タイトル

《 日高市編 》

日高市

日高市で確認できた団体は5団体ありました。
その他、田木にあったという囃子連は地元の方に
聞いたところ現在は活動されていないようです。

※表記は数字優先のアイウエオ順です。

日高市の囃子連

※表記順は数字優先のアイウエオ順です。
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《 上鹿山囃子連 》
カミカヤマハヤシレン
上鹿山
囃子の流派は王蔵流(王蔵院流旧祭囃子)。
昭和30年以前、福原村(現川越市)中台より伝承という。
狭山市柏原からとの話もあり、詳細は不明。現在の山車(屋台)は
大正14年頃に 飯能市宮本町から譲渡された。
飯能市宮本町へは砂川村から購入されたとの説もある。

《 こまがわはやし連 》
コマガワハヤシレン
高麗川
囃子の流派は不明だが、上鹿山から移ってきた人が伝えたという事から王蔵流か。
昭和30年頃に青梅市成木から山車を買ってきたのを期に囃子をはじめたという。
以前は高麗川地区と四本木地区の合同で祭りを行っていたが、四本木地区が独立。
その際「祭りばやしの会」から「こまがわまつりはやしの会」へ改称。更に平成22年に
「こまがわはやし連」となった。山車は一本柱の高欄をもつ、めずらしい山車だが
随分作り直したらしい。先日の取材で青梅市北小曽木(現成木八丁目)の屋台で
あった事が判明し。当時は2段屋根を持つ屋台型。車台部分を見ると一本柱を支える
構造が残されているので、2段屋根の前には一本柱を建てた人形山車だった可能性がある。
当地に譲られた段階で当初の一本柱型に戻されたようだ。車輪はタイヤだが、譲られる
時に北小曽木で車輪は現在の山車へ流用していた為、ゴムタイヤがつけられたようだ。
木鼻が前に迫り出した南高麗型としての構造も注目すべき点である。

《 四本木囃子連 》
シホンギハヤシレン
四本木
囃子の流派は不明だが、後述のこまがわはやし連と合同で演奏を行っていたことから
王蔵流か。平成21年に地元に公園が出来たことから地元でお祭りをと、山車を
新調し、四本木囃子連として独立した。山車は平成21年に同市、石井工務店の製作。
4つ車、廻り舞台の屋台型。前輪に梶が付く。棟梁は宮大工で神輿の製作も行っている。
廻り舞台の構造に特徴があり、中央の回転軸だけで囃子台より上の構造を支えている。
補助で滑車が付いているが、囃子台に乗る人の重量によって傾いた際の補助でしかない。
回転軸は樫の木で囃子台より上が浮いている状態となる。山車はバラせるように作られ、
現在山車庫が無いため、囃子台から上をバラし、会員の車庫へ仕舞われている。
まだまだ進化途中とのこと。

《 高萩囃子保存会 》
タカハギハヤシホゾンカイ
高萩
囃子の流派は旧囃子ということ以外、不明。百年以上前に所沢から
習ったという説もあるが、狭山市の柏原から習った囃子らしい。
囃子は戦時中は中断、戦後の昭和25年頃より復活。
山車(屋台)は地元の製作らしいが製作年は不明。四つ車、唐破風付きの
屋根を持つ囃子台。屋根を支える柱が4本で、向拝柱(前柱)がない構造は
他地区に見られない特徴的な形状。車台には腰板が嵌められる。
平成21年に改修が行われ、囃子台より上が地元大工の手により新調。
4本柱構造は引継ぎ、銅葺きの屋根に生まれ変わった。それに伴い太鼓の
配置が変更された。車輪は川越の横溝木工所により新調。平成22年に
梶棒が取り付けられ、念願の曳き廻しが行われた。

《 原宿囃子連 》
ハラジュクハヤシレン
原宿
囃子の流派は小田原囃子若狭流。
飯能市柳原から移ってきた人が昭和50年代に囃子を伝えた。
その後平成3年に一見、底抜け屋台だが床がある屋台を製作。
平成9年頃に飯能市前田より囃子を伝授されたとされる。

《 武蔵台囃子連 》
ムサシダイハヤシレン
武蔵台
囃子の流派は小田原囃子若狭流。
平成12、3年頃に囃子連が結成された。所沢市御幸町出身の方が町内の有志に
重松流を伝え、地元小学校から借りたリヤカーに太鼓を乗せて町内を廻ることから始めた。
現在の山車(屋台)は有志による手作り。パンクしていた軽自動車を購入し、
車台を利用して皆で作り上げたという。今でもコツコツと手を入れ続けられ進化し続けている。
四つ車、唐破風付きの屋根を持つ山車(屋台)で前輪に梶が付く。
今年から流派が変更となり、小田原囃子若狭流となる。飯能市宮本町出身の方が伝えている。

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