◇
《 北永井囃子保存会 》
平成4年製作の山車
昭和28年製作の山車(屋台)。右側の写真は一本柱万度型で川越祭り参加時のもの。
重松流創始者、古谷重松の人形
囃子の流派は重松流。明治15,6年頃に重松流創始者、古谷重松氏を招き伝授された。
というのが通説ではあるが、明治7年に重松が奉納した絵馬には重松流を伝えた土地の名前が
短冊として描かれており、北永井の名もあったという。その点から、その頃には伝わっていたと
考えているとのこと。また重松流が伝わる以前にも囃子はあったようで、正確にはわからないが
江戸時代末期の文久年間(1861〜1864年、因みに明治元年は1868年)頃ではないかといわれる。
山車は2台所有しており、写真中段の昭和28年に製作された山車(屋台)と、
写真上段の平成4年に製作された山車がある。昭和28年製作の山車(屋台)は
内田角次の作で川越祭りでは南通町の山車として曳き回され、平成7年には
一本柱万度型に改造されたが、万度を立てるのは川越祭りでの曳き回しのみで、
地元の曳きまわしでは立てていないとの事。改造とはいえ山車(屋台)本体へ改造は施して
おらず、屋根に立てた万度を四方から支える仕組み。廻り舞台の屋台型の山車という点と
車輪がゴム製なのも特徴だが、以前は木の車輪だったとのこと。川越祭りには、
この山車(屋台)とともに、北永井囃子保存会が乗込み参加している。
平成4年製作の山車は行田市の高橋社寺建築工務店の作。人形は古谷重松で重松流の創始者。
岩槻の清法人形の作で、頭部は頭師の藤塚久雄、胴体は伝統工芸師、浅見法男の作。
笛を構えた姿で、身長が2m位あるとのこと。普段は頭部と胴体を別々の箱に入れ保管している。
唐破風の屋根に廻り舞台の二重鉾の山車は彫刻も含め、檜作りで、彫刻は別な木に彫られたものを
はめ込んだものではなく、枠になっている木に直接彫られている。(山車を車庫に
入れるときにお手伝いさせていただいたが、山車の重量は相当なものだった。)。
四つ車の車輪は固定式ではなく、取りまわしがし易いよう、前輪に梶がついている。
車輪部分には足等を車輪に挟まれ(踏まれ)ないようにするための鉄製のガードがつけられている。
川越の山車などでは前後の車輪に木材を渡して挟まれないようにしているという。なるほど、と
感心させられる装備といえる。この他にも昔ながらの山車に現代的な装備が施されている。
人形の迫り出しには巻き上げ用のハンドルがついており、このハンドルを回すと
上げ下げが出来る構造。現代版のオダマキといったところか。また、廻り舞台の回転部分は
ボールベアリングが採用されていたり(川越など他所の山車では、ローラーのような滑車が
円状に配され、それらが回転することで舞台を回転させる方法がほとんど。)高欄の上げ下げに
ラチェットが採用されているなど各所に現代技術が生かされているのも見逃せない所といえる。
この2台以前には先代の山車があったが焼却されてしまったとの事だった。
曳きまわしは大体、2年に1度の割合で行われ、地元を曳きまわす。その際、
新しい山車は神社前の通りで地元を往復するが、古い方の山車(屋台)は神社近辺を少し曳きまわす
のみとのこと。新しい方の山車には北永井囃子保存会が乗込み、古い方の山車(屋台)に
上富囃子保存会を招き、乗ってもらい、ヒッカワセを行ったという。
平成14にはシラコバト賞を受賞、平成15年2月に三芳町指定無形民俗文化財に
指定されている。演奏は北永井稲荷神社での1月1日の初叩き、4月12日の春祈祷、
7月25日の八雲神社の天王様、10月14,15日に近い土日の川越祭りで行われる。
(平成15年時点)
2003.7.27up
◇
※写真(画像)の無断使用、転載等禁止。
◇