佐渡で見た空と海と水田

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 煙  草  

 煙草との付き合いは、もう30数年になる。
 吸い始めたのは高校3年のときで、なんとなく仲間がいて吸うようになった。学校では吸わずに、家に帰って自分の部屋で一服するのが楽しみだった。机の上に鏡を置いて、吸い方を研究したりしていた。
 市の図書館で勉強してる合間や、受験勉強の憂さ晴らしに仲間たちと喫茶店でだべっているときも、よく吸った。喫茶店では、紅茶を飲みながら人生論を語っていたのだから、かわいいものだ。

 当時はいろんな種類を試してみたが、たしかハイライトのエキスポートというのがあって、わりとうまいと感じた。吸い始めの頃は、よく頭がクラッとして、それがうまさと結びついていた。しかし、煙草が本当においしかったのは、最初の半年か1年くらいで、いつの間にか習慣になってしまうと、当初のおいしさはもう感じなくなった。吸いたくなって、吸っているだけだ。
 それでも、食事のあとや、ひと仕事を終えたあとなど、うまいと感じる瞬間はいろいろあるものだ。

 3年ほど前からだったか、煙草を吸っていると、唾液がやたらと出るのに気づくようになった。これはどうやら、のどを守るために体が自然に反応しているようだ。酒やコーヒーを飲みながら吸っているときは、この反応があらわれてこないようだ。
 少し体力が落ちているときなどは、一本吸っただけで、心臓がきゅっと痛むような気がすることがある。
 煙草が健康に良くないのは、すでに医学的に証明されているようなので、もうやめたっていいとは思っている。すでに十分に、人生分を吸ったみたいなものだろう。
 近頃は、室内の煙の匂いが気になるので、外で吸うようにしているのだが、冬の戸外は寒いし、通りがかりの人に見られるのも、なんとなくみっともない。
 新幹線では以前から、喫煙車より禁煙車に乗るようにしている。他人の煙を吸わされるのは、やはり厭なのだ。飛行機の国際線の場合、空港でも機内でも吸えないので、10時間以上とか、まる一日近くも吸わない状態になる。けれども、それをとくに苦痛には感じなかった。
 してみれば、別に吸わなくても平気なのかもしれない。

 長年にわたり煙草を吸ってきて、今では案外な気がすることもある。これまで自分が吸ってきた煙草の種類を考えてみると、わりと少数派的な好みらしく、多数派に属することは少なかったようだ。現在吸っているのはラークマイルドのソフトという紙パッケージのやつだが、あまり人が吸っているのにはお目にかからない。その前に長年吸っていたマイルド・セレクトのときもそうだった。
 少数派の煙草は、いつの間にか販売機から消えてしまう。
 どちらかというと、自分は人間としても少数派なのかな、と考えたりもするが、人間の場合は、少数派だからといって、消えてしまうわけにはもちろんいかない。(2006年3月12日)

 

地の花 天の星

 凍てつく夜にも、パンジーみたいな花は平気で咲いている
 「お前たちは、元気だなあ」
 両手でハンドパワーを送ってみる
 何の変化も起こらない
 いったい何のために、真冬の深夜に咲いているのだろうか

 空では、オリオンが西に傾き
 シリウスは南中を過ぎて、低く輝いている
 夜は澄みきっている
 これを見ているのかな

 息を吸って、吐いて、やがて息をしなくなるときが来て
 それでもまた、この星空の下で、大きく、深く、息を吸い込んだら
 きっと 楽しいんだろう

 翌朝、鉢の札を見ると、ガーデンシクラメンと書いてある
 寒さにつよく、越冬もできるという(2006年1月3日)


 (後記:あとでわかったのですが、花の名は、ガーデンシクラメンではなく、やはりパンジーでした)  

冬のパンジー

凍てつく冬を越え(上)、無事に春を迎えました

春のパンジー

撮影:(上)1月上旬、(下)3月下旬



別々の寝室

 結婚して以来、妻とはずっと寝室を別にしている。
 もう15年間、変わらない。
 「別々で寝よう」
 と、最初の日に言ったのは、こちらの方だった。そのとき、妻はちょっと妙な顔をしていたが、「その方がいいね」と、不満はなさそうだった。
 自分は深夜にひとりで起きていることが多いので、その方が互いのペースを乱さなくてよかったのだ。しかも、ひとりで寝る方が、ずっとよく眠れることをお互いによく知っている。

 最近は寝る前にいっぱいやるのが習慣になっているので、妻が寝た頃から、自分の部屋でひとり酒を飲み始める。いろんなことを考える。

「これも自分なりの結婚、というものだったのだろう」
 改めて、考えてみる。
 俗に、夫婦は二世を契るというが、前世でも彼女と夫婦だったのだろうか。そんなはずはないとも思うし、そうかもしれないとも思う。よくわからない。実感がない。

 家の中では、妻の方が圧倒的に支配権を握っている。それはそれで、一向に平気だ。じゃまさえされなければよいのだ。
 彼女の方が、考えていることはずっとまともで、前向きだ。こちらはじつは、ひどいことを考えていたりする。妻が聞いたら、卒倒するような空想さえ、していることがある。
 自分は本当は冷たい亭主かと思ったりもするが、彼女は彼女で、また別のことを考えているのかもしれない。
 夫婦というより、家族ということなんだろう、と思っておくか。
(2005年10月7日)


北の道


梅雨の晴れ間

 妻は朝起きてくると、コップ一杯の水で薬を飲む。食器棚からコップを取り出し、紙袋に入った薬を、サワサワというような音を立てながら取り出している。
 夫はベッドの中でその音を聞いている。台所の隣の部屋で夫は寝ている。妻はちょっとそこをのぞいて、それから新聞を取りに外へ出る。
 妻は病弱というのではない。むしろ丈夫な方だろう。寝込むようなことは滅多にないし、入院をしたこともない。
 以前、検査をしたら腫瘍が見つかったが、幸い良性だったので、特に治療のようなことはしなかった。首のところが少し腫れているのに気づき、甲状腺の異常とわかったのは10年ほど前のことだ。
 あのときは、最初の診断でガンの疑いがあるといわれ、妻はパジャマを買ってくるなど、黙って入院の準備までしていた。ところが、改めて専門病院で再検査したところ、ガンではないとわかった。しかも、手術をするほどではなく、薬を飲んだり、定期的に病院で検査をしているうちに、何ともなくなったようだ。今は病院にも行ってない。
「すると、今、妻が毎朝飲んでいる薬は何だろう」
と、夫は思った。

   起きて窓を開けてみると、珍しく青空が見えていた。梅雨の晴れ間というのだろうか。眩しいような日差しが、乱反射している。
 夫も妻も、今日の休日はそれぞれ予定していることがある。
 妻は、自分で洋服を作っていて、今は夏物づくりに忙しい。友人知人に着てもらうのだ。そのために、今日は一日、ミシンで裁縫をするといっていた。
 夫の方は、先日買ってきたブルースギターのテキストに、一応、挑戦するつもりである。ジャズギターを1年ほど練習していたが、ちょっと飽きてきたので、気分転換に趣向を変えてみるつもりだ。仕事はしないことに決めていた。

 午前中、妻はきちんと裁縫をしていたが、夫はぐずぐずと過ごしてしまった。新聞を読みながら、コーヒーを2杯飲んだり、ぼんやりしているうちに、お昼になってしまった。
 たらこスパゲッティーを昼食に食べているとき、妻に薬のことを聞いてみた。
「血の巡りをよくする漢方薬よ。覚えてないの?」
 やや険のある口調で妻は言った。でも、それなら別に問題はない。

 健康にはあまり注意をしていないかな、と夫は思う。せめて散歩でもするかと、近所を1時間ほどぶらぶら歩き、帰ってくると、そのまま昼寝をしてしまった。
 一日はこうして過ぎていく。本も読まず、ギターの練習もせず、結局、何もしないままだ。(2005年7月2日)

 

桜の散る頃

 今の季節になるといつも思い出すのが、20年前の春、ちょうど桜の花が散り始めるころのこと。その時期、しばらく実家に戻ってある草稿を作っていた。
 ピラミッドに関する思いがけないアイデアが浮かび、自分でもどうしていいかわからずに、とにかく原稿の形にしておこうと思ったのだ。4月の初めの2週間ほど、家に籠もり、とにかく数十枚の草稿を作った。

 できあがってコピーをとり、一部を出版社に勤める東京の友人に送り、さあ、この草稿をどうしようかと思案しながら、故郷の町を歩いた。図書館から裏の小高い丘に通じる坂があり、大きな桜の木が両側に並んでいた。風に花びらが舞い、道は散った花びらで真白になっていた。まるで雪が降っているみたいだった。あのときの坂道の風景が忘れられない。

 その後、東京に戻り、友人とも相談して草稿の道筋を探した。まず、本の企画としてK社に連絡してみた。会ってくれたのは、もう亡くなってしまったが、『トットちゃん』の本を作った編集者だった。とても親切な、優しい人で、企画会議にかけてくれたが、本の企画としては通らなかった。
 がっかりして、原稿を引き上げに行ったとき、「この店の団子はおいしいよ」といわれ、会社のすぐ近くで団子を買って帰った。

 一方、同時進行で、O社の科学雑誌の編集部にも草稿を持ち込んでいた。ところが、こちらは企画としてすんなり通ったらしくて、担当者から連絡があり、雑誌向きに10枚程度の原稿を作りなおした。幸いにも、2〜3ヵ月後に記事は掲載された。
 今から思えば、本当にラッキーだった。

 ピラミッドのアイデアを一冊の本にするには、それから何年もかかった。一冊分の原稿がなかなか出来なかったし、版元を探すのにも苦労した。精神的には、わりとつらい日々だった。
 あれから20年の月日が過ぎて、現在は、ピラミッドの英語版を外国で出版できないかと模索している。結局、同じことをまだやっているわけだ。懲りない性分というのか、こちらもまた苦労しそうだ。
(2005年4月18日)



夜明け前のひととき  

  夜明け前になぜか目が覚めた。しばらく布団の中でじっとしていたが、腹が減っているのに気づく。昨夜の残り物のおでんと雑炊をぼそぼそ食べた。妙な気分だ。

 窓の外では、雨の音がしている。そういえば、今日は雪になるといっていた。朝の5時では、外はまだ真っ暗だ。
 本を読む気力はちょっとないし、ギターは近所迷惑だろう。仕方ないので、煙草を吸いながら、ぼんやりしていた。

 今日と明日で、二稿のゲラを読んで印刷屋に戻さなければならない。初稿に比べれば、二稿は気が楽だ。しかし、ゲラを読む気分は年々、辛く負担になる。以前はもっと楽しかったのに・・・・。

 妻は昨夜、里帰り帰国から戻ってきた。こちらの頭を見て、
 「また白髪が増えたねえ」という。白髪なんて、もうちっとも気にならない。妻は空の長旅で疲れていた。
 今年はまだ初詣にも行っていない。ゲラが終ったら、近所の弁天様に行ってこよう。(2005年1月15日)







ふしぎな郷愁  


 霧のような雨が降っている夜

 何か不思議な気がして窓を開けてみると

 やっぱり、煙るように雨が降っているばかりで

 何か、忘れ物をしたみたいに

 暗がりを見つめていた



 「オレはどこから来たのか」

 なんて考えてみて

 ふしぎな郷愁だけがある、あんな場所が

 おまえの居場所なんじゃないか

 そんな気がして

 やっぱり暗闇の彼方の夢をみている

 星空の向こうがわまで

 帰っていけるあたりのことを

〜「ひとりごと」の手帳から〜(2004年10月28日)




隣のカップル  

 妻のところに何人かお客さんが訪ねてくるというので、まるで締め出されるように、近所に散歩に出た。自分の部屋でおとなしく、じっとしていてもいいのだが、狭い自宅のことなので、遠慮して外に出るのだ。
 近所には疎水沿いの遊歩道や公園があって、散歩するには都合がいい。歩いているうちに、繁華街まで行ってしまうこともある。街では大体、デパートや駅ビルの書店で時間を過ごし、そのあとDコーヒーに寄る。この店はわりとうまいし、一杯180円と安いからだ。
 テーブルの席でいつものブレンドを飲んでいると、隣の席に一組の老人の男女が向かい合ってコーヒーを飲んでいた。夫婦というのでもないようだ。聞くでもなく、耳に入ってくるまま、二人の会話を聞いていた。
「もう65歳になったなんて、本当にショックですよ」
 女性がしゃべっている。
「70歳を過ぎると、一年過ぎるたびに、生きていて有難かったと思うんだそうですね」
 男性が答える。
 自分が年寄りになったことにまだ実感が持てない、という感じで、二人は話している。そういえば、まだどちらも元気そうで、いわゆるハイカラだ。見るからに老人というのではない。話しているのは、もっぱら女性の方だ。
「この前なんか、友達と入る墓がどうとかって話になっちゃって、あんたはあるのか?とか、私はあそこに入れてもらう、なんて話ばかりで、まったくやんなんちゃった。でも、本当にそういう年なんですよね。ああ、やだやだ、もうこんな話は止めましょう」
 ばあさんの方は、いやだ、いやだというわりには、もっと話したそうに見えた。
 この老人の男女は、職場の同僚か何かと思っていたが、どうも何か雰囲気が違う。もう少し男女の間柄に近い関係なのかもしれない。あるいは、昔の恋人どうしだろうか。
 じいさんの方は、女性の話にちょっと戸惑いながらも、まんざらでもないようだ。
「昔は他人事だと思ってたけど、自分もそうなんだと思うとほんとうにやんなっちゃう。自分じゃ気づかないけど、今の私もあんなふうに見えてたのね」
 女性は何分元気がいい。というよりも、明らかに華やいだ気分がある。きっと、この男性と一緒にいることにウキウキしているのだ。なんとなく、こちらの口元が緩んでしまう。
 男性はときおり周りを気にするように、チラッと視線を送ってよこす。
 こちらは聞いていない振りをしている。冷やかす気なんてない。それより、別のことを考えていた。

 以前に別れた女性と、こんな風に逢ってデートしたら、やはりウキウキするだろうか。するかもしれないが、きっとそれだけでは済まない。胸の中には今もまだ解けない塊りのようなものが残っている。まだ、生々しさのほうが強い。
 どうせなら、子供の頃に好きだった女の子と、年を取ってからお茶のデートでもできたら、もっと自然に屈託なく楽しいだろう。
 そんなことを考えているうちに、老人のカップルは仲良く店を出て行った。(2004年10月8日)
 


川のノクターン  

 深夜の1時を過ぎて、夫は、まだ机のそばで仕事をしていた。古代史の資料を読んで、そろそろ原稿にしなければならない。だが、本当のところは、まだやる気になれないのだ。

 10時半ごろに仕事から帰ってきた妻は、もうベッドの中で眠っている。1週間のうちで一番遅く帰ってくる忙しい日だったわりには、妻の機嫌は案外よく、「ただいま」という疲れた声の中にも一種、穏やかさがあった。夫はそのとき、1日分の皿を洗い、その皿も拭いてしまい、テーブルで新聞を読んでいた。上着を脱いだ妻が風呂に入りたいというので、腰をあげ、風呂の湯を張った。
 そういえば、妻は出掛けるとき、風呂を沸かしておいてくれと頼んでいたのだったが、夫の方が忘れていたのだ。妻はこの1ヶ月ほど病院の検査に通っていた。診断の結果は、幸いにも良性だった。
 風呂を出ると、しばらくテレビを見たり、ベッドでクロスワードパズルをしていたが、妻はやがて寝てしまった。夫はまた自分の机の前に戻ってきた。

 静かな夜だ。このあたりは、昼間は主婦の話し声や子供の遊ぶ声でうるさいのだが、深夜になるとそれもなく、ときおり表通りを車が通り抜ける音が聞こえるだけだ。
 夫はもう仕事はやめて、ぼんやり考え事をしている。原稿を早めに出せば、稿料は半分ほど早めに支払ってもらえる。そんな約束だ。しかし、そこまでの形を整えられるのか、今のままでは覚つかない。まだ構成も詰めきれていない。

 あきらめて、今度は川のことを考えた。
 もう10月になったので、川は禁漁期に入ってしまった。今年はあまり釣りに行かなかった。たぶん、数回しか行っていないはずだ。この20年間で最低だろう。しかし、春先には型のいいヤマメを何匹か釣った。あれだけが今年の釣りのいい思い出だ。
 来年の春までずいぶん遠い、と夫は思った。そのうち冬だってやって来るのだ。(2004年10月4日)









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