タイトル

《 入間市編 》

入間市

入間市の大きな祭りとして扇町屋の「お燈籠様」と「入間万燈まつり」が
あります。「お燈籠様」は昔からある祭りで「入間万燈まつり」は
囃子の他に創作太鼓やバンド演奏なども行われる市民祭りです。

「お燈籠様」(写真左)・「入間万燈まつり」(写真右)
おとうろう様 万燈まつり

入間市には20の団体が確認できました。その内、上藤沢、河原町、
4区(現宮前町、鍵山)が活動を休止中との事。

入間市の囃子連

※表記順は数字優先のアイウエオ順です。
※写真(画像)の無断使用、転載等禁止。

《 新久はやし保存会 》
アラクハヤシホゾンカイ
新久
囃子の流派は神田囃子隠岐流。
江戸時代中期〜末期に江戸と交流するうちに囃子を習ったとされる。
また明治初期に東京神田で仕事をしていた地元の人が神田囃子を習い、
地元の若衆に伝授したとも言われる。飯能、越生、坂戸、川越に伝わる
大橋流の祖とされる囃子。昭和42年に保存会が発足。山車(屋台)は
唐破風付きの屋根を持つ屋台型の山車で4つ車。前輪は突き出した木鼻に
付けられる。以前は神武天皇の人形を乗せた山車だったとも伝わる。他に
ヤグラと呼ばれる車輪付きの小さな屋台があるが、以前はヤグラミコシと
いって担いでいた。ヤグラでは、祇園囃子が演奏される。

《 桂はやし保存会 》
カツラハヤシホゾンカイ
桂囃子保存会
囃子の流派は小田原囃子若狭流。
昭和21年に飯能市原町より伝授。昭和30年代に一時中断したが、
昭和40年代に復活した。桂囃子保存会は、南峰囃子連と木蓮寺囃子連が
合併した団体で、原町から伝授を受けたのは南峰囃子連。南峰囃子連から
伝授されたのが木蓮寺囃子連であった。同じ桂川神社に奉納していた関係で
平成2年に合併したのだという。山車(屋台)は南峰囃子連が昭和25年頃
製作した山車があったが、老朽化したため、昭和59年に会員の大工さんら
3人を中心に製作された。4つ車、唐破風付きの屋根を持つ屋台型の山車。
底抜け屋台も所有しており、現在のものは2代目。旧来の物から平成7年に
会員の手作りにより新調された。

《 賀美町囃子連 》
カミチョウハヤシレン
賀美町
囃子の流派は神田囃子隠岐流。
昭和3年頃結成、同市新久より伝授され居囃子をおこなったらしい。
山車(屋台)は2台あり、大きい方は戦後からある山車の台車部分を利用し
昭和58年に新調されたもの。小さい方は平成2年に新調されたものらしい。
こちらはゴム製のタイヤが特徴。どちらも同市の宮大工、田代甲平氏の作。

《 上藤沢のはやし 》
囃子の流派は重松流であったといわれる。
所沢市林へ昭和22年に囃子を伝授。八王子へ頼まれて
演奏しに行ったこともあったらしい。残念ながら
現在は活動していないという。後継者がおらず囃子の技術が絶えて
しまったといわれる。活動休止後、所沢市林から上藤沢へ2回くらい
師匠への恩返しに囃子を奉納したことがあった。それ以降は
他地区の囃子のテープを流していたらしい。
(弟子にあたる、所沢市林で伺った話を元にしました。)

《 河原町舞子連 》
カワラチョウマイコレン
河原町
囃子の流派は入間市高倉から習ったとされることから
江戸囃子(神田若狭流)であったと思われる。現在は囃子を出来る人が
町内から移転してしまって残っている人がほとんど居なくなってしまい
休止中とのこと。伝承年なども不明である(伝授元の同市高倉の話では、
同市春日町とほぼ同時であろうとのこと)。山車(屋台)を所有して
いたが、囃子連の休止後、同市春日町にある春日神社に寄付されたという。
現在は黒須囃子保存会が神社より山車(屋台)を借り、各祭礼で曳き出している。
製作は地元大工の山田武平氏。屋台型の山車で四つ車。前輪に梶が付く。
※写真は春日舞子連(現黒須囃子保存会)の手により曳き出された元河原町の山車(屋台)。

《 黒須囃子保存会 》
クロスハヤシホゾンカイ
黒須
囃子の流派は神田囃子古流というが、黒須囃子保存会の前身である、
春日舞子連が昭和25年の結成時に高倉舞子連(当時の名称、現在の
高倉郷土芸能保存会)から習っている。その点から江戸囃子(神田若狭流)と
考えられる。以前は底抜け屋台を有していたが、処分され、現在では、
地元春日神社所有となった元入間市河原町の山車(屋台)を借り、その上で
演奏を行っている。平成18年より春日舞子連から黒須囃子保存会へ改称。
詳細はこちら。

《 北中野はやし連 》
キタナカノハヤシレン
北中野
囃子の流派は重松流。
昭和50年頃に、東京都瑞穂町長岡(長岡はやし連)より伝授。
山車(屋台)は地元大工と有志の手作りとのこと。
部材の提供など寄付もあって平成5年11月に完成。
最近は曳きまわしは休止中とのことだった。(平成15年時点)
詳細はこちら。

《 志茂町はやし連 》
シモチョウハヤシレン
志茂町
囃子の流派は神田囃子隠岐流。
昭和22年頃に新久より伝授。その当時は新久より山車(屋台)を
借りて祭礼を行っていたらしい。現在、山車(屋台)は3台あり、
大きい山車(屋台)は昭和27年(〜29年頃と諸説あり)の4月に
越生町仲町より購入。越生町仲町の前は川越の志義町(現仲町)のもので、
天保7年に再建されたもの。小さい山車(屋台)は昭和50〜53年頃の作。
特殊芸能として足踊りも新久より伝わっているのも見逃せない。
詳細はこちら。

《 新光囃子連 》
シンコウハヤシレン
新光
囃子の流派は小田原囃子若狭流。
昭和57年に飯能市原町より伝授。山車は2台あり、大きく古いものは、
昭和61年に毛呂山町本郷より譲渡されたもので、その前は越生町仲町で
曳き回されていた花山車と確認。もう1台は屋台で古い方の曳きまわしが
できないため、後から作られたもの。町内はこの屋台を曳きまわす。

《 高倉郷土芸能保存会 》
高倉
囃子の流派は正確には不詳だが江戸囃子(神田若狭流)といわれる。
嘉永年間頃に始まったとされる。明治初期には川越市新宿の協力で
盛んになったといわれる。置き屋台1基、山車(屋台)1台、太鼓ヤグラ
1台を有する。近隣各地に囃子を伝授しており、弟子が多い。若狭流とは
別に祇園囃子も太鼓ヤグラで演奏されている。置き屋台は昭和4年製作。
現存する台座の部材から製作当初は車輪がついていたようだ。現在、車輪がなく、
囃子台部分のみで格納庫からレールを設置し曳きだされる。以前は人力で
担ぎ出していたが昭和3、40年頃にレール方式となった。その前には、
同市黒須(四区舞子連)にあった山車の車輪を借りて曳きまわしたという。
また、逆に黒須(四区舞子連)へ屋台部分を貸し出していたこともあった。

《 奈賀町はやし連 》
ナカチョウハヤシレン
奈賀町
囃子の流派は神田囃子隠岐流。
昭和5年に囃子連を結成。戦時中は中断するが、昭和22年に再結成。
昭和23年に同市仏子より伝授されたらしい。山車(屋台)は2台あり、
大きい方は17年くらい前の作、小さいほうの山車(屋台)は
大きい山車(屋台)の製作から2年後に製作されたもので、同市の
宮大工、田代甲平氏の作。この2台より以前に同市仏子から
譲られた山車(屋台)があったが、狭山市下諏訪へ譲渡され、現存。
詳細はこちら。

《 西三ツ木囃子連 》
ニシミツキハヤシレン
美津木
囃子の流派は不明。江戸末期には祭りがあったらしいが、囃子は明治初期頃から
盛んになったらしい。神田囃子流の系統だったものが、明治初期に相模地方の祭り囃子と
交流することで独自の囃子になったという。戦争で一時中断。
昭和23年に復活。昭和35年頃に中断するが昭和49年に復活した。
足踊りは昭和49年頃、新久より伝授されたという。山車(屋台)は
明治中期に狭山市笹井から購入したものとされる。唐破風付きの屋根を持つ屋台型の山車で、
4つ車。前輪に舵が付く。太鼓ヤグラもあり、祇園囃子が演奏される。
詳細はこちら。

《 二本木囃子保存会 》
囃子の流派は新囃子桜川流。
戦争で長く中断していたが昭和56年に再結成。
山車は昭和63年の製作。

《 野田三区祭り囃子愛好会 》
囃子の流派は神田流馬流。
昭和50年に野田青和会野田囃子連より伝授。
地元有志が樽御輿を担ぎ、リヤカーに太鼓をつけて曳き回したのが始まり。
残念ながら、現在休止中。メンバーは野田青和会野田囃子連で活躍している。
地元製作の太鼓櫓があったが、現在は入間市議会の万燈として
万燈まつりで使用されている。

《 野田青和会、野田囃子連 》
野田青和会
囃子の流派は神田流馬流。
明治15年頃に東京の神田明神に行き習ったという。この時習ったのが
新囃子で、それ以前に古囃子があったと考えられる。新囃子とともに、
古囃子も伝わっており、旧時代の囃子を聴くことが出来る。この他に、
祇園囃子も伝わっており、太鼓櫓で演奏される。山車は明治期製作の
素戔嗚尊(スサノオノミコト)をのせた人形山車があったが、昭和30
年頃に人形を残して青梅市黒沢へ譲渡。昭和35年、地元、諸井福重氏の
手により現在の屋台型の山車が作られた。彫刻師は東京都向島の西田光次氏。
廻り舞台を擁し、前面の左右木鼻に龍の彫刻があるのが特徴。最近では境内に
飾り置かれ、近年製作の山車(屋台)と底抜け屋台(櫓)で地区内を廻る。
この山車(屋台)は、地元、諸井福治氏の製作。底抜け屋台(櫓)は中村重雄氏の製作。

《 仏子囃子保存会 》
ブシハヤシホゾンカイ
仏子
囃子の流派は神田囃子隠岐流。
入間市新久より伝授。以前は青友会を名乗り、昭和40年に
仏子囃子保存会を発足。山車は3台あり、大きい山車(屋台)は
昭和の初め頃(恐らく昭和12年頃)の作で作者は諸井福重氏。
彫刻師は池田信之。東京深川より材料を購入し製作された。
この前にも山車(屋台)があったが新山車製作にあたり、豊岡の
ほうに譲ったという(豊岡奈賀町に譲った。現在は狭山市下諏訪を経て入間市坊の所有)。
写真の山車(屋台)のほかに、小さい山車(屋台)と太鼓ヤグラを
所有している。こちらは最近の作とのこと。

《 坊囃子連 》
ボウハヤシレン
坊囃子連
囃子の流派はあだち流。
戦前に囃子があったが、流派は不明。戦中の中断後、戦後に浅草で囃子を
見聞きして覚え、地元に伝えたという。その後中断し、昭和41,2年頃に復活。
平成になり、流派があだち流となった。昔は山車があったが、いつ頃かは分からないが
無くなってしまった。人形はなく、屋台型であったようだ。その後はトラックに太鼓をのせて
地区内をまわった。平成10年くらいに製作された掛け屋台と平成20年に東京都瑞穂町高根の
祇園屋台を参考に地元の大工の手で屋台を製作。底抜け屋台のように歩いて演奏が行われていたが、
平成23年末に狭山市下諏訪の山車(屋台)を譲渡され、平成24年にお披露目された。
唐破風付きの屋根を持つ南高麗型の山車(屋台)。元々は入間市仏子で建造された山車(屋台)で
作者は入間市新久の大工とされる。仏子→入間市奈賀町→狭山市下諏訪→入間市坊へと
譲渡を繰り返すうち、数々の改造が為され、現在に至っている。

《 四区舞子連(現在の宮前町、鍵山両地区)》
ヨンクマイコレン
囃子の流派は入間市高倉から習ったとされることから
江戸囃子(神田若狭流)であったと思われる。現在は後継者不足から休止中。
囃子の始まりは戦後の昭和26,7年とされる。それ以前は高倉より囃子連を
呼んで演奏してもらっていたという。山車は囃子連結成前には屋台型の山車が
地元のお寺にあったらしいが火事で燃えてしまったといわれる。幸い、
車輪だけはお寺の縁の下にあったため難をのがれた。この車輪を高倉の山車(屋台)
の囃子台より上を借り受けて取り付け、曳き回したと言う(高倉では車輪が
ついておらず、置き屋台とされていた)。その後、後継者が少なくなり、
昭和37,8年頃で活動を休止したという。

山車のみ保有している地区

《 入間向陽台団地自治会 》
向陽台
地元の団地の前で万燈まつりが催されているので、有志が子供達に
曳かせようとリヤカーに万燈をつけてた万燈山車を製作し、平成5年くらい
から万燈まつりで曳き回しを始めた。現在の山車は平成10年頃
から少しずつ仕上げていったもので、すべて有志の手作り。演奏は
テープで囃子を流している。万燈まつりでは子供たちを乗せ、曳き回される。

=番外=

《 入間市議会 》
入間市議会
囃子の流派は神田流馬流。
平成初め頃に入間市野田青和会より伝授。
希望者を募って結成された。万燈まつりで万燈山車を曳きまわす。

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