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「えんとこ」上映会会場で寄せられたアンケートより抜粋してご紹介しています

['99年9月25日・26日 『ドキュメンタリーをノンフィクションする』
(彩の国さいたま芸術劇場)]

*『ルーペ』を観て
ルーペは何度も見ています。ビデオも持っているので家でも何度もみました。今回久し振りにスクリーンで観て、また泣いてしまいました。この映画の存在自体にどうしても押さえきれない思いが湧いてくるのです。伊勢さんはカメラマン瀬川順一を描くことで演出家である自身をも表現しました。(Y.Iさん 40歳 男)

瀬川さんという人が持っている、忘れてはならないことを自問自答し続ける力に驚嘆しました。そしてそれと同じ持続する志をもって映画をとっている監督の伊勢さん、がんばってください。(T.Tさん 26歳 男)

どんな劇映画より感動しました。瀬川カメラマンを通した語りから自然と人の在りようの本質を見せていただきました。「いるのにいない、いないのにいる」に同感です。また、瀬川さんの語り口調のいいこと。最後に涙が出ました。先の『えんとこ』では出なかった涙なのに。役者はいらない。公園でのインタビューの後の瀬川さんの顔のいいこと。(M.Hさん 52歳 男)

「できるだけ、わがままであろう」というのは、今現在自分自身でも感じ、そう出来ずに試行錯誤し、悩んでいるところです。それだけに、瀬川さんの生き方は鮮烈でした。(K.Kさん 25歳 男)

ドキュメンタリー番組の制作に携わりながら、方向定まらず、悩む日々を送っています。『ルーペ』を観て、勇気をいただいた気がします。(Y.Nさん 28歳 女)

*『えんとこ』を観て
自然に体を乗り出してみてアッという間に終わってしまったという素晴らしい作品でした。普段、娯楽映画ばかり接する機会が多くとても爽やかで印象に残る、また残っていくと思いました。(54歳 女)

映画のことは良くわかりませんが、桜の開花シーン、小さな子どもと鳩とマラソンの人のいる風景、伊豆の海、ラストに近いところでの元ボランティアの生後2カ月の赤ちゃん、こんなシーンがとてもほっとしました。(T.Kさん 55歳 男)

「ありのままの命」という言葉、これは伊勢真一さんの永遠のテーマなのだと感じました。(E.Tさん 48歳 女)

『えんとこ』を観て…感動しました。テントに住んでいるリョウ君は大学で良くみかけた男の子で、久し振りにその姿を見て本当に不思議な感じがしました。“告発”ではなく、まさに“響き”…(H.Sさん 25歳 女)
 

*『をどらばをどれ』を観て
『をどらばをどれ』冒頭の子守唄で半年前に亡くなった祖母のことを思いだしました。(母が子育てに熱心ではなかったため、私はおばあちゃん子でした)この村の人たちが少し羨しい。あの舞台に入る瞬間どんな気持なのだろう…「向こうの世界」にいってしまった家族や大切な人たちに少しでも近づいているという気分を感じておられるのか。私はたまに、手の届かない遠いところへいってしまった祖母と母に無性に会いたくなり、夢の中でもいいから会いたいと思うことがあるのですが、よっぽど普段の行いが悪いのかなかなか会えません。(N.Tさん 26歳 女)

真実の持つ心、情け、日本人のかつての優しさ、その源、貧・死が支える心を伝えていた『をどらばをどれ』万歳!(S.Kさん 53歳 男)

『をどらばをどれ』の河川敷でのシーンと、田植えをする手。それを観ただけで今日は幸せでした。河川敷で踊る老婆の目にきらりと光る涙(泣いているわけではないと思うけれども)生きていることへの喜びと感謝を感じました。(M.Oさん 28歳 男)


*『クマちゃん頑張れ』を観て
『クマちゃん頑張れ』はとても期待していた作品でした。そして期待通り、楽しませていただきました。81年の作品だそうですが映画って寝かせていると本当にいい味になることあるんですよね。クマちゃんがカレーライスとおにぎりを交互に食べているところとっても良かったです。今回はカサヴェチス映画を観た時と同じくらい私にとって意味のある一日でした。(H.Tさん 36歳 女)

『えんとこ』は他でもみられるけど『クマちゃん頑張れ』は観られないと思ってやってきました。セールスの仕事に対するクマちゃんの抱負とクマちゃんの実像とのギャップがとても味わい深かった。いるいるいるよなああいうタイプの人間。(私自身?)今クマちゃんは何をしているのかな…(K.Nさん 48歳 男)

各映画の所々で「バックボーン」の説明が足りないなと思うところがみられました。反面、同じところの反復がくどくどしく…もうちょっとそげる部分があると思います。…それが伊勢さんの姿勢なのでしょうか。クマちゃんはすごく印象深かった。クマちゃんは、まだ車のセールスやっているのでしょうか、お父さんの後継いで平塚でお百姓やっているような気がしているのですが。(50歳 男)


*『信・望・愛―孤高の洋画家小堀四郎』を観て
始まった瞬間から、光と影という言葉が浮かんできた。絵画も映像も影の世界である。そして人の姿もまた、他からみえる部分(光)と自己の中にあるもの(影)の姿であるような気がした。そしてどちらもが『在る』のであって、在ることを写すのが映画づくりなのかとおもった。美しい絵画を観て、映像の光と影を楽しみました。(R.Hさん 46歳 女)

*『東京裁判』を観て
初めての映像に驚き。しかし、今まで英雄とたたえられてきた人物に次々と死刑が下るなか、一般大衆の気持はどうだったのか。当時を知る人達に聞いてみたい。(T.Nさん 32歳 男)


['99年9月11日 神戸上映会]

毎日を日々をていねいに、大切にとか、精一杯とか、一生懸命にとか、できることをとか、ちょっと見たり聞いたりすると自分でもやれば出来るような気がするけれど、これがなかなかちっとも出来ない。自立という言葉が私からは最も遠いところにあるような気がしている、今日この頃。そんなときにこの映画を観て、また改めてあいたたた…って感じです。(K.Yさん 30歳 女)

『えんとこ』は、遠藤さんをひとりの人間としてまっすぐにとらえていて、障害者の人の映画というよりも人と人の関わりの映画のように見れました。どうもありがとうございました。(S.Uさん 21歳 男)

映画を観ているというより遠藤さんと語っているというほうが正しいのではないか。また、自分と対話しながら観ていたように思う。映像ではやはり遠藤さんの表情がものすごくせまってきて、特に目(瞳)の中に吸い込まれそうになって必死に椅子にしがみついていた。(K.Kさん 42歳 男)

笑顔やそのほかの表情が良かった。やっぱり人間にとって笑顔は不可欠であるなと思う。人間は完璧でないから人とつながっていることを感じた。完璧にならなくてもいいんだと思った。(E.Iさん 21歳 女)

「昨日はもう来ない。明日はまだ来ない。」この言葉は今の私にとってとても大切なもののようです。ただ今、今、今、、今を生きたい。(K.Mさん 21歳 女)

「迷惑は掛けてもいい、掛けたほうがいい」という言葉に、スコーンと何かがつき抜けたような気がしました。(K.Tさん 41歳 女)

かつて「自立」とは、「どれだけ人の手を借りられるかということだ」という言葉を牧口一二さんから聞き、こころが少し広がったように感じたのですが、今日の遠藤さんは自立の極みにいる方なんだなと思いました。(M.Uさん 43歳 女) 

「受け入れて生きる」ことのすがすがしさと強さを感じました。娘に障害がありますが、彼女も色々な人たちに支えられて、今、幸せな青春をおくっています。彼女と今では障害を笑いのネタに出来るほどになりました。彼女も自分の知的障害を受け入れてから“すてき”になったと思っています。(Y.Gさん 46歳 女)

遠藤さんの詩を見て(聞いて)自分に言われてるみたいでドキッとしました。「先回りして人がどう思うだろうか、これはいけない事ではないかとか勝手に一人で考えて」ることが多いし、「自分から逃げて」いるなんてしょっちゅうだし。自分に自信が持てる訳ないと思っているし。それを今日からは少し楽に(?)考えられそうです。そんなにすぐには変えられないかもしれないけど、もう一回頑張ってみようと思います。(C.Mさん 19歳 女)

自立という言葉が何となくわかったような気がしました。自分を認めて生きいくことに皆努力しているのだと思いました。(M.Nさん 20歳 女)

僕も障害者だけど障害者が観るうえでは当たり前にみえ感動はなかった。でも遠藤さん頑張れ。(O.Yさん 42歳 男)

遠藤さんは本当に目がきれいでした。そしてとても若いんだなあと思った。そして笑顔がかわいかった。(K.Iさん 39歳 女) 

遠藤さんって男前ですね。眼の光が強いなあと思いました。ちょっと沈みがちな気持に勇気をもらいました。やっぱり自分に嘘はつけないし、一人では生きていけませんもんね。(J.Tさん 30歳 女)

自分は途中失明(20年)だが、障害を持っててよかったと思ったことは一度もない。どうしたら遠藤さんみたいに思えるんだろう(なんでそんなこと思えんねん)(Y.Sさん 49歳 女)

人間の声には霊が宿るという不思議な力があるのだ。彼の声や話すときの顔からそのことがひしひし伝わってきた。笑うということの本当もわかった。笑うっていうのはああいうことなんだ。(C.Uさん 18歳 女)

自分自身が遠藤さんのマンションにいて、そこで話をしているような気がしました。それはきっと遠藤さんの大きな優しさに僕が魅かれたからだと思いました。今までにこんな一体感を感じた映画は初めてです。(H.Hさん 18歳 男)

中学生の息子が常々、色々な質問をしてきます。「何の意味があるのか」とか「人間の存在は必要なのか」等。何かそれに対する答えが見つかったような気がします。ナレーションの声は演出の伊勢さんですか?非情にいい声で心に染み込みました。(J.Sさん 43歳 女)

自立ということは一人で何でも出来るようになるだけではなく、人の手を借りられる、回りの人の存在に気付くことなのでしょうか。そう思うと、今自分が子供、人の迷惑になるようなことはしちゃダメと言っていることも考え直さないといけないのかな。(K.Mさん 34歳 女)

私の周りにいる、一人では暮らせない友人たちも、この映画を観て、人を巻き込みながら生きる方法を探って欲しいと思います。(48歳 女)

私は遠藤君の同級生なので、久し振りに遠藤君の笑顔に会えたことが何より嬉しいことです。(N.Sさん 50歳 女)


['99年7月〜8月 シネマ下北沢ほか編-Part1]

昨年の大晦日の晩の場面を見ていて、ドキュメンタリー映画ということを強く感じました。あたりまえのことだけど、同じ時間の中で、私以外の人が、どこかで笑ったり苦しんだり話したりして、存在しているんだなあって思いました。きっと今も、遠藤さんはあのマンションにいらっしゃるんだろうなと思い、何だかうれしいです。(K・Sさん 17歳 女)

3回観たのですが、今日は今まで何を観ていたのだろうと思った。今日は映画が肉感的に感じとれたからだった。遠藤さんの皮膚の触感、介助者の手の感覚、吹き込む風などが感じとれたからだった。(K・Kさん 女)

この映画を成立させているのは遠藤滋さんという人間の魅力だと思う。それと共に、伊勢真一という人間がてらいのない視線で彼を見つめようとしたところにあると思う。遠藤さんが見る桜の花をモンタージュではさむカットがある。そこに監督の葛藤があったのか?そういった苦しみが見えなかったのが、僕には不満である。(M・Kさん 23歳 男)

遠藤さんや介助の若者たちが、一歩一歩踏みしめて生きていく姿と音楽がとてもマッチしていたと思います。今日は勇気をいただいたように思います。(K・Tさん 48歳 女)

言葉で表すのは難しいけれど、この映画はなにか重みがありました。そこらの映画よりなにかが違いました。(S・Mさん 15歳 男)

「意味もなくすることも楽しいですよね」と告白する男性に、「意味のない方が楽しいんじゃないか」と応え、友人のテントを訪れる遠藤さんは、あたたかい。海で遊ぶシーンも美しい。「遠藤さんは歩きたかったのだ」ということに気づかされるとき、忘れている人生への愛情を私にもぶつけられた気がした。(A・Iさん 27歳 女)

私は友人のことをずっと思い出していました。彼女もこんな風に、周りの人たちにいろんなことを考える時間をくれているのだなと思いました。遠藤さんの「勝手に何かをやっていくことはできないのだから」という言葉が心に残りました。(J・Sさん 24歳 女)

この映画の中の関係が、他の介護を必要とする人にも広がっていくことができるかが、今後の課題になるでしょう。その意味で、自治体の協力をどのぐらい得られるかが、今後重要になってくると思います。(T・Yさん 男)

遠藤さんのお姿を見て、メッセージを受けて、白土三平さんの忍者武芸帳の影丸を思い出しました。影丸が、無風道人に殺される前に「自分は死んでしまっても、きっとその後を継ぐ人が出てくる。そして、百年先か千年先か、武士も百姓もない世の中が必ず来る」というシーンがあります。
私はそのシーンを読んだときに「そうか、ずーっとつながっているんか、歴史ってそういうことやったんや・・・」と思って、何だか救われたような気持ちになって、泣けちゃいました。
「まっすぐに堂々と生きるんだよ。自分だけでできなかったら次の世代に託せばいいんだよ」という遠藤さんの言葉に、屈することのない誇り高い魂に、感動しました。(M・Oさん 女)

「徹子の部屋」を見て、15歳の息子が観に行きたいと言うので、シネマ下北沢に来ました。とてもすばらしかったです。これからはあまりくよくよせず頑張っていこうと思います。(M・Mさん 43歳 女)

説明的になる危険性はあるものの、遠藤さんの肉親の方の声がほしいように思います。(遠藤さんの)声が聞きとりにくいので、一部字幕がほしいように思います。(K・Hさん 39歳 男)


['99年7月〜8月 シネマ下北沢ほか編-Part2]

私は光明養護学校高等部のときに、遠藤先生から現代国語を教えていただきました。先生は、教科書ではなく、障害を持つ先輩方の文章を使って、いろいろな意見交換の場所を与えてくださいました。私自身、施設生活を経験し、今は同じ障害を持つパートナーと一緒に地域で暮らしています。もちろん介助者を入れて暮らしていますが、この映画を観て人との関わり方や、自分の障害を認めていくことの大変さを改めて感じました。(K・Nさん 36歳 女)

遠藤先生、お久しぶりです。先生の生活している部屋が見れて、大変良かったです。息子が楽しい学生生活を送ったと確信しました。(E・Oさん 48歳 女)

一番上の娘が3年ぐらい前から変化して、本当にいろいろな経験を親の私たちもしてきました。精一杯受け止めてきたはずなのに、娘は今の自分のままで、そのままでステキなんだということになかなか気づいてくれません。親はどうしてやればいいのだろう・・・いつも悩みながら、とまどいながらも、いつかきっとアンテナがぴったりと合う時が来ると信じて、待つだけしかできないでいます。できることならぜひ、娘にこの映画を観てほしい。遠藤さんの語りが、一つ一つ胸にしみました。私もガンバッテいかなくちゃ。(A・Tさん 40歳 女)

ハンディキャップを持った人が自分を卑下するのではなく、駄目だと思うのではなく、ありのままの自分を認めて堂々と人にものを頼み、堂々と生きてゆく、それでいじゃないか。遠藤さんの主張は、ハンディを背負ったすべての人の励みになると思います。日本の若者はまだ死んでいないと感じました。(K・Oさん 63歳 男)

今日はあなたに会えてよかった。私には透析をしている妹がいます。いつも死と隣り合わせで生きています。でも日常生活にはなんの支障もありません。自分で歩けることだけでも感謝しなくてはいけないと思いました。

生きるってちょっとせつなくて、ちょっと愛しくて、時々ちょっとほろりとして、でもけっこうおかしかったりもして。遠藤さんの表情がとても魅力的でした。生きていること自体がとてもスゴイことのように思えて、でもあたりまえのことでもあって、自分自身の生命も大切に思えました。この4月から小学校教師という機会を与えられたので、私自身の現場でまわりを巻き込みながら、自分の思うとおりに頑張ってみます。学級崩壊、いじめ、不登校、実際になんでもありなのですが、子どもたちはみんな生きていて、けなげです。(M・Nさん 31歳 女)

遠藤さんへ
私は遠藤さんのことを心から尊敬します。世界中で一番すばらしい教師だと思いましたよ。介助に来られる方々の顔に誠実さがあふれていましたし、みなさんの笑顔がとてもすてきでした。だから、遠藤さんは世界一すばらしい教師です。(E・Oさん 45歳 女)


['99年7月〜8月 シネマ下北沢ほか編-Part3]

ともすれば福祉や教育の映画の陥りやすいところに陥ってない感動がありました。もう少し、自分の仕事をやり続ける自信がわいてきました。ありがとう。(Y・Mさん 48歳 男)

この映画をつくってくださり、本当にありがとうございました。様々なことを考えました。個人的には、きちんと自分自身と向き合おう、と思いました。命をさらけ出して生き抜いている遠藤さんの姿を見た以上、自分自身やれること、やるべきことがたくさんあることに気がつきました。(M・Kさん 45歳 女)

すごい映画だと思います。きっとこの映画を観た人たちの感動が大きなムーブメントになって、21世紀につながるのかな。(N・Hさん 女)

遠藤さんの目がよかったです。(J・Kさん 46歳 女)

人間ってやっぱりとてもおもしろくて、そしてとてもいいもんだと感じました。福祉の映画というのではなく、人間の気持ちというか、勇気を与えてくれる映画だと思います。(K・Sさん 33歳 男)

観ていてとても気持ちよかった。うらやましいなぁと思った。重度の障害を抱えて生きていくのは大変しんどいけれども、「おもしろい、おかしい」と言った遠藤さんはすてきだった。彼のところに集まり、世話をしている若者たちもすばらしかった。“偉くなる必要はない。尊い自分に気づくことが大事だ。”(Sさん 29歳 男)

若い人たちを中心に観てほしいと思う。(T・Mさん 66歳 男)

〈えんとこ〉はどこか遠くにあるのではなく、すぐそばにあるんだということを伝えたいと思っています。(H・Nさん 40歳 女)

遠藤さんのメッセージがじかに伝わってきました。そして、お母さまがとてもすてきで、心が洗われるようでした。私も人とひびき合う関係をいっぱい築き、楽しいはり灸師生活を送るようにがんばります。(Y・Oさん 28歳 女)

前向きに生きている人のまわりには、やっぱり人が集まる。(K・Tさん 40歳 女)

遠藤さんが若者たちに贈った詩は、私の心の中の詩として記憶されるでしょう。(N・Yさん 38歳 女)

いろいろな意味で自分にはねかえってくるものがたくさんあった。疑問は疑問としてさらにふくらみ、理解のような、というか“気付いた”ようなこともふくらみ、正直、自分の中でごちゃごちゃとしていて言葉になりません。だけど、これからいつも通りに私が生きていて、その中で少しずつ浮き上がってくるであろう場面がたくさんあり、この作品を観たことを大切にしていきたい。(I・Nさん 19歳 女)

映画を観ながら、自分のことばかりを考えてしまいました。一度、遠藤さんにお会いしてみたいと思ってしまいました。(Y・Nさん 32歳 女)

「君は一人では生きていけない」「人に迷惑をいっぱいかけよう」「昨日は来ない、明日は来ていない、今日を精一杯生きよう」・・・人と人との関わり方、自分はどう生きていくか、どう生きるかを考えることができました。(K・Sさん 男)

夢を捨てず、助け合うことが大切です。(K・Kさん 54歳 男)

遠藤さんは自分を皆のために活かしている。(M・Kさん 32歳 女)

学生時代の養護学校教師時代のバイタリティあふれる笑顔は、50代の今、伊豆の海で歩く遠藤さんと同じだと思いました。今を生き生きと生きたいと思いました。(J・Hさん 39歳 女)

こんなにおもしろい人生を送っていらっしゃる遠藤さんに、そして若者たちに脱帽。元気をいただきました。(S・Sさん 49歳 女)

そうだよね、って最後にうなずいていました。〈自立〉という言葉にいつも自分はなんだろう、ダメな人間なのかなと悩み続けている専業主婦の私です。今すぐに答は出ないけど、フッと何かを感じていけそうです。(A・Kさん 45歳 女)

最近の風潮でもある「人に迷惑をかけない」という一見耳ざわりのいい言葉に真っ向から立ち向かい、「人に迷惑をかけてもいいじゃない、人ってお互い関わり合い、助け合うもんでしょ」ということを身をもってアピールしてくれたと思います。(K・Iさん 32歳 女)

遠藤滋殿 あなたに会えてありがとう。本当にありがとう。あなたの勇気がとってもカッコイイです。あなたの存在そのものがとてもカッコイイです。(M・Yさん 47歳 女)


['99年5月 学生編]

「これがさわやかな感動か・・・」と実感しました。
ありのままの感動というか、ハダカの感動というか。
すごく勇気づけられました、今の私には。
映画を観れた縁に、感謝!
(M.S 21歳)

映画を観て〔気の毒〕というよりは、今大学生として
健常者として生きている私よりも
人生を楽しんでいて、かえってうらやましいような気さえしました。
(T.N 21歳)

最初はちょっとつまらない感じでしたが
あとで「ぐん」と盛り返してきました。
それは、観ている側と遠藤さんとの距離が
ちぢまっているという表われなのかもしれません。
(T.O 21歳)

大学4年で人生のことを考えていると混乱してきますが
遠藤さんの体をすべて使って、精一杯、一歩一歩という
生きざまには、やはりこれしかない! と思いました。
(M.I 22歳)

とても親近感がわく映画でした。まるで自分も
〔えんとこ〕に行って遠藤さんとしゃべったような感覚です。
(H.I 18歳)

運命をしっかり受け止めて生き、そのなかで
自分からものごとの先頭に立ち、必要な時々で
遠慮なく周りの協力者たちの力を借り、自分の道を
ひたすらに切り開いていく。そんな彼に心を打たれました。
(H.N 20歳)

遠藤さんをふくめた皆さんの笑顔が
とってもいいなって思いました。
(A.K 23歳)

今、就職活動をしていて、やりたいこと、希望、たくさん
出てきたのに、それが可能かはっきりしない状況にあります。
でも遠藤さんのコトバを聞いて、「なんでもやってみなよ」
そう言われた気がします。力が出てきた気がします。
ありがとうございました。
(Y.O 21歳)

ドキュメンタリー映画をはじめて観ました。
月並みだけど、本当に遠藤さんがいつも東京のアパートに
生きている、ということがすごいなぁと思いました。
大学に入ったばかりでいろいろ悩みがありましたが
少し楽になった気がします。
(F.W 19歳)

「自分から逃げてはいけない」という言葉、それは
今の私にドーンと響いてきました。
どんな自分もすべて私。私自身が受け入れてあげなければ
いけないんだと思いました。
(N.I 29歳)

今日、あらためて思いました。
障害は、その人の個性のひとつ。
(K.K 20歳)

苦手で、自分ひとりではできないことを
誰かに手伝ってもらって生きていくということは
とても当り前で自然なことなんだということを
心から感じました。
(A.Y 23歳)


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