《 第四考:八王子型一本柱人形山車の構造を探る〜所沢市御幸町、盛留立ち上げB 》
一本柱人形高欄(盛留)を立ち上げる作業の様子、最終回です。
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いよいよ、副木に一本柱が差し込まれ、軸が差されました(右写真)。
一本柱と密着して一本柱の支えとなる山車側の柱の滑車にロープが通され、
一本柱と繋がれました。これを引く事によって、一本柱を立ち上げます。
人形高欄(盛留)を支える持ち送りも付けられました。
人形高欄(盛留)台座の底板彫刻を嵌め込みます。裏面には「正面」の方向と、
「明治四十四年六月吉日 塗師 宮崎米吉」の記載がありました。
人形高欄(盛留)が持ち込まれ、一本柱に組み付けられます。
難しい態勢での作業は大変です。皆で支えながら差し込みます。
人形高欄(盛留)も取り付けが終了し、最大の難関であり、見せ場でもある、
人形高欄(盛留)の立ち上げです。これだけの人数でも一苦労なのです。
少しずつ、少しずつ、慎重に上げていきます。
苦労の末、人形高欄(盛留)が、とうとう、立ち上がりました!
人形高欄(盛留)の立ち上がった山車の前面、後面。
まだ、内部では、一本柱の固定作業が続いておりました(左写真)。
ヌキやクサビを使って固定され、棟木にあたる部位には化粧板が嵌め込ました。
これで作業は、ほとんど完了です。
少しの距離ですが(しかもバックでしたが)、人形高欄(盛留)を立ち上げたままで
山車が動きました。いつか、このままの状態で曳き回せる時が待ち遠しいです。
完成です!先ほどまで、手の届くところにあった人形があんなに高いところに。
神主さんに祝詞を上げて頂き、久しぶりの外の景色に関羽、周倉ともに
喜んでいることでしょう。
【所沢市御幸町、盛留立ち上げAへ】
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本や諸先生方のお話で構造は大体理解はしておりましたが、百聞は一見にしかずとは
このことです。やはり実際に見てみると理解は深まります。
取材にあたり、御幸町の方々はじめ、職人の方々や諸先生方、御協力頂いた方々に
御礼申し上げます。ありがとうございました。
2006.8.21up
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