タイトル

《 坂戸市編 》

坂戸市

坂戸市内で7月15日前後の土日に行われている夏まつりが市内で一番大きなお祭りで、
一丁目〜四丁目、粟生田の5台の山車(屋台)が曳きだされます。その他の地区も
ほぼ、この前後に祭礼が行われ、囃子が演奏されます。

曳き回しの様子と、各町内の山車(屋台)が集結し大神輿を囃子で送る「送り囃子」
曳き回し 送り囃子

坂戸の囃子連は、12の団体があったと確認できました。
その内、紺屋囃子連が活動を休止中途の事。

坂戸市の囃子連

※表記順は数字優先のアイウエオ順です。
※写真(画像)の無断使用、転載等禁止。

《 一丁目囃子保存会(一心会)》
一丁目
囃子の流派は江戸神田囃子大橋流。
昭和23年、越生町本町より伝承。
現在の山車は昭和37年に浅草、宮本商店から購入したものらしい。
詳細はこちら。

《 二丁目屋台囃子保存会(二葉会)》
二丁目
囃子の流派は小田原囃子若狭流。
昭和24年、越生町黒岩町より伝承。
山車(屋台)はそれまで一丁目と共同で所有していた川越の江戸町(現大手町)から
譲られた山車を元に、昭和3年に地元二丁目の手作りで屋台型に新調。
詳細はこちら。

《 三丁目三若連 》
三丁目
囃子の流派は?
昭和24年に川島町飯島より伝承。
山車(屋台)は、町内の大工の手により昭和3年に作られた。
詳細はこちら。

《 四丁目囃子連 》
四丁目
囃子の流派は江戸山王囃子木ノ下流。
昭和3年に坂戸市塚越より伝承。
山車はそれまでの三丁目との共同所有の川越から譲られた山車を元に
三丁目同様、町内の大工の手により昭和3年に新調。

《 粟生田囃子連 》
粟生田
囃子の流派は江戸山王囃子木ノ下流。
昭和51年に坂戸市横沼より伝承。
山車(屋台)は、地元有志の手により昭和52年に完成。

以上が坂戸市内で行われる夏祭りに参加しています。

《 赤尾囃子連 》
赤尾
発祥年は不明。流派は神田古流といわれる。近年、塚越から
ニンバのみ習っている。よってニンバは江戸山王囃子木ノ下流となる。
神田古流の曲で伝わっているのは「新ばやし」と「鎌倉」という曲のみとのこと。
また明治初期に玉川村一ト市へ伝授。一ト市では神田古流をよく伝えているらしい
詳細はこちら。

《 紺屋はやし連 》
紺屋
囃子の流派は芝金杉流。
明治37年に山田村(現川越市)網代より伝承。
山車(屋台)は、川島町角泉の大工の手により明治40年製作。
(紺屋はやし連所有の写真をご好意により掲載させて
いただきました。ご協力ありがとうございます。)
詳細はこちら。

《 嶋田囃子連 》
嶋田
囃子の流派は江戸山王囃子木ノ下流。
昭和5年に坂戸市塚越より伝承。
山車は昭和53年頃の作。

《 塚越はやし連 》
塚越
囃子の流派は江戸山王囃子木ノ下流。
明治32年に川島町井草より伝承。
山車は2台あり、大きい方は大正初期頃の作で、
小さい方は子供山車で、平成9,10年頃の作。

《 戸口囃子連 》
戸口
囃子の流派は江戸神田囃子大橋流旧囃子。
発祥年は不明だが、明治から大正頃に始まったのではないか
とのこと。囃子をどこから習ったのかは不明だが、
鳩山町の今宿へは当地より伝授した。昭和30年頃には一時
途絶えてしまったが昭和57年に伝授先の今宿より習い直し、
再結成された。戦前には山車(恐らく一本柱型の山車)が
あったが、解体され、現在はトラックの荷台に屋台を組み、
その上で演奏し地区を廻っている。夜は掛け屋台での演奏。

《 新堀のはやし 》
新堀
金山神社で行われていた囃子。明治30年くらいには廃れてしまっていた。
その頃に鳩山町熊井では、囃子を覚えていた新堀の方から習ったといわれる。
この事から、囃子の流派は鳩山町熊井と同じと考えられる。
また、残されていた道具は昭和5年頃に毛呂山町長瀬へ売却された。

《 武蔵城山はやし連 》
西坂戸
囃子の流派は江戸神田囃子大橋流。
昭和62年に越生町本町より伝承。
山車は、地元有志の手により平成3年に完成。

《 横沼囃子連 》
横沼
囃子の流派は江戸山王囃子木ノ下流。
明治44年(41年との説もある。)に川島町角泉より伝承。
以前は川越市中原の山車に乗り、川越祭りに参加した。
昭和47年には、その中原に山王囃子木ノ下流を伝授。
山車(屋台)は大正頃の作。この山車(屋台)は川越の神明町に
貸し出され神明町の山車(屋台)として横沼の囃子連が乗込み、
川越祭りで曳き回されている。また鶴ヶ島市鶴ヶ丘と松ヶ丘でも
依頼され、こちらは横沼の山車(屋台)として曳きまわされている。
詳細はこちら。

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