タイトル

《 狭山市編 》

狭山市

狭山市の現在活動中の囃子連は10団体、確認できました。
狭山市の大きな祭りとして入間川の七夕祭りがあり、囃子連も
山車を飾りおき、居囃子を披露します。その昔は5月に稲荷山で
つつじ祭りが行われ、各地区から多数の底抜け屋台が終結し、
祇園囃子を演奏したといわれます。「花見だ」というと底抜け屋台を
仕立て、花を飾って曳いていったものだとは地元の方の弁。
しかし、いつの頃にかつつじ祭りは行われなくなり、各地の
底抜け屋台も衰退していったとされます。

狭山市の囃子連

※表記順は数字優先のアイウエオ順です。
※写真(画像)の無断使用、転載等禁止。

《 青中囃子連 》
アオナカハヤシレン
青中
囃子の流派は地元では古流と呼んでいるが、同市菅原より昭和48年頃伝授と
いう点を考えると、江戸囃子神田若狭流と思われる。実際、演奏を聴くと若狭流で
あった。屋台は平成5,6年頃の作で軽トラックを改造して作られたという。

《 入曽囃子保存会 》
イリソハヤシホゾンカイ
入曽
囃子の流派は神田囃子徳丸流。
伝承経路は不詳。武蔵国豊島郡徳丸(現東京都板橋区)からという説もある。
昭和30年代に中断するが昭和45年に復活。
トラックの荷台に櫓を組み、地区内を廻る。足踊りも伝わっており披露される。
演奏には伝承先の西方囃子保存会からスケバチしてもらい師弟交流を深めている。
神社に戻ってからは掛け屋台で演奏が行われる。

《 鵜ノ木囃子連 》
ウノキハヤシレン
鵜ノ木
囃子の流派は不詳とされるが、昭和28年頃に入間市高倉から伝授された。
そのことから江戸囃子神田若狭流と思われる。その後、いつの間にか
やらなくなり、昭和50年頃に復活。現在は囃子連という形は特には
とっていないという。山車(屋台)は昭和28年に地元の大工達が製作。
四ッ車で唐破風の屋根を持つ屋台型で、前輪には梶が付く。
また、昔は底抜け屋台があったという。

《 柏原郷土芸能保存会 》
カシワバラキョウドゲイノウホゾンカイ
柏原
囃子の流派は不詳。伝承年代、流派ともに不詳であるが、
現在、メインで演奏されている、祇園囃子は入間市高倉と
同じであるといわれる。この他にニンバ、ヤタイなどの
囃子もあったが、現在では、ほとんど演奏されていないという。
昭和48年に会を結成するまでは有志が祭になると演奏して
いた。山車(屋台)は昭和50年頃の地元大工の作。
四ッ車で唐破風付きの屋根を持ち、前輪には梶が付く。

《 笹井囃子連(笹井豊年足踊り保存会)》
ササイハヤシレン(ササイホウネンアシオドリホゾンカイ)
笹井
囃子の流派は王蔵流。
川越市中台より伝授された。当地の特色である足踊りは、踊り手が
舞台で仰向けになり、両足に面をつけて踊るというもので、
江戸末期頃に桜井藤太郎が編み出したとされる。山車(屋台)は
昭和2,3年頃の作で四つ車、唐破風の屋根を持つ屋台型の山車で、
前輪に梶が付く。廻り舞台も擁している。飯能市の宮本町の山車(屋台)
を参考に地元の棟梁が作ったのだとされる。彫刻は八王子の彫り師。

《 下諏訪囃子保存会 》
シモスワハヤシホゾンカイ
下諏訪
囃子の流派は小田原囃子若狭流。
昭和47年に結成され、飯能市前田より囃子を伝授されたが、
平成23年頃には残念ながら解散。
山車(屋台)は四ッ車で唐破風付きの屋根を持つ屋台型。
昭和59年に入間市奈賀町より購入。購入時は前輪が大きく前に
迫り出した、木鼻を持つ山車(屋台)であったが山車庫に納まらないため、
木鼻を切り、長さを短くし、車輪を地元にあった牛車の前輪と交換。
そのため前輪が小さくなった。解散に伴い平成23年末に入間市坊へ譲渡された。

《 菅原囃子連 》
スガワラハヤシレン
菅原
囃子の流派は江戸囃子神田若狭流。
昭和41年に結成。入間市高倉より囃子を伝授された。
昭和60年には祇園囃子を同じく入間市高倉より伝授された。
山車(屋台)は四ッ車で唐破風付きの屋台型。前輪には梶が付く。
明治4年の作で、当時は神功皇后と武内宿祢の乗った鉾型の山車
であったという。人形の作者は横山共之。人形は現存していない。
川越の郊外の日高市寄りの辺りから譲渡された物で、昭和29年に
現在の屋台型へと改造された。この他に祇園囃子の屋台がある。

《 西方囃子保存会 》
ニシカタハヤシホゾンカイ
西方
囃子の流派は神田囃子徳丸流。
江戸時代に同市入曽より伝授されたといわれる。

《 広瀬囃子保存会 》
ヒロセハヤシホゾンカイ
広瀬
囃子の流派は不詳。王蔵流とも聞いているが、江戸から
伝わったものとも言われる。高倉と同じ囃子という説もあり、であれば
江戸囃子神田若狭流となる。曲を聞いた限りでは、江戸囃子神田若狭流
である可能性が高いが断定は出来ない。伝承時期も不詳だが、江戸末期頃
から囃子はあったという。山車(屋台)は四ッ車で唐破風付きの屋根を
持ち、前輪には梶が付く。昭和7年2月作の山車(屋台)の傷みが進んだため、
平成5年4月に車台から上を新調したという。祭礼時には山車(屋台)上で
居囃子を行う。また宮地ミニ屋台愛好会へは平成2,3年頃に囃子を伝授した。

《 堀上囃子連 》
ホリカミハヤシレン
堀上
囃子の流派は王子囃子。
三芳町上富より昭和60年頃、伝授された。地元、堀兼地区には2つの
囃子連があり、1つは上記の青中囃子連、もう1つが、この堀上囃子連である。
演奏は地元、堀兼神社の神楽殿にて行われる。上富囃子保存会とは交流が
続いており、祭礼で応援に行ったり来てもらったりしているとのこと。
※写真は伝授元の三芳町上富の天王様にて上富囃子保存会の初代屋台上での演奏。

《 本町の囃子 》
ホンチョウ
囃子の流派は古流とされるが、入間市高倉より囃子を伝授された
ことから江戸囃子神田若狭流と思われる。以前は他所から囃子連を
呼んで金毘羅様で奉納囃子をしてもらっていたが、昭和24年に
地元有志で囃子をはじめた。その後入間市高倉から囃子を伝授されたが
現在は活動を休止している。屋台型の山車が現存するが、永く
仕舞われたまま、曳きだされていない。

《 宮地ミニ屋台愛好会 》
ミヤジミニヤタイアイコウカイ
宮地
囃子の流派は不詳。同市広瀬から伝授されたことから、広瀬と
同じ流派である。平成2,3年頃に伝授された。
ミニ屋台は平成8年に地元大工の作。昔からあった底抜け屋台が
ダメになったので、新造されたのだという。停止時の演奏では
床板を嵌めて、その上に乗るが、曳き廻し時には床を外して、
底抜け屋台となり歩きながら演奏する。

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