余震のただ中で(もうすぐ冬)ーその14ー(2011.11)

 

伊勢 真一

 


「月命日」の前日、ロケバス満杯に支援物資を積んで宮城・亘理町に向かった。
「冬をむかえる東北の被災者に衣類を!」と呼びかけたら、
早速各地から、あたたかい物資がいせフィルム宛に送られて来たのだ。
ありがたい。

今回の撮影スタッフは私も含めて5人。
みんな、かなり昔から撮影現場を共にして来たベテランばかりだ。
予算の無い(少ないのではなく無い)今回のような企画に、一も二もなく
応じてくれる仲間たちの存在が、私に映画を創らせている、とつくづく思う。
ありがたい。

3月11日から8ヶ月後の亘理町の被災現場は、
ガレキも撤去され、ずいぶん整理された…と言うよりも、
集落の佇いが、のっぺらぼうになり何とも心もとない。
たとえようのない虚しさを感じる。
確かに、そこには家があり人々の暮らしがあったのに。
何も無くなってしまった、という情況を撮影しようとカメラを回したが、
何もない、ということを写すのはとても難しい。
何カットも撮ったけど、ほとんど空振りのような手応えだった。

亘理町の隣町で、被害の大きかった山元町に行ってみると、
崩壊した家々がまだそのまま点在していた。
「家が大ケガをして傷口を曝しているようだ」と私が言ったら、カメラマンの一人が
「家が大きな口を開けて叫んでいるようだ…」と呟いた。

帰りに寄った福島・飯舘村では、紅葉の山々に抱かれた人影の見えない里を撮影した。
放射能の影響で避難区域に指定されているこの辺りでは、
取り残された家々が、小さく低くウメキ声を上げているようだった。
家は、避難した家族の一人ひとりをじっと待ち受け、留守番をしているようでもあった。
故郷に戻ることが出来る日が、一日でも早く来ることを願うばかりだ。
それにしても、人々が暮らせなくなるようなエネルギー開発なんて、
誰が考えたってナンセンスだ。

吉田浜の海岸では、海から満月が上る光景を1800ミリの超望遠レンズを用意して撮影した。
美しく力強かった。
大きな大きな月が、じっとこっちを見つめていた。
何かを言いたそうだった。

今年の東北の冬は厳しいにちがいない。
その傍(かたわら)に寄り添う思いで、そろそろ編集に取り組もう。
3月11日からの記憶をたどりながら、その記憶が語りかけてくる
ひとつひとつに、耳を澄ませてみよう。

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