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川越市

《 牛若囃子連(元町一丁目囃子連)》
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元町一丁目、牛若丸の山車。左:平成17年撮影
山車(屋台)前 山車(屋台)後ろ

元町一丁目、牛若丸の山車の提灯装着時。:平成16年撮影
昼間は提灯を付けずに曳行されるため、山車には夕方、提灯が付けられる。
演奏時 演奏時2

牛若丸の人形。:平成17年撮影
人形 人形

川越祭りでの演奏。:平成16年撮影
川越まつり 川越まつり

囃子の流派は不明。昭和45年3月、川島村(現川島町)の飯島囃子連より
伝授(伝授元の飯島囃子連のほうでも流派は不詳とされている。牛若囃子連では
堤崎流の流れではないかと推測されていた。取材時に聞いた感じでも堤崎流と
全く同じではないが、似たようなフレーズが聴けた。今後、川島、桶川方面へ
入間郡近郊地区として取材する予定)。笛は飯島囃子連の師匠の吉見町
飯島新田より伝授。曲目はニンバ、ヤタイ、カマクラ、シチョウメ、
コモリウタ、カゾエウタ、ショウデン、カンダマルが伝わっている。
旧本町である、元町一丁目は、明治26年の川越大火で関羽と玄徳の人形の
乗った山車は焼失。それから、昭和30年までは居囃子や牛車を改造した
屋台などを曳き回したりしていたという。川田谷(現桶川市)松原の囃子連や、
牛若囃子連に囃子を伝授した、川島村の飯島囃子連が居囃子を行っていた
ようだ。現在、囃子連は近年の人数減少により、他地区からも会員を
受け入れている。町内より、他地区からの会員の方が多いくらいだというのだ。
現在の山車は昭和31年起工、昭和34年に本町の山車として(元町一丁目と
して祭りに参加したのは、昭和37年の市制施行40年記念の祭りから。
昭和35年が本町として山車を参加させたのは最後となった。)完成。
昭和34年時点では、人形がなく、飾り金具も未装着、幕も仮のものであった
という。起工は昭和31年であるが、昭和30年11月から山車建造委員会が
発足し、川越市各町内の山車を見学している。結果、相生町(現末広町)の
山車を作った、浦田文治氏に製作を依頼することになったという。製作には
浦田氏一門を初めとした職人らが大勢関わっている。その中には新宿町の山車を
製作した仲鶴吉氏や、現在、新富町一丁目の山車の製作を行っている田中光明氏
も製作に関わったといわれる。昭和34年7月には山車倉庫の製作も開始され
10月には完成していている。その間には寄付金も集められ、町内の方の多大な
苦労があったとされる。苦労の甲斐あり、昭和34年10月12日にお披露目が
行われ、晴れて日の目を見た。二重鉾、四つ車で 唐破風 の屋根を持つ囃子台で
廻り舞台 。総欅作りで間口2.25m、奥行き3.45m、高さ7m(人形なし
時点)。特に 木鼻 は秩父神社の御神木が使われており、いい材料なので木目を
生かすため、色は塗らないよう、浦田氏から言われたという。完成時、人形は
なく、ベニヤで金の御幣を作って掲げた。人形は牛若丸にすると町内で行った
アンケートで決まっていたため、下高欄には 牛若丸の一生 をストーリーに沿って
彫られている。山車向かって右側から、母、常盤御前が牛若丸を抱いて追っ手から
逃れるシーン、五条大橋で弁慶に勝ち、弁慶が謝るシーン、鞍馬山で烏天狗と
稽古をしているシーン、元服して神社へ参拝するシーン、黄瀬川河畔で兄、頼朝と
対面するシーン、安宅の関を抜け、義経が弁慶を誉めるシーンである。彫刻師、
斎藤高徳氏の作。車輪は町内の棒忠の作。人形が出来たのは、昭和44年で
京都の井筒雅風の作。同時に飾り金具、東京浅草宮本卯之助商店により、後幕、
四方幕、京都の(株)笠間の製作により、人形山車として完成を見た。
平成14年の市制80周年記念の祭りでは漆の塗り替え、唐破風上の龍の彫刻に
金箔が張られ、現在に至る。囃子連の演奏は、元旦の寿獅子、5月の元一稲荷神社
の祭礼で山車の上での居囃子。7月の百万燈祭り、10月の川越祭りが
主な演奏日となっている。(参考資料:元町一丁目小史)
(平成17年取材時点。)
2005.8.9up

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