国連の反対を押さえつけイギリス・日本など少数国の賛成のみで、「ならず者・悪の中枢」を民主化すると称して、自他共に認める世界最強の軍事力をもつアメリカブッシュ政権は地下資源の宝庫イラクへ侵略しました。しかし現在、戦争はイラク人民の反撃にあって泥沼にはまり込んでいます。ブッシュは「旧フセイン政権の残党か外国のテロリストか、おそらく両方の犯行ではないか」と弁解に努め居直っています。
日米協調を基本として自分の保身に努めている小泉自民党政権は、創価学会を母体とする公明党に支えられて政権の失敗を私達人民に押し付け、賃下げ・首切りの強行、労働法を改悪し労働者の団結権の侵害で労働者を弾圧してその危機を乗り切ろうと画策している。また、年金・医療・介護保険などの保険料の増額・給付の削減による福祉の切り捨て、教育基本法の改悪による国家への忠誠の強要など戦争国家化を目論んでいます。憲法は無視され人権は否定されています。
大量破壊兵器を多数保有しているということで侵略戦争を発動しましたが、いまなお見つかっていません。日本のマスコミは新聞、放送などを総動員して連日アメリカ、イギリス、支援国の兵士の死亡を大々的に報道していますが、イラク人民の虐殺は一切報道されていません。私達は敗戦後原爆投下後の記事を書くことも話すこともできませんでした。それは今も変わっていません。権力に都合の悪いことは出せないからです。
国家の行う戦争というテロは正当化され、人民の行う抵抗はテロという犯罪だという作られた「世論」に反対しなければなりません。戦争は最大の差別でありその被害者は労働者です。
いまなおガンという放射能障害に侵され苦しんでいる私は、侵略戦争反対のために被爆者・被爆二世の人達と十二月に集会を行いました。自衛隊のイラク派兵は殺し殺される行動に結びつきます。大政翼賛化されている今の状況下私達の党がないのが残念でたまりません。皆さん、共に闘いぬこうではありませんか。
12・7シンポジウム『アメリカの原爆投下をめぐって』
2003年12月7日、真珠湾攻撃62周年にあたって、広島の平和資料館でシンポジウム『アメリカの原爆投下をめぐって』が催されました。約50人の聴衆が熱心に耳を傾けました。紙面の都合上、3人おパネラーの問題提起の要約を掲載します。報告集は2月上旬に発行します。
高橋哲哉さん
天皇の戦争責任について
「つくる会教科書」に日本の最底辺に位置付けられる被爆者である年老いた女性の話が出てくる。天皇も一緒に苦労してきたと語ったことでもって、天皇を被爆者と一緒にすることで天皇も含めた全国民が被害者であるとし、国民以外の被害者(外国人)を排除している。
1945年2月の近衛上奏を退けて以降、都市に対する大空襲、沖縄戦、広島・長崎への原爆投下、「満州」へのソ連侵攻、シべリア抑留など「遅すぎた聖断」による被害は重大である。さらに、朝鮮侵略・植民地支配、日中戦争、太平洋戦争の開戦責任など日本の近代史そのものが天皇制とともに間われなければならない。
原爆投下に対する意識調査について
正しかった‥日本-8.2%、アメリカ-62.3%、韓国-80.6%正しくなかった‥日本-67.8%、アメリカ-26.7%、韓国-19.1%となっている。原爆投下は日本の敗北をもたらし、それが植民地支配からの解放をもたらしたという考えを生み出した。植民地支配、加害責任を認めない日本に対する評価の結果としてある。このことが朝鮮人被爆者が声を上げられない状況を作り出している。
イラクにおける日本人外交官殺害以後の状況
なぜ「テロ」の標的になったのか、米英に何らの正当性のない嘘で固めた戦争である。その後の占領に対するイラクの人々の抵抗が続いている。日本政府は当初から戦争に対して賛成を表明し二人は戦争終了前から占領当局に派遣されていた。小泉首相は「二人は日本国、日本国民の誇りである」と直ちに表明。二人の死は普通の感覚で言うと悲しみがまずわくが、それが名誉の死、誇りである、貢献した死へと価値が転換されている。靖国の論理、国家の論理である。国家のために死ぬことは尊い儀牲であるというレトリックを乗り超えなければならない。このことは広島、長崎も無縁ではない。
国立追悼記念館には被爆によって死んだ人を「尊い犠牲」とある。国を守るために被爆者は死んでいったのか。すでに敗戦は決まっていた。国体護持のための論理に国民が内側からからめとられていく一方で国民でない人々の死、苦しみが見失われていく。
「尊い犠牲」はアジアの側から見るとどうであろうか。
アメリカに亡命中の中国人が、中国人にとってヒロシマとは何かという問に対して、「日本の侵略に終止符を打つのに必要であった、ヒロシマの犠牲は重慶爆撃、南京虐殺などの犠牲に比べ程度、量において下回る。やむをえない必要な犠牲ではなかったのか。」と応えている。私達のとるべき態度は、まず日本の植民地支配、戦争責任を認め許しを乞いそのうえで日本、アメリカの国家、政府の論理を乗り越えて行くことではないか。
医者で「原子野の聖者」と呼ばれ「長崎の鐘」の筆者でもある被爆者永井隆はカトリックの立場から被爆者を大いなるホロコースト(燔祭)とたたえ「神の摂理、めぐみ、尊い犠牲であった」というレトリックを使ってアメリカの投下責任、天皇の責任を免責している。
今日日本で再び「尊い犠牲」の論理が発動し始めている。本来おぞましい、嘆かわしい、むなしい、悲しむべき死が聖なるものに変えられていく。これでは踏みにじってきた人々との連帯は生れない。この論理を乗り越えることが被爆者運動の役割であり、被爆の経験から戦争、核兵器を批判して行く原点になるのではないか。
李実根さん
過去の「尊い犠牲」によって被害を余儀なくされた朝鮮人被爆者から提起します。
今年は朝鮮が日本の植民地にされてから九十三年、そのことにより朝鮮から移り住んでいた六千五百人もの朝鮮人が虐殺された関東大震災から八十年、明日はアジア・太平洋戦争の勃発から六十二年になる。
朝鮮と日本は「一衣帯水」、「唇歯」の関係である。日本は朝鮮と仲良くなければならないのに、昨年九月一七日小泉首相は訪朝し共同宣言を発表したが、それ以後一年、今は日朝関係が最悪の時期になっている。八十年前理由もなく多くの朝鮮人が殺された時と変わらない。そのことを彷彿とさせる時だ。拉致問題と関連させてバッシングしているが実は根の深いものだ。福沢諭吉、吉田松陰らの大和民族の優越性、皇国史観による朝鮮民族への蔑視、差別があり、これは戦後五十八年間克服されずにきた。この既存の朝鮮観にブッシュの悪の枢軸論、小泉の姿勢が加わり朝鮮に対する蔑視,差別が一気に噴出してきた。
北朝鮮崩壊論があるがこれは圧力である。崩壊とは自らの人民が選択しない限りありえない。他国からの崩壊は戦争のことである。万一戦争を起こしたことになると日本の国は対岸の火事として傍観することはできない。日本の国民がまずそういう現実を直視して、ノーモアヒロシマ、ナガサキを叫ぶ場合も正しいものの見方を持たなくてはならないと思う。
原爆投下の対象になぜ広島を選んだのか。トルーマン大統領の投下直後の声明に、「日本の重要な陸軍基地である広島」をたたくために原爆を投下したとある。いつから広島は軍都になったのか。一八九四年九月十五日明治天皇が広島に来て大本営が置かれ、十月五日広島市に戒厳令が敷かれ軍都、軍港に定められ一八九五年四月まで日本の臨時首都になった。
六つの師団のうち第五師団が置かれた。宇品港から戦地に向けて兵隊が送り出された。以降、日本の全ての戦争の出撃基地になった。
日本政府は過去のことについてひとときも総括していない。敗戦による日本の東西分割はなかったが、朝鮮半島は分割されその根源は日本の植民地支配にある。なぜ米・ソの外国軍が入ってきたのか。日本の領土であったから分断された。ソ連は出て行ったがアメリカはまだ居座っている。
「痛恨」,「痛切に感じる」などいつでも言える。靖国神社に行って「東條さんありがとうございました」と拝んでいる。日本政府は清算、謝罪もしないで敵視政策を続けている。
個人的に感じていることで言いにくいことであるが・・・。日本人は八・六以後のことしか話さないのか。被爆は「青天の霹靂」であったようにいう。八・六以前の歴史は誰の歴史なのか。ただ原爆被害のみを話す。私はどうしても納得できない。
朝鮮人、中国人の八〇%以上が原爆万歳という。私がロスアンゼルスの朝鮮人街で講演をした時「我々は原爆で解放されたのになぜ悪く言うのか」と袋叩きに合うところだった。大変な目にあったがそれから気をつけている。過去を語らず、被害を何万べん唱えてもアジアの人々の心をつかむことはできない。
朝鮮戦争についてそのこと自体を話すと一、二時間あっても足らないので戦争が始まる前に何があったのかを話したい。一九五〇年、第三の原爆使用が朝鮮半島で画策された時は全世界の署名運動(ストックホルムアピール)によって阻止されたが、アメリカは戦争を起こすたびに核兵器の使用をほのめかしてきた。長崎に投下した原爆はプルトニウム爆弾ですでに実験済みであったが広島に投下されたウラニウム爆弾は実験をかねて投下された。長崎は軍都とは言えず造船と工業の盛んな街であった。アメリカの長崎への原爆投下のねらいは、日本の降伏をまじかにひかえてその先を読む、すなわちソ連を阻止し日本の単独占領、朝鮮侵略、アジア侵略に向けての布石であったのではないかと思う。今度戦争が始まると大変なことになる。
下原隆志さん
先の二人がほぼ話されたので私は自分の経験を主にお話します。
子供の頃の状況と現在の広島の状況を重ね合わせて話したい。広島県では平和教育、同和教育が破壊されようとしている。平和カレンダーが尾道で阻止された。他県の教育委員会は広島に行かせようとしているのに広島県内の学校では校長が資料館の見学をストップさせようとしている。文部科学省は広島と沖縄をつぶせば日本の平和教育はつぶせると考えている。
戦前、思想統制の下で信じ込まされてきた。大人になって何になると問われたら、「『支那』に行って人を殺し勲章をもらう人になる」と答えていた。戦前にも同和教育はあったがそれは修身の時間であった。「八紘一宇」すなわち「世界は一家、民族は兄弟」であり一家の主人は天皇である。さらに、人間は生れた時から身分がある。大和民族は一等国民で長男、二等国民は植民地の台湾、朝鮮人で次男、三等国民は「満州人」、中国人のうち「御稜威(みいず)」=天皇の威光に従う者で三男、その他それに従わない者は人間以外で殺さなければならない者の四つに分類された。天皇だけは人間ではない。神であり現人神である。その下にいるのは天皇の言うことを聞く人すなわち赤子である。これのことは現在のイラクに似ている。ブッシュは自分の言うことを聞かない者はテロリストと呼ぶ。中国でもそうであった。天皇に服さない者は殺戮の対象であった。これは現在と重なる。ごまかしを見ぬいて欲しい。
教育勅語の最後に「国のために死ね」とある。国を護ること、天皇を護ることが愛国心であった。「海ゆかば」は「大君のへにこそ死なめ」と教え、国体護持が社会意識であった。アメリカに行って被爆の体験を話した時アメリカの元軍人から「アメリカを恨め、実験材料にされたのに」、「アメリカと天皇を恨め」といわれた。「尊い犠牲」と言われても尊いとも犠牲とも思っていない。天皇制を残そうとしてその結果殺されたのだ。
愛国心を鼓吹し教育基本法の改悪を経て憲法を変えようとしている。戦時中の教育に近くなっている。そうなるとものが言えなくなる。私の母親は三〜四ヵ月待てば恩給がもらえる時に教員をやめた。教え子を戦場に行かせないためにやめるしかなかった。しかし今ならまだできる。声を上げよう。