タイトル

《 越生町編 》

越生町

越生町では7月24,25日に近い土日に「越生まつり」が行われます。
以前は「天王様」と呼ばれていた、この祭りでは6台の山車(屋台含む)
が曳き廻されます。曳き廻しは夕方5時頃より行われ、夜の9時ごろまで
行われます。祭りのクライマックスは2日目、7〜8時頃の公民館駐車場
にて行われる6台のヒッカワセでしょう。6台の山車のバックに花火が
打ち上げられ、祭りは最高潮に達します。また、近年では2日目の
午後1時頃より神輿に加え、底抜け屋台、手作りの山車(これらを含めると
祭りに参加している山車は8台となります)の曳き廻しなども行われ、
祭りを盛り上げていきます。また平成16年からは、1日目に「宵山」が
行われ、メイン通りに6台の山車が等間隔に並べられ、その場で居囃子が
行われます。

2日目の6町内のヒッカワセ(写真左)と、その最後に打ち上げられる花火(写真右)
ヒッカワセ 宵山

越生町には9つの団体があったと確認できました。
そのうち大谷囃子連は現在、活動休止中との事。

越生町の囃子連

※表記順は数字優先のアイウエオ順です。
※写真(画像)の無断使用、転載等禁止。

《 新宿町鼓吹連 》
アラジュクチョウコスイレン
新宿町
囃子の流派は神田囃子大橋流。
昭和5〜10年頃に越生町本町より伝授され、「親和会」を結成。
昭和47年頃に町内の若衆が「鼓吹連」を結成し越生町本町より
指導を受けなおした。その後、現在の「新宿町鼓吹連」に改称した。
山車(屋台)は文政10年に八王子市上八日町で建造されたものを
大正13年に小曾木か金子(瑞穂町高根の情報からすると金子からが有力か)
から購入とされる。建造時は盛留を立てた一本柱立て(八王子型)人形
山車(屋台)であったと推測される。屋根上に龍の彫刻があるのが特徴。

《 大谷囃子連(大谷越生囃子研究会)》
オオヤハヤシレン
大谷
囃子の流派は神田囃子大橋流。
昭和61年頃に越生町本町より伝授。
昭和59年に子供たちがリヤカーに櫓を組み、太鼓を乗せて
地元の納涼祭に参加したのが始まりだが、平成9年の納涼祭で
演奏したのを最後に現在は活動を休止しているとのこと。
(大谷囃子連所有の写真をご好意により掲載させて
いただきました。ご協力ありがとうございます。)

《 越生東二区囃子連 》
越生東
囃子の流派は神田囃子大橋流。
平成5年頃に越生町本町より伝授。
山車は平成14年に地元有志の手作り。
二重高欄、唐破風の屋根を持つ山車。

《 黒岩町囃子連 》
クロイワチョウハヤシレン
黒岩町
囃子の流派は小田原囃子若狭流。
明治25年に飯能市原町囃子連より伝授。
同じ越生町の河原町や坂戸市二丁目にも囃子を伝授した。
山車は明治27年に熊谷市鎌倉町の山車として製作されたとされ
(他から購入された可能性もある)、明治42年7月に
熊谷市鎌倉町より購入。三重高欄、唐破風付きの屋根を持つ囃子台で
三ツ車。人形は素戔嗚尊(スサノオノミコト)。
詳細はこちら。

《 上町囃子連 》
カミチョウハヤシレン
上町
囃子の流派は神田大橋流。
昭和12年に越生町本町より伝授。それ以前の昭和5,6年頃は
現鳩山町熊井の囃子連に依頼し、演奏してもらっていたらしい。
囃子連の結成は昭和24年。山車は大正8年に東京の谷中初音町一丁目と
上三崎町より購入。山車の製作は明治19年で両地区の山車として
製作されたが電線などの影響で曳きまわしが困難になったらしい。
二重高欄、欄間仕立ての囃子台で四つ車。人形は豊島左衛門尉経泰。
古川長延の作であったが戦後は傷みが進んだため山車には載せず、
岩槻の博物館に展示されていた。それを昭和63年に修復し山車に載せた。
詳細はこちら。

《 河原町和囃連 》
カワラチョウワソウレン
河原町
囃子の流派は小田原囃子若狭流。
昭和9年に越生町黒岩町の師匠より伝授。昭和49年に和囃連を結成。
山車は昭和12年に東京神田の宮長の作で明治時代からある花山車の車台を
利用して作られた。制作費は当時の金額で約千円といわれる。
二重高欄、唐破風付きの屋根を持つ囃子台。四つ車で前輪に梶が付く。
近年になって子供山車、底抜け屋台も製作され2日目の昼間に曳きまわされている。

《 上台区子供おはやし会 》
ジョウダイクコドモオハヤシカイ
上台
囃子の流派は神田囃子大橋流。
結成時期は不詳。会としては平成の始め頃からとのこと。
囃子の指導にあたった方が新宿町鼓吹連の所属で同町の囃子を
伝授されたという。演奏は地元上台区夏祭り、子供おはやし大会。
越生まつりでは居囃子で演奏している。
※越生町文化財保護課様より情報を頂きました。
御協力、ありがとうございました。

《 仲町囃子連 》
ナカチョウハヤシレン
仲町
囃子の流派は神田囃子大橋流。
昭和29年に現在の山車完成と同時に越生町本町より伝承。囃子は
それ以前からあり、開始は大正初期頃らしい。当時は旧囃子(小田原囃子
若狭流)をやっていたという。山車は、それまであった川越市志義町
(現仲町)から譲渡された山車(屋台)を昭和28年に、入間市志茂町へ売り、
それとは別に所有していた花山車を毛呂山町本郷に売ったお金を元にして、
不足分は町内会費を3倍にした上で製作、昭和29年に完成させたという。
二重高欄、唐破風付きの屋根を持つ囃子台に廻り舞台。車輪隠しの腰幕がある。
製作は地元大工、長谷竹松氏と神田のだし鉄。
詳細はこちら。

《 本町親和会 》
ホンチョウシンワカイ
本町
囃子の流派は神田囃子大橋流。
昭和5年頃に飯能市二丁目より伝授。同時に本町親和会を結成した。
その後、各地へ大橋流を伝授。越生町では新宿町、上町、仲町、大谷、
越生東二の5地区。その他、坂戸市一丁目、西坂戸、毛呂山町本郷、
川越市西小仙波などにも大橋流の囃子を伝授した。また昭和59年頃には
川越市通町の山車に乗って川越祭りにも参加したという。
山車は大正8年頃に東京神田宮本町の亀甲斎清秀(小倉秀太郎)の作。
その前にあった牛若丸の山車は毛呂山町に売ったという(毛呂山町で現存)。
二重高欄、唐破風付きの屋根を持つ囃子台に廻り舞台。人形は神武天皇。

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