主人公と舞台

 
遠藤 滋 Endo Shigeru


1947年5月
静岡県に生まれる。仮死状態で生まれ、1才の頃、脳性 マヒと診断される。

1974年3月
立教大学文学部卒業。
都立光明養護学校に、教員として採用され、職場での差別と闘いながら、小田急線・梅ヶ丘駅に車椅子用スロープをつける運動に関わったり、世田谷区に対して、介護人派遣制度の改善を求める運動を始めるなど、地域の障害者活動に積極的に参加する。

1985年7月
『だから人間なんだ』を友人と自主出版。この本づくりが、ありのままの命を祝福し、命を生かし合うことを、自己決定して生きるきっかけとなる。

1991年〜
まったく寝たきりの状態となる。〈えんとこ〉の場で、介助者のネットワークを組織、独り暮らしが始まる。

 

君が今やりたいことを、まっすぐに人に伝えながら、
出来ないことは、みんなに手伝ってもらって、堂々と生きてゆきなさい。
先回りして、人がどう思うだろうか、これは、いけないことではないかとか、
勝手にひとりで考えてやめてしまう必要なんかないんだよ。
自分から逃げていては、何も始まらない。
そうして、自分が決めてやったことの結果を、
どんなことでもすべて自分で生かしていったら、
その時はきっと、いつの間にか、ますますすばらしい君になっているだろう。
それは、人に迷惑になるどころか、逆に人と人とが直接、
そのいのちを生かし合って生きる。
本当の人のあり方を、君に関わる全ての人に身を持って示して、
それを実現してゆくことになるんだよ。
だって、君はひとりで勝手に何かをやってゆくことなんてできないだろう?

(遠藤 滋「いのちの肯定に立つまでの私の歩み」より抜粋)

◎介助者たち(若者たち)

20代の学生を中心とした若者たちが、一日三交代で遠藤滋の介助にあたっている。

介助を必要とするようになってから、1000人をゆうに越える若者たちが、パートナーとして遠藤滋に関わってきた。
(1980年から始められた、介助ノートという名の日記には、その時々の若者たちの生の声が記されている。すでに大学ノート100冊あまりになる)

しかし、介助者の不足は、慢性化している。
一日たりとも、介助者の不在は許されないのだが・・・。

◎〈えんとこ〉

東京・世田谷区梅ヶ丘の住宅街にある、ごくありふれたマンションの一室2DKが、遠藤滋と介助の若者たちの拠点。
      
遠藤の居るところであり、縁のあるところでもある、〈えんとこ〉は、日々の営みのかたわら、定期的な通信の発行、本の出版、映画の上映、障害者が街で暮らすための調査活動など、さまざまな試みの中心となっている。

〈えんとこ〉は重度の障害者をケアする所というより、小さな学校、ユニークな会社、サークルの部屋に似ていなくもない。それは、遠藤を中心にした心と体のネットワークでもある。



  ケア生活くらぶ
http://member.nifty.ne.jp/entoko/
遠藤滋さんと白砂巖さんが中心になって運営しているホームページです。
<えんとこ>の活動内容など情報もりだくさんです。


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