余震のただ中で(ただただ…)ーその9ー(2011.07)

 

伊勢 真一

 


七月の「月命日」に宮城・亘理町、福島・飯館村と川俣町を巡り、
カメラと共に旅をして来た。
もう九度目の被災地への撮影紀行。
もちろん「支援物資」も積んで、すっかり夏っぽくなった東北自動車道を突っ走った。

市民緊急FM放送「FMあおぞら」では、毎月「月命日」の日に亘理町での
地震・津波の三百人に及ぶ犠牲者の名を、追悼の思いをこめて読み上げている。
今回のアナウンサーは、友人のミュージシャン・苫米地サトロの連れ合いの吉田圭さんだった。
FM放送の中心的存在としてその立ち上げの時から声を振り絞って来た圭さんは、
淡々と、一人ひとりの名前と年齢を読み上げていた。
プロのアナウンサーのようだ、
上手だなぁと感心して聴いていた矢先、圭さんの声が震えた…
幼い子ども達の名前を読み上げている時だったように思う。
「何度読んでもうまくいかない…」
読み終えてから圭さんはつぶやいた。
その日、仮設住宅の傍にある、津波で流された写真や日用品を
保管・展示しているテントを訪れ撮影していたら
「ヒトノフコウを撮影してメシのタネにして、お前等恥ずかしくないのか…」
と被災者の一人にののしられた。

壊滅状態の海辺の集落を抜け吉田浜に出て、
静かな海を黙って撮影する。

集落に残されたお墓に三脚をすえ、「月命日」の月を狙う。
月齢十日の月が黄昏時の空に見え隠れしていた。
線香を片手に握りしめた一人の男がカメラに近づいて
「三人やられちゃったんだ…」
と語りかけて来た。
七人家族のうち三人もが津波で流されてしまったのだと言う。

こうして三月以来、ほとんど行き当たりばったりに亘理町をほっつき歩き
人や風景や物を、撮ってきた。
映画になるともならないとも、まるでわからない膨大な映像がたまりにたまっている。

翌日、福島・飯館村に向かい、友人に逢いに行く。
計画的避難区域に指定されている村には、ほとんど人影を見かけない。
友人は、飯館村の奥深い森に入り田んぼや畑を作り暮らしていた。
その御主人が、「ここは天国だ…」とつぶやき、
三年ほど前にこの地で他界されたのだ。
いつも、二人で私の映画を観に来てくれていた御主人の遺影に手を合わせる。
彼女は堰を切ったように亡くなられた御主人のことを語り、
御主人が愛した飯館村の自然について、語り続け、泣いた。
そして、「私は何があってもここを動かない」と強く言い切った。
山椒魚がいて、トンボがいて、蓮池があって、
野イチゴがあり、森がある。
沢の音が、どこからともなく聴こえて…
観たことはないけど、「まるで天国のようだ…」私もそう思った。

いつものことだけど、何を語りたいのかわからないままに撮影は続く…
ののしられても、バカにされても、どんなにみっともなくても、
聞いたふうなことを言うのはやめよう。
ただただ撮り、ただただ編集し、映画のようなものにたどり着き、
ただただ上映を続けよう。