余震のただ中で(なけなし)ーその11ー(2011.09)

 

伊勢 真一

 


3月11日から半年目の「月命日」に宮城県亘理町を訪れた。
臨時災害ラジオ「FMあおぞら」恒例の犠牲者の名前読み上げを、この日はサトロがやった。
映画「風のかたち」の主題歌を歌っているサトロは、必ずしも美声というわけではないが、
少し鼻にかかった訛りのある独特の語り口で、一人ひとりの名前と年齢を読む。
その肉声のぬくもりが、一人ひとりを言葉で包み込む心地良さに、少しウトウトする。
淡々と読み進みながら、「ただ今、この度の震災でお亡くなりになった方々のお名前を、
お一人おひとり、読み上げております。」と言ったサトロの声が、一度だけわずかにうわずった。
居なくなった誰かしらの顔が浮かんだのだろう…

このロケの定点のように通い続けている、被災現場近くのお墓にも行ってみる。
三月に来た時には、ほとんど全部のお墓が倒れ、何台もの車が
その上に乗り上げているような状態だった墓地も、ずいぶん整然とした姿に成った。
小雨の中、一人あるいは家族で、花やお供えを手に被災遺族の方々がやってくる。
声をかけることも出来ずに、離れた場所から墓参りの様子を見届け、
立ち去った後の線香の煙がわずかに残るお墓を撮影させてもらう。
そんなことを繰り返していたら、
「わたしのようなものでよかったら、どうぞ撮影して下さい」と中年の男性が声をかけてくれた。
独り言のように、
「二人やられちゃったんだ…」(奥様とお兄さん)
「私、釣りが好きだったんだけど、あの日以来、海の方には一歩も近づけないんだ。」
「毎月、こうしてここに来るんです。」
手をあわせ終わると墓に、
「又、来るからね…」と言い、
カメラに向かって深々とおじぎをした。
そして、「雨に濡れないようにした方がいいですよ、放射能がまじってるから。」
と気遣いの言葉を残し、立ち去った。
墓前には、山のようなお煎餅と梨、リンゴ、コーヒー缶が残されていた。
「カラスだって生きるために食わなきゃ何ねえだから、俺は置いて行く…」とも言っていた。
何だか、一幕一場のとても感じのいい舞台を観せてもらったようなひと時だった。
スタッフは皆、黙って頷くだけだった。

こうして、三月以来被災地にカメラを持ち込み、行き当たりばったりに撮影を続けて来た。
多分、ほとんど肝心なことは何も写っていないように思う。
時々、テレビで震災のニュースやドキュメンタリーを観ると実によく撮れている。
しゃくにさわるくらいにね。
我等の撮影隊は、お金も機材も何もかも「なけなし」だもの…と言い訳を思いつつ
♪ボロは着てても心は錦♪と前に言ったような気がするけど、心も「ボロ」かもしれない、
震災のことや原発に関してロクなこと考えていないし、とえらい弱気になる。
我等の、私の、やっていることは、ほとんど無駄なような気がして、無力感が湧き上がってくるのだ。

五月に田植えをしていた福島県川俣町(一部が計画的避難区域)の
じいちゃんとばあちゃんの田んぼに行ってみた。
しっかりと手を入れ育てたに違いない美しい田んぼで、
黄金色の稲穂が風に揺れていた。
「売れても売れなくてもいい、田植えするんだ…」
とつぶやいていた、じいちゃんとばあちゃんの顔を思い出す。

「たとえ明日世界がほろびても、私は、今日、リンゴの樹を植える」
というようなことを語ったのは哲学者だったか宗教者だったか?

もうすぐ刈り入れだ。
無駄でもいい、撮影を続けよう。
「なけなし」でやり続けるのだ。