余震のただ中で(俺のやり方で)ーその6ー(2011.05)

 

伊勢 真一

 


『大丈夫。ー小児科医・細谷亮太のコトバー』の東京での一般公開が
下高井戸シネマで始まり、終った。
一週間きり、一日一回上映だったから、あっという間だったけど、
毎日劇場に足を運び、上映のあとにつたないトークをした。
卑下して言うわけではなく、今回はいつにも増して
つたない、という言葉がぴったりの語りであった。
3.11の震災後の動揺からか、心穏やかでないという内面がそのままあらわになってしまうのだ。
でもお客さんは、たんと来てくれた。
私の作品としては珍しく、連日結構な入りで、最終日は
満員札止めであった。もしかしたら傑作なのかもしれない。

『大丈夫。』下高井戸上映が終わった次の日から、宮城県亘理町に
3月以降続けている「ドキュメンタリーも創れる支援物資輸送部隊」のロケ車を走らせ、
被災地に向かった。
今回のロケには、もう三十年来の仲間でライトマンの工藤和雄にも加わってもらい、
ナイトシーン(夜間撮影)に取り組んだ。
朝の時間、昼の時間、夜の時間、
それぞれのひとときひとときを誰もが生きているのだから。

被災現場に立つと、相変わらず浮き足立つ。
見ていたいものと見ていられないもの、
見ていられなくても見る必要があること、
必要があるとわかっていても見たくないこと、
そして、
見たくないことも時として見たいことになる、
見ていたいものも時として見たくないものになる、
心はおおいにブレてブレて…

亘理町にも、行方不明の方々がまだまだいる。
被災現場のただ中にある墓地で、
行方不明の父親を捜している家族に出逢った。
行方不明の一人ひとり、亡くなられた一人ひとり。

映像は「情報」というよりも、
「祈り」のようなものだ、と時々私は思う。
祭壇におかれた遺影のように、花のように、
「映像」は記憶のカタチとしてずっと愛する人々のすぐそばに寄り添い、
一緒に居る。
人々の「祈り」を受け止め、
人々の「いのち」を見守り、共に生きるのだ。

テレビで作家「辺見庸」の独白を観た。
被災し野球が出来なくなった野球部のドキュメンタリーを観た。
福島原発の下請け労働者の実態をレポートしたニュースを観た。
それぞれに共感し、考えさせられる映像だった。
それでは、我等は…

被災地にカメラとマイクを持ち込み、2ヶ月が経とうとしている。
未だに、何をどう撮り描いたらいいのか、はっきりとはわからないままに撮影は続いている。
「世の中には正しいやり方と、まちがったやり方がある…
でも、もうひとつある。
俺のやり方だ。」
と何かの映画で、ロバート・デ・ニーロが呟いていた。
デ・ニーロほどすごみは利いていないが、私もまた、
「俺のやり方がある…」と消え入るような声で呟きながら、
撮り続けることにしよう。

そして、被災地への支援物資輸送とカンパを
しばらくは続けようと思う。
「俺のやり方で、俺達のやり方で…」
応援するのだ。