年末年始は去年の3月以来通い続けている宮城・亘理町と福島・飯舘村で
カメラとスタッフと共に過ごした。
被災地は、被災者は、どんな思いで新しい年を迎えるのか…
何が撮影出来るというわけでもないが、すぐ近くで、その空気を感じたいと思ったからだ。
亘理町では花火を撮影した。
仮設所を舞台に行われた年越しの花火大会…
冬の夜空に咲く花は、とてもとても美しかった。
そして人々は口々に希望を語ってくれた。
飯舘村では、全村避難中の村を訪ね正月の気配を探ったけど、
村人の姿はまるで見えなかった。
誰もいない冬景色の村里を、ただただ撮影した。
帰京して、正月3日には恒例の「奈緒ちゃん」シリーズ正月ロケ。
もう31年目の撮影になる。
よくぞ撮り続けた、とも言えるし、
奈緒ちゃんの家族はホントによく撮られてくれたとも言える。
何はともあれ、38才になった奈緒ちゃんは元気だった。
スタッフのために得意の春巻きを作ってくれ、ご機嫌だった。
ささやかな正月のひととき、いい時間だった。
翌日から編集室にこもって「傍(かたわら)−3月11日からの旅−」の
最後の追い込み編集。
編集は山登りに似ているかもしれない。
いつも、もう登れない、あきらめて引き上げたい、と思いながら
何とか這うように頂上にたどりついて来た。
今回はいつもに増してゼーゼー、フーフー荒い息を吐きながらの編集だった。
「終わらない仕事は無い…」と呪文を唱えながら登り切った。
出来上がりは1時間55分。それは言わば氷山の一角だ。
水面下には使われなかった膨大な映像があり、
撮影されなかった気の遠くなるような時間があるのだ。
ドキュメンタリーを創る、ということは
撮影したり編集したりする以前に、
思う、ということであり
考える、ということであり、
感じる、ということなのだ。
氷山の水面下に、思い、考え、感じることを溜め込んだ
言葉にならないカタマリのようなものがあり
そのカタマリこそを、見る人の心に届けるのが我等の仕事なのだ。
氷山の一角、まさしくそれが映画という現象。
その水面下を深く深く想像することこそが映画を観る、
という行為なのだ。
31年間もかけてまだ完成しない映画「奈緒ちゃん」シリーズを
撮り続けている私としては珍しく、たった一年でまがりなりにも
一本の映画を完成させた。
たった一年、されど一年…
マスメディアの視点とはひと味違った東日本大震災の記録。
記録と言うよりも記憶。
私的でちょっといびつなドキュメンタリーが誕生しようとしている。
「傍(かたわら)」いいタイトルでしょ?
春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来て、そして又必ず、春は来る。
いのちは生きるほうに向かうのだから。
自主上映の応援、よろしくお願いします。