余震のただ中で(「月命日」に)ーその8ー(2011.06)

 

伊勢 真一

 


「月命日」の6月11日をはさんで三日間、宮城県亘理町に行って来た。
「ドキュメンタリーも創れる支援物資輸送部隊」の六度目の訪問だ。
「支援物資も輸送するドキュメンタリー部隊」かな?

友人のミュージシャン・苫米地サトロ(映画『風のかたち』テーマ曲作詞作曲・歌)と
奥様の圭さんと数人の仲間達が3月11日の震災後に立ち上げた
亘理町の災害時緊急放送「FMあおぞら」で、
「月命日」の日に犠牲になったひとりひとりの名前を読み上げる、と聞いて駆けつけたのだ。
亘理町だけで271人に及ぶ、生きることが叶わなかった方々の名前を記録したいと思って…

読み上げは6月11日土曜日のお昼過ぎから始まった。
主にマイクに向かったのは、自らも被災し何人かの友人知人を失った20代のスタッフ二人…
放送局のアナウンサーのように上手ではないけど、
時にはつっかえながらも、淡々と、しっかりと、
名前を読み上げていく。
お逢いしたことのない一人ひとりが、名前と年齢を読み上げられる度に目の前に浮かんで、
じっとこちらを見つめているように感じた。
読み上げを終えた若者のひとりは、
「名前を絶対に間違えてはいけない、と緊張しながら読みました。
名前って大切ですよね。
ひとりにひとつずつ必ず名前があって、ひとりにひとつずつ人生があるんですものね…」
と語ってくれた。
2時46分。
三ヶ月前の地震が起きた時刻に合わせて、
亘理町の街全域で黙祷する。
その様子を三台のカメラで撮影した。
黙祷している人々をじっと見つめることが、
我等にとって黙祷なのだ、と納得しながら。

このところ、マスメディアでは「復興」の二文字がキーワーズのように語られる。
そのことに異存はないけど、
被災地の一人ひとりにとっての時間は、
東京時間や世界時間ほどテンポよくよどみなく流れているわけではない、とも思うのだ。
止まったままの時間を生きている人だっているにちがいない。
「月命日」に限らず、あの日から、あの時から、
ずっと心の中で黙祷をし続けている人だっているんだ。
それが普通の人々が生きる、ということの中身だと思う。

今なお、被災現場に佇むと言葉を失う。
瓦礫の山が三ヶ月経っても片付かないのはけしからん、
とメディアでは言ってるけど…
瓦礫と呼ばれるモノのひとつひとつは、被災した人々にとってかけがえのない思い出、
ささやかな物語のひとつひとつにちがいない。
片付けようと片付くまいと、その記憶は誰にも絶対に消し去ることは出来ないはずだ。
我等は「言葉を失う」という、まさしくその記憶をこそ描くのだ。

黙祷する姿をしっかり眼を開いて撮ること。
それは、眼を瞑り自分自身の心の在処を探りあて撮影することでもあるのだ。
見えないものを見ようとすることこそを
映画と呼ぼうではないか…