- 「古いもの」には価値がないの? -
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ワタシのお仕事は、世間一般のコトバでいうと「IT関連」のお仕事。でも華やいだ部門ではなくて、結構「泥臭い」「地べたを這いずり回る」系の部門でね。別に仕事の事を云々言うつもりはないのだけどさ。とかくITって会社経営の基盤・情報中枢なわけで「ライバル他社よりも」「一秒でも早く」「情報に価値があるうちに」「その情報を利用して利益を上げる」ような空気をヒシヒシと感じる現場なわけですよ。ひとたびシステムトラブルが発生しようものなら、どうなっているんだ?なぜ、そうなったのだ?誰が責任を取るんだ?賠償請求も覚悟しておけ!なんて現場で追い込まれて、現場から会社に戻れば、社内のボンクラ上司どもまで異口同音。をいをい、誰も味方なんていやしないじゃない。まー、仕事だし、自分のミスは認めるけどさ。そうでないものまで?と思うと、やっぱりヤレヤレなんだよね。
って、スイマセン、別に愚痴るのがこの文章の目的ではないのだけど。最近、というかここ数年よく思うことがあるのよね。それは、、、「皆、そんなに急いで何処行くの?」ってこと。どんなことにも、そう。朝、出社する道だってさ皆歩くの早いよね。大好きな単車だって一昔前のGPマシン並みの性能を持った市販車が続々ラインナップ。どんな商品も、現場にも、生活にも、どこか忙しない「急いでいる感」が溢れている様な気がしてさ、それを感じるたびに妙な疑問マイナス・スパイラルに入っていくのよ。
カメラもそうかな、一眼デジタルカメラ。この商品の登場でワタシの写真生活は一変してその恩恵を最大限に享受しているのだけど、約18ヶ月のサイクルで次々と生まれ変わる「商品」たち。もちろん、需要があるから供給があるわけで。そのこと自体には特になんとも思わないのだけどさ。ふとふり返る、とちょっと前の「最新鋭」商品たちが「時代遅れの産物」みたいな扱いで中古市場のショウケースに並んでいるのを見ると、複雑な気持ちになるのよね。
商品として世の中に出た時には20万円を超えるような値段がついていたモノも、今では3万円とか、そんな値段で売買されている現実。ワタシのように「買う側」からすればとても有難いことでとても嬉しいのだけど、ふと我に帰る瞬間があるんだよね。それはさ「古いものには、本当に価値がないの?」って事。
資本主義の社会、商品価値として認められないものは市場から去るのが原理。そんなことはわかっているつもりなんだけど、ちょっと怖くなるのが「商品以外の事にも、古いものには価値が無い」と捨てていってることがあるのでは無いかな?ってこと。ヒトの存在であったり、思想であったり、コトバであったり、簡単に「古い」って決め付けて捨てて行こうとしている世の中の流れが、最近怖いと感じるようになったりしてます。
自分の社会生活が「全力で急いで古いものは捨てていく環境」だから、せめて自分のプライベートは「ゆっくりと踏みしめていく環境」でありたいと思うのよ。そんなキモチもあってか、先日突如思い立ってフィルムカメラを一台購入。もちろん中古。でもね、10年前はフラッグシップと言われた名機。「商品価格」という現代の価値は当時の1/8程度。嬉しいね、そんな値段で買えちゃうなんて♪ワタシの手元に来た「EOS-1N-HS」君は結構キレイ。ちょっとグラマラスで丸みを帯びた色っぽいボディー。使用感も殆ど感じない逸品。当然仕事はキッチリこなしてくれて、露出のクセ無し。ファインダーは見やすくてシャッター音も「シャキーンッ!」ってね。その気にさせてくれます。金銭的な関係上、ガンガンフィルムで撮影というわけにはいかないのだけど、一枚いちまい、じっくりとシャッターを押すあの感覚を「ゆっくり」と楽しんでいます。
少し前から、若干「義務感」のようなものに追われていたような気がする「ヒコーキ撮影」というプライベートな時間。なにか今の自分を見直すきっかけが欲しいと思っていた状況に、フィルムカメラの再登場は良いきっかけになったと感じています。・・・って、MFのNIKONも残っているのにね、使ってあげなきゃね。でもEFマウントレンズ資産を有効に使いたかったのよ。
本当に「古いもの」には価値がないのかな?
今はそう思いたく無いから、とりとめもないキモチを文章に残しておきます。
(2007年6月12日)
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