- 2004年改めて向き合う「成田空港」 -
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2003年3月某日 成田空港第1ターミナルにて
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新年を迎えて、自分の中でホームグラウンドである成田空港と改めて向き合おうという気持ちが芽生えています。
ヒコーキ写真に感化されて約1年が過ぎました。撮影を始めた頃に比べれば少しずつではありますが自分が意図したようにヒコーキ写真を撮れるようになってきたように思います。「麻疹(はしか)」のように突然感化されたヒコーキと写真の世界。カメラもレンズも持っていない「ゼロ」からのスタートだった私にとって、全てが手探りだったカメラの世界。正直なところ女房に内緒で随分とお金も使っているのですよね…。この「野放し状態」がいったい何時まで続いてくれるのか?ドキドキものです。
撮影を始めたばかりの頃、先のエッセイにもご紹介した通り「伊丹空港」との出会いがありました。著名な皆様の伊丹での素晴らしいヒコーキ写真たち。この頃の私は「伊丹に行けば、俺だって…。」みたいな気持ちを何処かに持っていました。もうちょっと付け足すと「成田空港の環境だから迫力の有る良い写真が撮れないのだ。(含反語:伊丹なら撮れるのだ)」と。まーどうにもヘタレな私が考えそうなことですが、これは大きな勘違い。伊丹空港に行ったってそれを表現する「腕前」が無ければ、結局どうにもならんのだ、ということをこの1年間の経験の中で思い知りました。それはつまり今思えば、思うような写真を取れないのは環境のせいであると言い訳している自分が居たのだと思います。
昨年2003年の1年間、伊丹空港2回・那覇空港1回・熊本空港1回と各地の空港を訪れてみて改めて心に思うこと。それは「わたしは成田空港のヒコーキ写真マイスターになりたい」ということ。もっと簡単に言えば、ヒコーキ野郎たちの中で「成田空港での情景写真と言えば『ねねパパ』が居るね。」なんて言われてみたい!ということです。情景写真には比較的不向きな環境であると勝手に思いこみ、成田での自分の作品にどこか最後の一歩を踏み込む愛着がなかったように思えていたのは、私の深層心理に「成田では所詮…。」なんて気持ちがあったからではないのかな?と振り返っています。でも、決してそんな事は無いのですよね。表現する側にその明確な創作意図と愛着さえあれば、その可能性はきっと無限大なんだっ!、と2003年11月の秋の空の下、新たな気持ちが芽生え始めたのでした。そしてその気持ちを今、明確に文章にして自分と向き合わせようとしています。
成田空港だって、いくらでも撮れる!もっともっと撮れる!もっともっと上質なヒコーキ写真が撮れる!まだまだ撮れる!見てろよ!待ってろよ!最近はココロからそう思える自分が居ます。空回りする事もしばしばですが(笑)。2004年は新たな気持ちでホームグラウンドである成田空港と向き合い大好きなヒコーキたちの写真をもっともっと上手に撮って行きたいと思います。
(2004年1月1日 元日)
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