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《 北山田(網代)囃子連 》
北山田(網代)の山車(屋台):平成17年撮影
北山田(網代)の山車(屋台)、正面と側面。舞台のみで楽屋はない。:平成17年撮影
北山田(網代)の山車(屋台)での演奏。曳き廻しは行われず、居囃子となる。
本文には無い、大阪天馬という曲も披露された。数え唄とニンバの間に演奏され、
この大阪天馬を3回繰り返し、ニンバへと入るというのが決まりだとの事。:平成17年撮影
昔は獅子頭を持って各家庭を廻ったが、今は右写真のような台車に載せられ
地区内を廻る。左写真は行列が浄国寺へ戻ってきたところ。:平成17年撮影
川越まつりにて宮下町の山車の上での演奏:平成15年撮影
囃子の流派は芝金杉流。
元々、当地には江戸時代から古囃子があったとされる。
明治初期頃に網代囃子連が結成され、その頃は古囃子を
やっていたようだ。地元、浄国寺の和尚さんが親睦を
図るため、若衆に囃子をやらせ、祭りで演奏を行った
という。明治33年には、同市今福より、芝金杉流の
囃子を伝授された。伝授は2,3年続いたという。
今の代の方たちの先々代の方たちが伝授を受けたという。
曲目は、インバ、屋台、宮昇殿、鎌倉、師調舞、数え歌、
子守り唄、トッパトーガクがある。近隣の石田へ明治頃に、
坂戸市紺屋へは明治37年に、それぞれ、芝金杉流の
囃子を伝えた。戦時中は休止したが、戦後には復活。
復活直後の昭和22年に北山田囃子保存会を結成。
現在に至っている。川越まつりでは、宮下町の山車に
乗っているが、これは50年位前から続いている。正確な
年代は、はっきりとはしないが、市制30周年記念の年には
もう、乗っていたという。宮下町の山車が出来る以前の
馬力(バリキ)という、馬で曳く荷車(荷馬車?)に似た
ものを台車として、その上にヤグラを組んだ屋台のような
山車を曳き回していた頃から乗っているのだという。
宮下町に知り合いが居たため、山車に乗る依頼がきたので
あろうとのこと。近年では宮下町の子供たちに囃子を
教えており、川越まつりでは会所前に設けられた掛け屋台
にて、子供ばやしが行われている。地元にも山車があり、
それは明治初期の作とされ、
唐破風付きの屋根
を持つ
屋台型の山車で
四つ車
。夏の天王様で曳きだされ、
その上で演奏が行われる。
(平成17年取材時点)
2005.10.13up
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