切羽詰る(2010.9)

 

伊勢 真一

 

終らない季節はない。
終らない命がないように。

この夏もよう働いた。
働けど働けど、「…ジッと手を見る」だけの人生だけど。
夏休みもとらずに働いているのに、増えるのは借金ばかり、
ということはやはり、構造的に私の仕事の在り方がまちがっているのだろうか…
まちがっているに違いない。

でも、しょうがないよね。

私の父は記録映画の編集の仕事をしていて、一年365日ほとんど休みなく働き詰めだった。
けれども、60歳で他界した時に遺ったのは、借金だけだった。

そんな父を見ていたから「借金だけはするまい」と思い
けっこう必死に働いてきたつもりだけど、
思い通りにはいかないものだ。

借金をしたい、と思ってする人はいない。
迷惑をかけよう、と思ってかける人もいない。
嘘をつこう、と思ってつく人もいない。
多かれ少なかれ、みんな切羽詰ってのことなのだ。
切羽詰らないようにすればいい…とヒトは言うが、
人生、切羽詰るように出来ているのだ、と私は思う。

ドキュメンタリーを創っている人がそんな身も蓋もないこと言っちゃいけない、
と思うかもしれないが、ドキュメンタリストは誰もが「清く正しく美しい」わけではない。
少なくとも私は自信をもって、違う。
「だからアンタのドキュメンタリーは、フニャフニャしてて歯切れが悪いんだ
…苛々するんだよ」と、あちこちからブーイングが聴こえるようだ。

夏のはじめに「風のかたち」のロンドン上映の感想が届いていた。
その中に3〜4人「moving,but long」と書いている人がいた。
英語力が中学生程度の私でさえ、何となくわかる。
「感動した…でも長過ぎる」
自主制作の処女作「奈緒ちゃん」を創った時から、言われ続けているからね。
一貫した私の作品への批判、「長過ぎる」「わかりにくい」という感想も、
どうやら国際的になったようだ…

悔しまぎれに言わせてもらえば、私は「短か過ぎる」より「長過ぎる」方に、
「わかりやすい」よりも「わかりにくい」方に魅かれるな…
だって、観ているひとりひとりが、色々なことにその映画の時間の中で思いを巡らすことが出来るもの。

これからも自信にあふれた歯切れのいい正論ではなく、
切羽詰って思わず漏らすタメ息のような、
言葉にならないような想いのある、ドキュメンタリーを撮り続けたい。
季節の変わり目の空気感が好きなのは、
季節が切羽詰っているように感じるからかもしれない。
「命の終わりに耳を澄まし」切羽詰りながら、
ウンウン唸り声をあげ続けて、
行けるとこまで行くのだ。