられなかった彼の希望と志はどこに行くだろうか?火花のように燃え上がった人生の最後の3年間、息子につき従いながら一挙手一投足を見守り保護してきた年老いた父親が息子の後を引継いだという話がしばしば聞こえてくる。 スチョンドンのある古びた賃貸アパートで金鳳大老人に会った。話の通り、ヒョンユルさんは原爆被害者の正確な実態調査と社会的な支援を強調する「特別法」制定に大変な努力をした。チョ・スンス前国会議員によって発議され、国 会議員79名が法案の支持署名をしたが、まだ通過させることが出来ないでいる。何故なのか? 『被爆一世は余りこの仕事を行なわなかった。私だけがもどかしいのか、彼らはもどかしくないのか、、、 被爆二世患友会は現在570名になった。保健福祉部、国家人権委員会で4億ウオン投入し、被爆二世の健康健診を行なって累計が出ている。苦しんでいる人たちの名簿が、ヒュンユルが亡くなって現れて2世の患友会の会長を引き受けた鄭ソッキさんのところにある。一世が手を休めるなら、二世たちであっても活動を代わってやるべきだろう、、、、 』 数年間法案を放置している国会保健福祉委員会は、どのような弁明を行なうか? 『委員たちの言うには、原案のままではお金があまりにたくさんになる。手を加えなければならない。もう一度審議する公聴会や座談会を開かなければならない。このように話しているんですよ。そういう状況であれば、急いで座談会の日取りを決めてくれと言ったんだが、昨年の11月と今年の2月、日にちが決まったが、引き続き未了ということで結局、今日まで開催されなかった。私が会った時には、委員たちには実際は仕事をする意欲がないように見えた。来る6月の臨時国会の時にどのようにして通過させようと計画を立てているだろうか。問いただすつもりだ。』 老人は闘士になった。 『国会では障害者たちのデモが素晴らしかった。結局、障害者教育法が通過した。健康世界ネットワークの姜柱成代表は白血病患者だ。320万ウオンかかった治療薬が25万ウオンにダウンしたことは、この人がデモをやってこのようになったんだ。韓国被爆者協会はソウルと各支部別に構成されているが、会員を巧く割り振って国会の保健福祉部委員18名に一人一人会いに行ってへばりつけば、我々の特別法も成立する。出来なくても、テーブルをひっくり返して座り込むということもやるべきだろう』 「特別法」には韓国政府に対する原爆被害者の要求は十分に盛られている。しかし、金鳳大老人、いやそうではなくて金ヒョンユルさんの問題意識はもっと根本的なところまで行っている。『被爆二世の研究データーは引き続いて出て来ているが、私はテグのチェボンテ弁護士と結局は国際裁判をやることになるだろう。原爆を製造したのはアメリカ人じゃないか。日本ではなくアメリカを相手に是非を問いただすつもりだ。そもそも金ヒョンユルが生きていた時、チェ弁護士に4、5年前既に申し立てたことだ。その席に私もいたが、チェ弁護士は同意した。去る2月、三菱重工業に対する原爆被害補償裁判があった時、チェ弁護士、日本の立田弁護士、それと私が同席して三人で、今年から本格的に国際裁判の準備をしようと話した』 日米戦争、いや第二次世界大戦の結末を原子爆弾投下という方式でやらなければならなかったのか、つまり戦争行為を超える大規模な虐殺行為であった、その影響で、一部だが2、3世にまで原爆病の遺伝がでることになったのを今でも問うことである。 似たような裁判が既に行なわれた。ベトナム戦争の枯れ葉剤被害者はアメリカの枯れ葉剤製造会社ダウ・ケミカル、モンサントを相手どって勝訴判決を取っている。アメリカは日本軍慰安婦問題を問題にして国会決議案まで提出し歴史に対する審判をしようとしているのに、原爆を投下して無辜の人びとに致命的な被害を与えたことに関しては少しも口を開こうともしない。実際、補償を行なうかというよりも、1945年原爆投下行為に対するいっそう正確な歴史的評価を下すにあたって一つの契機になりうるだろう。更には、核戦争が起こすことが出来ないように世界の世論を確実にたかめるために重要な記念碑的裁判になるだろう。 韓国政府と原爆関連団体を相手に争いながらも、日本政府とアメリカ政府の問題まで常に念頭においていたヒョンユルさんが病勢悪化で突然亡くなった後、70を超える父親が息子の残した仕事を一人で引き受けた事実は大変なことだ。世界列強のただ中で老人一人が寂しくたっているように見える。 彼は既存の原爆一世の団体に対して恐ろしいほど辛辣に話した。『余りに嘆かわしい。原爆被害者を一人づつ日本に連れてゆき、被爆手帳を受け取って、いくらかの金をもらってすぐに小さなグループになるだけだ。どこにも金をもらう場所はないだろう。その可愛そうな人たちはお金を受け取っても 私はこのように直接に話ということだ』 子どもと同様の立場にある2世の患友たちに対しても哀れみながらも苦々しく語った。『ヒョンユルはどうであってもしぶとく頑張り屋だった。皆さんが少しづつ手伝おうと言っても「私は身体が悪いけど、私は間もなく倒れても勇気を出して仕事をします」と意欲を見せた。コンピューターをうまく操作したよ。悪い身体でも時々だけ咳が出ない時に、キーボードを叩きながら日本やアメリカをくまなく探し行ききして、重要な資料を継続して集めたんだ。ところが、ヒョンユルが死んでしまって、仕事をやってみても特別の進展がないので身体の悪い人たちは直ぐに自暴自棄になるのだ。』 一世たちは、日本から流れてくるお金に慣れてしまっている。2世の患友たちは公式的に原爆病を認定されることもないままに世間の冷たい無関心に落ち込んでいるようだ。 ヒョンユルさんが世間に進み出る時までは「原爆2世患友」は公式的には全く存在自体がなかった。彼が「代表」を担って闘いに進み出たが、意図したところを果たすことは出来なかった。中断した闘いをひき継ぐために年老いた父親が進みでているが、老人の願いは本当に思い通りにはならなかった。今春彼も一度へたり込んだ。子どもが亡くなった日から時折生じていた血尿症状を押さえて乗りこえながら今年3月病院へ入院し、膀胱ガン一期の診断を受け2回の手術まで受けた。現在手術の後遺症で足に麻痺が来る時があり、以前と比べて格段に息が切れる。初期にガンを除去し生命には支障はないと病院は言うが、どんなに決意しても70代の老人の実践力もへこたれないではおれなかった。 孤独な小部屋で多くの時間を過ごした一人の青年は、自分の先天的な病気がヒロシマの原爆を受けた母親より受け継いだことであることを悟った後、世間に向かって『私は苦しい』と叫んだ。これは尊い人間宣言であった。かぞえきれないほど多く急性の肺炎を患い肺機能は正常な人の30%にすぎない。みすぼらしい生命ではあっても大切であるという彼の信念は『人生は継続しなければならない』という言葉にも表現されている。世間に無数に存在する痛ましい少数者と弱者に対する愛と連帯の宣言であった。子どものこのような孤独な気だてと人生に対する愛着を年老いた父親はどうしても忘れることが出来ないでいる。彼の所願はただひたすら一つである 『第16国会でダメであったら、17国会できっと通過する、待ってみてと人びとは話すけれど、早く特別法は通過しなければならない。それでこそ、日本の個別的に裁判にかける方式ではなく、既存の被爆一世団体ももう少し体系的に活動に出ることができるのだ。二世の患者も希望を持って、我々のヒョンユルのように積極的に世間へ出てゆくことが出来るだろう』 去る4月「障害者教育法」が通過したとき国会議事堂前には政治家と障害者たちが握手し、抱き合うのを見た。ヒョンユルさんの全ての願いが込められた「特別法」には、いつこのような気分の良い日が来るだろうか?年老いた父親は最後に、言論の粘り強い関心を要請した。故キム・ヒョンユルさんの二周期の追慕式は明日午前11時、釜山の民主公園で開かれる。 |
<報告>「2回忌 金 亨律 追慕祭」に参加![]() ![]() ![]() |
さる5月27日、韓国のきょうだいである故金 亨律さんの「2回忌 金 亨律 追慕祭」が、彼の生まれ育った
釜山の民主化蜂起を記念する「民主公園 小劇場」において、とりおこなわれました。 全国被爆者青年同盟は、昨年に引き続き、「追慕祭」と、その後の交流会、墓参、懇親会に参加し、 彼の遺志を引き継ぎ、日韓の被爆者・被爆二世解放の闘いの絆をさらに強く結んで来ました。 「追慕祭」開祭のあいさつは、民主化闘争の歴戦の闘士「民主公園」館長 車 成煥さん。 司会は「平和市民連帯」の 姜 濟淑さん。 金 亨律氏の遺志を引き継ぐ決意を語ったのは「韓国原爆二世患友会」新会長の 鄭 淑姫さん。 遺族を代表して「韓国原爆二世患友会」顧問 である 金 鳳大さん。 そして、生前親交のあった多くの人士からの挨拶がありました。 全国被爆者青年同盟も、発言を要請され、「放影研=ABCC 二世健康調査」の欺瞞性とペテン、世界の被爆者・二世を抹殺する許しがたい「調査結果」であることを報告。 この「二世健康調査」は、日本の核武装化、「実際にアジア侵略ができる日本にする」ための改憲攻撃と一体のもであり、これと対決する被爆者・二世の闘いの重要性・切迫性と、被爆者解放・日帝打倒の階級的飛躍点としての今夏8・6への結集を呼びかけました。 「韓国原爆二世患友会」会長 金 亨律(キム・ヒョンユル)さんは、5歳の時に広島で被爆した母親の「原爆後後遺症」による「先天性免疫グロブリン欠乏症」で、2005年5月29日その命を奪われてしまいました。 彼の死は、日帝の植民地収奪と侵略戦争を追究し、韓国人被爆者と被爆2世の名誉と人権回復を訴え、その闘いの最中での無念の死でありました。 亡くなる1週間前、彼は、すでに肺機能が30%から20%しか残っていない体になりながらも、酸素ボンベを抱え、2005年 5月20、21日 東京で開催された国際会議において 『韓国人原爆被害者と韓国人原爆二世患友の真相究明および名誉回復のための特別法の制定について』 を、渾身の力で訴えたのでした。 『韓国人原爆被害者と韓国人原爆2世患友の真相究明および名誉回復のための特別法』は彼の闘いと、彼に連帯する「原爆二世患友共同対策委員会」が「国家人権委員会」に要求した実態調査(03年)とその発表(04年)が根拠となっています。 韓国政府をも突き動かした、彼らの「健康実態調査」は、被爆二世の遺伝的影響(「原爆後遺症」)を詳細で統計的に明らかにしたものでした。 交流会後、彼の父親であり、「韓国原爆二世患友会」顧問 である金 鳳大さんの自宅に招かれ、分析したデータ集を見せていただきました。 それは、実に詳細な被爆者・二世の「先天性疾病」や「先天性形成異常」、「遺伝的影響による心身の疾病」の実態データで、放射線による遺伝的「因果関係」を裏付けるものとして充分なものがありました。 加えて、親(被爆者)の被爆情況・過去・現在の家庭情況・経済状況、子(被爆二世)の現在までの生育情況など、面談やアンケートで緻密に調査されており、被爆者・二世の名誉と人権が現在もなお奪われ貶められて続けていることを明らかにするもでした。 彼らの調査データを目の当たりにし強く感じたことは、身の置き所のない怒りと悔しさと恥ずかしさでした。 今年3月、放影研=ABCCがこの5年間行ってきた、ペテン的で2世を襲うハイエナのような兇暴さで「調査・研究」した「被爆二世健康調査」の結果を、「放射線の遺伝的影響はない」と発表し、さらには「被爆二世がガン年齢に達する今後も継続的調査は必要」であると、被爆者と同じように被爆二世を核開発のモルモットにすることを宣言しました。 そして、放影研=ABCCに、「健康実態調査」という手法で被爆二世の身体と血液を売り渡したのが、体制内労働運動を基盤とし、歴史的に被青同に対抗的・反革命的につくられた「全国被爆二世協」です。 金 亨律 氏たちが行ってきた「健康実態調査」を、真っ向から否定し、彼らの闘いに敵対し、切り開いた地平を突き崩そうとする日米両帝国主義の策動に、日本の「全国被爆二世協」に組織された被爆二世が加担したこと、私たち被青同が「全国被爆二世協」の犯罪を知りながらも、それを許してしまったことに身の置き所のない思いを禁じ得ませんでした。 今ひとつ、 私たちは、私たちにかかわる一切のデータを持たず、放影研=ABCCに強奪されつづけながら被爆者自己解放・医療奪還を語り実践できるのだろうか? この問いが鋭く迫ってきたのも事実です。 確かに、1970年、私たち高陽病院建設委員会と被青同は、被爆者解放として医療の奪還を全国キャラバンで全国津々浦々で訴え、被爆者・被爆二世のための医療機関(高陽第一診療所)を建設し、献身的な医療従事者の仲間たちにより、被爆医療の砦として築いてきました。 しかし、放影研=ABCCに奪われつづけてきたものを奪い返す「出撃基地」としては、決定的立ち遅れがあることを痛恨の思いで顧みざるをえません。 私たち被爆者・二世は奪われたものを奪い返さなければなりません。 金 亨律 氏たちから学び、高陽病院建設運動を早急に飛躍させなければなりません。 現在、韓国の被爆者も老齢化し、「原爆症」による心身の負荷はこれ以上放置することができない情況です。 「日韓条約」により、「被爆手帳」もなく、「原爆手当」の受給もなく、医療すら受けることが困難な野晒しのような最期を余儀なくされています。 二世もまた同じく、健康的限界からの経済苦に被爆医療を受ける困難は追い打ちをかけ、私たち以上の苦闘を強いられています。 日本の被爆者と同じく韓国の被爆者もまた、自身の健康より子である2世の健康に心を砕きながら、老いて行っています。 被爆者も二世も、もう待ったなし!なのです。 日本においても、 放影研=ABCCの「被爆二世健康調査」発表をうけ、被爆二世は「我々をモルモットにするのか」という怒りをふつふつとたぎらせています。 韓国の民主化闘争=労働運動の高揚のとなった発火点「釜馬蜂起」、「光州蜂起」を最後まで戦闘的に闘い抜いたのは労働者でした。 被爆二世のきょうだいたちや、子どもたちである三世の多くは、様々な体調不良や疾病に悩み、苦しみ、もがき、資本の搾取=低賃金化、社会保険制度の改悪によって最も苦しめられている労働者です。 この階級性を厳粛にとらえかえし、被爆者の解放は労働者階級の解放の中にこそあること、私たち二世が労働者の一員として、「全国被爆二世協」に体現されるような体制内労働運動をつき崩し、再構築する労働運動の中にこそ被爆者解放・日帝打倒の展望があること、これらを私たち二世が明確に自覚し、その闘いを、被青同は多くの労働者とともに闘いぬくこと。 日本において、私たち全国被爆者青年同盟が、でたらめな被爆二世調査を二度と許さない闘いを作り出すこと。 私たちの医療と奪われたものを確実に奪い返していくこと。 その闘いこそが、真に日韓の被爆者解放をかちとり、被爆二世の共闘をつくりあげることであり、被青同がそれらの全責任をとる!一切は私したち全国被爆者青年同盟にかかってきているのだ!と改めて強く決意を固め、金 亨律 さんの霊前で誓いました。 全国の被爆二世は被爆者青年同盟に結集しよう! ともに明日生きる闘いに起とう! (了) 全国被爆者青年同盟 「金 亨律 追慕祭」派遣員 小林 初恵 |