余震のただ中で(墓前に想う)ーその10ー(2011.08)

 

伊勢 真一

 


この夏は、ずいぶん墓参りをした。
自分の墓参りではなく、お逢いしたことのない方々の墓を巡った。
三月以来、カメラと共に通い続けている被災地、宮城県亘理町・福島県飯館村を
八月十一日の「月命日」とお盆に訪ねたのだ。

昔から何故か墓好きで、世界中どんな所へロケで行っても墓地を撮影しようとするので、
スタッフは気味悪がっている。
私にはとても心落ち着く場所なのですが…
自作「ゆめみたかー愛は歌 田川律ー」は、全体の半分以上が墓場のシーンで
構成されている映画で、墓好きならではの快作。
機会があったら、ぜひ。

時には「見せ物じゃねえ!」とののしられながらの被災地でのロケは、
必ずしも撮影快調、と言うわけではなかった。
撮影すること、させてもらうことの負い目のようなものを
チクチクと感じながらの撮影だった。
誰に頼まれているわけでもないのだから、そんなにプレッシャーを感じるのだったら、
撮影しなきゃいいように思うかもしれない。
けれども、欲望のようなものが、撮りたいという思いが、
押さえがたく強くあることも、確かなのだ。

被災現場に立つことに息苦しさを感じたり、何を撮っていいのかわからなくなると、
墓巡りをした。
スタッフに待っていてもらい、墓地をぶらつく。
そして、撮って欲しいと言っているように思える墓があるとカメラを回した。
三月十一日の津波で亡くなられた方々の墓には仮位牌が供えてある。
そこには、ビールやお菓子や、時にはスポーツ新聞が供えてあったりもする。
酒好きのお父さんや、甘いものが好きな少女や、サッカー少年のことを
想う。

墓前で、お逢いしたことのない一人ひとりのことを、いろいろと想像するひと時は、
被災地の復興について、原発について、聞いたふうな議論をかわすよりも、
確かな「時間」を感じた。
うしろ向きだ、と言われるかもしれないが、
そおいう人間なのだから仕方ない。

被災地の遺族や、友人・知人に死なれた方々の多くは、
まだ三月十一日その時の「時間」を生きているのだ。
いつも急ぎ足で、せきたててばかりいるようなメディアや東京の「時間」に、
ついていけない人達だっている。
沢山いると思う。
止まった時間を生きること、生きざるを得ないことは誰にでもある。

映画を創る、ということは「時間」を創るということだ。
自分なりの「時間」を創り、映画を観てくれる一人ひとりに
その「時間」を体験してもらうということだ。
社会やマスメディアの「時間」感覚とイコールである必要は、まるでない。
むしろ、社会やマスメディアの「時間」感覚に押し流されないように踏ん張ることこそが、
映画創りに限らず、一人ひとりが生きるということの中身のように思うのだ。
ゆっくり確かに、自分の「時間」を生きるのだ。
「悠々として急げ」だ。

お盆に、亘理町の漁港で灯籠流しが行われた。
人々の祈りを託した数知れぬ小さな灯籠が、海の闇へと流れ出て行った。
美しい光景だった。
「いのち」とは、生きていることだけを言うのではなく、
死んであることも含めてのことだと思う。

8/27(金)から三日間、恒例のヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》をやります。
九回目の今年は10作品を上映。
映画祭プロデューサーのような役割の私は、「風のかたちー小児がんと仲間たちの10年ー」
「大丈夫。ー小児科医・細谷亮太のコトバー」のほか、
まだ撮影中の被災地のドキュメント、「サトロー被災地からの歌声ー」(仮題)の
撮影途上バージョンを特別公開します。
ぜひ観に来て下さい。