余震のただ中で(皆既月食)ーその15ー(2011.12)

 

伊勢 真一

 


「もう」なのか「まだ」なのか、
3月11日から9ヶ月が経ち、
2011年も終わろうとしている。

今月も「月命日」の前後に福島・宮城へ行って来た。
墓参りをするように撮影するドキュメンタリーがあってもいいじゃないか…
スタッドレスタイヤを履いたレンタカーを借り、まわりの方々が送ってくれた
冬用の衣類を中心とした支援物資を積み込み、
もちろんスタッフと撮影機材も乗せてまっしぐら。
現地で飛騨からの仲間二人と合流した。

今回の主な狙いは、ほぼ10年ぶりと言われる「皆既月食」を撮影すること。
被災地の海、宮城県亘理町吉田浜でこれまでも満月を撮り続け、
お月様を偏愛する「いせ組」としては、撮らないわけにいかないではないか。
前にも借りたことのある超望遠レンズを社運をかけて(?)二日間レンタルした。
全部が欠けた瞬間に、満月が赤銅色になる様が、
何とも言えず美しいらしい…

3月以来通い続けている、友人のミュージシャン・苫米地サトロの家の庭と、吉田浜に
数台のカメラをスタンバイして撮影は始まった。
満天の星空、快晴だった。
しかし、月の神様は我等の思いを叶えてはくれなかった…悔やしい。
順調に満月が欠けていき、もう少しで「皆既月食」というクライマックスに
突然暗雲が立ちこめ、「赤銅色の見えない月」がまるで見えなくなってしまったのだ。
雲の意地悪は真夜中まで続き、結局お見合いは空振りに終わってしまった。
スゴスゴと機材を片付けて、人生ほとんど思うようにいかないことばかりだ
と意気消沈…多分、修行が足りないのだ
大自然の営みは人間様の思うようになどならない、
ナメちゃいけないということだ、と思い直す。

仮題で「サトロ」と呼んでいた、この作品のタイトルを
「傍(かたわら)−3月11日からの旅−」とした。
その心は…映画を観る一人ひとりに、たっぷり思い描いて欲しい。
ただ私自身が「傍」というコトバと、字と、その響きが好きだから、
というのは大切な理由のひとつだ。

タイトルをつける時には、いつも声に出して言ってみるようにしている。
その音の感触が映画の空気に似合うものを素直にタイトルにする。
子供の名前をつけるようなもんだ。

「傍」の題字は、小児がんの子どもたちに寄りそった映画「風のかたち」「大丈夫。」
を共にした、小児科医の細谷亮太さん(聖路加国際病院副院長)にお願いした。
きっと「風のかたち」「大丈夫。」を創ったから、「傍」は生まれたのだ。
ある意味、続編、連作のような気持ちでいることも確かだ。
もっと言えば、私は自主製作・自主上映の処女作「奈緒ちゃん」以来ずっと
エンドマークをおろさず、ひとつの長いながい映画を撮り続けているのかもしれない。

「傍(かたわら)ー3月11日からの旅ー」
よろしくお願いします。
年を越えた春には、産声を上げていると思います。